※ この記事は2024年に旧ブログに書かれたものを幾つか手直しして2025年に移行した記事です

<画像はファミリーコンピュータ版『ポートピア連続殺人事件』より引用>
【これさえ押さえておけば知ったかぶれる三つのポイント】
・「コマンド選択型ADVの祖」……ではなく、「コマンド入力型ADV末期に出た作品」
・喋る相棒「ヤス」など、ゲームでストーリーを語るアイディアが満載
・2年越しに「完全版」になったとも言えるファミコン移植版
『ポートピア連続殺人事件』
・発売:エニックス/開発者:堀井雄二
PC-6001など当時のPC版:1983年6月頃?以降、様々な機種で
ファミリーコンピュータ版:1985年11月29日発売(開発:チュンソフト)
携帯電話用アプリ版:2001年10月15日以降、様々な機種で
Steam版(AI Tech Preview):2023年4月24日無料配信
・テキストアドベンチャー
・ファミコン版まではセーブ・パスワード機能なし、Steam版は8個までどこでもセーブ可能
※ PVはSteam版のものです
ファミコン版のプレイ時間は13時間くらい
※ネタバレ防止のため、読みたい人だけ反転させて読んでください
※アドベンチャーゲームなので「先に進めないで迷っている」時間も多く含まれています
【苦手な人もいそうなNG項目の有無】
※ 苦手な人もいそうなNG項目があるかないかを、リスト化しています。ネタバレ防止のため、それぞれ気になるところを読みたい人だけ反転させて読んでください。
※ 記号は「◎」が一番「その要素がある」で、「○」「△」と続いて、「×」が「その要素はない」です。
・シリアス展開:◎(人がガンガン死んでいるからね)
・恥をかく&嘲笑シーン:×
・寝取られ:×
・極端な男性蔑視・女性蔑視:○(理由はあるけど男は殴れる、女は殴れない)
・白人酋長もの:×
・動物が死ぬ:×
・人体欠損などのグロ描写:△(首をナイフで刺されて死ぬ姿はある)
・人が食われるグロ描写:×
・グロ表現としての虫:×
・百合要素:×
・BL要素:×
・男女の恋愛:×
・ラッキースケベ:△(捜査中にストリップに入れる)(絵はない、セリフだけ)
・セックスシーン:×
↓pottopia-1↓
◇ 「コマンド選択型ADVの祖」……ではなく、「コマンド入力型ADV末期に出た作品」
このゲームは、後に『ドラゴンクエスト』シリーズを手がけることになる堀井雄二さんの出世作であり、日本に「ゲームでストーリーを語る」ことを定着させた1作だと言われています。
まずは1983年に様々な機種のPCで発売され、1985年にファミコンに移植されます。これらの年代がどのくらいの時期かというと、1983年がファミコン本体が発売された年で、1985年が『スーパーマリオブラザーズ』が大ヒットした年です。
2000年代になってからは、いわゆるガラケーと呼ばれる携帯電話向けのアプリでいくつか配信された他、40周年となる2023年には「スクウェア・エニックスのAI技術デモ」としてSteam版が無料配信されています。このSteam版のレビューが大不評の嵐なんですが、その辺の理由は後で解説します。
この『ポートピア連続殺人事件』、そして『ドラゴンクエスト』1作目が発売されるまでの経緯はかなりややこしいので……文章で解説する前に、「ファミコン時代までの堀井雄二さんの作品」を大まかにまとめておきます(MSX移植版は割愛しています)。
1982年12月:エニックスが第1回ゲーム・ホビープログラムコンテストを開催
1983年2月:PCで『ラブマッチテニス』がエニックスから発売
1983年6月~:PC版『ポートピア連続殺人事件』がエニックスから発売
1984年12月~:PC版『北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆ』がアスキーから発売
1985年4月~:PCで『軽井沢誘拐案内』がエニックスから発売
1985年11月:ファミコン版『ポートピア連続殺人事件』がエニックスから発売
1986年5月:ファミコンで『ドラゴンクエスト』がエニックスから発売
1987年1月:ファミコンで『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』がエニックスから発売
1987年6月:ファミコン版『北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆ』がアスキーから発売
1988年2月:ファミコンで『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』がエニックスから発売
1990年2月:ファミコンで『ドラゴンクエストIV 導かれし者たち』がエニックスから発売
1991年3月:ファミコンで『いただきストリート』がアスキーから発売
PCソフトの発売を「6月~」のようにしているのは、当時のPCは「Windows」のような統一OSではなかったため、「PC-6001版」「PC-8801版」「PC-8001mkII版」「FM-7版」「X1版」のように各機種で作り直して随時発売されていたからです。ストーリーは同じだったそうですが、グラフィックは変わっていたし、謎解きや機能などが一部変更になっていたとか。
さて、まずは堀井雄二さんの経歴から。
堀井さんはこのゲームの舞台の一つにもなっている淡路島の洲本市出身で、中高生時代は漫画家志望だったそうです。漫画家になるなら文学部だろうと、1972年に上京して早稲田大学に入学。学生時代からフリーライターとして活躍する一方、1981年頃には小池一夫さんが主宰する劇画村塾にも通い、漫画原作の仕事もいくつか手がけていたそうです。
そして、転機が訪れたのがまだファミコンも生まれる前の1982年―――
堀井さんがライターとしてゲーム特集のコラムなどを書いていた少年ジャンプに、エニックスからの持ち込み企画が来ます。この辺の経緯は、電ファミニコゲ―マーでのインタビューでジャンプ編集者だった鳥嶋和彦さんが述べられています。
<以下、引用>
――ところで、いまエニックスの話が出ましたけど、後の『ドラクエ』に繋がるような人間関係はどこから生まれたんですか?
鳥嶋氏:
ちょうど最初のパソコンゲームの特集で、(※少年ジャンプの)売上につながらなくて困っていたときに、千田さんという人が持ち込み企画を持ってきたの。会ってみたら、100万円を優勝賞金にしたゲームソフトのコンテストをやると言うんだね。
でも、どうもその会社はついこの間まで公営住宅の申し込みの代行業をやっていたらしいんだよ。それがパソコンソフトの問屋卸業に乗り出した頃の、エニックスだった。
――ぜんぜん違う業種じゃないですか。
佐藤氏:
そもそも、ゲーム業界自体が今までなかったんだからね。当時は転業組が多かったんです。
鳥嶋氏:
そうそう。
不動産業界でライバルが増えてしまって、とにかく新しいことをやらなきゃいけなくなったから、「なんか儲かるらしいぞ」とパソコンに乗り出したというね。しかし、新宿の雑居ビルでソフトの卸を始めたはいいけど、そこで肝心の売るソフトがないことに、はたと千田さんは困った(笑)。それで彼が思いついたのが、コンテストで作品を募集することだったんだね。
</ここまで>
※ 強調や注釈など、一部引用者が手を加えました
そのコンテストを取材する立場だった堀井さんですが、元々趣味でPCを買っていてゲームのプログラミングをしていたこともあり、趣味で作っていたゲームに手を加えて勝手に応募してしまいます。それが『ラブマッチテニス』で、なんと入選してしまいました。
そのコンテストの最優秀プログラム賞は後に『森田将棋』を作る森田和郎さんで、優秀プログラム賞には後にチュンソフトを設立して初期『ドラクエ』の開発やサウンドノベルや不思議のダンジョンシリーズを作る中村光一さんという……森田さんは予めエニックスから声をかけていたそうですが、中村光一さんはガチで応募してきたらしいので、すごい話だ。
これらの受賞作はエニックスから発売されていったため、堀井さんの『ラブマッチテニス』もエニックスから発売されて(当時のPCゲームとしては、だと思いますが)ヒットします。
そのため、エニックスから「次も作ってよ」と依頼されて、今度は1から考えて作ったのが、この記事で紹介する『ポートピア連続殺人事件』になるのです。この辺の経緯は、AUTOMATONさんのインタビューが分かりやすいですね。
<以下、引用>
――『ポートピア連続殺人事件』制作のきっかけはどういったものだったんでしょうか。
堀井氏:
アドベンチャーゲーム自体には興味はあったんです。外国にはこういうゲームがあるというアドベンチャーゲームの記事があったんですよ。それを読んで、テキストをやり取りしてゲームをプレイするというのが、面白そうだなと思って。
ただ、それまではテニスゲーム(※『ラブマッチテニス』の原型のこと)は自分で遊ぶとか、占いゲームも友達が来るからとか、自分で作って自分で遊ぶものを作っていたんですよね。アドベンチャーゲームって、人にやってもらってナンボじゃないですか。だから興味はあったけれど、自分で作って自分で遊ぶのもなんだかなぁと思って、作ってなかったんです。
ただテニスゲームが売れて、エニックスさんから次を作ってくれと言われまして。ということは人にやってもらう前提なんですよ。これはアドベンチャーゲームが作れるチャンスじゃないかと。
</ここまで>
※ 改行・強調など一部引用者が手を加えました
堀井雄二さんの作風は、「まったく新しいジャンルのゲームを発明する」のではなく、既存のジャンルに独自のアイディアを加えて新たな魅力を引き出すところにあると思います。『ウルティマ』や『ウィザードリィ』から『ドラゴンクエスト』が生まれたり、『モノポリー』から『いただきストリート』が生まれたり。
アドベンチャーゲームも海外のアドベンチャーゲームに影響を受けて作ろうとしたのだけど、きっかけは「海外のアドベンチャーゲームを紹介する雑誌記事」だというのが面白いですね。
言うまでもなく当時はSteamとかもありませんし、海外にこんなアドベンチャーゲームがあると紹介されても実際に日本で遊ぶまでにはものすごい高いハードルがあったのでしょう。“グラフィックのついたアドベンチャーゲームの祖”である『ミステリーハウス』も、当初は日本では発売されなかったため、日本の会社が「同じ名前の」「似たようなジャンルの」ゲームを日本でだけ勝手に発売してたくらいですからね(その後、元の『ミステリーハウス』も別会社から正式に日本で発売される)。
さて、この当時のアドベンチャーゲームは「コマンド入力式」と呼ばれるものです。
ファミコン版のプレイ時間は13時間くらい
※ネタバレ防止のため、読みたい人だけ反転させて読んでください
※アドベンチャーゲームなので「先に進めないで迷っている」時間も多く含まれています
【苦手な人もいそうなNG項目の有無】
※ 苦手な人もいそうなNG項目があるかないかを、リスト化しています。ネタバレ防止のため、それぞれ気になるところを読みたい人だけ反転させて読んでください。
※ 記号は「◎」が一番「その要素がある」で、「○」「△」と続いて、「×」が「その要素はない」です。
・シリアス展開:◎(人がガンガン死んでいるからね)
・恥をかく&嘲笑シーン:×
・寝取られ:×
・極端な男性蔑視・女性蔑視:○(理由はあるけど男は殴れる、女は殴れない)
・白人酋長もの:×
・動物が死ぬ:×
・人体欠損などのグロ描写:△(首をナイフで刺されて死ぬ姿はある)
・人が食われるグロ描写:×
・グロ表現としての虫:×
・百合要素:×
・BL要素:×
・男女の恋愛:×
・ラッキースケベ:△(捜査中にストリップに入れる)(絵はない、セリフだけ)
・セックスシーン:×
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◇ 「コマンド選択型ADVの祖」……ではなく、「コマンド入力型ADV末期に出た作品」
このゲームは、後に『ドラゴンクエスト』シリーズを手がけることになる堀井雄二さんの出世作であり、日本に「ゲームでストーリーを語る」ことを定着させた1作だと言われています。
まずは1983年に様々な機種のPCで発売され、1985年にファミコンに移植されます。これらの年代がどのくらいの時期かというと、1983年がファミコン本体が発売された年で、1985年が『スーパーマリオブラザーズ』が大ヒットした年です。
