霊丸はどうして「1日4発」という設定なのか


<画像は『幽☆遊☆白書』3巻「出動!!」より引用>

※ この記事は2014年に旧ブログに書かれたものを幾つか手直しして2025年に移行した記事です

※ この記事は漫画版『幽遊白書』全19巻のネタバレを含みます。閲覧にはご注意下さい。


 何故かこのタイミングで語りたくなった話題です。
 1990年代前半の週刊少年ジャンプを代表する『幽遊白書』という漫画があります。連載開始当初は「霊体になってしまった幽助が生き返るまでを描く」1話完結の物語でしたが、単行本でいう3巻からは「霊界探偵となった幽助が悪い妖怪をやっつける」バトル漫画へと路線が変わりました。

 『てんで性悪キューピット』や初期『幽遊白書』も好きだったのですが、当時の自分は「この作者もようやく王道バトル漫画を描いてくれるのか!」と嬉しくなったことを覚えています。
 冨樫義博先生がどういう漫画家なのかまだ理解していなかった自分は、“王道バトル漫画”と認識していましたし。その後に大人気になっていく『幽遊白書』の捉えられ方というのはそういうものだったと思います。『ドラクエ』に対する『FF』みたいな位置の、『ドラゴンボール』に対する『幽遊白書』みたいな、“もう一つの王道”的なバトル漫画の立ち位置。



 しかし、その後に『レベルE』や『ハンター×ハンター』を描く冨樫先生の作風を見るに、『てんで性悪キューピット』も『幽遊白書』も決して“王道”の漫画ではなかったことが分かったのです。設定は“王道”でありながら、そこから絶妙に“外す”ことによる面白さというか。“ひねくれている”と表現した方が分かりやすいかな。

 「暗黒武術会編」がジャンプ的トーナメントバトルのアンチテーゼだったり、「“領域(テリトリー)”」が『ジョジョ』の“幽波紋(スタンド)”のパロディだったり、という話は以前に書きました。冨樫先生の漫画は、“王道”を知っている人がその“外し”を楽しめるように作られている漫画だと思うのです。

(関連記事:“パクリ”と紙一重の“パロディ”だった『幽遊白書』




 ということを踏まえて、今日の本題です。
 『幽遊白書』における幽助の「霊丸」って、変な設定ですよね。


 霊界探偵になったばかりの幽助は、霊丸を「1日1発だけ撃てる」設定でした。
 「1日1発だけ撃てる」って何よ?とは思います(笑)。
 何時間眠れば回復するのか、日付が変われば回復するのか、イマイチ条件が分かりません。

 その後、幻海師範との修行を経て、幽助は霊丸・霊光弾を「力を調節して何発か撃てるようになった」と言っていましたが……

 この設定変更はマズイと思ったのか、「暗黒武術会編」に入ってすぐに「1日4発が限界」という台詞があって。以降、原作での霊丸は「1日4発だけ撃てる」という設定を守ることになります(※1)

(※1:アニメ版はこれらの設定通りではなく、この回数以上の霊丸を撃ったこともあるんですけどね)



 この設定、当時の私はよく分かりませんでした。『ドラゴンボール』のかめはめ波も、『ダイの大冒険』のアバンストラッシュも、回数制限なんてありませんでしたから。
 でも、冨樫先生が後に『ハンター×ハンター』を描くということを知っている今の私なら、これは明確に意図があってこういう設定にしたことが分かるのです。

 必殺技は“限定条件下でしか使えない”というルールを課すことで、主人公達にリスクを背負わせているのです。クラピカのチェーンジェイルは幻影旅団にしか使えない、みたいなルール。

 当然、読者がそれを知ることで「霊丸はあと1発しか撃てない」というドキドキと、「どこで霊丸を使うんだろう」と作者との駆け引きができるという――――この霊丸の妙な設定こそが、冨樫先生の作風を分かりやすく見せている設定だったのだと今なら思うのです。



○ 霊丸が「1日1発しか撃てない」時期
 原作の3巻と4巻の途中までが、これにあたります。
 この時期に撃った霊丸は4発。しかしこれ、読み返すとよくできているんですね。

・岩本に一撃→ その後、霊丸が撃てなくなったことで剛鬼にボコボコにやられる
・剛鬼に一撃→ 捨て身の霊丸で大逆転勝利
・飛影に一撃→ 霊丸が避けられた!と思ったら鏡に跳ね返って背中から直撃
・牙野に一撃→ 三連戦の一戦目に使ってしまうので、残り二試合は霊丸なしで戦うことに


