栗山未来は「何」になったのか――アニメ『境界の彼方』ラストシーン考察

※ この記事はアニメ版『境界の彼方』最終話までの全12話のネタバレを含みます。

  閲覧にはご注意下さい。



※ この記事は2014年に旧ブログに書かれたものを幾つか手直しして2025年に移行した記事です


 ラストシーンの考察なので、当然ラストシーンのネタバレも含みます。
 まだ『境界の彼方』のアニメを観ていない人、これから観る予定の人は読まない方が絶対に良い記事です。





 さて。最終話の放送直後に、このブログでは「初見では絶対にワケが分からないであろう『境界の彼方』の伏線をまとめました」という記事を書きました。「急いで書いて良かったなー」と思うことに、その後にあいばたんが素晴らしい考察記事を書かれているんです。


 境界の彼方/第12話(最終回)感想(少しラストシーンの解説含む)

 自分は伏線まとめの記事で「何故、栗山さんは最後この世界に戻ってこられたのか―――」に完璧な説明は出来ないと書いたのですが、ちゃんと作中にヒントは描かれていたのです。
 詳しくはあいばたんの記事を読んでもらいたいですが、作中で分かりやすく描かれているものとしては、“境界の彼方”は世界を具現化していたし“境界の彼方と融合した栗山さん”は秋人を具現化していた、ならばラストシーンで栗山さんを具現化させたのは“境界の彼方を再び取り込んだ秋人”に他ならないはずだ、と。


 他人様の記事を「すごいね!すごいね!」と言うだけだとウチを読みに来てくれている人に申し訳ないので、このあいばたんの考察を踏まえて自分なりにもうちょっと考えてみようと思います。
 伏線まとめの記事に私は「最終話を迎えてもまだなお説明が付かない“謎”が大量に残っている」と書きました。しかし、あのラストシーンを踏まえて、以下のような仮説を立てると、そうしたたくさんの“謎”に説明が付くと気付いたのです。もっと言うと、あのシーンはコレを説明するためのシーンだったんじゃないかと思うくらいです。





 それはつまり。

 栗山未来は「神原秋人と同じような存在」になったのではないか――――





 これは恐らく本編中に出てこなかった表現だと思うのですが、アニメ放送開始前に公開されたPVにはきっちりこう書かれています。



 存在しないはずの「半妖」の少年――――
 秋人のことをそう説明しているのです。


 そう。「半妖」というのは本来は存在しないんです。
 妖夢である愛ちゃんと、人間の男性が結婚したからと言って、「半妖」は生まれないんです。妖夢は「人の心の憎しみが形になって生まれる」と言われているので、妖夢には恐らく生殖機能はないんです。愛ちゃんは猫又の妖夢が、彩華さんは九尾の狐の妖夢が、普段は人間の姿に変化している―――ってカンジなんでしょうしね。


 秋人は本来「存在しないはずの存在」……それが何を意味しているかというと、
 この作品には、最初から「存在しないはずの存在」が存在していたということなんです。



「先輩の中に“境界の彼方”は戻ったんです。
ここはもうすぐ崩壊します。私も多分……消えます。
“境界の彼方”が先輩の中に戻った今、私は存在できないはずです。本当の私は…もうとっくにいませんから」



 最終話のラストシーン。「存在できないはずの栗山さん」があそこに存在していたのは、唐突でも不思議でも御都合展開でもなく、最初から明示されていたんです。「存在しないはずの神原秋人」の存在が、「存在できないはずの栗山未来」の復活を裏付けていたんです。





 そして、このアニメのラストシーンに描かれる「栗山未来の復活」は、これまでずっと“謎”だった部分の説明も担っていると考えられるのです。それが、「神原秋人の出生の秘密」――――――

