『ファイナルファンタジー』レビュー/「RPGのスクウェア」が生まれた日

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「記載されている会社名・製品名・システム名などは、各社の商標、または登録商標です。」

<画像はSteam版『FINAL FANTASY』(ピクセルリマスター)から引用>

利便性:何度でも何度も移植・リメイクされ、完成された神バランス
時代性:「ファミコンでRPGなんて無理」から「ファミコンでRPGが出まくる」転換点
作家性:『ドラクエ』の模倣ではない、大人っぽい『D&D』と『Wiz』のオマージュ
革新性:最後の最後に、なんか難解なSF要素をぶち込まれたんですが!!?
総括

『FINAL FANTASY』
・スクウェア
 ファミリーコンピュータ用ソフト:1987年12月18日発売
――移植版――
 MSX2版:1989年12月22日発売
 ファミリーコンピュータ版(『I・II』):1994年2月27日発売
――リメイク版――
 ワンダースワンカラー版:2000年12月9日発売
 プレイステーション版:2002年10月31日発売
 携帯電話版:2004年2月29日~各キャリアにて配信開始(現在は配信終了)
 PSP版:2007年4月19日発売
 スマートフォン版:2010年2月25日~各OSにて配信開始(現在はサービス終了)
 ニンテンドー3DS版:2015年1月21日配信開始(現在は配信終了)
――ピクセルリマスター版――
 iOS版:2021年7月28日配信開始
 AndroidOS版:2021年7月28日配信開始
 amazon appstore版:2021年7月28日配信開始
 Steam版:2021年7月29日配信開始
 Nintendo Switch版:2023年4月20日配信開始
 プレイステーション4版:2023年4月20日配信開始
 Xbox Series X|S&Cloud Gaming&WindowsPC版:2024年9月26日配信開始
 Apple Arcade版:2024年12月4日配信開始
・コマンドバトルRPG
・ファミコン版:セーブスロット1つ(宿屋などに泊まった際にセーブされる)
 ピクセルリマスター版:セーブスロット20個(フィールド上などどこでもセーブ可能+ダンジョン内でもセーブできる中断セーブ+オートセーブもある)

 私がエンディング到達にかかった時間は約20.3時間でした
 ※ネタバレ防止のため、読みたい人だけ反転させて読んでください


※ PVはピクセルリマスター版のものです

【苦手な人もいそうなNG項目の有無】
※ 苦手な人もいそうなNG項目があるかないかを、リスト化しています。ネタバレ防止のため、それぞれ気になるところを読みたい人だけ反転させて読んでください。
※ 記号は「◎」が一番「その要素がある」で、「○」「△」と続いて、「×」が「その要素はない」です。

・シリアス展開:△(滅びかけている街の悲壮感が強いくらい)
・恥をかく&嘲笑シーン:×
・寝取られ:○(敵から姫を「寝取る」話か、これ?)
・極端な男性蔑視・女性蔑視:×
・白人酋長もの:×
・動物が死ぬ:×
・人体欠損などのグロ描写:×
・人が食われるグロ描写:△(人を飲みこみそうな見た目の敵はいる)
・グロ表現としての虫:◎(でかいムカデみたいな敵がいる)
・百合要素:×
・BL要素:×
・男女の恋愛:×
・ラッキースケベ:×
・セックスシーン:×


◇ 利便性:何度でも何度も移植・リメイクされ、完成された神バランス

 今もシリーズが続く『ファイナルファンタジー』1作目は、1987年12月にファミリーコンピュータ用ソフトとして発売されました。この記事では分かりやすいように、以降は『FF1』の呼称で統一させてもらいます。

 『ドラゴンクエストII 悪霊の神々(以下『ドラクエ2』)』が1987年1月発売、『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…(以下『ドラクエ3』)』が1988年2月発売なので、ちょうどその間……というより、『ドラクエ3』は元々1987年12月発売予定だったのが2ヶ月延期したので、『ドラクエ3』のいなくなった年末商戦で「代わりになるRPG」の枠としてうまくハマって売れたのだと思います。


※ PVはファミコン版のWii Uバーチャルコンソールのものです

 とは言え、1作目時点での売り上げは50万本くらいでした。
 それでも全然すごいのですが、1990年の『FF3』が100万本を突破、1992年の『FF5』で200万本を突破、1997年の『FF7』で300万本を突破―――と考えると、『ファイナルファンタジー』シリーズは好きだけど1作目は遊んでいないって人も多かったと思うんですね。私も、家にあったのは『FF2』からで、ちゃんとクリアするまで遊んだのは『FF4』から(当時はスーファミ持っていなかったので遊んだのは『FF5』が先か)でした。


 そのため、恐ろしい回数「移植」と「リメイク」がされています。
 「FF1が遊べるゲーム機」と「FF1が遊べないゲーム機」、どちらが多いんだというくらいに移植&リメイクされています。


 まず1989年12年に、MSX2版が出ます。
 これは後に述べる「ファイナルファンタジーがシリーズとして知名度上がったから1作目から移植しよう」のラインナップとはちがって、今で言う「コンシューマー用のソフトが数年後にSteamでも出た」みたいなものだと思います。『ドラクエ1』や『ドラクエ2』もMSX(2)で出てますからね。


 1994年2月、『FF1』と『FF2』をセットにした『ファイナルファンタジーI・II』が同じファミコン用に発売されます。
 当時ファミコンの名作を複数まとめてリメイクする流れがあって、1993年7月に『スーパーマリオコレクション』(※1)、1993年12月に『ドラゴンクエストI・II』が発売されています。『FF』もその流れに乗ったのかと思いますが、『マリオ』や『ドラクエ』は「ファミコン→スーファミ」にハードを変えてグラフィック強化や遊びやすくした部分があったのに比べると、『FF』は同じハードの(ほぼ)ベタ移植です。

 ニューファミコン発売の2ヶ月後だったのでそれ合わせだったのだろうし、『FF5』が出て『FF6』がこれから出るというタイミングで、初期作を知らない人に手に取ってもらいたいという狙いがあったのかなと思います。

(※1:『スーパーマリオブラザーズ』初代と、『2』『3』『USA』を収録していました)

 実は私、数年後にこれを友達に借りて遊んだのですが……ファミコン版『FF1』はセーブをするためには宿屋に泊まらなくてはならず(お金がかかる)、『ドラクエ』とちがって全滅するとセーブしたところからやり直しになるため、序盤の金策がまるで出来ずに海賊に勝てずに辞めてしまいました。

 ということで……25年越しくらいに今回ピクセルリマスター版でようやく『FF1』をクリアしたんですね。



 閑話休題。
 『FF1』にとって重要なのはここから、2000年12月にワンダースワンカラー用にリメイクされます。これが『FF1』にとっての初リメイクです。

 「ワンダースワンって何?」という人もいそうなので一応説明しておきます。
 当時バンダイが出していた携帯ゲーム機で、1999年3月に初代が、2000年12月にカラー版が発売されます。初代の企画・開発には元任天堂の横井軍平さんが関わっており(横井さん自身は発売前に交通事故で亡くなられています)、当時のゲームが「大作化」「開発費の高騰」路線に進んでいたのとは逆に「低価格なお手軽路線」「アイディア次第でいろんなことが出来る」を目指したプラットフォームでした。

 『FF』シリーズを作っていたスクウェアは、なんか色々あって任天堂と絶縁状態だったため、『ポケモン』で息を吹き返したゲームボーイ用にソフトが出せませんでした。そのため、『FF1』『FF2』『FF3』のリメイクをワンダースワンカラーで出すと発表して、ワンダースワンカラー本体と同時発売で『FF1』リメイクを出したんですね。推定37万本の売上は初代ワンダースワンのものも含めて、最も売れたソフトでした。
 ちなみに『FF2』は2001年5月に出ましたが、『FF3』は出ませんでした。2002年12月にはスクウェアと任天堂が和解して、ゲームボーイアドバンスでゲームを出すようになっちゃいますしね……

 話を『FF1』のワンダースワンカラー版に戻します。
 このリメイクで、「ダッシュ機能の追加」「攻撃先に選んだ敵を他の人がやっつけてもターゲットを変えてくれる」「戦闘中に仲間を生き返らせる魔法が使えるようになる」「魔法やアイテムの効果が使う前に表示される」などスーファミ以降のRPGのスタンダードになって遊びやすくなり、ファミコン版ではバグで効果がなかった補助魔法にもちゃんと効果がつくようになりました。オイ、何だその見過ごせない仕様……『ロマサガ1』にも似たようなバグがあったけど、スクウェアのお家芸なのか?

 そして、セーブ可能なファイルが1コ→ 8コと大幅に増えました。
 原作が「いろんな組み合わせのパーティを作ってね」というゲームだったのに、セーブが1つしか作れないのは大きなマイナス点だったので、これは嬉しい。でも、セーブは宿屋などに泊まった時だけなのは変わらず。


 2002年10月には、ワンダースワンカラー版をベースにしたプレイステーション移植版が発売されます。
 携帯機→ 据置機になったことで、グラフィックやBGMが強化され、3Dムービーも追加されました。更にはイージーモードが追加され、イージーモードではレベルが99まで上がるようになり(オリジナルは50まで)、魔法使用回数が各レベルごとに99回まで増えるようになりました(オリジナルは9回まで)。

 ワンダースワンカラー版では「遊びやすさ」や「UI」などに手を入れていたのが、プレイステーション版では「難易度」にも手を入れたのが分かりますね。


 2004年からは、携帯電話の各キャリアにて登録することによって遊べるアプリ版も出ていたみたい。こちらはシステムはワンダースワンカラー版をベースに、グラフィックはファミコン版をグレードアップしたくらいのカンジだったのだとか。



※ PVはゲームボーイアドバンス版(I・II)のWii Uバーチャルコンソールのものです

 同じく2004年の7月に、『FF2』とセットになったゲームボーイアドバンス版として再リメイクされます。ゲームボーイアドバンスというプラットフォームゆえか、「低年齢層のユーザー」に向けて難易度はかなり低く、グラフィックも可愛くなりました。

 ベースのシステムはワンダースワンカラー版なのですが、

・それまでの「魔法回数制」を廃止して、多くのRPGが採用している「MP制」に変更
・原作にはなかったシリーズ定番のアイテム「フェニックスの尾(戦闘不能になった味方を蘇らせる)」、「エーテル(MP回復)」、「ハイポーション(ポーションより回復量の多い薬)」などが道具屋で買える
・魔法ダメージに「ちせい」のパラメータが反映されるようになったため、魔法系のジョブが強化される(強ジョブ・弱ジョブの格差が緩和される)
・レベル上限がプレステ版イージーモード同様の99に(そのため、レベルも上がりやすい)
・歴代シリーズの登場したボス敵と戦える追加ダンジョンにて、より強力な武器・防具が入手可能に

 この2004年~2006年辺りは、任天堂の携帯ゲーム機に『FF1』~『FF6』を移植・リメイクする流れがあったので(『FF3』のみDS、残りはアドバンス)、比較的年齢層の低い任天堂ユーザーに『FF』シリーズを知ってもらおうと低難度にして、シリーズ共通要素を強めているのかなと思います。
 例えば、原作になかった「飛空艇を作ったのはシド」というセリフが追加されたり、ゲーム開始時に主人公達に付ける名前をランダムにすると「歴代シリーズのNPCの名前が出る」などの要素があったりしたそうです。

 ただ、それゆえにトンデモなく難易度が下がってしまったため、RPGに慣れている大人が遊ぶと物足りなくなってしまったという話は聞きます。どういう戦略のソフトかを考えるならそれも納得なんですが、懐古ユーザー向けにハードモード(原作と同じくらいの難易度になる)みたいなのがあればよかったのかも知れませんね。


 2007年4月、『FF』シリーズ20周年ということで、ゲームボーイアドバンス版をベースに移植したプレイステーションポータブル(PSP)版も発売されました。2008年に『FF』シリーズのキャラを集めたクロスオーバー作品『ディシディア ファイナルファンタジー』がPSPで出ることを見越しての展開だったかもしれませんね。

 グラフィックが強化され、難易度が下がり過ぎたゲームボーイアドバンス版の反省からレベルアップに必要な経験値を上げるなどバランス調整をして、更には歯ごたえのある追加ダンジョン「時の迷宮」が追加されました。


 2010年にはこのPSP版をベースに、タッチ操作で遊べるようにしたスマートフォン版が配信開始になります。後述するピクセルリマスター版の発売に伴って、こちらは販売終了しました。

 更には、2014年12月に発売された3DS用ソフト『ファイナルファンタジーエクスプローラーズ』のパッケージ版早期購入特典として、PSP版に裸眼立体視機能を追加したニンテンドー3DS版がダウンロードできるようになったのが、2015年1月には単独販売を開始して……


 2009年にはWiiのバーチャルコンソールで「ファミコン版」が、同じく2009年にはPS3やPSPのゲームアーカイブスで「プレステ版」が、2013年にはWii Uのバーチャルコンソールで「ファミコン版」が、同じく2013年にも3DSのバーチャルコンソールで「ファミコン版」が、更に2016年にはWii Uのバーチャルコンソールで「ゲームボーイアドバンス版」の『I・II』が配信開始になって……



 出すぎ!!