 最初の「1日1発」は新たに得た必殺技を見せるための1発でした。
 しかし、同時にその後に剛鬼にボコボコにやられる姿を描くことで、「霊丸を撃ってしまった後は戦力が激減する」ことを幽助にも読者にも伝えることになります。これにより「1日1発の霊丸」の重みが増したんですね。

 飛影戦はそこを逆手にとり、俊敏な飛影によって「霊丸が避けられた!」と思ったところに、鏡に跳ね返った霊丸が飛影の背中を直撃して倒すという展開になりました。これは「霊丸は1日1発しか撃てない」「それを外せば幽助に勝ち目がない」と読者が知っているからこその展開なんですね。

 続く幻海師範の弟子選び編では、牙野戦→風丸戦→乱童戦という三連戦の一戦目に「1日1発の霊丸」を使ってしまう展開になります。剛鬼との戦いで読者は「霊丸を撃ってしまった後は戦力が激減する」と分かっていますから、この絶望感ったらないですよ。悟空が瞬殺された大猿ベジータに、悟飯とクリリンで挑むみたいな話。



 「1日1発の霊丸」という設定を使って、如何に読者をハラハラドキドキさせるのか―――よくできているなぁと思うとともに、「霊丸を撃ってしまったボロボロの状況で風丸戦→乱童戦を勝つ」ということをやってしまったので、「1日1発の霊丸」という設定はここで終わるんですね。
 これ以降は「霊丸がもう撃てない!どうしよう!」と読者がハラハラドキドキできませんから。子どもの頃は気付きませんでしたが、よく出来ていますねー。


○ 霊丸が「力を調節して何発か撃てるようになった」時期
 原作の4巻途中~6巻途中まで。
 ショットガン(霊光弾)が霊丸と同じようにカウントされる―――という設定は、暗黒武術会編で追加された設定なので。この時期の「幽助が何発霊丸を撃ったのか」は非常に曖昧だったりします。


【四聖獣編】
・不良どもにショットガンを一撃→新技を見せるお披露目
・朱雀に霊丸を一撃→右腕一本で弾かれる
・朱雀(集団)にショットガンを一撃→一人倒しそこない朱雀復活
・命を燃やして再び朱雀(集団)にショットガンを放つ

 幻海師範との修行を経て、「今までの霊丸が効かない敵」に対して新技であるショットガンで立ち向かうのがこの朱雀戦です。そのためにわざわざ朱雀が7人に増える技を使うのですが(笑)。ここで使っているのも「4発」なんですよね。


【垂金編】
・蛭江に霊丸を一撃→今までとっておきだった霊丸を何発も撃てると見せるため
・戸愚呂に霊丸を一撃→兄者の盾に防がれる
・桑原に霊丸を放ってロケット噴射のようにして戸愚呂を倒す

 陰魔鬼戦で使っているのはショットガンではないか―――とは思うのですが、よく分からないので省きました。ここで重要なのは「霊丸は力を調節して何発も撃てるようになった」という設定変更。
 これがあるからこそ桑原の背中に敢えて撃つということができたのですが、今までのように「1日1発しか撃てない」という設定ではなくなったことを読者に伝えるために最初のザコ戦で敢えて霊丸を使っているという。また、戸愚呂戦でも最初の一撃は盾に防がれて「普通の霊丸では効かない」ことを最初に見せているという。無駄がないですねー。


 しかし、“何発でも撃てる”分、「1日1発しか撃てない」時期とちがってハラハラドキドキが弱くなってしまったというか、普通のバトル漫画になってしまっているところはあるんですね。なので、早々に設定変更されるという。



○ 霊丸が「「1日4発」撃てるようになった時期
 原作では6巻の途中の暗黒武術会編から。

【六遊怪チーム戦】
・会場に霊丸を一撃→「1日4発」という設定変更を読者に伝える
・酎のエネルギー弾と霊丸が相打ち
・酎の巨大エネルギー弾に対し、二発連射でぶち抜く

 最初の一発は顔見せ。
 次の一発で実力が互角と見せて、残り二発をどう使うのか―――と思わせたところで“連射”という予想外の展開に持ってくるという。今まで使っていない技だし、それ故に幽助はこの後は霊丸が使えなくなってしまうという枷にもなるのです。

 「1日4発」という設定を上手く使っていますね。

【Dr.イチガキチーム戦&魔性使いチーム戦】
・爆拳戦で地面に霊丸を一撃→霧を吹っ飛ばすのに使う
・陣戦で空中に逃げた陣に向かって霊丸を一撃→爆風障壁で避けられる
・陣戦で修羅旋風拳と相打ちで霊丸を放つ→突風を利用されて直撃を避けられる
・霊光弾でW修羅旋風拳を弾き飛ばして倒す

