
<画像はスーパーファミコン版『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』より引用>
※ この記事は2011年に旧ブログに書かれたものを幾つか手直しして2025年に移行した記事です
何故ドラクエIIは名作だったか(夢織時代への扉さん)
自分は『ドラクエ1~3』直撃世代よりかはもうちょっと下の世代で、4歳上の兄貴が『ドラクエ3』にハマっていたくらいなので、リアルタイムに体験したワケではないんです。
なので、後から「原点としてのドラクエ1」と「完成形としてのドラクエ3」を必修科目としてプレイしたくらいで、『ドラクエ2』に関してはほとんどプレイしていませんでした。「とにかく難しい」「復活の呪文(パスワード)が死ぬほど長い」という話だけを聞いて、怖がっていました。
だから、「ドラクエ2が素晴らしいんだ!」というこの文章はものすごく新鮮でしたし、ものすごく納得することが多かったです。
『ドラクエ3』では「ルーラの行き先を指定出来る」「大空を自由を飛びまわれるラーミアがある」ことで、遊びやすくなって、ドラクエシリーズが不動の地位を築き上げるのですが―――それがなかった『ドラクエ2』の方が世界を広く感じられたよね、というのは目から鱗でした。
交通機関が発達して現代は便利になった。日本のどこにだって気軽に旅行に行ける。
でも、移動が不便だった時代の方が、「日本は広い」って思えていた―――みたいな。
もちろん「不便だった時代の方が良かった!」とは言いません。
何かが変わると“得るもの”と“失うもの”があるというだけの話。
今日の本題はこれを前提にして始めます。
<以下、引用>
大陸をひたすら渡るそこには、本当に旅をしているという感覚がなかったか。
こういっては何だが、5以後のドラクエは、制限の大きい、あまりに不自然なマップが多い。
大陸を、次の街へ向かって歩いていくという感覚はあまりなく、海と岩山で極めて不自然に制限されたマップを歩かされていなかったか?
<中略>
そして、船を手に入れ、まずたどり着くのが始まりの地アレフガルド。
マップは縮小され、ガライもマイラもリムルダールもメルキドも無くなって、悲しかったが、その大きさを比して、どれほど世界が広大であるか感じたものである。なんと竜王のひ孫に旅の指針を教えられ、いざ、大航海である。
世界、どこへでも行けたのである。
この楽しさは、浅瀬によって制限されまくった5以降のドラクエには、断じて無い。
それによって感じる世界の広いこと。
大洋の中にぽつんとあるザハン、海底洞窟といった場所や、大陸や島に点在する街。
それらの場所を、ゲームから離れて、日常世界でどこにあるか話し合ったものである。
それは、あたかもドラクエIIの世界の酒場で、船乗り同士が情報を交換するかのようであった。
現実に、深くゲームが食い込んでいたのである。
</ここまで>
※ 改行・略・強調は引用者によるものです。
『ドラクエ5』という作品は、現在だと「ドラクエシリーズでTOP3に入る人気作」くらいの位置にあると思うんですが。発売された1992年当時、確かに「一本道すぎる」「自由度がないなんてドラクエではなくなってしまった」という批判は多かったです。
『ドラクエ』って実は昔から「変わってしまうことで賛否両論が起こる」作品だったのですね。「変わらないのがドラクエの良さだろ!」と言う人もいるんですけど、メンバー固定の『4』も、ストーリー重視の『5』も、3Dになった『8』も、発売当時は「変わってしまった!」と批判する人が多かったですよ。
閑話休題。
この“ファミコン後期~スーファミ初期”って、RPGにおける一つの転換点だったと自分は思うのです。
『ドラクエ』以上に分かりやすいのは、『ゼルダ』シリーズの変化です。
初代『ゼルダの伝説』(86年)とスーファミソフト『ゼルダの伝説 神々のトライフォース(91年)でも、上のページで述べられている『ドラクエ2』(87年)と『ドラクエ5』(92年)のような違いがあるのです。
初代『ゼルダ』は初っ端から自由です。
持っているのは盾だけ。「どこにでも行ける」けど、「どこに行ってイイか分からない」のです。最初のダンジョンを探して彷徨う、間違えて敵の強いエリアに入ってしまい瞬殺→スタート地点、最初のダンジョンを探して彷徨う、間違えて敵の強いエリアに入ってしまい瞬殺→スタート地点、最初のダンジョンを探して彷徨う、間違えて敵の強いエリアに入ってしまい瞬殺→スタート地点、最初のダンジョンを探して彷徨う、間違えて敵の強いエリアに入ってしまい瞬殺→スタート地点……