 最終話のAパート、神原弥生のこんな台詞があります。


「博臣くん、美月ちゃん。
秋人と未来ちゃんは、ただの“妖夢”と“異界士”ではない。特別な存在なの。
……よろしく頼みます!続くぅ!!」


 「特別な存在」というのを、最初自分は“半妖”と“呪われた血の一族の生き残り”だと思っていました。そして「続く」で、何も説明せずにこの作品は幕を閉じてしまったのだと思っていました。
 でも、違います。順序立てて考えれば、分かるのです。この状況で“半妖”だとか“呪われた血の一族の生き残り”だとか、分かりきったことを言うはずがないのです。

 というのも……弥生は、“境界の彼方”が作り出した世界の中で栗山さんがどうなっているのかを正確に把握していました。
 “境界の彼方”が勝てば世界が滅ぶことも分かっていたのですから、栗山さんが勝てば栗山さんも消滅することは分かっていたはずなんです。なのに、最後に「よろしく頼みます!」とだけ博臣と美月に言って去っていくのです。

 つまり、弥生は「栗山さんが復活すること」を分かっていたんですね。



 何故か?
 それはきっと――――


弥生「“境界の彼方”には栗山未来が作り出した…彼女の強い想いが作り出した“秋人の傀儡”がいるわ。それを捕まえなさい……全力で。後は、その妖夢石が運んでくれるはずよ。」
秋人「なんで……そんなこと、知ってるんだよ……」
弥生「分かるでしょ……貴方の母親は、神原弥生よ。」
秋人「……いずれ僕のことも、きちんと話してもらうからな」



 彼女はきっと経験しているのです。
 「母親だから知っている」というのなら、きっとかつて生まれてきた「存在しないはずの存在」を経験しているから知っているのです。
 “父親”がそれを望んだのか、“母親”がそれを望んだのかは分からないけれど、「存在しないはずの神原秋人」は、最終話で栗山さんがそうして復活したように、“境界の彼方”の力によって具現化された子どもだったんじゃないかと推察されるのです。


 もちろんこれは仮説でしかありませんが。
 そう考えれば、「弥生の言動」も「秋人の出生の秘密」も「栗山さんが何故復活できたのか」も全て作品内で説明されていることになりますし、「栗山さんの復活」によって今までの“謎”がことごとく解明されるラストシーンだったと言えるんじゃないかと思うのです。





 そもそもの話、物語の帰結として―――
 恐らく栗山さんは“境界の彼方”を殺せば自分が消滅することは分かっていて、それでも秋人を「普通の人間」にしてあげるために自分の身は犠牲になっても“境界の彼方”を殺せばイイと思っていたんじゃないかと思います。
 でも、秋人はそれを許しませんでした。“嫉妬”も“絶望”も“哀しみ”も“後悔”も“我侭”も“猜疑心”も“憎悪”も“諦め”も“狡猾”も“保身”も受け入れて、「普通の人間」になんて戻らなくてイイ、人間の汚い部分も最強の妖夢としての恐ろしい部分もあってイイじゃないかと“境界の彼方”と生きていくことを選んだのです。

 その選択の結果として、栗山さんが戻ってこられた―――というのなら、これ以上ないほど美しいエンディングだったと思いますし。



 「人の心の憎しみが形になって妖夢が生まれる」というこの作品世界において、
 栗山さんと、恐らく秋人は、

「予めそう定められていたのか……
それとも、栗山さんが頑張ったおかげかは分からない。
それとも、僕の栗山さんへの想いが届いたのか――――」


 栗山さんと、恐らく秋人は、誰かの純粋な「存在して欲しい」という想いから生まれているんです。人間の心の闇が集まって出来た“境界の彼方”が、実はそんな純粋な想いを具現化してくれていた―――最終話のタイトル「灰色の世界」には、そんな意味が込められていたんじゃないかと思います。



 アニメではあまり描かれませんでしたけど、原作の秋人は「死にたくても死ねない」というキャラでした。栗山さんはアニメでも原作でも「死んでしまいたいとどこかで思っていた」というキャラでした。闇を抱え、後悔を抱え、普通の人間になれない絶望を抱え、自身の生を肯定出来ないキャラでした。

 そんな彼らに、闇も後悔も絶望も抱えたまま、「存在してイイんだ」と言ってあげられたこのラストシーンはこれ以上ないほど優しくて美しかったと思いますし。だから、私はこのアニメが大好きだったんだなと心の底から思いました。








 ……ということで、このまま「いやー、あのラストシーンは凄かったんだねぇ」と『境界の彼方』語りを締めくくっても良かったのですが。やはりこうなると無視出来ない問題が出てきますよね。

 あれ?美月、何もやってなくね……?