2000年代になってからは、いわゆるガラケーと呼ばれる携帯電話向けのアプリでいくつか配信された他、40周年となる2023年には「スクウェア・エニックスのAI技術デモ」としてSteam版が無料配信されています。このSteam版のレビューが大不評の嵐なんですが、その辺の理由は後で解説します。
この『ポートピア連続殺人事件』、そして『ドラゴンクエスト』1作目が発売されるまでの経緯はかなりややこしいので……文章で解説する前に、「ファミコン時代までの堀井雄二さんの作品」を大まかにまとめておきます(MSX移植版は割愛しています)。
1982年12月:エニックスが第1回ゲーム・ホビープログラムコンテストを開催
1983年2月:PCで『ラブマッチテニス』がエニックスから発売
1983年6月~:PC版『ポートピア連続殺人事件』がエニックスから発売
1984年12月~:PC版『北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆ』がアスキーから発売
1985年4月~:PCで『軽井沢誘拐案内』がエニックスから発売
1985年11月:ファミコン版『ポートピア連続殺人事件』がエニックスから発売
1986年5月:ファミコンで『ドラゴンクエスト』がエニックスから発売
1987年1月:ファミコンで『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』がエニックスから発売
1987年6月:ファミコン版『北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆ』がアスキーから発売
1988年2月:ファミコンで『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』がエニックスから発売
1990年2月:ファミコンで『ドラゴンクエストIV 導かれし者たち』がエニックスから発売
1991年3月:ファミコンで『いただきストリート』がアスキーから発売
PCソフトの発売を「6月~」のようにしているのは、当時のPCは「Windows」のような統一OSではなかったため、「PC-6001版」「PC-8801版」「PC-8001mkII版」「FM-7版」「X1版」のように各機種で作り直して随時発売されていたからです。ストーリーは同じだったそうですが、グラフィックは変わっていたし、謎解きや機能などが一部変更になっていたとか。
さて、まずは堀井雄二さんの経歴から。
堀井さんはこのゲームの舞台の一つにもなっている淡路島の洲本市出身で、中高生時代は漫画家志望だったそうです。漫画家になるなら文学部だろうと、1972年に上京して早稲田大学に入学。学生時代からフリーライターとして活躍する一方、1981年頃には小池一夫さんが主宰する劇画村塾にも通い、漫画原作の仕事もいくつか手がけていたそうです。
そして、転機が訪れたのがまだファミコンも生まれる前の1982年―――
堀井さんがライターとしてゲーム特集のコラムなどを書いていた少年ジャンプに、エニックスからの持ち込み企画が来ます。この辺の経緯は、電ファミニコゲ―マーでのインタビューでジャンプ編集者だった鳥嶋和彦さんが述べられています。
<以下、引用>
――ところで、いまエニックスの話が出ましたけど、後の『ドラクエ』に繋がるような人間関係はどこから生まれたんですか?
鳥嶋氏:
ちょうど最初のパソコンゲームの特集で、(※少年ジャンプの)売上につながらなくて困っていたときに、千田さんという人が持ち込み企画を持ってきたの。会ってみたら、100万円を優勝賞金にしたゲームソフトのコンテストをやると言うんだね。
でも、どうもその会社はついこの間まで公営住宅の申し込みの代行業をやっていたらしいんだよ。それがパソコンソフトの問屋卸業に乗り出した頃の、エニックスだった。
――ぜんぜん違う業種じゃないですか。
佐藤氏:
そもそも、ゲーム業界自体が今までなかったんだからね。当時は転業組が多かったんです。
鳥嶋氏:
そうそう。
不動産業界でライバルが増えてしまって、とにかく新しいことをやらなきゃいけなくなったから、「なんか儲かるらしいぞ」とパソコンに乗り出したというね。しかし、新宿の雑居ビルでソフトの卸を始めたはいいけど、そこで肝心の売るソフトがないことに、はたと千田さんは困った(笑)。それで彼が思いついたのが、コンテストで作品を募集することだったんだね。
</ここまで>
※ 強調や注釈など、一部引用者が手を加えました
そのコンテストを取材する立場だった堀井さんですが、元々趣味でPCを買っていてゲームのプログラミングをしていたこともあり、趣味で作っていたゲームに手を加えて勝手に応募してしまいます。それが『ラブマッチテニス』で、なんと入選してしまいました。
そのコンテストの最優秀プログラム賞は後に『森田将棋』を作る森田和郎さんで、優秀プログラム賞には後にチュンソフトを設立して初期『ドラクエ』の開発やサウンドノベルや不思議のダンジョンシリーズを作る中村光一さんという……森田さんは予めエニックスから声をかけていたそうですが、中村光一さんはガチで応募してきたらしいので、すごい話だ。
これらの受賞作はエニックスから発売されていったため、堀井さんの『ラブマッチテニス』もエニックスから発売されて(当時のPCゲームとしては、だと思いますが)ヒットします。
そのため、エニックスから「次も作ってよ」と依頼されて、今度は1から考えて作ったのが、この記事で紹介する『ポートピア連続殺人事件』になるのです。この辺の経緯は、AUTOMATONさんのインタビューが分かりやすいですね。
<以下、引用>
――『ポートピア連続殺人事件』制作のきっかけはどういったものだったんでしょうか。
堀井氏:
アドベンチャーゲーム自体には興味はあったんです。外国にはこういうゲームがあるというアドベンチャーゲームの記事があったんですよ。それを読んで、テキストをやり取りしてゲームをプレイするというのが、面白そうだなと思って。
ただ、それまではテニスゲーム(※『ラブマッチテニス』の原型のこと)は自分で遊ぶとか、占いゲームも友達が来るからとか、自分で作って自分で遊ぶものを作っていたんですよね。アドベンチャーゲームって、人にやってもらってナンボじゃないですか。だから興味はあったけれど、自分で作って自分で遊ぶのもなんだかなぁと思って、作ってなかったんです。
ただテニスゲームが売れて、エニックスさんから次を作ってくれと言われまして。ということは人にやってもらう前提なんですよ。これはアドベンチャーゲームが作れるチャンスじゃないかと。
</ここまで>
※ 改行・強調など一部引用者が手を加えました
堀井雄二さんの作風は、「まったく新しいジャンルのゲームを発明する」のではなく、既存のジャンルに独自のアイディアを加えて新たな魅力を引き出すところにあると思います。『ウルティマ』や『ウィザードリィ』から『ドラゴンクエスト』が生まれたり、『モノポリー』から『いただきストリート』が生まれたり。
アドベンチャーゲームも海外のアドベンチャーゲームに影響を受けて作ろうとしたのだけど、きっかけは「海外のアドベンチャーゲームを紹介する雑誌記事」だというのが面白いですね。
言うまでもなく当時はSteamとかもありませんし、海外にこんなアドベンチャーゲームがあると紹介されても実際に日本で遊ぶまでにはものすごい高いハードルがあったのでしょう。“グラフィックのついたアドベンチャーゲームの祖”である『ミステリーハウス』も、当初は日本では発売されなかったため、日本の会社が「同じ名前の」「似たようなジャンルの」ゲームを日本でだけ勝手に発売してたくらいですからね(その後、元の『ミステリーハウス』も別会社から正式に日本で発売される)。
さて、この当時のアドベンチャーゲームは「コマンド入力式」と呼ばれるものです。
キーボードから「動詞」+「名詞」を入力することで、登場人物を自由に動かすことができるゲームデザインだったのですが……日本語だと英語と比べて「動詞」+「名詞」の言い回しのバリエーションが豊富な割に、それに対応する反応を一々入れられなかったため。たった一つの正解となるワードを探し当てるために、膨大な時間を費やすゲームジャンルになっていたそうです。
1983年に発売されたPC版の『ポートピア連続殺人事件』も当然これを踏襲しているのですが、堀井さんの次作『オホーツクに消ゆ』(1984年)では「コマンド入力式」をやめて「コマンド選択式」に変更されています。この辺の経緯も、AUTOMATONのインタビュー(中編)で読めるのでどうぞ。
<以下、引用>
――『オホーツクに消ゆ』といえば、それまでの「コマンド入力型」をやめて「コマンド選択型」を発明されました。
堀井氏:
なんでコマンド選択型にしたかというと、一番の動機はPC版の『ポートピア連続殺人』が出たときに店頭デモを当時やっていたんですよ。僕、それを見に行ったんですね。ユーザーがコマンドを入力しているんですけど、登録していない単語を入れて、「ソレハ ワカリマセン」とコンピューターから返されたことが多かったんですよ。それを見て日本語って難しいなと思って。
英語だと「 I 」だけど、日本語だったら「私」だったり「俺」だったり「僕」だったり色々ありますよね。扉でも「開ける」「開く」とか、言葉の語彙がすごく多い。日本語で言葉を入力させるのは無理だなと思って、それじゃ選ぶほうがいいんじゃないかと。
</ここまで>
※ 改行や強調など、一部引用者が手を加えました
ちょっと話は横道に逸れてしまいますが、その『オホーツクに消ゆ』について―――
「堀井雄二ミステリー三部作」の中で、どうしてこの作品だけ発売がエニックスではなくアスキーなんだろうとずっと思っていました。
AUTOMATONのこのインタビューで初めて知るのですが、当時の堀井雄二さんはまだまだ現役のライターだったため、雑誌「ログイン」の編集部から「(ポートピアを出したんだから)ウチでもアドベンチャーゲームを出してよ」と言われたからだったんですね。
そのため、「ログイン」に舞台となる北海道をロケハンする記事も載せて、「ポートピアの次は北海道だぜ!」と特集してからの発売だったそうです。「ドラゴンクエスト開発の様子」を堀井さん自ら少年ジャンプに特集記事として書いてから発売した“自作自演のプロモーション”は有名ですが、それ以前の『オホーツクに消ゆ』からやっていたのか!
さて、この『オホーツクに消ゆ』から「コマンド選択式」のアドベンチャーになります。
恐らく大多数の人がイメージする「アドベンチャーゲーム」の形で、ずらっと並ぶ「行動の選択肢」の中からプレイヤーが選んで行動させるというものです。「選択肢の見せ方」がちがうだけで『逆転裁判』や『レイトン教授』なども、この「コマンド選択式」のアドベンチャーです。
「コマンド選択式」のアドベンチャーが『オホーツクに消ゆ』以前に存在しなかったワケではないみたいなんですが、堀井雄二さんも存在を知らなかったそうですし、そもそも「コマンド入力式」の時点でそれを簡略化しようと「よく使う単語をファンクションキーに当てはめた」アドベンチャーゲームもありました。
『ポートピア連続殺人事件』のPC版も後期のものにはその機能があって、『オホーツクに消ゆ』になるとファンクションキーではなくテンキーでコマンドを選ぶ形式になった―――ということなんだと思います。
つまり、「コマンド入力式しかなかった時代」と「ほとんどがコマンド選択式になる時代」がせーので切り替わったのではなく、グラデーションのように境目が曖昧な時期もあって、『ポートピア連続殺人事件』も『オホーツクに消ゆ』もその時期に生まれたのだろうと。
さて、時代は進んで1985年―――
ファミコン版『ポートピア連続殺人事件』が生まれた経緯でよく言われるのは、『ウルティマ』や『ウィザードリィ』といった海外のRPGにハマった堀井雄二さんや中村光一さんが「次はRPGを作りたい」とエニックスに言うと、「(アクションゲームしか存在しなかった)ファミコンのこども層にRPGはまだ早い」「アドベンチャーから始めてはどうだ」と言われたからだというものです。
そして、ファミコンには基本的にキーボードが付いていないため、原作は「コマンド入力式」だった『ポートピア連続殺人事件』を「コマンド選択式」に変更して。原作は堀井さんが一人でシナリオもグラフィックもプログラムも全部やったのを、中村光一さんがプログラムを手がけて作られたそうです。
つまり、ファミコン移植版『ポートピア連続殺人事件』は、純粋なPC版の移植というより、「ドラゴンクエストを作るためのプロトタイプ」であり「オホーツクに消ゆのシステムとポートピアのシナリオを合わせたハイブリッド作品」なんですね。