何とか最初のダンジョンをクリアして、最大ライフが増えて武器も増えて、そうすればザコ敵もそれほど怖くなくなって行動範囲が広がって―――「どこに行くのも自由」なんです。ダンジョンの攻略順も別に決まってはいません。
この初代を知っている人からすると、『神々のトライフォース』以降の『ゼルダ』は別のゲームだと思うんじゃないかと思います。『ドラクエ5』の比でなく、不自然なまでに「岩」とか「川」で分断されているマップ。
最初から「行けるところが決まっている」のだけど、ゲームに与えられた順番にゲームを進めるとアイテムが増えて「岩を持ち上げられる」ようになったり「川を泳げる」ようになったりして新しい場所に進めるようになる――――
初代に比べて「自由度は低くなっている」んですけど、その分どこに行けばいいか分からないみたいなことはなくて、「誰でも楽しめる」ように遊びやすくなったと自分は思います。
『ドラクエ』と『ゼルダ』。
自分はこの二つが“対照的な日本の二大RPG”だと思っているんですけど、この二つのRPGが同時期に同じような変化をしていたというのは面白い現象ですよね。それはつまり「その時代の空気」がその変化を促したとも言えますし、実際『ドラクエ』も『ゼルダ』もこの路線を以後も踏襲していきます。
引用させてもらった「何故ドラクエIIは名作だったか」の記事にも書かれていることなのですが、『ドラクエ』や『ゼルダ』が出てきた80年代後半というのは、「ゲームの情報」はみんなで共有されるものだったのですよね。『ゼビウス』だって『ドルアーガ』だって『スーパーマリオ』だってそう。「あの場所に○○があるらしいぞ!」と、みんなで楽しまれていたのです。
『ドラクエ』も『ゼルダ』もそうした流れの最終形のように出てきました。
宮本さんは以前GDCか何かで「初代ゼルダはみんなで情報を共有してもらうことを狙った」と仰っていましたし、「ミンナニナイショダヨ」は「クラスのみんなに教えてね」ということでしょうしね。だから、突き放したような「自由度の高いゲーム」もみんなが楽しめたのです。
でも、『ドラクエ』が超ヒットして、みんながRPGを遊ぶようになって、友達がいない人だってRPGを遊ぶのでゲーム攻略本なんかが欠かせなくなって―――
という流れを考えると、『ドラクエ5』や『神々のトライフォース』が自由度を捨てて遊びやすさを優先したのも納得ですし、以後のシリーズ流れがそっちに向かうのも当然な気もします。これは『FF』等のスクウェアRPGの影響も大きいと思うんですけど、これ以降「進行自体は一本道+寄り道要素」「キャラクターの成長は自由に出来る」って方向が日本のRPGの主流になっていくんですよね。
何かが変わると“得るもの”と“失うもの”がある。
もちろん「ドラクエは2の自由度が最高だったぜ!」という人の気持ちも、「ゼルダは初代しか認めない!」という人の気持ちも分かります。「以後のシリーズは与えられたレールに沿って進んでいるだけだ」という批判も、その通りだと思います。
ゲームは「遊びやすさ」を選び、その結果として「誰にでも楽しめる」娯楽になりました。
でも、その過程で失われるものもあったし、切り捨てられたファンもいたのだろうなと思うのです。自分は『ドラクエ5』や『神々のトライフォース』直撃世代なのでそれらが普通のことだと思っていましたが、そこで切り捨てられたファンの想いについて今回考えましたし、「クラスのみんながドラクエ2のどこに何があるかを語り合った」日々というのはリアルタイム世代でないと分からないものなんですよね。
でも、これだけインターネットが普及した現在なんだから、『ドラクエ2』や初代『ゼルダ』のように「さぁ!好きなところに進めばイイさ!」と放り投げて、インターネットで情報を共有しながら遊ぶ―――みたいな『ドラクエ』や『ゼルダ』が出てもイイとも思いますね。
ちょうど「れとげのまち」で『ドラクエ1』をプレイしている現在、「ロトの鎧が取れないー。みんな何レベルで取った?」「俺は17」「自分は運が良くて16」みたいな会話をTwitterでやっているので、これをオンラインゲームとして落とし込むと面白そうだし。『デモンズソウル』とかはこういう感じなんですかね?