 伏線まとめの記事に書いた、「残されたたくさんの“謎”」――――
 「博臣の能力」については原作である程度の説明はされていました(この記事参照)。
 「弥生の言動」と、「秋人の出生の秘密」はこの記事に書いた内容で説明出来ます。
 「栗山さんが何故戻ってこられたのか」も言うまでもなく。
 「泉の正体」と「弥勒の目的」もある程度推察は出来ますし、そもそもこれは詳細に説明するのは野暮だとも思うのです。秋人達には分からない大人の事情もあるだろうよと。

 でも、「美月が何をしていたのか」だけはやっぱり説明が出来ないのです。
 「弥生と連絡を取っていたっぽい」のは確定としても、「栗山さんと何を話していたのか」は最後まで分かりませんでした。何かを話していたのは間違いないと思うのだけど、美月は結局何もしていない(ように見える)し……ここまで徹底して説明されないというのは、やはりブルーレイ7巻で明らかになるのか、2期をやるのか。



 『境界の彼方』の2期があるのかは分かりませんが……
 もし2期をやるのなら、博臣を主人公にしてくれた方が面白いんじゃないかと思います。

 今日の記事に書いたように、秋人と栗山さんに関してはもう完全に「やりきっちゃった」と思うんですね。二人が完全に生を肯定出来るようになって、二人ともお互いに「好き」と言っちゃっているし。この二人の物語はもうここで完結してしまっていて、あとはひたすらイチャイチャするしかないと思いますもの(笑)。

 でも、博臣はこれから過酷な現実と戦わなければならないし、秋人との関係もこのまま続けられるかは分からなくなるし、ヒロイン(妹)との関係がどう変わっていくのかも面白そうですし、ニノさんがフラグ立てていたし(笑)。まだまだ描き足りない博臣の話があるのですよ!



 ……ということで心の底から言おうじゃないですか。
 2期、希望!!と。




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――2025年追記――
 ということで、「考察の余地」を残したまま終わった『境界の彼方』ですが……2015年3月に総集編映画、2015年4月に「このラストシーンの続き」となる新作映画が公開されました。

 私も新作映画の方だけは観たのですが……
 1年以上も経っていたのでテレビアニメの内容を覚えておらず、「アレってテレビ版で最後どうなったんだっけ??」と思い出そうとしても思い出せないみたいな視聴になってしまって、映画の内容もあまり覚えていません。


 「テレビアニメの続きを劇場版アニメでやる」展開は、現在でも割とよくあるんですけど……私、時間が空いちゃうと「テレビアニメの内容を全部忘れてしまう」ので劇場版アニメを観ても全然楽しめないんですよ。
 なので、「劇場版アニメの前にテレビアニメを観返そう!」とその後はするように心がけているのだけど、「テレビアニメを観返す」時間も確保できないので、2019年の『ラブライブ!サンシャイン』の映画も未だに観れていません!


 なので……この考察記事が合ってたのかどうかすらよく分かりません、すみません!




 観返したい人のために、『境界の彼方』シリーズのサブスクまとめておきます。

<2025年4月11日現在テレビアニメ版『境界の彼方』が見放題になっているサブスク>

<2025年4月11日現在劇場版『境界の彼方―I'LL BE HERE―過去篇』が見放題になっているサブスク>
 Hulu

<2025年4月11日現在劇場版『境界の彼方―I'LL BE HERE―過去篇』が見放題になっているサブスク>
 Hulu

 劇場版、レンタル視聴はいろんなところで出来るのですが、サブスクで見放題になっているのはHuluのみみたいです。


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