 あらゆる機種で『FF1』を遊べるようにしないと気が済まない勢力でもいるのか?ってくらいに出続けています。これ全部持っていて全部遊んだ人ってどれくらいいるんでしょうね。


 ただ、スクウェアのゲームって、原作だと「納期の関係上入れられなかった仕様があったり」「バグで本来想定していた効果にならなかったり」したものを、リメイクを重ねることで本来の開発者が作りたかった仕様になるものが結構あるんですよね。『ロマサガ1』なんかが代表例ですが、昨今だと『ライブ ア ライブ』とかもそうか。

 『FF1』もそうで。
 原作はどうやら開発期間は半年くらいしかなくて、しかもまだファミコンのコマンドバトルRPGが数えられるくらいしか出ていなかった時期に発売されたソフトです。バグで機能していない魔法もあったそうだし、ゲームバランスも相当厳しかったみたい。

 そうした「粗削りだった原石」が、リメイクを重ねるごとに「万人が楽しめる宝石」へと磨かれていくのも個人的には大事なことだと思っています。




 ということで……ようやく私が遊んだバージョンの話ができます。
 『FF』シリーズ35周年に向けたタイミングで、ドット絵で作られた『FF1』~『FF6』をオリジナル版の雰囲気を残したまま現代でも遊びやすくする「ピクセルリマスター」が発表されました。

 2021年7月、Steam版やスマホ版を嚆矢にして『ピクセルリマスター版ファイナルファンタジー』が発売開始になりました。
 「ピクセルリマスター」は原作準拠と謳われていましたが、こと『FF1』はリメイクによってゲームバランスが整ったところがあるため、ベースになっているのはゲームボーイアドバンス版です。「フェニックスの尾」や「エーテル」も売っているし、レベル上限は99だし、「飛空艇を作ったのはシド」と言われるし。
 ただ、魔法に関しては原作通りの「回数制」に戻った上に、上限が9回ですし、クラスチェンジ後のグラフィックはファミコン版準拠だし、アドバンス版やPSP版にあった追加ダンジョンなどは入っていません。

 ゲームバランスが非常に良くて、詳しくは後の項で述べますがスタート時にどのジョブを選んだとしてもそこまで問題にならないジョブ格差に収まっていて、エンカウント率も緩和されています。宿屋に泊まらなくてもセーブできるし、オートセーブや中断セーブもあるし、セーブも20コまで作れる!

 更に、2023年4月にNintendo Switchとプレイステーション4でも『ピクセルリマスター版ファイナルファンタジー』が発売開始になったことで、その追加要素がSteam版やスマホ版にもアプデで追加されました。
 コンフィグで「取得経験値」などの倍率を上げたり、エンカウントを完全にオフにしたりすることも可能になりました。フォントやBGMを原作と同じものにすることも出来ます。



 「何回リメイクすんだよ!」と言われ続けた『FF1』ですが、この「ピクセルリマスター版」でようやく完成形になったと言ってもイイくらいに、むちゃくちゃバランスがよくて遊びやすかったです。
 私は「攻略サイトとかを見ないでさまよいながら進む」「エンカウントした敵はよほどのことがない限り倒す」「ダンジョンを引き返すことが苦にならない」プレイスタイルなこともあって、最序盤以外はレベル上げもしませんでしたし、全滅にもなりませんでした。それでいて魔法の回数制限もあるので、適度な緊張感もありました。

 ワールドマップがそれほど広くないため「どこに行けばイイか分からない」ことにも……何回かはなりましたが(笑)、最長でも「1時間うろうろしていたら先に進んだ」くらいでした。

 ファミコン版でも、ゲームボーイアドバンス版でも、こんなには楽しめなかったろうというくらい楽しみました。「ゲームはちゃんと1作目から順番に遊ばないと」と思いがちな私ですが、こと『FF1』に関してはしっかり遊びやすいピクセルリマスター版から遊ぶので構わないと思いますよ!



◇ 時代性:「ファミコンでRPGなんて無理」から「ファミコンでRPGが出まくる」転換点

 この記事の冒頭で、『ドラクエ2』と『ドラクエ3』の間の時期に発売した―――と書いたことで、ひょっとしたら「なるほど。つまりは『FF1』ってドラクエがヒットしたから後追いで作られたRPGなのね」と思った人もいるかも知れません。

 それは、ある側面では正解なのだけど、ある側面では不正解です。
 「スーパーマリオブラザーズはパックランドのパクリかどうか」みたいな話で、「アイツがいたから俺も作った」は間違いないのだろうけど、「ゲームのベース部分は別のところに元ネタがあるよね」と思います。『スーパーマリオブラザーズ』は、『ジャウスト』から続く『マリオブラザーズ』や『バルーンファイト』の延長線上にあるゲームだと思うんで。



 ということで、『FF1』以前の「RPGの歴史」をお勉強していきましょう。
 「えー、歴史とかどうでもいいよー、早くゲームシステムの話をしてよー」という人もいらっしゃるかも知れませんが、『FF1』の説明は「RPGの歴史」と「ファミコンのROMカセットの歴史」を無視しては語れないのです。

 まず、RPGの原点から。
 RPGは1974年にアメリカで制作・販売されたテーブルトークRPG『ダンジョンズ&ドラゴンズ(以下『D&D』)』によって始まったと言われ、この『D&D』はトールキンの小説『指輪物語』のようなファンタジー世界を舞台にしていました。

 つまり、最初は「アナログゲーム」から始まったんですね。

 この「人数が集まらないと遊べないRPG」を何とか1人でも遊べるものにしようと、別の媒体で再現しようとする者達が現れます。
 例えばそれは、コンピューター上で動く『ローグ』(1980年)、『ウルティマ』(1981年)、『ウィザードリィ』(1981年)のようなゲームソフトだったり。『火吹山の魔法使い』(1982年)のようなゲームブックだったりしました。


 アメリカで展開されていた『ウルティマ』や『ウィザードリィ』をいち早く日本で遊んだ堀井雄二さんが、誰よりも早く日本人向けに『ドラゴンクエスト』を作ったんですねー……というワケではない。

 堀井さんが『ウィザードリィ』と出会ったのは、1983年(10月末だったらしい)だと様々なところでインタビューで答えられています。例えばここ

<以下引用>
1983年のApple Fest

堀井さん:
「実は1983年に開催されたAppleのイベントの『Apple Fest』に行ったことがあります。
エニックス社のゲームコンテストに入選した人たちとサンフランシスコに行くことになって、イベントを視察しました。当時の週刊少年ジャンプ編集部の鳥嶋和彦さんにその話をしたら、彼も行きたいと言って一緒に行くことになり、現地を取材して記事にして出しました。

会場でいろいろ見た中で、『ウィザードリィ』をやりたいと思い、帰国後にApple IIを買いました。『ウィザードリィ』がとても楽しかったですね。Apple IIで、主にゲームばかり遊んでいました」
「その後、Apple IIで『Ultima I』に出会い、『ウィザードリィ』も含めてロールプレイングゲームというものに夢中になりました。その時に、このシステムに物語をつけたら面白いのではないか、と思いつきました。物語という一つのレールの上を遊んでもらう、しかも同時にそのレールから外れても楽しめる、プレイヤーに自由のあるかたちを構想しました。
なので、ドラゴンクエストが生まれた最初のきっかけは、1983年に行った『Apple Fest』と言っても過言ではないかもしれませんね。その後、しばらくはApple製品を主に使っていましたし、今でもiPhone 12 Pro Maxを使って、ドラゴンクエストのゲームを遊んでいます」
</ここまで>
※ 改行・強調など引用者が一部手を加えました


 この1983年10月時点で既に、日本で「RPG」を作っているPCゲームメーカーはありました。
 例えば、光栄は1982年に『ドラゴン&プリンセス』、1983年5月に『クフ王の秘密』、1983年6月に『剣と魔法』、そして1983年12月には『Dungeon』と和製RPGの原型となるようなゲームを立て続けに出していました。
 特に『Dungeon』は、『ドラクエ』に先駆けて『ウルティマ』と『ウィザードリィ』の融合みたいなことをやっているので、その二作の存在は知っていたんじゃないかと思います。

 1984年になると『ザ・ブラックオニキス』(BPS)、『夢幻の心臓』(クリスタルソフト)、『ドラゴンスレイヤー』(日本ファルコム)と日本の各社から様々なRPGがPC向けに発売されます。


 そして、何より……1984年7月には、「D&Dやウィザードリィに影響を受けた」と公言しているあのゲームが大ヒットします。



 それは、アーケードゲーム『ドルアーガの塔』(ナムコ)です!


 「アクションゲームじゃん!RPGじゃないじゃん!」ってツッコまれそうですが……だって、そりゃアーケードゲームだもの。でも、(経験値でのレベルアップではなくアイテムを入手する方式ですが)キャラが永続的成長をするRPG的なシステムを取り入れたゲームなんですね。



 インターネットアーカイブになってしまった記事ですが、貴重な証言なので作者の遠藤雅伸さんのインタビューから引用させていただきます。

<以下引用>

—――― そしてゼビウスとはまったく違う、ドルアーガの塔が生まれたんですね。もともと、どこから着想を得てつくったんですか?

遠藤「アメリカで買った「ダンジョン&ドラゴンズ(D&D)」というファンタジーテーブルトークRPGですね。これは世界で最初のロールプレイングゲームと言われているんです。同時期にAppleⅡでプレイできる「ウィザードリィ」というコンピュータ・ロールプレイングゲームが日本に入ってきて、日本のゲームクリエイターがみんなロールプレイングゲームをつくりはじめました。ぼくはアクションのほうに振ってドルアーガの塔をつくりました。そして、「ウィザードリィ」を日本のウィンドウに合わせてつくられたのが、ドラゴンクエストシリーズです。」

—— もともと、テーブルトークRPGなどのゲームがお好きだったんですか?