<画像はファミリーコンピュータ版『ポートピア連続殺人事件』より引用>
そして、このファミコン移植版『ポートピア連続殺人事件』は大ヒットします。
ファミコン初のアドベンチャーゲームということもあって、「初めてゲームのストーリーに感動した」という人を生み出します。後に『メタルギア』シリーズを生み出す小島秀夫さんも、「最も影響を受けたゲーム4本」の中にこの『ポートピア連続殺人事件』を入れていますね。
ファミコン版『ポートピア連続殺人事件』(1985年11月)以降、各社ファミコンにアドベンチャーゲームを投入していきます。
1986年10月の『ミシシッピー殺人事件』(ジャレコ)は海外アドベンチャーのローカライズものなんで微妙だけど、1986年11月の『デッドゾーン』(サンソフト)、1986年12月『水晶のドラゴン』(スクウェア)、1987年4月の『さんまの名探偵』(ナムコ)、1987年4月『探偵 神宮寺三郎 新宿中央公園殺人事件』(データイースト)、1987年9月『ファミコンむかし話 新・鬼が島』(任天堂)、1987年12月『中山美穂のトキメキハイスクール』(任天堂)、1988年4月『ファミコン探偵倶楽部~消えた後継者~』(任天堂)……
どれも「コマンド選択式アドベンチャー」になっていて、すべてではありませんが、「殺人事件を追う推理もの」のアドベンチャーゲームが多かったです。
『ドラゴンクエスト』の登場でファミコンに多数のRPGが発売されたのと同様に、『ポートピア連続殺人事件』が移植されたことでファミコンに多数のコマンド選択式アドベンチャーゲームが発売されたのです。

