“パクリ”と紙一重の“パロディ”だった『幽遊白書』

<画像は『幽☆遊☆白書』15巻「本当の追跡者!!」より引用>

※ この記事は2008年に旧ブログに書かれたものを幾つか手直しして2025年に移行した記事です

 「え?今更?」という話題かも知れませんが……最近とあるサイトで『ヨシりんでポン』についての記事を読んだので、今日は唐突に冨樫義博先生についての話題です。



 『ヨシりんでポン』とは『幽遊白書』の連載終了後に冨樫先生(とその友人)が出した同人誌で、『幽遊白書』が人気絶頂時に突然終わってしまった理由や連載時の辛いエピソードなんかが語られているそうです。僕自身は実物を見たことがないのですが、ネット上では読んだ人の感想が溢れているため、内容自体は結構有名なんじゃないかと思います。
 (どうでも良いけど、情報を集めようと検索したら大昔の自分の記事が出てきて、文章の酷さに逃げ出したくなりました。何なんだ、あの鬱を吐き出しまくっている文章は……!)



 というように、内容はほとんど知っているつもりだったんですけど……
 最近読んだその記事に「え?そうなの?」と色々なことを考えさせられた情報があったので、要約してご紹介したいと思います。


 「“領域(テリトリー)”の元ネタは例のアレで、パロディとして笑い飛ばしてもらいたかったのだけど……ほとんどの人にはパクリだと思われたみたいで肩身が狭かった」

 繰り返しになりますが僕は原物を見たことがないので、この発言が本当に書かれていたものかは保証できませんし(又聞きの又聞きだしねぇ)、本当に書かれていたとしてもそれが真実かどうかは分からないのですけど―――言われてみれば、そう考えた方が納得がいくような気もするのです。


 喩えば……“領域”が出てくる「魔界の扉編」の前の「暗黒武術会編」についても同じで。
 当時のジャンプに多かった(というよりも編集方針だった)“トーナメントによるインフレバトル”として一括りにされそうな「暗黒武術会編」なんですけど、ところどころに“トーナメントによるインフレバトル”へのパロディというかアンチテーゼのようなものが垣間見えたんですよね。

 ・公平ではないトーナメント表
 ・対戦方式を毎度話し合って決める
 ・公正ではないジャッジ
 ・一度負けた選手が、再び登場してまた戦う

 これは『幽遊白書』よりも、次作である『レベルE』やその次の『HUNTER×HUNTER』の初期(ハンター試験編)なんかに顕著なんですけど……“漫画のお決まりごと”を読者が知っていることを前提に、そこから絶妙な具合だけ外すという手を冨樫先生はよく使うんですよね。それこそが彼の作品の最大の魅力だとも僕は思っていて。

 『パワプロ』好きの冨樫先生に敬意を表する比喩をさせてもらえば、打者の得意コースに投げたと見せかけてボール半個分外れていることで打ち取る―――とでも言いましょうか。


 そうした“お決まり”からのズレが冨樫先生流の「パロディ」だとすると―――
 「魔界の扉編」に出てくる“領域”が、「パクリ」ではなく「パロディ」というのも分からなくはないなとも思えるのです。


 元ネタとなっているという“例のアレ”というのは、率直に言って『ジョジョの奇妙な冒険』のスタンドですよね。各キャラに個別の能力があって、その能力に二つ名が付いていて、有効距離の概念があって、駆け引きと能力の相性によって勝敗を決するという部分はほぼ一緒。

 でも、よくよく考えてみると……『ジョジョ』のそれがあくまで“スタンド能力者同士の戦い”だったのに比べて、『幽遊白書』のそれは“戦闘能力では圧倒している主人公達が、能力を持っただけの人間に苦しめられる”という構図の違いを見つけることができます。
 「何故見破ったんですか?」→「何となくだ!」みたいな展開も、高度な駆け引きバトルを冨樫先生流にパロッたものだという気もしますし。確かに当時、僕なんかはそれはそれで面白いと感じていたんですよね。



 ただまぁ……上に書いた“トーナメントによるインフレバトル”のパロディとも解釈できる「暗黒武術会編」も、「ドラゴンボールのパクリだ!」と思う人もいますし(個人的には当時のジャンプはトーナメントバトルばっかだったので『幽遊白書』だけ指摘されるのは違和感あるんですけど)。
 スタンドバトルのパロディのつもりで描かれた“領域”が、「パクリだ!」と言われるのも仕方ないのかなーとも思います。さっきは敢えて書きませんでしたけど、『ジョジョ』自身が「これまでのお決まりパターンを崩す」展開を好んで使っていましたしね。


 「パロディの定義って何?」という話になっちゃうんですけど……
 「元ネタを知らないと楽しめないのがパロディ」という定義だとすれば、「元ネタ(=お決まりごと)を知らない人も楽しんでいた」「元ネタ(=お決まりごと)を知っているとより楽しかった」『幽遊白書』は非常にグレーなポジションだったんじゃないでしょうか。
 そう考えると……『レベルE』なんかは思いっきり「元ネタ(=お決まりごと)を知らないと楽しめない」作品だったとも言えて、『レベルE』は冨樫先生が描きたかった念願のパロディ作品だったのかなーと今更ながらに思ったのです。

 裏を返せば、『幽遊白書』ではそこまで自由に描くことが許されなかったのかも知れませんね(バトル漫画の看板みたいな作品でしたしね)。



 ということもあって。
 僕の中での冨樫作品の好きな順は、『レベルE』>『HUNTER×HUNTER』>『幽遊白書』の順です。

 『てんで性悪キューピッド』は別格。あの漫画で性に目覚めた小学生の僕は、そこから変態街道まっしぐらで今に至ります(笑)。でも、今考えてみると、あの作品もまた王道お色気ラブコメのパロディのような作品だったんですかね。押し入れの中から引っ張り出して、今度また読み返してみようかな。



※ 2025年追記:
 2022年に『うる星やつら』が再アニメ化されてそれを見て初めて分かったんですが……『てんで性悪キューピッド』(1989年~1990年)はサンデーの『うる星やつら』(1978年~1987年)に代表される「落ちもの」ラブコメを意識的に反転させた“パロディ”だったんですね。

・ラブコメの主人公なのに、男主人公には「性欲」も「(現実の女性に対して)恋愛感情」もない(性欲の塊のような諸星あたるとは正反対)
・男主人公をスケベにするために来たので、ラブコメのヒロインなのに、ヒロインは男主人公と他の女を接触させようとする(あたるのことが大好きで嫉妬深いラムとは正反対)
・女性キャラはたくさん出てくるが、まりあ以外の女性キャラは(恋愛対象にならない)主人公の姉妹がほとんどで、「女性に対する幻想を砕く」存在になっている(後に主流になるハーレムラブコメとは対照的)

 冨樫先生自身はこの作品をあまり好きじゃなかったなんて話もありますが、個人的には『レベルE』と双璧をなす“冨樫先生の作家性がよく出ている作品”だと思っています。



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