遠藤「いえ、面倒くさいので、そんなに好きではなかったですね(笑)。ただ、知っておいたほうがいいと思ったので、やっていました。」

—— 勉強のためにやっていた。

遠藤「そうですね。新しいものを見つけて、やってみて、それを取り入れて作品をつくるということは意識的にしています。だから、ドルアーガの塔のあとは、「ケルナグール」という対戦格闘ゲームをつくりました。これは「ストリートファイター」などの対戦格闘ゲームのブームが来る2年くらい前でしたね。2000年代に入ってからは携帯電話でアプリが使えるようになってすぐに、Javaアプリのゲームをつくったんです。」

</ここまで>
※ 改行・強調など引用者が一部手を加えました

 「アメリカで買った」と言われているように、『ドルアーガの塔』が出た1984年時点だと『D&D』はまだ日本版=日本語翻訳版が出ていません。
 『ウィザードリィ』をいち早く遊んでいた人達もそうですが、「アメリカになんかすごいゲームがあるらしいぞ!」で実際に手を出せるのはそれなりの英語力が必要なワケで、その時点で尊敬です……(これはSteamの未翻訳のゲームに手を出せる現代のゲーマー達にも言えることですが)


 そして、この『ドルアーガの塔』の影響を受けたと言われるアクションRPG『ハイドライド』(T&E SOFT)が1984年12月にPCゲームとして発売して大ヒットします。当時のPCゲームで100万本……って本当!?
 作者の内藤時浩さんは『D&D』も『ウルティマ』も『ウィザードリィ』も遊んでいないのだけど、ゲームセンターで『ドルアーガの塔』を遊んで影響を受けたらしいですね。


 PCゲームはともかく、当時の家庭用ゲーム機やアーケードでは「コマンドバトルRPG」は作るのが難しく&そもそもメインユーザーもその存在を知らないという状況です。
 そのため、「RPGの成長要素やライフ制のシステム」をアクションゲームなどに落とし込んだ『ドルアーガの塔』のようなゲームが、『ドラゴンクエスト』よりも早く出てくるんですね。

 1985年1月の『ドラゴンバスター』(ナムコ)は、横スクロールアクションではあるものの、『ドルアーガの塔』同様にアイテムでのパワーアップ要素がありましたし。

 1985年12月発売の『頭脳戦艦ガル』(デービーソフト)は、ファミコン初のRPGを名乗っている割に「どっからどう見てもシューティングゲームじゃねえか」と言われることで有名ですが……翌年の『ドラゴンクエスト』が「ファミコンでもRPGを出せるんだ」と知らしめる前なら、「既存のシューティングに成長要素を加えたことでRPGと名乗っている」のもさほど違和感はありません。

 1986年2月には、セーブ機能を搭載したディスクシステム専用ゲームとして『ゼルダの伝説』(任天堂)が発売されて大ヒットします。『ゼルダの伝説』も今の感覚では「アクションアドベンチャーじゃねえか」となるとは思いますが、『ドルアーガの塔』同様に「アクションゲームに成長要素を加えた」という意味ではRPGだと言えます。

 そして、『ドラゴンクエスト』が1986年5月に発売されるのですが、だからと言ってすぐに各社がマネしてコマンドバトルRPGを作ったりはしませんでした。

 1986年8月に発売される『ワルキューレの冒険』(ナムコ)もそう。見下ろし型のアクションゲームではありますが、「経験値を溜めてレベルアップする」要素があるので、現在の感覚でも「これならアクションRPGだ」と思ってもらえるんじゃないかと思います。

 1987年1月には『リンクの冒険』も出ます。これも「経験値を溜めてレベルアップする」アクションRPGです。
 このゲームの中に「ロトの墓」が登場することを考えても、当時の感覚で『ドラクエ1』の知名度はそれなりに高かったのだと思うのですが……、実は『ドラクエ1』が出てからもしばらくはファミコンにコマンドバトルRPGの波は来なくて、アクションゲームやシューティングゲームに成長要素を加えたものが出続けていたんですね。



 それは何故か―――
 ということで、ようやく『FF1』を作った坂口博信さんの話が出来ます。

 1986年5月27日に『ドラゴンクエスト』1作目(以下『ドラクエ1』)が発売されます。
 前述した『頭脳戦艦ガル』や『ドルアーガの塔』や『ハイドライド』の移植版が出ていたので「ファミコン初のRPG」ではありませんでしたが、「コマンドバトルRPGとしてはファミコン初」です。

 これの何が衝撃的だったのか、その時点で既にPCゲーム向けにRPGを作っていた坂口博信さんはこう語っています。

 エンタメ異人伝 Vol.4 坂口博信

<以下引用>
――そんな中、『ファイナルファンタジー』(以下『FF』)シリーズの開発が始まるわけですが、『ドラゴンクエスト』(以下『ドラクエ』)を打倒するため。もしくは『ドラクエ』に一泡吹かせるために『FF』という世界観を作られたとおっしゃられていましたよね。

坂口
「PC時代にRPGを作っていて、しかも『ウィザードリィ』や『ウルティマ』が大好きでやり込んでいたわけですが、当時のファミコンはセーブできなかったですからね。RPGは無理だろうと考えていたんです。いちいちゲームをアタマからやるとかありえないですからね…。」

――そうですね。

坂口
それで、あきらめていたところに『ドラクエ』が復活の呪文でやってきたから、これは発明だと思って…というか、ちょっと悔しい思いもありましたよね。自分たちでもRPGを作れたのに、アタマから出来ないと決めてかかったがために先を越されて、向こうはいきなり……もちろん鳥山明さんのキャラクターイラストなどの存在も大きかったと思いますが、大ヒットしたわけじゃないですか。

そういういろいろな悔しさが重なって。やっぱり僕らもRPGを作ろうよって。そういう気運ですよね。もちろん、『ドラクエ』をいきなり超えるなんて無理だとは思っていましたよ。向こうは週刊少年ジャンプ(以下「ジャンプ」)がバックについていて、鳥山明さんが参加しているわけですからね。でも、いつか並べるような。できたら超えられるようになりたいよねっていう。目標としては一番分かりやすいですからね。」

</ここまで>
※ 改行・強調など引用者が一部手を加えました


 今では信じられない話でしょうが、当時のファミコンにはセーブ機能はありませんでした(別売りの機器でカセットテープに保存をした『ファミリーベーシック』や、ディスクに保存できたディスクシステムは除く)。
 『ウィザードリィ』のようなゲームを作るのにはパーティメンバーやアイテムの状況を記録するセーブが必須なのに、当時のファミコンではそれが出来なかったし、ましてやアーケードゲームでも出来るワケがありませんでした。だから、アクションゲームやシューティングゲームに成長要素を加えた『ドルアーガの塔』や『頭脳戦艦ガル』をRPGとして出したのでしょう。

 そこに『ドラゴンクエスト』は「パスワード」を入力すると続きが遊べるようにしてしまった―――

 ファミコンのゲームで「パスワード」を初めて採用したのは、1985年4月の『チャンピオンシップロードランナー』で、これは「途中のステージから始める」ためという理由ももちろんありますが、すべてのステージのパスワードを贈ることで「クリア認定証」がもらえる早解きコンテストを行う狙いもあったのかと思われます。

 『ハイドライド』が1985年11月に発売したMSXのROMカセット版でパスワードを採用していて、1986年3月に発売したファミコン版『ハイドライド・スペシャル』でもパスワード制は採用されていたので、『ドラゴンクエスト』が初めてRPGにパスワード制を持ちこんだワケではないのですが……この時期より前だと「ゲームの続きをパスワードを入力して遊ぶ」ことがまだ一般的でないので、1985年11月発売のファミコン版『ポートピア連続殺人事件』には採用されていません。



 どうしてファミコンで「コマンドバトルRPG」を出すためにパスワード制を採用したことが、坂口博信さんに「発明」とまで言わせるほど意外だったのか。『ドラクエ1』より先駆けて、誰もやらなかったのか―――

 それは、「パスワード制」にすると「人間がパスワードを記録できる程度しかプレイ状況を引き継げない」からです。



<画像はWii用ソフト『ドラゴンクエスト25周年記念 ファミコン&スーパーファミコン ドラゴンクエストI・II・III』より引用
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 『ドラクエ1』のパスワードは「20文字」です。
 この「20文字」に「どこまで遊んだか」「どういうプレイをしているのか」を全部詰め込まなくてはならないため、『ドラクエ1』はゲーム自体をものすごくコンパクトにしているんですね。

 例えば、『ドラクエ1』のパーティメンバーは1人しかいません。
 『ウィザードリィ』は6人パーティでしたし、『ウルティマ』は1983年の3作目から4人パーティでしたが、複数キャラの成長をパスワードで記録したら膨大な文字数になってしまうため、『ドラクエ1』は1人旅にしているんですね(※2)

 『ドラクエ1』にはキャラクターメイキングの自由度もありません。
 RPGの源流はTRPGにあるので、『ウィザードリィ』にも『ウルティマ』にも「人間」「エルフ」「ドワーフ」などの種族を選んだり、「戦士」「魔法使い」「僧侶」「盗賊」といった職業を選んだりする要素があったのですが……『ドラクエ1』は「自分の名前」しか付けません。レベルアップ時の成長にもランダム要素はありません(名前によって成長パターンが決まる)。

 『ドラクエ1』のアイテムは「今持っているものが何か」しか記録されません。
 新しい武器を買うと、その武器を装備する代わりに古い武器を下取りに出すなどして手放します。「武器は○○と××と△△を所持している」といちいち記録するより、「今持っている武器は○○」と記録する方が文字数が省略できますからね。
 宝箱などを開けたかどうかの記録もされないので、ダンジョンを出たり入ったりすれば何度でも同じものが手に入ります。


 『ドラクエ1』が1人旅なことについて、後年『ドラクエ』の作者である堀井雄二さんは「本当は『ドラクエ3』のように自由にパーティ編成できるRPGが作りたかったけど、RPGがどういうものか分からないファミコンのこども達がいきなり遊ぶのは厳しいと思った」と説明しているのですが……

 『ドラクエ1』が発売された1986年5月時点のファミコンでは、それしか出来なかったから―――というのも理由の一つじゃないかと思います。

 これらは、『ウィザードリィ』や『ウルティマ』が好きな人ほどできない「割り切り」だったと思うんですね。元ネタの良さを大部分削りかねないのに、それでもファミコンでコマンドバトルRPGを作りたいのか―――実際、『ドラクエ1』以降、『ドラクエ1』を真似してコマンドバトルRPGをファミコンで出そうとしたメーカーはしばらくの間いませんでしたからね。

(※2:『ハイドライド・スペシャル』がパスワード制だったんだから『ドラクエ1』のパスワード制は斬新ではなかったと言っている人もインターネットにはいますが、「パーティメンバーが1人しかいないアクションRPG」と「(本来なら)パーティメンバーが6人ほしかったコマンドバトルRPG」を同列には語れないし、『ドラクエ1』のパスワード制の何に衝撃を受けたのかの部分が何も分かっていないと思います)



 では、セーブ可能なディスクシステムならコマンドバトルRPGが出せたのでは?と思うのですが、実はディスクシステムでのコマンドバトルRPGも数えるくらいしか出ていないんですよね。アクションRPGは死ぬほど出てたのに。

 『ディープダンジョン』2作と、『ウルトラマン倶楽部 地球奪還作戦』くらい? 『クレオパトラの魔宝』はスクウェアですらアドベンチャーという認識みたいなのでノーカンとしよう。
 『ディープダンジョン』2作は1人旅のダンジョンRPGらしいですし、『クレオパトラの魔宝』も確かそう。『ウルトラマン倶楽部』には経験値やお金といった概念がなかったそうで(イベント進行で強くなる)……ひょっとして、ディスクシステムのセーブって「複数人パーティのコマンドバトルRPG」の進行度を記録できるほどの容量もなかったのか??