<画像はWiiバーチャルコンソール版『ファミコンむかし話 新・鬼が島』より引用>

<画像はWiiバーチャルコンソール版『ファミコン探偵倶楽部~消えた後継者~』より引用>
そのため、『ポートピア連続殺人事件』を「コマンド選択式アドベンチャーゲームの祖」と認識してしまいがちで、私も実際にプレイするまではそう思っていたんですが……遊んでみると、後のコマンド選択式アドベンチャーゲームとはかなり趣が異なることに気が付きました。
ぽーんとマップに放り出され、序盤から行動できる範囲は広いのだけど、そこで何をするべきかのヒントがどこでもらえるのかの導線はほとんどない。「ストーリーを追う推理アドベンチャー」というより、「自分で考えて行動する推理シミュレーション」なんですよね。
クリアのために必須のフラグだけ立てれば、取らなくてもいいアイテムや、会わなくてもいい容疑者、起こさなくていいイベントが多数あるため……実機RTAだと8分ちょっとでクリアできるそうです。おぉ、昭和の『ブレスオブザワイルド』だ。
だから、後の「コマンド選択式アドベンチャー」の感覚で遊ぶと、ファミコン版であっても難しいんです。「どこに行ってイイか分からない」「何をしてイイかわからない」となってしまうんです。
「言ってもコマンド選択式なんだから、総当たりなら解けるだろう?」と思うかも知れませんが、選択肢の組み合わせが膨大な量だし、マップを虫メガネで探してアイテムを見つける必要もあります。フラグ立ても「これを起こさないとコレが起こらないの、関係ある!?」というものなので、推理もへったくれもないし。

<画像はSteam用ソフト『SQUARE ENIX AI Tech Preview: THE PORTOPIA SERIAL MURDER CASE』より引用>
さて、時代を経た2023年―――
スクウェア・エニックスの「AI技術をゲームに活かせないか研究する部門」が、AIを使えばもっと自然な形で「コマンド入力式アドベンチャー」を復活できるんじゃないかと『ポートピア連続殺人事件』に組み込みます。「一文字でも間違った言葉を入力したら進まなかったコマンド入力式アドベンチャー」に、ある程度の柔軟性を取り入れられるんじゃないかという試みですね。
シナリオはPC版というよりファミコン版で、ファミコン版の大きな特徴だった3Dダンジョンや虫メガネの要素はなくなっています。リメイク作品ではなく、あくまで無料配信されている「技術デモ」なため、グラフィックが大きく書き換わっているだけで新たな追加要素なんかはないのですが……
チャットGPT的に「自由な会話がヤスと出来る」と勘違いした人達が、ゲーム進行と関係ない話は一切しないし、「耕造について調べろ」を「山川について調べろ」にしても理解できない程度のAIだったので怒り始め。「こんなのAIでも何でもないだろ!」とストアページのレビュー欄は酷評の嵐で……それはまぁ、頷けなくもないのですが。
「コマンドをいちいち入力するのが面倒」とか、「いろいろメモする必要があるのが面倒」とか、「ファミコン版をやっていなければ絶対に分からない行動をしないといけない(ファミコン版は選択肢があったから分かったけど)」みたいなレビューも多くて……
それは! 原作のPC版からそうだろうが!
「コマンド入力式アドベンチャーゲーム」ってそういうものだから!
それを全部自分でやるから「自分で考えて行動している」と思えるジャンルだったワケじゃないですか。お金を払って買ったリメイク作品ならともかく、無料配信された技術デモに対して、俺の思ったのとちがう!ってだけで酷評の嵐を浴びせるの……ストアレビューの民度なんてそんなもんですよ。他人のレビューなんてアテにしちゃいかんね(ブーメラン)。
ちなみに、「ファミコン版をやっていなければ絶対に分からない行動(ネタバレなので文字色を消して書いておきます:容疑者を殴って自供させる行為)」はしなくてもクリア出来ます。ファミコン版もSteam版もそれは「クリアのために必須のフラグ」ではないので、しなくても話は進むんです。それが分からないからって「非常に悪い」評価を押されるの、あまりにも可哀想。
↓pottopia-2↓
◇ 喋る相棒「ヤス」など、ゲームでストーリーを語るアイディアが満載
※ ここの項は『ポートピア連続殺人事件』エンディングのネタバレと、初代『ドラゴンクエスト』エンディングのネタバレを含みます。読みたくない人は次の項まで飛んでください

