『Zガンダム』のカツは何のために存在していたのか


<画像はテレビアニメ版『機動戦士Zガンダム』第45話より引用>


※ この記事はテレビアニメ版『機動戦士ガンダム』全43話テレビアニメ版『機動戦士Ζガンダム』全50話のネタバレを含みます。閲覧にはご注意下さい。

※ 劇場アニメ版『機動戦士Ζガンダム A New Translation』三部作は観ていない人もいるだろうから、この記事では触れませんし、コメントでも触れないでください(触れたい場合は過去の記事のコメント欄でお願いします)



◇ 前置き

 私と『Zガンダム』の話をすると、少し長い話になります。
 恐らく、再放送で初めて観たガンダム作品が『Zガンダム』で(全話通して観たのではなく、飛び飛びで観られるときだけ観たカンジだと思う)、『スーパーロボット大戦』などで取り上げられることも多いのでキャラは初代よりも把握していて……

 でも、後に初代の『ガンダム』→『Zガンダム』→『ガンダムZZ』→『逆襲のシャア』→『F91』と観て、『0080』と『08小隊』と『0083』もちゃんと全話通して観ると、「あれ?Zガンダムはあんまり好きじゃねえな」と気付くのです。

 瞬間瞬間の面白さはあるのだけど、全体として「何がやりたいのかよく分からない」ストーリーで―――と書くと、「それくらい分かるでしょ。エゥーゴとティターンズがいて……」と説明してくれる人が現れるのですが、それは分かるんですよ。「誰と誰が戦っているか」は分かるのですが、作り手がこの作品で何を描きたいのかがさっぱり分からなかったんです。

 場当たり的に戦争に巻き込まれることになった少年が、場当たり的にいろんな人と戦って、殺して、主人公側も大事な人が次々と殺されて、最終的にほとんどのキャラが特に何も成し遂げずに死ぬ―――この物語で何を描きたかったんだ?と長く思っていました。


 なので、ガンダムシリーズの中で『Zガンダム』は「あまり好きじゃない方」の引き出しに入れていたのですが……
 テレビ版から20年後の2005~2006年に『新訳』として総集編映画(新規のシーンも多い)3部作が公開されて、私はしばらく観ていなかったのですが2015年にサブスクに入った際に観てようやく「Zガンダムってこれがやりたかったのか!」と分かったんですね。


 ↑この記事は総集編映画のネタバレを含むので、まだ観ていない人は気を付けてね。

 総集編映画の『Zガンダム』は、全50話もあったテレビアニメ版を映画3本にまとめなきゃいけないから余計なシーンが削られて、その結果「どういう話だったのか」が分かりやすくなっていました。
 もちろんその「削られたシーン」が好きだった人からすれば駄作扱いされるのも分かるのですが、総集編映画ってそういうものだと私は思います……『Zガンダム』の総集編映画に文句言ってるヤツらは『ザブングル』の総集編映画も観ろや!!




 さて、総集編映画によって私が『Zガンダム』と和解してから10年。
 ここ数年、私のDiscordチャンネルでしゃべっている人達の中には「ガンダムシリーズを全然観たことがない」って若者も多かったため、毎週集まって「せーの」で同時にサブスクを再生する「ガンダム同時視聴会」を開催していました。
 去年は初代のテレビアニメ版『ガンダム』を全話観て、今年の7~10月にはテレビアニメ版『Zガンダム』を全話観て、現在は『ガンダムZZ』同時視聴会を始めたところです。

 若い人達の「初見のリアクション」も楽しみでしたが……私にとっては、総集編映画で和解した『Zガンダム』の物語を、改めてテレビアニメ版で観返すのが楽しみでした。要は「どういう物語だったのかを分かった上で観るZガンダム全50話」を、自分がどう受け止めるのだろうと。


 それで気付いたのは、



 あれ……? ひょっとして、『Zガンダム』の主人公ってカツだったのか??ということでした。



◇ カツは何故嫌われているのか 

 「嫌われている」と断言してカツには申し訳ありませんが、『Zガンダム』のカツは超がつくほどの不人気キャラです。「Zガンダムの中で一番嫌われている」どころか、「アニメの歴史の中でも相当上位に嫌われている」くらい嫌われています。