 また、ディスクシステムにはソフト全体の容量問題があります。
 ROMカセットは時を経るごとにどんどん大容量化していったのに対して、ディスクシステムはずっと同じ容量で戦わなくちゃならなかったんですね。

 主なタイトルを並べてみます。容量の単位は「ビット」であって、現在一般的に使われる「バイト」の約8分の1なことに注意してください。

・1985年7月『ドンキーコング』192Kb
・1984年11月『ゼビウス』320Kb
・1985年6月『FLAPPY』512Kb
・1985年9月『スーパーマリオブラザーズ』320Kb
――1986年2月:ディスクシステムの登場―――
 ※ ディスクシステムのソフトは両面合わせて896Kb
・1986年3月『ハイドライド・スペシャル』320Kb
・1986年4月『グラディウス』512Kb
・1986年5月『ドラゴンクエスト』512Kb
・1986年6月『魔界村』1Mb
・1986年7月『がんばれゴエモン!からくり道中』2Mb
・1986年8月『機動戦士Zガンダム・ホットスクランブル』1.25Mb
・1987年1月『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』1Mb

 ディスクシステム以前のファミコンROMカセットは320Kbのものが多く、パズルゲームなどに稀に512Kbのものがあるという状況で……両面合わせて896Kb(片面だと半分)のディスクシステムが出た当初では確かに大容量のように思えるのですが。

 その4ヶ月後には1Mb=約1048Kbの『魔界村』が、その1ヶ月後にはその倍の2Mbの『がんばれゴエモン!』が発売されます。流石に1986年の時点で2MbのROMカセットを採用したソフトは多くありませんが、「大容量のゲームを作る」ならディスクシステムよりROMカセットの方がファーストチョイスになってしまったんですね。



<画像はWii用ソフト『ドラゴンクエスト25周年記念 ファミコン&スーパーファミコン ドラゴンクエストI・II・III』より引用
このページで利用している株式会社スクウェア・エニックスを代表とする共同著作者が権利を所有する画像の転載・配布は禁止いたします。
© 1987 ARMOR PROJECT/BIRD STUDIO/SPIKE CHUNSOFT/SQUARE ENIX All Rights Reserved.>

 そんな中、1987年1月に『ドラクエ2』が発売されます。
 前作の倍の容量で、ワールドマップは前作の6倍以上の広さになり、3人パーティ制になり、パスワードも最大52文字と前作の倍以上になりました。当時基準としても52文字のパスワードは長かったと思いますが、みんな頑張って書き写しました。

 そして、『ドラクエ1』は口コミで徐々に売れていったのに対して、『ドラクエ2』は発売日前日から徹夜で行列ができるくらいの超絶ヒットとなりました。



 恐らく、この『ドラクエ2』が大ヒットしたこと、ROMカセットの容量が大きくなったこと、『ドラクエ1』と『2』でみんな「パスワードを書き写す」ことに慣れていったことなどで、各社も「ファミコンでのコマンドバトルRPG」を徐々に作るようになります。

 1987年6月には『闘人魔境伝 ヘラクレスの栄光』が発売されます。容量は2Mb。主人公の1人旅のRPGで、パスワードは26文字。
 1987年9月には『デジタル・デビル物語 女神転生』が発売されます。容量は2Mb。人間2人+仲魔3体のRPGで、パスワードは最大40文字。仲魔が成長しない『メガテン』のシステムの理由って、パスワードの文字数を限定するためだったのか??
 1987年10月には、前年に発売されたPCゲームからの移植『覇邪の封印』が発売されます。容量は1.25Mb。戦闘は1対1だけど、複数人仲間が増えて「戦うキャラ」を選ぶシステムらしい。アスキー発売でターボファイル対応(※3)のため、パスワードはなんとファミコン最大の119文字らしい。ひぇっ。

(※3:1986年にアスキーが発売した外部記憶装置。基本的にはアスキーのゲームにしか対応していなかったけど、『ダウンタウン熱血物語』など一部他社のゲームにも対応していた。)

 そして、1987年10月には『桃太郎伝説』が発売されます。容量は2Mb。ジャンプ放送局のさくまあきらさんが作ったRPGということで「ドラクエの次の1本」としてヒットしました。イヌ、サル、キジのお供はいるけど彼らはNPCであってレベルアップとかもしないので、パスワード的には桃太郎の1人旅RPGと言えるのかな。パスワードは38文字。


 とまぁ、こんな風に1987年後半になってようやくファミコン用の「コマンドバトルRPG」が出始めるんですね。
 その後シリーズ化する『ヘラクレス』『メガテン』『桃伝』がいち早く登場していて、その背景にはROMカセットの容量が大きくなって「作り手が望むコマンドバトルRPG」を作れるようになったというのが大きいと思います。


 そして、もう一つ……1987年のファミコンには大きな変革が起こります。
 これはRPGではありませんが、1987年4月に『森田将棋』が発売され、ROMカセットにバッテリーバックアップが搭載されたのです。このゲームでは対局した棋譜が保存できたのだとか。
 ディスクシステムにしろ、ターボファイルにしろ、それまでは別売りの外部記憶装置が必要だったファミコンで……「ROMカセットに電池を入れてそこに記録する」ことができるようになったんですね。

 そのため、先に挙げた「パスワード式のコマンドバトルRPG」がファミコンで出るようになったのと前後して、「セーブ可能なコマンドバトルRPG」もファミコンで出るようになったのが1987年後半なんです。



 1987年10月、『ウルティマIII』の移植作『ウルティマ 恐怖のエクソダス』がファミコンで発売され、バッテリーバックアップのセーブ機能が搭載されていました。
 『ウルティマI』や『II』ではないため、キャラクターメイキング可能な4人パーティ制を採用しています。当然ながら『ドラクエIII』より先。オリジナル版を知らないファミコンユーザーにはシステムが難解で、オリジナル版を知っているとファミコン版独自要素がウザイみたいによく言われますね……2Mb。

 同じく1987年10月に『インドラの光』が発売されます。パーティメンバーが最大3人のシンボルエンカウントRPGで、バッテリーバックアップのセーブ機能が搭載されていました。ケムコはこの作品を気に入っていたのか、2000年代に入って携帯電話向けRPGをたくさん出すようになってから、完全版や続編(?)を出しているんですよね。1Mb。

 そして、1987年12月にとうとう『ファイナルファンタジー』1作目が発売されます。この記事でレビューを書くはずのゲームです。詳しくは後で書きますが、4人パーティ制のコマンドバトルRPGで、キャラクターメイキングや「魔法の取捨選択」なんかもできます。パスワード式だったら作れない、バッテリーバックアップでセーブが出来ること前提のRPGですね。2Mb。

 んでもって、その4日後……同じく1987年12月に『ウィザードリィ』1作目のアレンジ移植版が発売されます。開発は『ゼビウス』『ドルアーガの塔』の遠藤雅伸さんが設立したゲームスタジオで、『D&D』や『ウィザードリィ』に影響を受けて『ドルアーガの塔』を作った人が……という感慨深さがありますね。
 モンスターデザインをイラストレーターが末弥純さん担当されるなど、原作再現に留まらずに「1987年に初代ウィザードリィをファミコンで遊んでもらうには」を考えて作られていることが分かります。

 バッテリーバックアップによるセーブ機能にも対応しているのはもちろん、ターボファイルを使えば、同じゲームスタジオ製の『ウィザードリィ』シリーズにキャラを転生させることが出来たのだとか。これは元のパソコン版にもあった仕様。



 ということで、RPGの歴史の長い説明もいよいよ終わりです。
 アメリカのパソコンで『ウルティマ』や『ウィザードリィ』が出たのが1980~81年あたり、それを遊んだ日本人もパソコン用にRPGを作り始めたのが1983~84年あたり。
 当時のファミコンはセーブも出来なければ容量も小さくて、「ウィザードリィみたいなゲーム」をそのまま出すことは出来なかったので、20文字のパスワードに収まるコンパクトなRPGとして『ドラゴンクエスト』1作目が出たのが1986年5月―――

 そこから1年半が経過して、ファミコンのROMカセットも大容量化して、バッテリーバックアップもできるようになった1987年の年末には、『ウルティマIII』の移植や『ウィザードリィ』の移植が発売されるのです。「ファミコンでコマンドバトルRPGなんか無理」とみんなが思ってた頃から1年半で、そこまでたどり着いたのです。

 『ファイナルファンタジー』1作目が発売されたのはそういう時期なんです。
 若い人からすると「ドラクエ1もFF1も同じファミコンで出たのだから同時期のゲーム」と思われるかも知れませんが、『ドラクエ1』は「ファミコンでウィザードリィみたいなゲームは作れないでしょ」って時期に出て、『FF1』は「ようやくファミコンでもウィザードリィが遊べるぞ」ってタイミングで出てきたゲームなんです。その1年半の差は、今のゲーム業界の「1年半の差」とは全然ちがうんです。

 その時代背景を踏まえないと、『FF1』がどうしてこういうゲームなのかが分かってもらえないと思ったので……ものすごく長文でここまで書きました。よし、ここから『FF1』のレビュー行くぞ!!




◇ 作家性:『ドラクエ』の模倣ではない、大人っぽい『D&D』と『Wiz』のオマージュ

 よーし、ようやく『FF1』についての話ができるぞー……と、その前に開発したスクウェアの話もしておきます。

 スクウェアの前身は、徳島県の電気工事会社「電友社」のソフト開発部門として1983年10月に設立されます。
 事業所があったのは神奈川県横浜市港北区日吉で、慶應義塾大学日吉キャンパスや、横浜国立大学、神奈川大学など横浜周辺の大学の学生達が出入りすることを狙ってこの場所に置かれたそうです。

 先のエンタメ異人伝 Vol.4 坂口博信で坂口さんはこう語られていますね。

<以下、引用>
――その頃に電友社にアルバイトとして入ったんですよね。どうして電友社に入ろうと思われたんですか?

坂口
「単純にお金が欲しかったの。だいたい僕の場合、「カネが欲しい」から始まる(笑)。とにかく、アップルの部品とか買うのにお金が足りないんですよ。いくら非正規品とはいっても、やっぱりある程度はかかりますから。
それで、自分たちのスキルを活かせるところでバイトしようと。ナムコとかコナミとかもありましたけど、学生でアップルIIをちょっといじっただけの人間が、そんなところに行ったって相手にされるわけはないですからね。経験もまるでないわけですし。だから、求人誌で事務員募集をしていた電友社を見つけて。立ち上がったばかりのゲーム機器をレンタルする会社です、みたいな募集告知でね。」

――電友社は最初はそういう会社だったんですか。

坂口
「そうそう。美容室を居抜きで借りて、そこに当時のパソコンを並べて。日吉の慶應のすぐそばなんで、慶應の学生が来るだろうとオーナーの宮本さん(※ 後にスクウェアを創業する方)は考えたんですね。優秀な子たちがたむろするようになったら、なんか作ろうぜってなるんじゃないかと。まず、そのたまり場を作ろうっていう会社だったんですよ。でも、慶應の学生はひとりも来なかったという(笑)。」
</ここまで>
※ 改行や強調など、一部引用者が手を加えました


 しかし、そこにやってきたメンバーの中に、横浜国立大学の同級生だった坂口博信さんと田中弘道さんがいたのです。後に、『ファイナルファンタジー』を初めとした大ヒット作を次々と世に送り出す2人がたまたまいて、パソコン向けにゲームを作っていきます。

 他社作品の移植を除いた当時のラインナップはこんなカンジ。

・1984年10月『デス・トラップ』アドベンチャーゲーム
・1985年6月『ウィル デス・トラップII』アドベンチャーゲーム
・1986年4月『クルーズチェイサー ブラスティー』RPG
・1986年7月『アルファ』アドベンチャーゲーム
・1987年?『GENESIS』RPG
 (プロジェクトEGGのページ)※ 1985年説もある

 当時の電友社の売りはアドベンチャーゲームで、特に『ウィル デス・トラップII』は美少女もので「ゲーム史上初めて“目ぱち”を導入したゲームなのでは?」と言われています。


 そう言えば、ちょっと後の時代の話になっちゃいますが……
 1987年12月に任天堂が発売したディスクシステムのゲーム『中山美穂のトキメキハイスクール』が、実はスクウェアから持ち込まれて始まった企画だったことが2010年の「社長が訊く」で明らかになります。当時は意外だったんですが、パソコンでアドベンチャーゲームを作っていた時代の坂口さんのラインナップを見ると自然な流れだったんですね。



 そして、『FF1』につながる系譜で考えるなら、坂口さんにとって初めてのRPG『クルーズチェイサー ブラスティー』も見逃せません。
 ロボットに乗って戦うSFもので、アニメーションには「日本サンライズ」、メカニックデザインには明貴美加さんを起用するなど、当時放送していた『Zガンダム』『ガンダムZZ』のスタッフと全面的に組んだ作品だったんですね。後に小説化などもされて、2020年にはプラモも出たそうな。


 この発売が1986年4月なので、ファミコンで『ドラクエ1』が出る直前ですね。
 こっちはガンダムの人達と組んで「すごいことやったぞ!」って思ってたら、Dr.スランプやドラゴンボールの人と組んだ『ドラクエ1』が出てきたって考えると……坂口さんの『ドラクエ』に対するコンプレックスのようなものも分からなくない……


 そして、この時期と前後して電友社はファミコンにもソフトを作るようになり、1986年9月に「スクウェア」として独立します。ちょうど『キングスナイト』をファミコンで出すタイミングだったのか……

 『FF1』以前にスクウェアが出していたファミコンのゲームもまとめますが、ディスクシステムのゲームはスクウェア名義ではなく「DOG」というブランドから発売されていました。
 この「DOG」とは、スクウェアを初めとした「パソコン用にゲームソフトを出していた会社」7社で結成されたブランドで……例えば先に名前が出たディスクシステム用のコマンドバトルRPG『ディープダンジョン』は、スクウェア主導ではなく「ハミングバードソフト」という会社が開発していました。

 なので、スクウェア発売で出ていたROMカセット+スクウェア開発なことが分かっているディスクシステムのゲームをまとめます。

・1985年12月 カセット『テグザー』シューティング
 ※ ゲームアーツのPCゲーの移植
・1986年9月 カセット『キングスナイト』シューティング
・1986年12月 ディスク『水晶の龍』アドベンチャーゲーム
・1987年3月 ディスク『とびだせ大作戦』3Dシューティング
・1987年4月 ディスク『アップルタウン物語』シミュレーション
 ※ アクティビジョンのPCゲーのアレンジ移植
・1987年7月 ディスク『クレオパトラの魔宝』アドベンチャーゲーム
・1987年8月 カセット『ハイウェイスター』レース
・1987年12月 ディスク『中山美穂のトキメキハイスクール』アドベンチャーゲーム
 ※ 発売は任天堂
・1987年12月 カセット『JJ 〜 とびだせ大作戦パート2』3Dシューティング
・1987年12月 カセット『ファイナルファンタジー』RPG

 「昔のゲームは開発期間が短かった」を差し引いても、1987年12月に3本も出てるの!?