<画像はファミリーコンピュータ版『ポートピア連続殺人事件』より引用>
このゲームのストーリーをザっと説明すると……
サラ金会社の社長:山川耕造の死体が発見されて、刑事であるプレイヤーが現地に向かい、事件の真相を暴くというものです。そのため現場を調べたり、街の人に聞き込みをしたり、関係者を捜査本部に呼び出して事情聴取をしたりしなければなりません。
ただし、「現場を調べる」のも、「聞き込み」も「事情聴取」も私がやるワケではありません。

<画像はファミリーコンピュータ版『ポートピア連続殺人事件』より引用>
やるのはコイツ、部下であり相棒である「ヤス」―――
プレイヤーは後方でどっしり構えて、「ヤス」に命令をするだけなんですね。

<画像はファミリーコンピュータ版『ポートピア連続殺人事件』より引用>
そのため、「コマンド選択式」のコマンドも……
「人に聞け」「人 知らべろ」「何か 見せろ」「人 探せ」「呼べ」「逮捕しろ」と、全てのコマンドが命令形の口調になっているのです。

<画像はWiiバーチャルコンソール版『ファミコン探偵倶楽部~消えた後継者~』より引用>
例えば、後年の『ファミコン探偵倶楽部』と比較すれば分かりやすいですが、こちらのコマンドは「調べる」「思い出す」「推理する」といった“自分が行動する”言葉になっています。操作するのは“プレイヤーの分身である主人公”自身ですから。
恐らく、『ポートピア連続殺人事件』に影響を受けたであろう後年のコマンド選択式アドベンチャーのほとんどは、『ポートピア連続殺人事件』とはちがってこちらの形式になっていると思います。
これは、『ポートピア連続殺人事件』が元々「コマンド入力式アドベンチャー」として作られていたからで、「主人公=プレイヤー」は「ヤス=コンピューター」に命令することでしか、ゲーム内世界に干渉できないという表現だと思うんですね。
『OneShot』が、画面のこちらから「ゲーム内のニコ」に命令することでしかゲームを進められないのと同じで……『ポートピア』の構造も、「第4の壁」を突破したメタフィクション的な作品なんです。
(関連記事:『OneShot』レビュー/その輝きは「一度きり」!ネタバレを踏む前に遊んで欲しい逸品アドベンチャー)
1983年に発売されたPC版の『ポートピア連続殺人事件』も当然これを踏襲しているのですが、堀井さんの次作『オホーツクに消ゆ』(1984年)では「コマンド入力式」をやめて「コマンド選択式」に変更されています。この辺の経緯も、AUTOMATONのインタビュー(中編)で読めるのでどうぞ。
<以下、引用>
――『オホーツクに消ゆ』といえば、それまでの「コマンド入力型」をやめて「コマンド選択型」を発明されました。
堀井氏:
なんでコマンド選択型にしたかというと、一番の動機はPC版の『ポートピア連続殺人』が出たときに店頭デモを当時やっていたんですよ。僕、それを見に行ったんですね。ユーザーがコマンドを入力しているんですけど、登録していない単語を入れて、「ソレハ ワカリマセン」とコンピューターから返されたことが多かったんですよ。それを見て日本語って難しいなと思って。
英語だと「 I 」だけど、日本語だったら「私」だったり「俺」だったり「僕」だったり色々ありますよね。扉でも「開ける」「開く」とか、言葉の語彙がすごく多い。日本語で言葉を入力させるのは無理だなと思って、それじゃ選ぶほうがいいんじゃないかと。
</ここまで>
※ 改行や強調など、一部引用者が手を加えました
ちょっと話は横道に逸れてしまいますが、その『オホーツクに消ゆ』について―――
「堀井雄二ミステリー三部作」の中で、どうしてこの作品だけ発売がエニックスではなくアスキーなんだろうとずっと思っていました。
AUTOMATONのこのインタビューで初めて知るのですが、当時の堀井雄二さんはまだまだ現役のライターだったため、雑誌「ログイン」の編集部から「(ポートピアを出したんだから)ウチでもアドベンチャーゲームを出してよ」と言われたからだったんですね。
そのため、「ログイン」に舞台となる北海道をロケハンする記事も載せて、「ポートピアの次は北海道だぜ!」と特集してからの発売だったそうです。「ドラゴンクエスト開発の様子」を堀井さん自ら少年ジャンプに特集記事として書いてから発売した“自作自演のプロモーション”は有名ですが、それ以前の『オホーツクに消ゆ』からやっていたのか!
さて、この『オホーツクに消ゆ』から「コマンド選択式」のアドベンチャーになります。
恐らく大多数の人がイメージする「アドベンチャーゲーム」の形で、ずらっと並ぶ「行動の選択肢」の中からプレイヤーが選んで行動させるというものです。「選択肢の見せ方」がちがうだけで『逆転裁判』や『レイトン教授』なども、この「コマンド選択式」のアドベンチャーです。
「コマンド選択式」のアドベンチャーが『オホーツクに消ゆ』以前に存在しなかったワケではないみたいなんですが、堀井雄二さんも存在を知らなかったそうですし、そもそも「コマンド入力式」の時点でそれを簡略化しようと「よく使う単語をファンクションキーに当てはめた」アドベンチャーゲームもありました。
『ポートピア連続殺人事件』のPC版も後期のものにはその機能があって、『オホーツクに消ゆ』になるとファンクションキーではなくテンキーでコマンドを選ぶ形式になった―――ということなんだと思います。
つまり、「コマンド入力式しかなかった時代」と「ほとんどがコマンド選択式になる時代」がせーので切り替わったのではなく、グラデーションのように境目が曖昧な時期もあって、『ポートピア連続殺人事件』も『オホーツクに消ゆ』もその時期に生まれたのだろうと。
さて、時代は進んで1985年―――
ファミコン版『ポートピア連続殺人事件』が生まれた経緯でよく言われるのは、『ウルティマ』や『ウィザードリィ』といった海外のRPGにハマった堀井雄二さんや中村光一さんが「次はRPGを作りたい」とエニックスに言うと、「(アクションゲームしか存在しなかった)ファミコンのこども層にRPGはまだ早い」「アドベンチャーから始めてはどうだ」と言われたからだというものです。
そして、ファミコンには基本的にキーボードが付いていないため、原作は「コマンド入力式」だった『ポートピア連続殺人事件』を「コマンド選択式」に変更して。原作は堀井さんが一人でシナリオもグラフィックもプログラムも全部やったのを、中村光一さんがプログラムを手がけて作られたそうです。
つまり、ファミコン移植版『ポートピア連続殺人事件』は、純粋なPC版の移植というより、「ドラゴンクエストを作るためのプロトタイプ」であり「オホーツクに消ゆのシステムとポートピアのシナリオを合わせたハイブリッド作品」なんですね。