 どのくらい嫌われているかというと、2006年にぴあが行った「ロボットアニメの一番極悪な悪役・敵役は?」というアンケートに味方サイドのキャラなのに何故かランクインしたくらいです。



 「そもそも、カツってだーれ?」という人に説明しましょう。


<画像はテレビアニメ版『機動戦士ガンダム』第8話より引用>

 カツは初代『機動戦士ガンダム』において、戦争によって故郷を失ってホワイトベースに逃げ込んだこども達「カツ・レツ・キッカ」として登場します。この3人は非戦闘員のにぎやかしで、アムロにとって「守らなければならない象徴」でした。

 メタ的なことを言うと、ロボットアニメを観ている「小さなこども」が投影しやすいポジションで、主人公のアムロに「アムロ兄ちゃんは格好いいんだぞ!強いんだぞ!」と憧れるキャラクターだったんですね。



<画像はテレビアニメ版『機動戦士ガンダム』第43話より引用>

 そして、初代『ガンダム』で白眉なのは最終話のラストシーンです。
 最終決戦で爆発するア・バオア・クーの中で力尽きたかに思われたアムロを、カツ・レツ・キッカが「ニュータイプの力」で導いて助けるのです。アムロやララァは「ニュータイプの力」を戦うことに使わざるをえなかったけど、非戦闘員のカツ・レツ・キッカはただ人の命を助けるために使ったんです。

 「戦わないニュータイプ」―――
 新しい時代を生きるこども達がニュータイプになって、それを戦争以外に使ってくれるのなら、未来の人類はきっと良い方向に進むはず。凄惨な戦争の果てにたどり着いた「希望」を描いたからこそ、初代『ガンダム』は歴史に残る大傑作になったのです。




 が、

 初代『ガンダム』の7年後を描いた『Zガンダム』では、戦争で勝利を収めた連邦軍が内ゲバを始め、また凄惨な戦争を始めます。


<画像はテレビアニメ版『機動戦士Zガンダム』第13話より引用>

 初代の後、「モビルスーツのパイロットとしてあまりに強すぎる」ため連邦政府から監視&骨抜きにされていたアムロを、15歳になったカツが訪れて発破をかけます。「みんなが憧れていた、あのアムロ兄ちゃんに戻ってくれ!」と、視聴者の気持ちを代弁してくれたのです。



 良かったのはここまで。
 アムロを復活させてそれで退場してくれればイイのに、そのままカミーユ達と合流してからは大した実力もないのに勝手に出撃したり、命令違反を繰り返したりという「味方の足を引っ張る」だけのキャラに成り下がります(一応、カミーユ達のピンチを救うシーンもなくはないのですが……)


 そして、やはりカツを超不人気キャラに貶めたのはコレでしょう。


<画像はテレビアニメ版『機動戦士Zガンダム』第25話より引用>

 敵勢力の若き女性パイロット:サラ・ザビアロフに恋をして、彼女の甘言にあっさりと引っかかって逃がすという利敵行為をしてしまいます。普通だったらこんなヤツ、もう現場に置かないだろうに、あわれ人手不足のエゥーゴはコイツを使い続けるという……


 その後、なんかしばらく出番がないのですが終盤はまたレギュラーキャラとして復活します。またしてもアーガマに捕らえられたサラ・ザビアロフを、(ブリーフィングをサボって)監視するというヤバイ絵面が語り草になります。


<画像はテレビアニメ版『機動戦士Zガンダム』第45話より引用>



<画像はテレビアニメ版『機動戦士Zガンダム』第45話より引用>

 そして、またしてもサラを撃てずに逃がすカツ。
 何回やるんだよ、このくだり……!