 これは恐らく「ファミコンのROMカセットは生産に時間がかかるため、開発が終わってから発売までに数ヶ月のラグがあった」と、どうやら「ディスクシステムは開発終了後に即大量生産できたらしい」の合わせ技みたい。

 ディスクシステムの『中山美穂のトキメキハイスクール』は12月1日発売で、ROMカセットの『ファイナルファンタジー』は12月18日発売ですが、先にも紹介した『トキメキハイスクール』開発の思い出を語った「社長が訊く」では『FF1』の開発が終わってから『トキメキハイスクール』の開発に参加したと語られているんですね。

<以下、引用>
岩田
「坂口さんは『ファイナルファンタジー』の開発を終えて、『トキメキハイスクール』に合流されたんですか?」

坂口
「ええ。チームの何名かが合流して、3カ月間くらいでしょうか。
で、最後は10名くらいのメンバーといっしょに京都にやって来て、2週間くらいカンヅメになって、なんとか開発を終えることができたんです。」
</ここまで>
※ 改行など引用者が一部手を加えました

 つまり、発売順は『トキメキハイスクール』>『FF1』ですが、完成は『FF1』>『トキメキハイスクール』の順なのは間違いないと思います。『JJ』は知らん(流石に別チームの開発で坂口さんは関わっていないとかかなぁ)。


 このラインナップの中で、この記事で取り上げなくちゃならないのは、やはり1986年9月に発売された『キングスナイト』でしょう。


 『頭脳戦艦ガル』とともに、「どう見てもシューティングゲームなのにRPGを名乗っている」とネタにされるゲームですが……
 開発時期と発売までのタイムラグを考えると、4ヶ月前に発売された『ドラクエ1』の影響をギリギリ受けられなかった作品でしょうし、「ファミコンでRPGなんて無理」「だから、アクションやシューティングにRPGの要素を入れよう」という時期の作品なんですね。

 成長要素はしっかりあるし、「ナイト」「魔法使い」「ドラゴン」「シーフ」が出てきて、最終面では4人一丸となって戦うところもRPGっぽい。『ドルアーガの塔』は1人旅だったけど、ウチは4人旅にしてやるぜってことだったのかも知れない。

 そしたら、このゲームの開発中(多分)に『ドラクエ1』が発売されて、あっちはちゃんとコマンドバトルRPGなんだから悔しかったんでしょうね……



 ちょっと余談。
 『ファイナルファンタジー』がどうしてその名前になったのかは、『FF』というアルファベット二文字を重ねることありきで、良さそうな英単語をチョイスしただけだと言われています。本当は『ファイティングファンタジー』にしたかったけど、それは既に海外で使われていた(『火吹き山の魔法使い』とかのアレ)という話もあります。

 というのも、当時のスクウェアのゲームって「アルファベット二文字重ねで略せる」ものが多いんですね。

・1986年4月 パソコン『クルーズチェイサー ブラスティー』RPG→ 『CC』
・1986年9月 カセット『キングスナイト』シューティング→ 『KK』
1987年3月 ディスク『とびだせ大作戦』の開発時は『JUMP’IN JACK』だったらしい 3Dシューティング→ 『JJ』は続編のタイトルになる
・1987年8月 カセット『ハイウェイスター』の海外名は『Rad Racer』レース→ 『RR』

 スクウェアが開発していないDOGブランドの作品にも『ディープダンジョン』→『DD』や、『メットマグ』→『MM』がありますね。『ディープダンジョン』が『DD』だから、『FF』になったというのは河津さんも社長が訊くで仰っていました。


<以下、引用>
岩田
「そもそも『ファイナルファンタジー』というタイトルはどうしてつけられたんですか?」

河津
「あるとき坂口さんから、「タイトルは『ファイナルファンタジー』で決まり」と。そんなノリで決まりました。」

岩田「ある日、突然決まった感じなんですか。」

河津
「そうなんです。」

岩田
「いまでこそ、『ファイナルファンタジー』という名前はゲーム業界のなかでビッグネームになってますけど、最初に『ファイナルファンタジー』と聞いて河津さんはどう思いましたか?」

河津
「「ええっ!?」って(笑)。」

岩田
「わたしは、このタイトルを初めて聞いたとき、いきなり「ファイナル」と言ったら次をつくれないんじゃないかと、他人事ながらちょっと心配してしまいましたよ(笑)。」

河津
「あははは(笑)。
ただ、もともとタイトルをつけるための方針はあったんです。略したときにアルファベットが2文字重なるようにと。当時あった、『ディープダンジョン』の『DD』のように、頭文字が重なるものがいいよねと。」

岩田
「なるほど。略称を先に意識されていたんですね。」

河津
「そうなんです。
そこで、どうしても「ファンタジー」は入れたいと。すると「F」からはじまる言葉を探さなきゃいけないので当然のように選択肢は限られることになりまして、そこで「ファイナル」という言葉が選ばれました。」

岩田
「なるほど。」

河津
「で、わたしたちとしては『FF』と呼んでもらいたかったんですけど、小学生たちからは『ファイファン』と呼ばれたりして。」

岩田
「『ファイファン』(笑)。」

河津
「親戚の子もそうだったんですよ。だから「『FF』と呼びなさい」と、しかりましてね(笑)。そしたら「『ドラクエ』だってカタカナで略してるし」と。」

岩田
「でも、略したときに4文字じゃないとちょっと気持ち悪いですよね。」

河津
「はい。だから『FF(エフエフ)』なんです。」
</ここまで>


 さて、いよいよ『FF1』の始まりです。
 『ドラクエ1』がファミコンで出てきて、当時のスクウェアはファミコンでゲームを作り始めていたから坂口さんは「俺達もRPGを作ろう!」とプレゼンをするのだけど、その企画は全然受けなかったみたいです。


<以下、引用>
――そこから、あの有名なFFの誕生秘話が……

坂口
「誕生秘話というか……。あれはある日、いきなり社長が「会社をA・B・C・Dの4チームに分けよう」と言い出して、「それぞれのチームのヘッドが企画を立ててプレゼンをして、みんな自分が売れそうだと思うチームに行きなさい」と指示をしたの。で、僕がAチームで、田中弘道がBチーム。青木さんがCチームで、Dチームが宣伝系の人見さんだったかな。

実はその頃、ちょうどドラクエが出たんです。彼らは、なんと僕たちの思い込みを打ち破って、家庭用ゲーム機でもRPGが可能だと示してしまったんです。それを見て、だったら最後に自分がずっと大好きだったRPGを作ろうと思いました
(※当時の坂口さんはゲーム作りに見切りをつけて大学に戻ろうか考えていた)。それで、もうプレゼンで僕は「RPGで、ドラクエを打ち負かす!」と大々的に言ったわけですよ。

……ところが、蓋を開けてみたら、集まってきたのはナーシャとドッターの渋谷員子さんと、あとひとりだけ。そして、社内では、「坂口がなにかバカなことを言っている」と冷たい目で見られていた。


――坂口さんを入れて、4人だけ……。でも、渋谷さんにしても、今やドット絵好きには大人気の方ですし、錚々たるメンバーという気も。

坂口
「当時は、まったくそんな空気ではなかったよね。一方で、他のチームは版権物の企画をしっかりと立てて、そつなく15人とか集めてるわけですよ。

だから、もう仕方なく、僕はリクルートをしました。
そうしたら、孔雀みたいな羽をつけた革ジャンを着てるような、チンピラみたいな奴が面接を受けに来たの。「こんちはーっす。面接やってんすよね?」とか言って。ところが、そいつが開いたノートを見たら、可愛らしいキャラの絵がたくさん描かれていて、「なんだこれは……」と思った。あまりに面白いから、採用です。それがFFのキャラやチョコボの生みの親の石井浩一でした。後に、彼は「聖剣伝説」シリーズを作りました。

それと、東工大のSF研で日々TRPGを遊んでいたやつも採用しました。それが後に「Sa・Ga」シリーズを作った河津秋敏です。まあ、あのときに集まったメンバーは凄かったですね。なにか運命のようなものが働いていたのかもしれません。」
</ここまで>
※ 改行や強調など一部引用者が手を加えました

 とうとう出ました。
 『FF1』の功労者である石井さんと河津さんの登場です。後のゲーム業界では『聖剣伝説』の人、『サガ』の人という認識になりますが、坂口さんがRPGを作りたくて(でも社内に誰も味方がいなくて)採用した2人なんですね。

 言うて坂口さんはスクウェアのエースだから、RPGなんて売れるかどうかわからないものよりも、ファミコンで人気が出そうな『とびだせ大作戦』(1987年3月)や『ハイウェイスター』(1987年8月)を作らされていました。
 なので、坂口さんがRPGを作るために採用した石井浩一さんと、そこに『ハイウェイスター』の手伝いをしていた河津さんが合流して初期の企画が出来たみたいです。


 石井さん視点のインタビューはここで語られています。

<以下、引用>
石井
「私がスクウェアに入って、きちんとしたプロジェクトとして最初に立てた企画が『FFI』でした。
坂口博信さんから『ドラクエ』みたいなRPGを作るから「石井、企画を考えとけ!」と言われたのが最初です。
とはいっても、『FF』チームの当初は、坂口さんや河津秋敏さんは『ハイウェイスター』に関わっていて、田中弘道さんも別のチームにいました。しばらくは自分一人で企画を進めていたのですが、その頃に『FFI』のベースになる部分を用意していました。

・それまでのゲームにはなかった火・水・土・風みたいな属性の概念を世界の理として取り入れる。
・ワールドマップをジオラマにして、着色したメタルフィギュア風なキャラを歩かせ、影が落ちる飛空艇みたいな乗り物による高低差表現で世界に立体感を出す。
・自分のイメージしているキャラをデザインする。
・どういう場所にいるのかと、そこでキャラ達が表情を変えながらアクションバトルする表現を可能にするサイドビューバトルシステム。
・プロローグが終わるとタイトルが出て、映画的に見せたい。
・最初に倒したボスが、実はラスボスで、最後は最初のダンジョンに戻ること。

というようなビジョンの全体的な企画を立案していました。」
</ここまで>
※ 改行や強調など一部引用者が手を加えました


 河津さん視点のインタビューだと、先に紹介した社長が訊くが分かりやすいですね。

<以下、引用>
岩田
「スクウェアさんで働くようになって、最初にどんな仕事に関わったんですか?」

河津
「最初に「ちょっと手伝って」と言われて関わったのがファミコンソフトの『ハイウェイスター』です。そこで、ちょこっとお手伝いをしたら、坂口さんが「RPGつくるから、キミもやって」と。」