<画像はファミリーコンピュータ版『ポートピア連続殺人事件』より引用>
そして、このファミコン移植版『ポートピア連続殺人事件』は大ヒットします。
ファミコン初のアドベンチャーゲームということもあって、「初めてゲームのストーリーに感動した」という人を生み出します。後に『メタルギア』シリーズを生み出す小島秀夫さんも、「最も影響を受けたゲーム4本」の中にこの『ポートピア連続殺人事件』を入れていますね。
ファミコン版『ポートピア連続殺人事件』(1985年11月)以降、各社ファミコンにアドベンチャーゲームを投入していきます。
1986年10月の『ミシシッピー殺人事件』(ジャレコ)は海外アドベンチャーのローカライズものなんで微妙だけど、1986年11月の『デッドゾーン』(サンソフト)、1986年12月『水晶のドラゴン』(スクウェア)、1987年4月の『さんまの名探偵』(ナムコ)、1987年4月『探偵 神宮寺三郎 新宿中央公園殺人事件』(データイースト)、1987年9月『ファミコンむかし話 新・鬼が島』(任天堂)、1987年12月『中山美穂のトキメキハイスクール』(任天堂)、1988年4月『ファミコン探偵倶楽部~消えた後継者~』(任天堂)……
どれも「コマンド選択式アドベンチャー」になっていて、すべてではありませんが、「殺人事件を追う推理もの」のアドベンチャーゲームが多かったです。
『ドラゴンクエスト』の登場でファミコンに多数のRPGが発売されたのと同様に、『ポートピア連続殺人事件』が移植されたことでファミコンに多数のコマンド選択式アドベンチャーゲームが発売されたのです。

<画像はWiiバーチャルコンソール版『ファミコンむかし話 新・鬼が島』より引用>

<画像はWiiバーチャルコンソール版『ファミコン探偵倶楽部~消えた後継者~』より引用>
そのため、『ポートピア連続殺人事件』を「コマンド選択式アドベンチャーゲームの祖」と認識してしまいがちで、私も実際にプレイするまではそう思っていたんですが……遊んでみると、後のコマンド選択式アドベンチャーゲームとはかなり趣が異なることに気が付きました。
ぽーんとマップに放り出され、序盤から行動できる範囲は広いのだけど、そこで何をするべきかのヒントがどこでもらえるのかの導線はほとんどない。「ストーリーを追う推理アドベンチャー」というより、「自分で考えて行動する推理シミュレーション」なんですよね。
クリアのために必須のフラグだけ立てれば、取らなくてもいいアイテムや、会わなくてもいい容疑者、起こさなくていいイベントが多数あるため……実機RTAだと8分ちょっとでクリアできるそうです。おぉ、昭和の『ブレスオブザワイルド』だ。
だから、後の「コマンド選択式アドベンチャー」の感覚で遊ぶと、ファミコン版であっても難しいんです。「どこに行ってイイか分からない」「何をしてイイかわからない」となってしまうんです。
「言ってもコマンド選択式なんだから、総当たりなら解けるだろう?」と思うかも知れませんが、選択肢の組み合わせが膨大な量だし、マップを虫メガネで探してアイテムを見つける必要もあります。フラグ立ても「これを起こさないとコレが起こらないの、関係ある!?」というものなので、推理もへったくれもないし。

<画像はSteam用ソフト『SQUARE ENIX AI Tech Preview: THE PORTOPIA SERIAL MURDER CASE』より引用>
さて、時代を経た2023年―――
スクウェア・エニックスの「AI技術をゲームに活かせないか研究する部門」が、AIを使えばもっと自然な形で「コマンド入力式アドベンチャー」を復活できるんじゃないかと『ポートピア連続殺人事件』に組み込みます。「一文字でも間違った言葉を入力したら進まなかったコマンド入力式アドベンチャー」に、ある程度の柔軟性を取り入れられるんじゃないかという試みですね。
シナリオはPC版というよりファミコン版で、ファミコン版の大きな特徴だった3Dダンジョンや虫メガネの要素はなくなっています。リメイク作品ではなく、あくまで無料配信されている「技術デモ」なため、グラフィックが大きく書き換わっているだけで新たな追加要素なんかはないのですが……
チャットGPT的に「自由な会話がヤスと出来る」と勘違いした人達が、ゲーム進行と関係ない話は一切しないし、「耕造について調べろ」を「山川について調べろ」にしても理解できない程度のAIだったので怒り始め。「こんなのAIでも何でもないだろ!」とストアページのレビュー欄は酷評の嵐で……それはまぁ、頷けなくもないのですが。
「コマンドをいちいち入力するのが面倒」とか、「いろいろメモする必要があるのが面倒」とか、「ファミコン版をやっていなければ絶対に分からない行動をしないといけない(ファミコン版は選択肢があったから分かったけど)」みたいなレビューも多くて……
それは! 原作のPC版からそうだろうが!
「コマンド入力式アドベンチャーゲーム」ってそういうものだから!
それを全部自分でやるから「自分で考えて行動している」と思えるジャンルだったワケじゃないですか。お金を払って買ったリメイク作品ならともかく、無料配信された技術デモに対して、俺の思ったのとちがう!ってだけで酷評の嵐を浴びせるの……ストアレビューの民度なんてそんなもんですよ。他人のレビューなんてアテにしちゃいかんね(ブーメラン)。
ちなみに、「ファミコン版をやっていなければ絶対に分からない行動(ネタバレなので文字色を消して書いておきます:容疑者を殴って自供させる行為)」はしなくてもクリア出来ます。ファミコン版もSteam版もそれは「クリアのために必須のフラグ」ではないので、しなくても話は進むんです。それが分からないからって「非常に悪い」評価を押されるの、あまりにも可哀想。
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◇ 喋る相棒「ヤス」など、ゲームでストーリーを語るアイディアが満載
※ ここの項は『ポートピア連続殺人事件』エンディングのネタバレと、初代『ドラゴンクエスト』エンディングのネタバレを含みます。読みたくない人は次の項まで飛んでください

<画像はファミリーコンピュータ版『ポートピア連続殺人事件』より引用>
このゲームのストーリーをザっと説明すると……
サラ金会社の社長:山川耕造の死体が発見されて、刑事であるプレイヤーが現地に向かい、事件の真相を暴くというものです。そのため現場を調べたり、街の人に聞き込みをしたり、関係者を捜査本部に呼び出して事情聴取をしたりしなければなりません。
ただし、「現場を調べる」のも、「聞き込み」も「事情聴取」も私がやるワケではありません。