 そう言えば……の話なんですが、生配信とかDiscordでの雑談でつい簡略化して私が「"男女の恋愛”を描いた作品が地雷」と言ってしまったことがあります。
 しかし、正確にはそうではなくて、"男女の恋愛"の果てにSEXするティーンズラブ(TL)漫画は大好きですし、"男同士の恋愛"でも"女同士の恋愛"でも地雷になることはあります。それこそ『Ave Mujica』の三角初華ちゃんのムーブは、かなーーーり地雷でしたからね。

 私が本当に苦手なのは、「自分の恋愛感情を優先するあまりに視野が狭くなり、平気で周りに迷惑をかける」展開なんです。「恋愛が絡むと人間って非合理な行動をとるよね」ってシナリオは、作り手が「楽」をしている、手抜き感、ご都合主義、雑、キャラクターを人間ではなく駒としか思っていないようで、ただただ観ていてつまんないなーって思っちゃうんです。


 んで、これってカツなんですよね。
 私が「"男女の恋愛”を描いた作品が地雷」と言っているのは、正確には「カツみたいなヤツが地雷」なんです。三角初華も、マチュも、ニナ・パープルトンも「カツみたいヤツだな」と思ってしまって作品全体が楽しめなくなるのです。どこから出てきたニナ・パープルトン。


 だから、「男女の恋愛大好き! 恋愛要素の薄い漫画が実写化された際には、是非原作にはない男女の恋愛要素を足してほしい!」とか言っている人達は、きっとカツのことが大好きなんだと思います。ほら、オマエの大好きな恋愛要素だぞ。たーんと食え。もっと食え。



◇ 「アムロ・レイのオマージュ」としてのカツ

 しかし、今回改めてテレビアニメ版『Zガンダム』を観て、ようやく気付きました。
 カツって「初代ガンダムのアムロ・レイ」と同じような行動を取るオマージュキャラだったんですね。



<画像はテレビアニメ版『機動戦士Zガンダム』第15話より引用>

 初戦闘で、(他人の)ガンダムに勝手に乗って出撃するところから始まっていますし。




<画像はテレビアニメ版『機動戦士Zガンダム』第16話より引用>

 その後、アムロが初代ガンダムの頃から使っていたという銃を譲り受けるのも象徴的。





 そして、最も分かりやすいオマージュシーンはこれ。
 「サラを救うためにはシロッコを殺さなければならない」という使命感でシロッコを討とうとして―――


<画像はテレビアニメ版『機動戦士Zガンダム』第46話より引用>

 シロッコを庇ったサラを殺してしまうシーンです。
 ここは明確に「シャアを庇ったララァをアムロが殺してしまうシーン」をなぞっていますよね。攻撃の角度と、庇いに入る角度も一緒ですし。



<画像はテレビアニメ版『機動戦士ガンダム』第41話より引用>





 その後、愛する人を失ったまま最終決戦に向かうところも初代ガンダム時のアムロといっしょですが……アムロとちがって実力が伴っていないので、よそ見運転で小惑星に激突して大破、その後にヤザンに撃たれて死んでしまいます。

 その際に、死んだはずのサラの意識が呼びかけてくるところも無茶苦茶オマージュされていて……



<画像はテレビアニメ版『機動戦士Zガンダム』第49話より引用>

「サラ、また君に会えるんだね……」
「そうよ、カツ」



<画像はテレビアニメ版『機動戦士ガンダム』第43話より引用>

「ゴメンよ、僕にはまだ帰れるところがあるんだ。こんな嬉しいことはない……分かってくれるよね。ララァにはいつでも会いに行けるから……」



 どちらもコアファイターというのもありますし、首の角度もいっしょですし、「ララァに会いに行くのではなくみんなのところに帰ることを選んだ」アムロと、「サラに会いに行くことを選んだ」カツの対比になっていることが分かります。



 なんか、味方全員がカツの声を聞くところも……



<画像はテレビアニメ版『機動戦士Zガンダム』第49話より引用>



<画像はテレビアニメ版『機動戦士ガンダム』第43話より引用>

 百式(クワトロ)とメタス(ファ)が背中合わせになるシーン、「この2人が同じところにいるの?」とちょっと違和感があったのですが……黄色系のモビルスーツ2機が背中合わせになっているのが、ハヤトとカイが背中合わせになっているシーンのオマージュだったんじゃないかと思います。