岩田
「そうやって誘いを受けたとき、河津さんはRPGに興味や関心はあったんですか?」

河津
「はい。当たり前のように『ウイザードリィ』や『ウルティマ』をプレイしていましたから。」

岩田
「じゃあ、RPGの面白さをわかったうえで、『ファイナルファンタジー』のプロジェクトの伝説の1ページ目から参加することになったんですね。」

河津
「それも、たまたまなんですけど。」

岩田
「そのときの開発環境はどうだったのですか?
たぶんすごく短い時間で、かなり少ない人数でつくられたはずですよね。」

河津
「はい。全部で10人もいない状態でした。
当時のオフィスは銀座にあったんですけど、それこそ、10数人が入ればいっぱいになるような、真ん中に仕切りがある部屋で、奥にプログラマーとデザイナーがいて、手前側に僕や石井くんとか坂口さんとかがいて、プランニングしているという。」

岩田
「石井さんというのは、のちに『聖剣伝説』を手がけられた石井浩一さんですね。」

河津
「そうです。
はじめの頃は、彼といっしょに最初の部分の企画や、バトルまわりのことを考えていました。
初代の『FF』は、4つのカオスをやっつけたあと、最後にカオス神殿に行って、悪の源を倒すという物語です。そこで、石井くんと話をしながら「まず4つのカオスを倒し、最後に過去に行ってボスを倒そう」と、その方向は、1日くらいであっと言う間に決まりました。」

岩田
「そこまで、たった1日で決まるものなんですか(笑)。」

河津
「1日で決まりましたね(笑)。すごくノリのある状態でやっていましたから。
その意味では、石井くんという存在がいたのはものすごく大きかったと思います。キャラ同士が横向きになって戦うデザインも、石井くんと話していくなかでわりと初期の段階で決めたことなんです。

岩田
「敵と主人公たちが横向きになって戦うサイドビュー方式のバトルですね。」
</ここまで>
※ 改行や強調など一部引用者が手を加えました

 『FF』シリーズの生みの親が坂口博信さんなのは間違いないです。
 ファミコンでRPGを誰も作りたがらなかった当時のスクウェアで、最後まで諦めずに人を集め、実際に『ハイウェイスター』が終わってからはチームに合流してガッツリ関わっているのだと思いますしインターネットアーカイブになっちゃっていますが、「(坂口さんが)シナリオとかは書いていた」という田中弘道さんのインタビューもあります)

 しかし、例えば「横から見たアングルでの戦闘画面」や「4属性のクリスタルが世界を支えているという設定」、「タイムトリップを盛り込んだ少々難解なストーリー」など……『FF』シリーズの軸になっていそうな要素は、実は石井浩一さん(と合流した河津秋敏さん)で考えたものなんですね。
 ちなみに、イラストレーターに天野喜孝さんを猛プッシュしたのも石井さんらしい。元々天野さんのファンで、彼のイラストのイメージで作品を考えていたからだとか。


-WE DISCUSS VANA’DIEL- 特別対談
石井浩一×天野喜孝 <前編>


<以下、引用>
―――いまのスクウェア・エニックスからは想像もつかないほど、こぢんまりとした会社だったんですね。そこからどのように企画を進めていったのですか?

石井
自分は『DQ』や『ゼルダの伝説』なども好きだったので、自分なりにRPGの企画を手探りで考えていきました。『FFI』の原型となる部分、たとえばサイドビュー形式のバトルや、火・水・風・土の4属性を取り入れた世界観、ジオラマっぽく見せるワールドマップなどは、すでに自分の中でビジョンがありました。
細かい部分に関しては、たとえば太いウィンドウ枠は『マリオブラザーズ』の鉄パイプから、白い手袋の指差しのカーソルは『謎の壁 ブロックくずし』からインスパイアを受けていますね。こういったアイデアをひとつひとつまとめ、そのかたわらでドット絵作成を学習して、プリントアウトを坂口さんに「こんな感じでどう?」と見せに行くのをくり返していました。」

―――『FFI』のあの世界観は、かなり早い段階で考えていらっしゃったんですね。その部分について、もう少し詳しく聞かせていただけますか?

石井
「当時の自分は「デジタルで“幻想世界”を作りたい」とイメージしていて、よくノートにイラストなどを描き溜めていたんです。『FFI』でも、精霊などの存在を身近に感じられるような世界にしたいと考えていました。
その時点から、私の中ではビジュアルイメージとしては天野さんのイラストがありましたね。当時、自分が思い描いていたファンタジー像にもっとも近い画家は、ロドニー・マシューズ、グレッグ・ヒルデブラントそして天野さんの3人でした。
とくに天野さんは日本のファンタジーイラスト界における第一人者だと思っていて、スクウェアで企画を考えるときも、イラスト集の『魔天』見ながらイメージを膨らませていたほどです。ですから『FFI』の世界を実現するにあたり、誰にイラストを描いてもらおうかと考えたとき、真っ先に天野さんが思い浮かびました。」
</ここまで>
※ 改行や強調など一部引用者が手を加えました



 この石井さんと河津さんのコンビというのが、なかなかに面白い組み合わせなんですよね。

 石井さんは『ドラクエ』や『ゼルダ』も好きだったのでと素直に言えてしまう、良い意味でユーザー目線に立てられる人だと思います。
 例えば、『FF1』というゲーム―――移動時は見下ろし視点、ランダムエンカウントで敵と出会うと画面が切り替わってコマンドバトルで敵と戦う『ドラゴンクエスト』方式なんですが……別にここをひねったりはしていません。

 「そんなの普通じゃん?」と思われるかもですが、売れてるゲームと差別化を図るために「戦闘はシミュレーションゲームになる」とか「移動がアドベンチャーゲームになる」みたいなRPGは今も昔も多いですからね……こちとら、素直に「ドラクエみたいなゲーム」が遊びたいのに。


<画像はSteam版『FINAL FANTASY』(ピクセルリマスター)から引用>

 ストーリーが「さらわれた王女を助けに行く」ところから始まるのも、超王道ですもんね。

 スーファミ以降のRPGのように「次はどこどこへ行け!」と指示されて、そこに行くとストーリーが進行するのではなく……『ドラクエ2』や『ドラクエ3』同様に「船を手に入れる」「新しい大陸に到着する」などといったタイミングで、「北にも東にも西にも行ける!」とポーンと放り出されて、その中で自由に探索して必要なアイテムを集めたりボスを倒したりするRPGですね。




<画像はSteam版『FINAL FANTASY』(ピクセルリマスター)から引用>

 そのため、やまなしさんは行く順番をことごとく間違えて、「頼まれごとをされる前に解決しちゃって、初めて会う人に“騙されおって”と言われ続ける」ムーブを続けてストーリーが意味不明になっちゃったんですが……

 これは当時のRPGのスタンダードです。例えば『ファミコンジャンプ』とかもそうでしたからね。
 私はどちらかというとスーファミ世代なのでRPG=ストーリーを追うゲームという認識が強いため、『ドラクエ2』や『FF1』はリアルタイムではなく、遡って遊んだんですが……自分で世界を冒険している感があってすごく新鮮でした。今で言うオープンワールドみたいなプレイ感覚で、スーファミ以降のRPGでは味わえない楽しさがありました。





<画像はSteam版『FINAL FANTASY』(ピクセルリマスター)から引用>

 ゲームの根幹は当時のユーザー層にフィットしたものを提供しつつ、それでいて石井さんは「RPGはかくあるべし」みたいな固定概念も持っていないので、『ドラクエ』を初めとしたそれまでのRPGがやらなかったことにも取り組んでいます。その代表例が、戦闘時に敵味方を横から見る「三人称視点のサイドビュー」の画面です。

 アクションRPGなどはもちろん三人称視点でキャラを動かしますが、この時代のコマンドバトルRPGは『ウィザードリィ』や『ドラクエ』がそうだったからと一人称視点の戦闘画面の作品がほとんどだったと思います。
 「三人称視点のサイドビュー」にすることで、「どんなパーティが戦っているのか」「誰が攻撃したのか」「誰が生き残っているのか」が、数字や文字だけでなくビジュアルで分かりやすくなったんですね。

 スクウェア作品では、『6』までのFFシリーズ、ロマサガシリーズ、ルドラの秘宝などで採用され続けましたし(RPGじゃないけど『半熟英雄』もそうか)。
 他社作品でも、『ウルトラマン倶楽部2』(1990年)や『メタルマックス』(1991年~)、『ヒーロー戦記』(1992年)など、キャラクターをしっかり見せることが必要なRPGには採用されることが多かったですね。


 ちなみにピクセルリマスター版だと当然のように背景がありますが、ファミコンのコマンドバトルRPGは(『ドラクエ1』を除けば)背景は真っ黒なのが普通でした。スペック上それは仕方ありませんでした。
 『FF1』も全体の背景を描くのは無理でしたが、画面上部にちらっとだけ背景が描かれていますバーチャルコンソールの動画を参照)。これも石井さんが強引に押しとおした仕様だそうで、ファミコン時代のFFは『3』までこれを踏襲します。


 ついでに……石井さんのFFシリーズへの貢献というと、『FF3』で「ぬすむ」等のジョブ固有のコマンドを提案したのも彼らしく、そう考えるとFFシリーズどころか「日本のコマンドバトルRPGへの貢献度」が無茶苦茶大きくないか……?




 そして、もう一人のキーマン:河津秋敏さん。
 彼は対照的に『ウルティマ』や『ウィザードリィ』が元々好きで、更には(『D&D』とは明言していないけど)TRPGにも詳しかったことで採用された人です。社長が訊くでもその辺りの経歴が語られていますね。

<以下、引用>
河津
「子どもの頃の時代にさかのぼりますと、自分なりの遊びを考案して、それをみんなに楽しんでもらうと。小学生のときはみんなそうだったと思うんですけど。」

岩田
「はい、もちろんわたしもやってました(笑)。」

河津
「わたしも例外ではなくって、たとえばスーパーのちらしの裏などを使ってゲームを手作りして、みんなで遊んでいたりしていました。」

岩田
「手作りの盤ゲームをつくってたんですね。」

河津
「はい。ゲームづくりのルーツと言えば、最初はたぶん、そこが出発点だったと思います。
それで、コンピュータに出会ったのは大学に入ってからですね。そもそも大学は理工系でしたしコンピュータ好きな友人がとても多かったんです。当時はApple IIが出たばかりだったので・・・。」

岩田
「Apple II はとても高価でした。
私は、Apple IIが高くて買えなかったから、最初のコンピュータがコモドールのPETだったんです。当時、Apple II はお金を持ってる人しか買えませんでしたよね。」

河津
「そうなんです。わたしの場合は、友だちがApple II を買いまして、「ちょっと遊ばせて」と、みんなで触ることができたんです。そのあたりからでしょうか、コンピュータゲームに目覚めたのは。

だから、その友だちは自分にとって、ゲームの師匠と言ってもいいくらいの存在でした。
彼はコンピュータゲームだけでなく、アナログのゲームを教えてくれた師匠でもあるんです。もともと彼は、ボードゲームを収集して遊ぶのが大好きで、海外から個人輸入していたくらいで。」

岩田
「あの当時、個人で輸入していたんですか?」

河津
「ええ。2ヵ月か3ヵ月に1度、アメリカからボードゲームが送られてきまして。それこそ両手を広げても、手が届かないくらいでかい段ボール箱に何十個も入った状態で。」

岩田
「それはすごいですね。まだインターネットが普及する遙かに前ですから、その頃に、そんなことをしている方は相当珍しかったんじゃないですかね。」

河津
「それで、その箱が届くと仲間とその友人の家に集まってみんなでいっしょに箱を開けて、「お前はこのルールを読め。お前はこっち」みたいな感じで英語で書かれたルールブックを手分けしながら読んで、みんなで遊ぶようなことをしていたんです。」

岩田
「河津さんは子どもの頃からゲームづくりに興味があったけど、大学のときに、ゲームのルールや戦略について集中的に鍛えられたようなところがあるんですね。」

河津
「そうですね。ルールブックを読むときに、まずシーケンス、つまりゲームの手順を大ざっぱに把握して、そのあとマップを見てどんなゲームなのかを素早く把握すると。
細かいところまでじっくり読んでいるとなかなかゲームがはじめられませんから(笑)。」

岩田
「英語で書かれた分厚いルールブックを細かいところまで読んでいたら、目的は、ゲームで遊ぶことなのに、それだけで1日が終わってしまいますからね(笑)。」

河津
「なので、細かいところはどうでもいいからとにかく遊んでみようと。
ゲームの流れが、面白さの善し悪しを決めるようなことはそのときに学んだように思いますし、きっといまの自分のベースになってるんでしょうね。」
</ここまで>
※ 改行や強調など一部引用者が手を加えました

 うぉーーー、なんだその「金持ちの友達」は!
 その後にその人が何をしているのか分からないけど、確実に「世界のゲームの歴史」に影響を与えているじゃねえか!