『ドラクエ10』って、ひょっとしてこういう方向に進みたいのかな。
レールに乗って進むだけではない、でも万人が楽しめるためのオンラインRPG。なら、ボイスチャットに対応してくれまし。
今回の話……分かりやすいからRPGに限定して話を書きましたけど、これって別にどのジャンルのゲームにも言えることだと思うんです。
『2Dマリオ』と『3Dマリオ』の違いとかね。
出てきた順番は『ドラクエ』とは逆ですけど……レールに沿って進むことで「誰にでも楽しめる」2Dマリオと、レールを廃してどこにでも進める「自由度の高い」3Dマリオ。前者の方が売上げは高いけど、後者を求める人がいるのも分かりますよね。
『Wii Sports』の「テニス」が、移動の要素をオートにしてラケットを振るだけのゲームにしたというのも、それまでのテニスゲームと比べて「(移動という)自由度を捨て」「遊びやすくした」結果とも言えますし。「プレイヤーの好きなように操作できる」を捨てることで万人受けするケースは幾つもありますよね。シミュレーションゲームとかは特に、「何でも出来る」が「ハードルが高い」につながりますし。
そして、それまでの自由度が好きだったファンからすると「こんなのはゲームではない!」「俺達の○○を返せ!」って思えてしまうのです。こういうことを20年前に通過している『ドラクエ』や『ゼルダ』はやっぱり凄いなぁと思いますね。
交通機関が発達して現代は便利になった。日本のどこにだって気軽に旅行に行ける。
でも、移動が不便だった時代の方が、「日本は広い」って思えていた―――みたいな。
もちろん「不便だった時代の方が良かった!」とは言いません。
何かが変わると“得るもの”と“失うもの”があるというだけの話。
今日の本題はこれを前提にして始めます。
<以下、引用>
大陸をひたすら渡るそこには、本当に旅をしているという感覚がなかったか。
こういっては何だが、5以後のドラクエは、制限の大きい、あまりに不自然なマップが多い。
大陸を、次の街へ向かって歩いていくという感覚はあまりなく、海と岩山で極めて不自然に制限されたマップを歩かされていなかったか?
<中略>
そして、船を手に入れ、まずたどり着くのが始まりの地アレフガルド。
マップは縮小され、ガライもマイラもリムルダールもメルキドも無くなって、悲しかったが、その大きさを比して、どれほど世界が広大であるか感じたものである。なんと竜王のひ孫に旅の指針を教えられ、いざ、大航海である。
世界、どこへでも行けたのである。
この楽しさは、浅瀬によって制限されまくった5以降のドラクエには、断じて無い。
それによって感じる世界の広いこと。
大洋の中にぽつんとあるザハン、海底洞窟といった場所や、大陸や島に点在する街。
それらの場所を、ゲームから離れて、日常世界でどこにあるか話し合ったものである。
それは、あたかもドラクエIIの世界の酒場で、船乗り同士が情報を交換するかのようであった。
現実に、深くゲームが食い込んでいたのである。
</ここまで>
※ 改行・略・強調は引用者によるものです。
『ドラクエ5』という作品は、現在だと「ドラクエシリーズでTOP3に入る人気作」くらいの位置にあると思うんですが。発売された1992年当時、確かに「一本道すぎる」「自由度がないなんてドラクエではなくなってしまった」という批判は多かったです。
『ドラクエ』って実は昔から「変わってしまうことで賛否両論が起こる」作品だったのですね。「変わらないのがドラクエの良さだろ!」と言う人もいるんですけど、メンバー固定の『4』も、ストーリー重視の『5』も、3Dになった『8』も、発売当時は「変わってしまった!」と批判する人が多かったですよ。
閑話休題。
この“ファミコン後期~スーファミ初期”って、RPGにおける一つの転換点だったと自分は思うのです。
『ドラクエ』以上に分かりやすいのは、『ゼルダ』シリーズの変化です。
初代『ゼルダの伝説』(86年)とスーファミソフト『ゼルダの伝説 神々のトライフォース(91年)でも、上のページで述べられている『ドラクエ2』(87年)と『ドラクエ5』(92年)のような違いがあるのです。
初代『ゼルダ』は初っ端から自由です。
持っているのは盾だけ。「どこにでも行ける」けど、「どこに行ってイイか分からない」のです。最初のダンジョンを探して彷徨う、間違えて敵の強いエリアに入ってしまい瞬殺→スタート地点、最初のダンジョンを探して彷徨う、間違えて敵の強いエリアに入ってしまい瞬殺→スタート地点、最初のダンジョンを探して彷徨う、間違えて敵の強いエリアに入ってしまい瞬殺→スタート地点、最初のダンジョンを探して彷徨う、間違えて敵の強いエリアに入ってしまい瞬殺→スタート地点……
何とか最初のダンジョンをクリアして、最大ライフが増えて武器も増えて、そうすればザコ敵もそれほど怖くなくなって行動範囲が広がって―――「どこに行くのも自由」なんです。ダンジョンの攻略順も別に決まってはいません。
この初代を知っている人からすると、『神々のトライフォース』以降の『ゼルダ』は別のゲームだと思うんじゃないかと思います。『ドラクエ5』の比でなく、不自然なまでに「岩」とか「川」で分断されているマップ。