<画像はファミリーコンピュータ版『ポートピア連続殺人事件』より引用>
やるのはコイツ、部下であり相棒である「ヤス」―――
プレイヤーは後方でどっしり構えて、「ヤス」に命令をするだけなんですね。

<画像はファミリーコンピュータ版『ポートピア連続殺人事件』より引用>
そのため、「コマンド選択式」のコマンドも……
「人に聞け」「人 知らべろ」「何か 見せろ」「人 探せ」「呼べ」「逮捕しろ」と、全てのコマンドが命令形の口調になっているのです。

<画像はWiiバーチャルコンソール版『ファミコン探偵倶楽部~消えた後継者~』より引用>
例えば、後年の『ファミコン探偵倶楽部』と比較すれば分かりやすいですが、こちらのコマンドは「調べる」「思い出す」「推理する」といった“自分が行動する”言葉になっています。操作するのは“プレイヤーの分身である主人公”自身ですから。
恐らく、『ポートピア連続殺人事件』に影響を受けたであろう後年のコマンド選択式アドベンチャーのほとんどは、『ポートピア連続殺人事件』とはちがってこちらの形式になっていると思います。
これは、『ポートピア連続殺人事件』が元々「コマンド入力式アドベンチャー」として作られていたからで、「主人公=プレイヤー」は「ヤス=コンピューター」に命令することでしか、ゲーム内世界に干渉できないという表現だと思うんですね。
『OneShot』が、画面のこちらから「ゲーム内のニコ」に命令することでしかゲームを進められないのと同じで……『ポートピア』の構造も、「第4の壁」を突破したメタフィクション的な作品なんです。
(関連記事:『OneShot』レビュー/その輝きは「一度きり」!ネタバレを踏む前に遊んで欲しい逸品アドベンチャー)
私も当時をリアルタイムに知っているワケではありませんが、「コマンド入力式アドベンチャーゲーム」は正解である単語がなかなか見つからずに、ゲームが思ったように進まないゲームだったと言われています。
そういう時は「どうしてこの言葉を認識してくれないんだ」「作者は何を考えているんだ」と、イライラが「ゲーム」や「作者」に向けられたと思うんですが……

<画像はファミリーコンピュータ版『ポートピア連続殺人事件』より引用>
このゲームは「ヤス」というキャラクターを立てたことで、そのイライラを「ヤス」に向けることができたんですね。「ヤスはどうしてこの言葉を認識してくれないんだ」「ヤスは何を考えているんだ」と……
何も考えていなかったら、ここのポジション……「かわいい女のコ」とは言いませんが、「好感度の高いキャラ」にしがちだと思うんですよ。なのに、堀井雄二さんはここに絶妙にイラっとすることばっかり言ってくる「ヤス」を置いたんです。



<画像はファミリーコンピュータ版『ポートピア連続殺人事件』より引用>
これはきっと、堀井さんが元々漫画家志望で漫画原作も描いていて、小池一夫さんの劇画村塾で「漫画とはキャラクターを描くものだ」と教わってきたからじゃないかと思います。
『ポートピア連続殺人事件』以前にも、「コマンド入力式のコンピューター」を相棒のキャラクターに擬人化した作品はあったそうなんですが……単に擬人化するだけでなく、「小憎らしいキャラクター」に立たせたことが『ポートピア連続殺人事件』の功績じゃないかと思います。
そして、白眉なのが終盤の展開です。
ここから先はド級のネタバレなので、重ね重ねになりますがネタバレが嫌な人は次の項まで飛んでください。
「犯人はヤス」―――
ネットミームどころか、インターネットが生まれる前からものすごく有名な言葉で、「ポートピアは遊んだことがないけど犯人は知っている」人も多いんじゃないかと思うのですが。これこそが「堀井雄二」が天才と呼ばれるゆえんなんですよ。
そのすごさは別に、「相棒が犯人だった」という意外性じゃないんです。

<画像はファミリーコンピュータ版『ポートピア連続殺人事件』より引用>
このゲームはずっと、プレイヤーが「画面の外側」からキーボードなりコントローラーなりを操作して、「画面の中にいるヤス」に指示を出してきました。電話をかけるのも、聞き込みをするのも、スナックぱるの酒瓶を破壊しようとして出禁になるのも全部ヤスです。言ってしまえば、ヤスは「私のして欲しいこと」をゲーム内でしてくれる装置だったのです。
なので、ヤスが犯人であることを突き止めて、ヤスがそれを認めた途端、ヤスはその装置である役目を終えます。私はヤスに命令できなくなり、ゲーム内に干渉できなくなり、そしてゲームが終わるのです。
主人公=プレイヤーだと思わせるゲームの中には、似たようなエンディングを持ってくるゲームはたまにあります。「私」と「ゲーム」をつなぐ糸が途切れ、そして現実に戻される。具体名を挙げるとネタバレになってしまうので文字色を消しておきます。読みたい人だけ反転させるなりして読んでね。例えば、『ゼルダの伝説 夢をみる島』とか、『ROOMMATE~井上涼子~』とか、『パラノマサイト』とか、『Her Story』とか『OneShot』とか、『早咲きのくろゆり』や『ウーマンコミュニケーション』もそうか。
堀井雄二はそれを1983年にやっていたんですよ!
すごすぎる……と思ったところで、ふと思い出したことがありました。
1986年発売の『ドラゴンクエスト』1作目のエンディングです。

<画像はWii版『ファミリーコンピュータ ドラゴンクエスト』より引用>
それまではプレイヤーの分身として「はい/いいえ」くらいしか喋らなかった主人公が、エンディングで突然喋り出すシーンです。
このシーンについて、「ドラゴンクエストシリーズは主人公が喋らないのに、堀井雄二もうっかりミスをしたんだな」とか「1作目だからまだテキトーだったんだな」とか言っている人がいますが……全然! わかってない!! もう、ビックリするくらいにわかってない!
このシーンは“それまではプレイヤーの分身として「はい/いいえ」くらいしか喋らなかった主人公”が、プレイヤーの手を離れ、勝手に動き出して「プレイヤーの知らない土地に行って」「プレイヤーの知らない未来へと旅立つ」エンディングなんですよ!
この後、この主人公はローラ姫と旅立ち、新たな国を作り、こどもも作り、そして『ドラクエII』へと続いていくのだけど、そこはもうプレイヤーが干渉することができないのです。主人公が自我を持って、勝手に喋り出したのだから。
「脚本家の人、そこまで考えてないよ」って思います?
でも、『ポートピア連続殺人事件』でも『ドラゴンクエスト』でも「ゲームのキャラクターがプレイヤーの手を離れて操作不能になって終わる」ラストにしているということは、堀井さんそこまで考えてやっているんだと思うんですよ。
この項、ほぼ「ヤス」についてしか書いてきませんでしたが……
それ以外にも、アイディアが満載です。
例えば、『ポートピア連続殺人事件』というタイトルです。
ゲームが始まった時点では山川耕造しか死体が発見されていないのに、タイトルで思いっきり「連続殺人」であることをネタバレしているんですね。これは、当時の日本のアドベンチャーゲームだと「時間の経過」が表現されていなかったため、フラグを立てることでストーリーが進み、第二の事件、ひょっとしたら第三の事件が起こることを表現していたみたいです。
まぁ、この「フラグを立てることでストーリーが進む」のと、「最初から比較的いろんなところに行けていろんなことができる」コマンド入力式ゆえの自由度の高さの食い合わせはあまり良くなくて……序盤ではどんなに聞き込みをしても情報が出てこなかった同じ場所で、ストーリーが進むと新情報が突然出てくるようになるのは、ちょっと不自然&不親切&ご都合主義的に思えてしまいましたが。
後は、当時のアドベンチャーゲームの多くは、3Dダンジョンのように「西へ行け」「北へ行け」と1マップずつ移動していたのを……『ポートピア連続殺人事件』は「京都へ行け」「捜査本部に戻れ」と、行先を指定しただけで瞬時に移動できるようになったのが斬新だったそうな。
そうか……むしろ「「西へ行け」「北へ行け」と1マップずつ移動していたアドベンチャーゲーム」を私は知らなかったのだけど、『ドラゴンボール 大魔王復活』(1988年)がこのシステムだったのは、元々アドベンチャーゲームがそういうものだったからなのか。
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◇ 2年越しに「完全版」になったとも言えるファミコン移植版
1983年から様々な機種で発売されたPC版から、1985年に発売されたファミコン移植版までに2年あったため、「コマンド入力式」から「コマンド選択式」に変更になっただけではない、様々な追加要素があったそうです。