 こんな河津さんが中枢にいたからか、『FF1』は『D&D』や『ウルティマ』や『ウィザードリィ』のパク……いや、オマージュでいっぱいなんですね。「『ドラクエ』は『ウルティマ』や『ウィザードリィ』のパクリ」みたいなこと言ってる人が可愛く思えるくらいに。




<画像はSteam版『FINAL FANTASY』(ピクセルリマスター)から引用>

 例えば、ゲーム開始時に4人の主人公達のジョブを決める「キャラクターメイキング」から始まるところです。
 『ウルティマ3』のファミコン移植版が2ヶ月前に出ているので「ファミコン初のキャラクターメイキングができるRPG」とはいきませんでしたが、『ドラクエ3』より2ヶ月早く「職業を選べるRPG」を実現していました。

 これは、『D&D』や『ウルティマ』や『ウィザードリィ』では当たり前のように最初に行うことなのですが、パスワード制のRPGでコレをやろうとすると文字数がトンデモないことになってしまうため、『ドラクエ1』や『ドラクエ2』では出来なかったんですね(※4)

(※4:レベルアップ時にどのステータスが上がるかのランダム要素も『ドラクエ1』や『2』にはない。『1』は主人公の名前によって「○レベルでのステータスはこれ」と決まっていて、『2』は完全固定。「ちからのたね」のようなステータス上昇アイテムも、バッテリーバックアップが採用された『3』で初めて採用される)


 『FF1』は、『ドラクエ1』や『ドラクエ2』の模倣を作ろうとしたのではなく、『D&D』や『ウルティマ』や『ウィザードリィ』に影響を受けたRPGを作ろうとしたから『ドラクエ3』に先駆けてコレが出来た―――――
 そのため、『ドラクエ3』とちがって「最初に選んだジョブ」はその後変更できません。ゲームの終盤に上級職へと変化しますが、例えば「黒魔術師」が「白魔導士」になったりは出来ないんですね。

 リメイクなどを経て「強いジョブ」「弱いジョブ」の格差は小さくなっていきましたが、ファミコン版はその辺りが露骨だったため、最初に選んだジョブのせいで難易度は大きく変わったんだとか。





<画像はSteam版『FINAL FANTASY』(ピクセルリマスター)から引用>

 『D&D』『ウルティマ』『ウィザードリィ』は、ゲームスタート時に「職業」だけでなく「種族」も選びます。「人間」「エルフ」「ドワーフ」「ノーム」「ホビット(のようなもの)」は、『指輪物語』から続くファンタジーの定番となっていたのですが……

 『ドラクエ』シリーズで「エルフ」が出るのは『3』からで、「ドワーフ」が出るのは『5』からなので……それらに先駆けて『FF』は1作目から「エルフ」も「ドワーフ」も出しているんですね。

 「ドラクエが日本に定着させる前から、ファンタジーの定番を抑えていた」というか。
 しかし、エルフはこれ以降の『FF』シリーズではしばらく(『11』まで)登場しないらしい。ちょっと意外。



<画像はSteam版『FINAL FANTASY』(ピクセルリマスター)から引用>

 また、魔法は現代において一般的な「全ての魔法のリソースが一元化されているMP制」ではなく、「各レベルごとによって使用回数が決まっている回数制」になっています。これは『D&D』→『ウィザードリィ』のシステムに近いらしく、RPGの元祖はどちらかというとこっちなんですね。

 というか……「全ての魔法のリソースが一元化されているMP制」を最初に採用したゲームって何なんだろう。『ウルティマ3』(1983年)がそうだったみたいだけど……



 「MP制」のRPGに比べて「回数制」のRPGは馴染みが薄いからか、難易度を下げまくったゲームボーイアドバンス版のリメイクから『FF1』もMP制になってしまうんですが……「回数制」に戻ったピクセルリマスター版を遊んだ自分からすると、「回数制」だからこその面白さがあると思ったんですね。


 「ダンジョンの奥に中ボスがいない」ことによる面白さ

 これは、私が『ドラクエ2』を初めてちゃんと遊んだ頃に書いた記事です。
 スーファミ以後のRPGでは「ダンジョンの中に回復ポイントやセーブポイントがある」ことが当たり前で、ダンジョンの奥にはボスがいて、全回復したした状態でそのボスに挑めるのが普通になっていくのですが……

 ファミコン時代の『ドラクエ2』や『ドラクエ3』はダンジョン内に回復ポイントもセーブポイントもありませんが、ダンジョンごとのボスもいません。限られたリソースをやりくりして「ダンジョンを進む」のか「引き返して町まで戻る」のかの緊張感を楽しむゲームになっているんです。

 この2つのRPG―――
 同じ「コマンドバトルRPG」というジャンルでも、面白さの根幹が全然ちがうと思うんですね。同じ陸上競技でも、「短距離走」と「長距離走」は別ジャンルだよねというか。


 でも、『FF1』はその両方のいいとこどりなんですよ。
 『FF1』にはダンジョン内に回復ポイントもセーブポイントもありません。リメイク版では追加されましたが、魔法の回数を回復するアイテムもファミコン版にはありませんでした。「限られたリソースをやりくりする」楽しさがあったゲームなんですね。

 しかし、『FF1』のダンジョンの奥にはボスがいます。
 えぇ~、それじゃボスにたどり着いた頃には疲労困憊になっちゃうんじゃないの?と思うかも知れませんが、ここで「レベルごとに魔法のリソースが分かれている回数制」なことが活きるんです。

 「ダンジョンの奥へと進む際に使う、回復量の少ない回復魔法や、雑魚戦用の攻撃魔法」と「ボス戦用に使う、回復量の大きい回復魔法や、バフ用の魔法」ではリソースが分かれているため、ボス戦用の魔法を温存したままダンジョンの奥まで進めるんですね。


 なので、私にとって『FF1』は「ドラクエ2のようにリソース管理しながらダンジョン探索をする緊張感」と「スーファミ以降のRPGのように全戦力を注ぎ込んでボス戦に挑むワクワク感」の両方が味わえる最高のRPGでした。

 えっ、原作の『FF1』はバグでバフ用の魔法が機能していないって?
 そんなこと私に言われても……




<画像はSteam版『FINAL FANTASY』(ピクセルリマスター)から引用>

 そうしたボスキャラも含め、敵キャラの多くは『D&D』に元ネタがあるし、装備品だったりストーリー展開だったりにも「これは『ウィザードリィ』が元ネタなんだ」「これは『ウルティマ』っぽい展開なんだ」といったオマージュが満載らしいです。

 もちろんその『D&D』もどこかから要素を引っ張ってきていたりするので、元ネタをどんどん遡っていくと神話とか民間伝承とかになっちゃうし……
 この時代のゲームってどこか「同人のノリ」があって、自分達の好きなものとか身内ネタとかを詰め込んでやろうって精神があったと思うんですね。『ドラクエ1』にもキムこうとか、ゆきのふとか、出てくるし。



<画像はSteam版『FINAL FANTASY』(ピクセルリマスター)から引用>

 リンクの墓が出てくるのも、多分そういうノリ。



 ということで……素直に『ドラクエ』と同じような感覚で遊べる「遊びやすさ」と(原作の難易度は忘れる)、『ドラクエ』にはないサイドビューなどの「新しさ」と、『ドラクエ』以前のRPGから元ネタを引っ張ってきている「大人っぽさ」を全部持ってたのが『FF1』だったと思うんですね。

 『FF』と言えばグラフィックとか、『FF』と言えばストーリーみたいなブランドイメージがあるかも知れませんが……それは、その時代その時代でベストのものを作ろうとしたら結果そうなっただけで、『FF』シリーズの根本にあるのは「遊びやすさ」「新しさ」「大人っぽさ」の三本柱だと私は思っています。



◇ 革新性:最後の最後に、なんか難解なSF要素をぶち込まれたんですが!!?

 最後にこの話をしないと『FF1』話は終わらないので、ストーリーについての話をします。『FF1』の最後の最後のエンディングまでのネタバレ話を含みますし、比較対象として『ドラクエ1』のエンディングの話もするのでそちらのネタバレも含みます。

 ネタバレがイヤな人は、この項目は読み飛ばして「総括」に行ってもらって構いません。









 そして、ついでに……
 『ドラえもん』の基本設定と、『ドラゴンボール』の人造人間編の設定と、『シュタインズ・ゲート』の基本設定の話もします。
 それらがやっぱり気になるって人は、この項目は読み飛ばして「総括」に行ってもらって構いません。




 よし、じゃあ行きますよ。


<画像はSteam版『FINAL FANTASY』(ピクセルリマスター)から引用>

 このゲームの最初のイベントは、「お姫様が悪いヤツにさらわれたから助けてほしい」という超王道のものから始まります。『スーパーマリオブラザーズ』や『ドラゴンクエスト』1作目、お姫様ではないけれど『ドルアーガの塔』なんかもヒロインを助けに行く話ですし、当時感覚でも「ベタ」な始まりを狙っていたんだと思います。


 そこから主人公達は旅立ち、なんか世界が崩壊寸前なことを知って、4つのクリスタルの輝きを取り戻すために世界を冒険するのですが……


<画像はSteam版『FINAL FANTASY』(ピクセルリマスター)から引用>

 なーんか、意味深なことを言われるんですよね……
 「正しい時間の流れを生きていた」主人公達が、この世界に迷い込んで、元の世界の記憶を失った―――何を言っとるんだこのじいさんは、と初見では思っていたのですが。




<画像はSteam版『FINAL FANTASY』(ピクセルリマスター)から引用>

 それはさておき、すべての元凶は「ゲームの冒頭でお姫様をさらった」最初のダンジョンのボス:ガーランドでした。
 最序盤で主人公達に敗れたガーランドは、2000年前にタイムトリップして世界崩壊の火種を埋め込み、そのせいで2000年後の世界は崩壊寸前になっていたそうな。でも、2000年後のガーランドをやっつけても2000年前にタイムトリップされるだけなので、主人公達も2000年前にタイムトリップして2000年前のガーランドを倒さなければならない!

 「お、おう……?」と言いたくなりますが、1987年当時は「タイムトラベルをして別の時代に向かう」話は“流行の一つ”だったと思います。


 『戦国自衛隊』の映画が1979年、
 『時をかける少女』の映画(大林版)が1983年、
 『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の映画1作目が1985年、
 『Dr.スランプ』(1980年~)や『ドラえもん』(1969年~)の中にもタイムマシンが登場しますし、大長編の『ドラえもん』映画が始まったのが1980年、

 現代の「異世界もの」「ループもの」並に、「タイムトラベルもの」のフィクションが大メジャーだった時代だと思います。だから、この「過去にもどって元凶を倒す」展開は別に難解でも何でもないんですが……(最初に倒したボスがラスボスになるという展開が加わってるからややこしくなっているだけで)



 なので、私が戸惑ったのはラスボスを撃破した後のエンディングです。
 ところどころ言い回しは変わっているそうですが、このナレーションはファミコン版からある要素らしいです。


<画像はSteam版『FINAL FANTASY』(ピクセルリマスター)から引用>

 2000年前にタイムトリップして、元凶となるガーランドを倒した主人公達4人―――彼らは元の世界に戻っていきます。
 そこにはセーラ姫やジェーン王妃、ガーランドが待っている。


 ん……?
 ガーランドも待ってるの??




