※ この記事は2013年に旧ブログに書かれたものを幾つか手直しして2025年に移行した記事です
すごく面白かった記事。
ドラクエは一本道だから面白い(まつたけのブログさん)
「ドラクエらしさとは何か?」という話は、『1』が好きな人『2』が好きな人『3』が好きな人『4』が好きな人『5』が好きな人『6』が好きな人『7』が好きな人『8』が好きな人『9』が好きな人『10』が好きな人『モンスターズ』が好きな人『アベル伝説』が好きな人、等々。様々な人がいて、それを語るだけで半日は過ぎてしまうような話題なのでここでは置いておきます。
自分が面白いと思ったのは、まつたけさんはあくまで「このゲームが好きだ」と“自分を”語っているだけなのに、この記事を読むと『ドラクエ4』(1990年発売)から『ドラクエ9』(2009年発売)の約20年間で“ゲームがどう変わってしまった”のかが見えてくるところです。
『ドラゴンクエスト』シリーズは日本のRPGの代表作で、「RPGと言えばドラクエのようなゲーム」と連想する日本人も多いと思うのですが。1990年における「RPG」と、2009年における「RPG」では、ゲーム業界における「RPG」の立ち位置が全然違うんですよね。
かつては「ゲームでストーリーを語る」ためにはRPGが最適だと思われていたのが、今ではもうそうではなくなってしまった―――だから、『ドラクエ』も『4』と『9』では違うゲームになるのは仕方がないことだと思うのです。
○ 「ストーリーを語る」アドベンチャーゲームの登場
元々コンピューターゲームには「ストーリー」なんてあってないようなものでした。
1970年代の『PONG』や「ブロックくずし」でストーリーが語れるワケもありませんし、1983年の『ゼビウス』ですら重厚なストーリーは“ゲームの外で”設定として語られるものでした。
ファミコン初期のアクションゲームなんかは説明書にストーリーが書いてあるだけで、説明書なしの中古で買ってくると「ストーリー」どころか「主人公の名前」も分からないでプレイしているのが普通でしたからね。
状況が変わってくるのは80年代前半にPCで展開されていた「アドベンチャーゲーム」が、家庭用のファミコン等に移植される80年代中盤くらい。一応説明しておきますと、当時のPCの普及率は今とは比べ物にならないくらいに低かったのです。

<画像はファミリーコンピュータ版『ポートピア連続殺人事件』より引用>
1985年にファミコン用に移植された『ポートピア連続殺人事件』は60万本の大ヒットで、1986年にはアドベンチャーゲーム向きとも言える「セーブ可能」「安価で書き換え可能」なファミコンの周辺機器「ディスクシステム」が登場し、(PCではない)家庭用ゲーム機でも「ストーリーを語るゲーム」が数多く発売されるようになりました。
・『ミシシッピー殺人事件』(1986年)
・『水晶の龍』(1986年)
・『さんまの名探偵』(1987年)
・『探偵 神宮寺三郎 新宿中央公園殺人事件』(1987年)
・『ふぁみこんむかし話 新・鬼ヶ島』(1987年)
・『ファミコン探偵倶楽部 消えた後継者』(1988年)
・『サラダの国のトマト姫』(1988年、PC版は1984年)
『たけしの挑戦状』(1986年)はアクションもあるから『ゼルダ』寄りで考えるべきかな……
この時期は西村京太郎さんや赤川次郎さんの名前の付いたゲームも発売されていましたし、「ゲームでストーリーを語る」ことが普通になっていった時期なんですね。アクションゲームが苦手な人でも遊べるし、アドベンチャーゲームは大人でも楽しめるジャンルだったのです。
ですが……「ストーリーを楽しむゲーム」はアクションゲームやシューティングゲームのように「何周も遊んで上達する」ことが出来ませんし、当時のゲームの容量では何十時間も遊べるようなテキストを入れられませんし。コストパフォーマンスの悪さからか、市場の中心にはならなかったんですよね。
○ 「アドベンチャーゲーム」の問題を解決した『ドラゴンクエスト』の登場
逆に……というか、「そんなアドベンチャーゲームを発展させた」というべきか。
1980年代後半のゲーム市場の中心は、『ポートピア連続殺人事件』を大ヒットさせた堀井雄二さんの次作『ドラゴンクエスト』シリーズと、それに続く数々のRPG達となっていくのです。