 物語作りにおいての基本が「起承転結」と言われることがあるように、「1日4発」という数字は「起承転結」に沿ったものだという見方もできるんですね。
 最初の一発は挨拶代わり、二発目も状況を変えるものでもなく、三発目はストーリー上でも重要な一撃で、四発目でストーリーが幕を閉じる。撃っても撃っても霊丸が当たらない陣に、最後ようやく霊光弾を当てるというこの戦いこそが「1日4発」という設定を使いこなしているバトルだと思います。

 しかも、この霊光弾は初出しの必殺技ではなくて、前から使っていたショットガンの真の姿だというのも上手いですね。


【戸愚呂チーム戦】
・80%の戸愚呂(弟)に霊丸を一撃→幽助も呪霊錠を付けていたので禄に効かず
・100%の戸愚呂(弟)に霊丸を一撃→気合だけでかき消される
・覚醒した幽助が予告代わりにわざと外す
・100%中の100%の戸愚呂(弟)に全生命力を賭けた霊丸を放つ

 戸愚呂(弟)のパワーが上がって、幽助もパワーが上がって―――という典型的なインフレバトルになってしまっているのだけど、霊丸の「1日4発」という制限があることでアクセントになっていることが分かります。一発目は効かない、二発目は効かない、三発目はわざと外す、四発目でガチンコ勝負。これも「起承転結」ですね。

 しかし、この霊丸の「1日4発」という設定はインフレバトルとあまり相性が良くないんじゃないかと思いますね。これまでは「1日4発」という設定が「あと1発しか撃てない」とか「外したらどうするんだ」というハラハラになっていたのだけど、ここまで来ると「霊丸がまだ1発残っているから決着は付かないよね」的な“インフレバトルの上限”になってしまっているというか。


 この後、『幽遊白書』は“能力に目覚めた人間達との戦い”に進むのだけど……「もうインフレバトルは無理だ」という判断があったと考えれば妥当な展開ですし。再びインフレバトルになってしまう仙水との戦いで破綻していくのも必然だったというか。

(関連記事:「霊丸がまだ1発残っているから決着は付かないよね」


【仙水戦】
・トラックで逃げる仙水達に向かって霊丸を一撃→烈蹴紅球波で相殺される
・刃霧の投げる無数の刃物を叩き落すためにショットガンを一撃放つ
・気鋼闘衣をまとった仙水に霊丸を放つ→力を持て余しているために外してしまう
・雷禅に乗っ取られた状態で極大霊丸を放って仙水を倒してしまう

 戸愚呂(弟)戦で「どんどん強くなる戸愚呂(弟)」に「どんどん強くなる霊丸を放つ」というインフレバトルをやってしまったので、それ以後の『幽遊白書』では霊丸をそういう使い方をしないんですね。もちろん仙水戦を読みながら「あと2発しか撃てない」と子どもの頃の私は思っていましたが、実際に使われた2発は戸愚呂(弟)戦のような“力と力のぶつかり合い”ではなかったという。


 冨樫先生が「戸愚呂兄弟辺りから主人公達を描くのに飽きて、敵サイドのキャラを描くのが楽しくなった」とどこかで語ったのを読んだ記憶があるのですが、これは霊丸の設定にも言えることで……
 「1日1発」という設定の時はそれを見事に活かしていたし、「1日4発」という設定になったばかりの酎戦や陣戦はそれを見事に活かしていたのだけど。仙水戦辺りではもうこの設定に飽きてしまっている感がありました。“上手く活かすアイディアがなかった”と言うべきか。


 そういう意味では、霊丸の使われ方一つだけを見ても人気絶頂の頃にありながら『幽遊白書』の連載が終わってしまった理由が分からなくもないなと思うのです。



【三行まとめ】
・「1日1発」も「1日4発」も、その設定を活かした面白さがしっかり描かれていた
・「新しい面白さ」のために霊丸の設定は変更されていったと言えるのだけど……
・それ以降のアイディアが生まれなかったことが『幽遊白書』終了の一因になったのかも



 あ、そうそう。
 霊丸を使ったシーンはここに記した以外にもありますからね。思いつく限りで、幻海の最後の試練前と、幻海が死んだ後と、神谷戦と、雷禅に向かって―――と。  ただ、「1日4発」の設定とは関係がなかったので特に触れませんでした。

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