<画像はSteam版『FINAL FANTASY』(ピクセルリマスター)から引用>

 2000年前のガーランドが「世界崩壊の火種」を埋め込む前に倒したので、世界は崩壊寸前にはなりません。
 世界が崩壊寸前にならないということは、「世界を救った4人の戦士」が世界を救う冒険に出ることもないので、みんな「4人が世界を救った」ことも知りません。

 そして、ドワーフやエルフやドラゴン達もいなくなっちゃいました。
 なんで?

 ガーランドが世界を崩壊させようとした余波で生まれた突然変異だったってこと? 2000年ごときで、そんな「新たな人種」が生まれるものなのか……?



<画像はSteam版『FINAL FANTASY』(ピクセルリマスター)から引用>

 そして、このゲームの主人公である4人が「君」であること。
 真のクリスタルは「君の胸の中にある」と明かされて、エンディングが終わります。


 「君達」ではなく「君」というのがポイントで。
 ここまでずっと主人公達のことを「4人」とか「4人の戦士」と言っていたのに、最後の最後に単数形=モニターの前にいるプレイヤーだと言ってきたんですよ。いわゆる「第四の壁」を突破してきたのだと思います。



 私は最初これが何を意味しているのかよく分からなかったのですが……
 「FF1 エンディング 考察」で検索して、いろんな人が言っている解釈を読んでその中でも面白いなと思ったのが「我々が生きている現実の世界と、世界崩壊寸前だったFF1の世界はパラレルワールド」であり「FF1の主人公4人は、この世界を救おうとプレイヤーが送りこんだプレイヤーの分身」で、「パラレルワールドを消滅させたことで世界は"現実の世界”一つに戻り、4人の主人公に分かれていたプレイヤーの分身もプレイヤーの中に戻り、二度とゲームに干渉できなくなった」というものです。

 分かりづらいと思うので、図にします!





 ガーランドが2000年前にタイムトリップして歴史をめちゃくちゃにしてしまったので、本来ならファミコンやらプレステやらスマホやらの文明社会を築くはずの現実世界とは別のパラレルワールドが生まれてしまいます。
 『FF1』の世界では文明が破壊されて途中で止まってしまうため、あの世界にはファミコンやらプレステやらスマホがありませんが、代わりにドワーフやエルフやドラゴンが生まれます。宇宙にまで進出した天空人もいました。ファミコンより文明が進んでない??


 プレイヤーは「ゲーム」という媒介を通して、崩壊寸前のパラレルワールドに「主人公の4戦士」を送り込みます。そして、ガーランドを倒すのですが、そのガーランドが2000年前にタイムトリップして世界を崩壊寸前に追い込む元凶となります。

 あれ……?
 俺がゲームを起動しなければ、ガーランドは過去に行かないので世界は危機に瀕さないのでは?? でも、それはそれでセーラ姫の貞操の危機ではあるか。



<画像はSteam版『FINAL FANTASY』(ピクセルリマスター)から引用>

 そう言えば、思い出したことがありました。
 このゲームは4人のキャラメイキングが終わって、オープニングのナレーションが終わると、ポーンとワールドマップに放り出されます。『ドラクエ1』のスタートが王様の部屋から始まるのに対して、これは不親切だって声が当時も今もあったらしいです。


 ただ、「ロトの子孫」として王様に呼び出された『ドラクエ1』の主人公とちがって、『FF1』の主人公は記憶もなく、素性も分からず、ただクリスタルを持っているだけの4人です。冒険の中で、彼らの生い立ちや感情が語られることは一切ありません。

 『FF』シリーズは、例えば『2』の主人公はフリオニール、『4』の主人公はセシル、『5』の主人公はバッツといったカンジのデフォルトネームが設定されています(『10』までなら変更は可能)。『FF1』と同じようにデフォルトネームのなかった『3』もDSリメイク版で初めてデフォルトネームが付きました。

 しかし、『FF1』の主人公4人はずっとデフォルトネームがありませんし、彼らの素性を掘り下げる追加要素がリメイクで加わったりもしません。
 『ディシディア ファイナルファンタジー』に参戦した時もウォーリア オブ ライトという「誰でもない存在」になっていましたし、『ストレンジャー オブ パラダイス ファイナルファンタジー オリジン』の主人公達には名前が付いていましたがアレは『FF1』の主人公達とは別の人達らしい。


<画像はSteam版『FINAL FANTASY』(ピクセルリマスター)から引用>

 先ほどのこの意味深なジジイの台詞から察するに、「この世界にようやくたどり着いた」感を出すために敢えて街の外に放り出しているように思えるんですね。





 プレイヤーがゲームを投げ出さずに、無事にラスボス:ガーランド(カオス)を撃破すると……ガーランドが4つのカオスをクリスタルに送りこまなくなるので、崩壊寸前のパラレルワールドは生まれなくなります。
 その結果、ドワーフもエルフもドラゴンも生まれなくなるし、宇宙まで進出した天空人もいなくなります。


 そして、世界は「我々の暮らす現実世界」に一元化されるため、我々はもう『FF1』を起動しなくてイイし、あのパラレルワールドを救うために送り込んだ4戦士も私の中に統合されるのです。
 「この世界にセーラ姫やガーランドがいる」のは、何もその名前ズバリな人がいるワケではなく、アナタの周りにもセーラ姫やガーランドのようなポジションの人はいて「些細なすれちがい」から「憎しみが生まれ」、果ては2000年前までタイムトリップしてまで世界を滅ぼされかねないため……汝、隣人を愛せよみたいな教訓なのかなと思いました。


 「ゲーム」を媒介にして世界へ干渉するメタイ演出が私は大大大大大好きなんで……そういう解釈だったら面白いなーと半ば強引に思いこもうとしちゃったところがあるとは思うのですが。



<画像はWii用ソフト『ドラゴンクエスト25周年記念 ファミコン&スーパーファミコン ドラゴンクエストI・II・III』より引用
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 坂口さんが「打倒ドラクエ」と意識していて、
 石井さんが「元から好きだった」と公言していて、
 河津さんが「ドラクエを研究した上で差別化を図った」と言っている『ドラクエ1』が―――

 それまでは「プレイヤーの分身」としてプレイヤーが指示した行動しか取らなかった主人公が、最後の最後のエンディングで操作不能になって勝手にセリフをしゃべり出して、プレイヤーの知らない土地へ旅立っていく=もうプレイヤーの分身ではなくなるというメタフィクション要素の強いラストだったので……
 『FF1』は逆に、最後の最後のエンディングで「これまでプレイヤーが操作していた4人の主人公はプレイヤー自身だったんだ」と明らかにするメタフィクション要素の強いラストにしたんじゃないかと思うんですね。



 また、メタイ要素を抜きにしても、タイムトラベルもののSFとしても興味深いところがあります。タイムトラベルをして「本来の歴史とはちがうことをしてしまった」場合、どうなるのか……


<画像は漫画版『ドラえもん』第1巻より引用>

 1969年の『ドラえもん』の第1話で、のび太ですら「過去を変えたら現在が変わってしまう」ことを指摘しているんですね。この後セワシくんに超理論で返されるんですが、いわゆる「親殺しのパラドックス」をのび太ですら理解していることが重要です。

 『FF1』が発売された1987年時点でも、タイムトラベルものの一般的な考えはこうだったと思います。



<画像は漫画版『ドラゴンボール』第30巻より引用>

 それが、『ドラゴンボール』の中でタイムマシンが出てきた1992年になると、「過去を変えても現在は変わらず、過去を変えた分だけ世界は分岐してパラレルワールドが生まれる」という概念が出てくるんです。SFに疎かった幼少期の自分はすごくビックリしたのを覚えています。

 もちろんこれを鳥山明先生が発明したワケではないと思うし、調べたら1990年代初頭に同じようなことを言っている有名な物理学者がいたらしいのだけど……

 大人になった今にして思うと、「もっと過去にもどって人造人間が起動される前に壊すorドクターゲロを殺す」みたいなつまんない展開をつぶすためにこういことを後から言い出したのかなと分かるのですが……当時はすごくややこしいことを言いだすなと思ったものです。
 しかし、そこから30年が経った今では、タイムパラドックスを解決する方法として色んな作品で使われている手法ですし。一般的にも「世界線」って言葉を使えば、「分岐したもう一つの世界」って意味で通じるようになったと思います。


 ただ、「世界線」という言葉をヲタクにも知らしめた『シュタインズ・ゲート』(2009年)や、その元ネタとなっている「ジョン・タイターの書き込み」(2000年~)では、「パラレルワールドは無限にあるけど、存在できる世界は一つだけ」という認識なんですよね。

 ヲタク用語が一般に普及するとライトなものになるというのはよくあることですが……この話を踏まえて、またこの画像を見返してみましょう。










 『FF1』でやってることって、『シュタインズ・ゲート』じゃねえの?って思うんですね。

 ガーランドの過去改変によってパラレルワールドが生まれ、「正しい時間の流れ」にいたプレイヤーが4人の戦士として「ゲームの中のパラレルワールド」に移動してしまう。
 そこでプレイヤーの分身たる4人の戦士がパラレルワールドを生み出した元凶を止めたことで、世界線を元の「正しい時間の流れ」に戻すことができた―――

 まぁ、ガチでメタフィクションめいたタイムトリップもののSFをやるなら、主人公達の名前を付けたりキャラメイキングしたりするタイミングは「ガーランドを倒して、ガーランドが2000年前に戻って、過去改変が行われた」タイミングでやるべきでは……と思うのだけど。

 『ドラクエ1』みたいな王道RPGに偽装して、20年後に本格SFアドベンチャーゲームがやるようなことを、1987年の段階で最後にしれっとやっていたの……「すごい」というより、本当に「自分達が大好きなものを全部詰め込んだ」んだなぁと思いますね。

 正直、『シュタゲ』以前に私がコレを遊んでいたとしても理解できたとは思えないぜ……!
 



◇ 総括

<画像はSteam版『FINAL FANTASY』(ピクセルリマスター)から引用>

 「ファミコンでコマンドバトルRPGなんて無理」って時代に『ドラクエ1』が出て、「ファミコンでも出来る要素に限定したコマンドバトルRPG」がチラホラ出ていた時代を経て―――
 「パソコンのRPGにも引けを取らない本格的なコマンドバトルRPG」がファミコンでも出せるようになった、その時代にいち早く登場したRPGの1本です。例えば、これが2年遅かったら、「たくさんあるファミコンRPG」の中に埋もれてしまって『ファイナルファンタジー』のシリーズは続いていなかったかも知れません。


 スクウェアの中ですら「坂口がまた変なこと言っている」と、RPG制作が支持されなかったところに……石井さんが加わり、河津さんが加わり、別チームにいた田中弘道さんが加わり、坂口さんも本格的に合流して、最終的には(当時としては)会社が一丸となって『ファイナルファンタジー』1作目が完成します。

 この『ファイナルファンタジー』1作目が成功したことで、売上もそうですが、恐らくは「自信とノウハウができた」ことでスクウェアは本格的に「RPGの会社」になっていきます。
 ファミコン→ スーファミへと『FF』が展開されていき、ゲームボーイが出てきたタイミングで河津さんはそちらで『Sa・Ga』を、石井さんは『聖剣伝説』を作るようになり、『FF』だけに留まらない「RPGのスクウェア」になっていくのです。


 しかし、もし……『ドラゴンクエスト1』があのタイミングでファミコンで出ていなかったら、坂口さんはファミコンでRPGを出そうだなんて言いださずにゲーム作りを辞めていたかも知れません。
 もし、ファミコンにバッテリーバックアップが搭載されるのがあと2年遅かったら、パスワード制でしか作れないから坂口さん達が望んだのとはちがう『FF1』になっていたかも知れません。
 もし、坂口さんのRPG企画が当初から支持されていたなら、石井さんも河津さんもスクウェアに入らなかったかも知れないし、彼ら2人が考えた『FF』の基礎が築かれなかったかも知れません。


 無数に存在するパラレルワールドの中から、「RPGのスクウェア」が生まれたこの世界が選ばれたのは、ものすごい奇跡と、運命のめぐりあわせの結果だったんだなーと思いました。


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