 違和感といったら、そもそもカツごときが死んだだけで味方全員がその声を聞くのってなんやねんと長年疑問だったんです。そんな重要キャラじゃねえだろと。
 でも、「カツはアムロのオマージュキャラ」「初代ガンダムのラストではアムロに声を届ける“未来の希望”の象徴として描かれていた」と考えると、最後にみんなに声を届けて死ぬのは必然だったと思います。

 アムロの後追いをしていたキャラが、アムロのようにはなれずに終わるシーンだったのだろうと。




 ここまで書いてきたことは「こんなの今更すぎる、どうしてやまなしさん気付いていなかったんですか?」と言われそうですが、仕方ないじゃないですか。



<画像はテレビアニメ版『機動戦士Zガンダム』第36話より引用>

 だって、作中で既に「フォウがララァのオマージュキャラみたいに出ていて」「フォウが死ぬシーンがララァが死ぬシーンと同じだとか言われている」から―――まさか同じことを2回やっているとは思わないじゃないですか!

 でも、そここそがポイントで。
 これが分からなかったから私は長年『Zガンダム』は全体として「何がやりたいのかよく分からない」ストーリーだと思っていたんですね。それが今回ようやく腑に落ちました。



 『Zガンダム』って、
 「カミーユ」と「カツ」のW主人公の物語だったんですよ。





◇ カミーユとカツ、どうして差がついたのか……慢心、環境のちがい

 これは流石にリアルタイムで知っていたワケではなく、この記事を書くにあたって検索して知ったことなんですが……
 『Zガンダム』放送前の時点で「(前作キャラの)カツが登場する」ことは発表されていて、第1話が放送されたあたりに発売された雑誌のインタビューで富野監督がこう語っていたそうです。

・カミーユとカツのどちらが真のニュータイプになれるのか
・ファンはカミーユをアムロの2番手だと思っているけれど、本質的にはちがうキャラクター
・カツの方がアムロの2番手で、カツはアムロのアンチテーゼになるように描きたい


 まず、「カミーユとカツが同格に語られている」ことにビックリするのですが、出番の多さと活躍具合を無視すれば、カミーユとカツは確かに「対比される存在」に思えます。

 どちらも作中で初陣を迎える「素人の少年」で、敵側にいるパイロットの女性を好きになって、その女性パイロットを死なせてしまうという……二人とも初代ガンダムにおける「アムロ・レイが辿った道を進んでいる」オマージュキャラなんですね。



 ただ、カミーユは「アムロと比較される」のをムチャクチャ嫌がっていたし、アムロとちがう道を進もう進もうとしていたように思えます。
 カミーユを「アムロ・レイの再来」と言っていたのは周りの大人達ばかりで、本人は当のアムロに会った際にそれを厭味ったらしく言ってました。フォウと出会った後も、ララァの話をミライさんから聞いた上で、頑なにフォウと戦おうとせずにひたすら説得しようとしました。

 「フォウの最期」が「ララァの最期」に似ているみたいに作中では言われるのですが、カミーユはフォウを殺していなくて、やったのはジェリドなんですよね。

 アムロと似た境遇でありながら、アムロとはちがう道を進もうとしたのがカミーユ―――富野監督が「カミーユとアムロは本質的にはちがうキャラクター」と言っているのも分かります。


 それに対してカツは、アムロの真似事でガンダムに勝手に乗って出撃したり、アムロからもらった銃を最後まで大事に持っていたりして……こどもの頃に憧れたヒーローと同じことをしようとして、その結果サラも殺してしまうという。

 富野監督の「カツはアムロの2番手で、アンチテーゼとなる」発言もすごくよく分かる話で、アムロの真似事をしてはならない教訓めいたキャラのように思えます。



 カミーユが、初代ガンダムを知らない、自分の頭で考えて行動する「新しい世代の象徴」のように描かれているのに対して。
 カツは、いつまでも初代ガンダムを引きずって、初代ガンダムの成功体験から抜け出せない「ガンダムを卒業できない古い世代の象徴」のように描かれていると解釈できるのです。