最初から「行けるところが決まっている」のだけど、ゲームに与えられた順番にゲームを進めるとアイテムが増えて「岩を持ち上げられる」ようになったり「川を泳げる」ようになったりして新しい場所に進めるようになる――――
初代に比べて「自由度は低くなっている」んですけど、その分どこに行けばいいか分からないみたいなことはなくて、「誰でも楽しめる」ように遊びやすくなったと自分は思います。
『ドラクエ』と『ゼルダ』。
自分はこの二つが“対照的な日本の二大RPG”だと思っているんですけど、この二つのRPGが同時期に同じような変化をしていたというのは面白い現象ですよね。それはつまり「その時代の空気」がその変化を促したとも言えますし、実際『ドラクエ』も『ゼルダ』もこの路線を以後も踏襲していきます。
引用させてもらった「何故ドラクエIIは名作だったか」の記事にも書かれていることなのですが、『ドラクエ』や『ゼルダ』が出てきた80年代後半というのは、「ゲームの情報」はみんなで共有されるものだったのですよね。『ゼビウス』だって『ドルアーガ』だって『スーパーマリオ』だってそう。「あの場所に○○があるらしいぞ!」と、みんなで楽しまれていたのです。
『ドラクエ』も『ゼルダ』もそうした流れの最終形のように出てきました。
宮本さんは以前GDCか何かで「初代ゼルダはみんなで情報を共有してもらうことを狙った」と仰っていましたし、「ミンナニナイショダヨ」は「クラスのみんなに教えてね」ということでしょうしね。だから、突き放したような「自由度の高いゲーム」もみんなが楽しめたのです。
でも、『ドラクエ』が超ヒットして、みんながRPGを遊ぶようになって、友達がいない人だってRPGを遊ぶのでゲーム攻略本なんかが欠かせなくなって―――
という流れを考えると、『ドラクエ5』や『神々のトライフォース』が自由度を捨てて遊びやすさを優先したのも納得ですし、以後のシリーズ流れがそっちに向かうのも当然な気もします。これは『FF』等のスクウェアRPGの影響も大きいと思うんですけど、これ以降「進行自体は一本道+寄り道要素」「キャラクターの成長は自由に出来る」って方向が日本のRPGの主流になっていくんですよね。
何かが変わると“得るもの”と“失うもの”がある。
もちろん「ドラクエは2の自由度が最高だったぜ!」という人の気持ちも、「ゼルダは初代しか認めない!」という人の気持ちも分かります。「以後のシリーズは与えられたレールに沿って進んでいるだけだ」という批判も、その通りだと思います。
ゲームは「遊びやすさ」を選び、その結果として「誰にでも楽しめる」娯楽になりました。
でも、その過程で失われるものもあったし、切り捨てられたファンもいたのだろうなと思うのです。自分は『ドラクエ5』や『神々のトライフォース』直撃世代なのでそれらが普通のことだと思っていましたが、そこで切り捨てられたファンの想いについて今回考えましたし、「クラスのみんながドラクエ2のどこに何があるかを語り合った」日々というのはリアルタイム世代でないと分からないものなんですよね。
でも、これだけインターネットが普及した現在なんだから、『ドラクエ2』や初代『ゼルダ』のように「さぁ!好きなところに進めばイイさ!」と放り投げて、インターネットで情報を共有しながら遊ぶ―――みたいな『ドラクエ』や『ゼルダ』が出てもイイとも思いますね。
ちょうど「れとげのまち」で『ドラクエ1』をプレイしている現在、「ロトの鎧が取れないー。みんな何レベルで取った?」「俺は17」「自分は運が良くて16」みたいな会話をTwitterでやっているので、これをオンラインゲームとして落とし込むと面白そうだし。『デモンズソウル』とかはこういう感じなんですかね?
『ドラクエ10』って、ひょっとしてこういう方向に進みたいのかな。
レールに乗って進むだけではない、でも万人が楽しめるためのオンラインRPG。なら、ボイスチャットに対応してくれまし。
今回の話……分かりやすいからRPGに限定して話を書きましたけど、これって別にどのジャンルのゲームにも言えることだと思うんです。
『2Dマリオ』と『3Dマリオ』の違いとかね。
出てきた順番は『ドラクエ』とは逆ですけど……レールに沿って進むことで「誰にでも楽しめる」2Dマリオと、レールを廃してどこにでも進める「自由度の高い」3Dマリオ。前者の方が売上げは高いけど、後者を求める人がいるのも分かりますよね。
『Wii Sports』の「テニス」が、移動の要素をオートにしてラケットを振るだけのゲームにしたというのも、それまでのテニスゲームと比べて「(移動という)自由度を捨て」「遊びやすくした」結果とも言えますし。「プレイヤーの好きなように操作できる」を捨てることで万人受けするケースは幾つもありますよね。シミュレーションゲームとかは特に、「何でも出来る」が「ハードルが高い」につながりますし。
そして、それまでの自由度が好きだったファンからすると「こんなのはゲームではない!」「俺達の○○を返せ!」って思えてしまうのです。こういうことを20年前に通過している『ドラクエ』や『ゼルダ』はやっぱり凄いなぁと思いますね。
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