<画像はファミリーコンピュータ版『ポートピア連続殺人事件』より引用>
その1つが、3Dダンジョンです。
どうしていきなり3Dダンジョンが始まるかというと、理由は簡単―――
この当時、堀井雄二さんと中村光一さんが『ウィザードリィ』などの海外RPGにハマって、この後に自分達もRPGを作ろうと考えていたからです。実際に発売された『ドラゴンクエスト』シリーズには3Dダンジョンは採用されていないんですが、『ポートピア連続殺人事件』の影響なのか「RPGでもないのに3Dダンジョンが出てくる」ゲームがファミコンには結構あります。
『ファミコン探偵倶楽部』(1988年)、『がんばれゴエモン』(1986年)、『ドラゴンボール 大魔王復活』(1988年)は一応RPGか……『TM NETWORK LIVE IN POWER BOWL』(1989年)、『ゴルゴ13神々の黄昏』(1988年)、『月風魔伝』(1987年)なんかにも3Dダンジョン要素があったそうです。
『ポートピア連続殺人事件』に3Dダンジョンが採用された一番の目的は、先に書いたように「アクションゲームしか知らないファミコンキッズに、RPGの要素を教える」狙いだったと思うのですが……「コマンド入力式」だった原作を「コマンド選択式」に変えたことで、コマンド総当たりですぐにクリアされてしまうのを防ぎたかったからだという説もあります。
これも正直ありそう。
というのも……

<画像はファミリーコンピュータ版『ポートピア連続殺人事件』より引用>
画面内を虫メガネで探してアイテムを見つける要素は、ファミコン版からの追加要素だったそうなんですよ!
確かに、「シラベロ ○○」と一つ一つ自分で考えていたコマンド入力式と比較して、コマンド選択式で「○○」の部分がリストに載っちゃったら総当たりですぐに解けてしまうから、自分で考えてピンポイントで調べてよというのも分かるのですが……
この虫メガネの当たり判定が恐ろしく狭くて、例えば「机の上」だったら机の上のどこでもイイのではなく「机の上(左)」「机の上(真ん中)」「机の上(右)」と3ヶ所調べなくちゃならないイメージです。
百歩譲って、虫メガネだけならともかく、「叩け」もあるからね……
進み方が分からずに手当たり次第にいろいろやっていたときは本当にキツかった。
これも、「すぐにクリアされないための措置」なのは分かるんですが、「コマンド選択式アドベンチャーゲーム」が普通になった現代で遊ぶとただ面倒なだけに思えてしまいますね。
個人的には3Dダンジョンは好き、虫メガネは嫌いです。
しかし、じゃあファミコン版『ポートピア連続殺人事件』は、すぐにクリアされないために面倒な仕様が追加されただけかというとそうではありません。恐らく堀井雄二さんも、PC版のストーリーに心残りがあったのか、ファミコン版に大胆な追加要素を加えているのです。

<画像はファミリーコンピュータ版『ポートピア連続殺人事件』より引用>
それが、女子高生キャラ:平田 由貴子です!
PC版に出てくる女性キャラは、辛気臭い秘書と、胡散臭いストリッパーだけですからね。やっぱり、可愛くて明るいロリキャラがいないと!
……というのは、もちろん冗談で。
わざわざ1人のキャラクターを追加してまで描きたかったものは何かというと、由貴子の証言がないPC版では知ることができなかった「平田の事情」だったり「耕造の思惑」だったりするんです。あ、あと「俊之がロリコンだった」ってのもあるか。
その結果、登場人物達の行動に深みが生まれ、基本的にはストーリーの流れはPC版といっしょなのに「最終的な読後感」は大きく変わっているんですね。PC版を遊んでいた人にも意外な展開だったろうし、ファミコン版から初めて遊んだ私のような人にもグッとくる話に思わせているの本当にすごい。
PC版→ ファミコン版でなくなった要素もあって、「事情聴取でカツ丼を出す」みたいな展開がPC版にはあったそうなので「それなくなっているのもったいないな!」とは思ったのですが……全体的に、こどもでも分かりやすいように整理されている印象です。
PC版にいたタレコミの電話をくれる「別の捜査官」さくらいがいなくなり、既出の別キャラからの証言に差し替えられていたり。バッドエンドがなくなって、PC版のバッドエンドにあたる行動を取ってもゲームが終わらなくなったり(この辺の変更点は、初代『ドラゴンクエスト』に通じるものがある)。
ファミコン版『ポートピア連続殺人事件』が出た1985年の時点で、アーケードゲームなどからファミコンに移植される作品はたくさんありました。マシンスペックのちがいから「原作そのもの」は移植できないので、例えば『ドンキーコング』の2面が削られるなど、移植の際には劣化するのが当たり前だったと思うんですね。
しかし、ファミコン版『ポートピア連続殺人事件』は原作になかった味を追加して、「これこそが本当のポートピアだ!」という完全版移植の先駆けのようなゲームになっていたのです。ガラケー版やSteam版などにも由貴子が登場するように、後の作品はファミコン版のストーリーを踏襲しているみたいですからね。
◆ で、結局どういう人にオススメ?

<画像はファミリーコンピュータ版『ポートピア連続殺人事件』のものをネタバレ防止のために一部加工しました>
現代の感覚で遊ぶと、お世辞にも遊びやすいとは言えませんが……
「決められたストーリーを追う推理アドベンチャー」ではなく、「自分の頭と足を使って事件の真相を追う推理シミュレーション」と考えるとこれはこれでちがった魅力のある作品だと思いました。
この作品が「1983年」や「1985年」に発売されたということを踏まえて、脳内でチューニングして遊べる人にはオススメです! この時代にコレをやっていたのか、ということはあの作品のアレとかもこの作品に影響を受けていたのか、みたいなことを考えられると楽しいです。
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