 しかし、今まで私がそういう視点で『Zガンダム』を観てこられなかったのも仕方がなくて……
 カミーユもカツも「アムロのオマージュキャラ」なのに、そこに「7年経ったアムロ」本人も登場して、更にはクワトロ大尉もいて。メインキャラが多すぎるんですよ! カミーユとカツとアムロとクワトロがいたら、カツのことを考える余裕なんてなくない????

 実際、視聴者だけでなく脚本陣も要素の多さを持て余していた感はあって……テレビアニメ版『Zガンダム』はメインキャラが多いことで主題がブレちゃって分かりにくくなったからこそ、次作『ガンダムZZ』では主題がブレないようにメインキャラが闇雲に増えないように心がけたんだと思うんですね。

 



 また、「カミーユは新世代の象徴だから人間的にしっかり成長して幸せになりました」「カツは旧世代の象徴だから人間的に未熟なままで悲惨な最期を迎えました」という分かりやすい対比で終わるならともかく。

 少なくともテレビアニメ版『Zガンダム』は、カミーユもまた「とにかく悲惨なことばかりが起きて」「最後に倒すべき相手を倒したけど精神が壊れてしまう」というラストシーンで幕を閉じます。


 それがまた「カミーユとカツは対比された存在」だと分かりにくくしている原因なのかなと思いますし、『Zガンダム』と和解した今でも私はこの作品を「めちゃくちゃ分かりにくくなっちゃった作品」だと思っています。

 例えば、同じように「主人公とちがう道を進んでしまったifの存在」で考えるなら、カミーユとカツは『ダンバイン』のショウとトッドの関係性に近いと思います。
 ジェリドはバーンで、シロッコがショット、ジャミトフがドレイク、ハマーンはビショットと見せかけてルーザで、ミネバがリムル……と、『Zガンダム』のキャラ配置は『ダンバイン』のそれを踏襲していますからね。

 しかし、ショウとトッドが分かりやすく別勢力につくのに対して、カミーユとカツはずっと同勢力にいるので「ifの存在」っぽくないんですよね。富野監督は「同じ素材を使う」ことはあっても「同じ調理はしない」人だから、これも強化人間のくだりといっしょで「元ネタと比べて分かりにくくなっちゃった例」なのかも知れない……




◇ まとめ

 「やまなしさんのこじつけがだいぶ強くない?」と思われるかも知れませんが、「カミーユとカツは対比されているキャラ」「カツはアムロの2番手でありアンチテーゼ」は富野監督がインタビューで言っていたみたいなので、インタビュアーが捏造していない限りは「そう作ってある」のだと思います。

 しかし、『Zガンダム』は要素が多すぎてそう見えづらいし、分かった上で観てても「惚れた女に騙されて利敵行為を繰り返す」キャラクターにヘイトが集まるのは変わらないので、「カツみたいなキャラ」が私の地雷なのも別に変わりません。
 せいぜい、作り手の語りたいメッセージのために愚かしい行動を取らされ続けたキャラクターだったなーという同情心くらい。


 ただ、かつては「何も考えずにただ刺激的に作っている」ように見えた『Zガンダム』も、ちゃんと考えて作ってあるとは思いました。
 少なくとも「カミーユ」と「ファ」と「カツ」、それと「サラ」辺りは「作り手がこのキャラで描きたかったもの」がしっかりとあることは分かりました。それが悲劇的なものだったとしても、「何も成し遂げずにただ死んでいった」ワケではないと思えました。


 『Zガンダム』は面白かった!
 でも、それを踏まえた上でも、私はカツを嫌いなままです!!

コメント

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    1. 記事冒頭で「Zまでのネタバレがあります」と注意喚起しているので、それ以降の作品のネタバレは控えてもらえるとありがたいです

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