<画像はWii版『ファミリーコンピュータ ドラゴンクエスト』より引用>
『ドラクエ1』なんかは分かりやすいですが、『ドラクエ1』って「アドベンチャーゲームに“戦闘”を足したゲーム」なんですよ。やることは「町の人に話を聞く」とか「○○に行って××を取ってくる」とか「△△と◇◇と☆☆を手に入れる」とか、アドベンチャーゲームとあまり変わっていないんです。
ただ、その道中に“敵”が出てくるので「ダンジョンを撤退するかこのまま進むか」の葛藤とか、レベルが上がることによるパワーアップ要素とか、出てくる“敵”の違いで土地の違いが表現されるとか、全く違う遊びになっているという。
RPGというジャンルは元々テーブルトークRPGから始まり、『ウルティマ』や『ウィザードリィ』が生まれ、それらのソフトの影響を『ドラゴンクエスト』も受けてはいると思うのですが。『ドラクエ』自身を含む以後の日本のRPGは、テーブルトークRPGよりもアドベンチャーゲームからの流れで発展したジャンルと考えた方が色々なことに説明がつくと私は思っています。アドベンチャーゲームをヒットさせた人が『ドラクエ』をヒットさせて日本のRPGの源流を作ったワケですからね。
RPGはアドベンチャーゲームにはなかった「敵との戦闘」「レベル上げ」によってプレイ時間が長くなるため、アドベンチャーゲームが抱えていた問題を解決するジャンルと考えられていて……「ゲームでストーリーを語るジャンル」にはアドベンチャーゲームとRPGという二つの方法があって、1980年代後半はRPGの方が優勢だったと私は思っています。
・『ドラゴンクエスト』(1986年)
・『イース』(1987年)
・『デジタル・デビル物語 女神転生』(1987年)
・『桃太郎伝説』(1987年)
・『ファイナルファンタジー』(1987年)
・『天外魔境 ZIRIA』(1989年)
・『MOTHER』(1989年)
『ドラクエ』を作った堀井さん自身も元々は「フリーライター」ですけど、この頃のRPGは「異業種の有名人が企画を立てる」なんて作品も多かったですよね。
『桃太郎伝説』は『ジャンプ放送局』の構成をしていたさくまあきらさん、『MOTHER』はコピーライターの糸井重里さん、『天外魔境』はアニメのプロデューサー等をしていた広井王子さん、『サンサーラ・ナーガ』はアニメ監督の押井守さん―――それぞれ関わり方は違うと思いますが、当時はまだまだ有名なゲームクリエイターが存在していませんから、異業種の人の「作家性」を発揮してもらうジャンルとしてRPGがあったんですね。
この時代は、キャラゲーもみんなRPGになっていた時代でした。
『ウルトラマン倶楽部』『ドラえもん ギガゾンビの逆襲』『ドラゴンボール 大魔王復活』……
また、他のジャンルにもどんどんRPGが侵食していって、「アクションゲームにレベル制とストーリーを足したアクションRPG」「シミュレーションゲームにレベル制とストーリーを足したシミュレーションRPG」なども生まれました。兎にも角にもRPGという時代でした。
『ドラクエ4』が発売された1990年というのは、そういう時代だったのです。
「ゲームでストーリーを語るにはRPG」だったし「RPGと言えばストーリーを語るゲーム」でした。『ドラクエ4』以外にも、『イース』が生まれ、『FF』が生まれ、『シャイニング』シリーズが生まれた時代でした(『テイルズ』はもうちょっと後だけど)。
でも、もう今ではそうではないと思うのです。
技術が進歩した結果、RPGでなくても「ストーリーを語るゲーム」は作れるのです。この20年間でRPGというジャンルの立ち位置は全く別のものになったと言えるのです。
○ アドベンチャーゲームを復権させたノベルゲーム
先の項で私は「80年代中盤にストーリーを語るゲームとしてアドベンチャーゲームが出てきたが、あっさりとRPGに取って代わられた」というようなことを書きました。当然それはここからの展開に向けた伏線です。

<画像はスーパーファミコン用ソフト『弟切草』より引用>
1992年、「マイナージャンルに落っこちた」と思われたアドベンチャーゲームが『弟切草』という1本のゲームで再興します(※1)。
それまでのアドベンチャーゲームはクリアしたら終わりという問題を抱えていたのですが、『弟切草』は「選択肢によってストーリーが分岐していく」マルチシナリオのゲームで、再プレイ時には選択肢が増えて新たなルートが現れる等“何周も遊べるノベルゲーム”として以後に多大な影響を与えていくことになるのです。
(※1:これもファミコン版『ポートピア連続殺人事件』『ドラゴンクエスト』のプログラムを行っていたチュンソフトというのは、すごい興味深い話ですよね)
『弟切草』から続くサウンドノベル第2弾『かまいたちの夜』は1994年に発売されて100万本以上を売り上げる大ヒット。以後は(サウンドノベルという商標は使っていませんが)各社から同様のノベルゲームが発売されていきます。1995年発売の『学校であった怖い話』なんかも有名ですね。
ちなみに『弟切草』の脚本はテレビドラマの脚本家の長坂秀佳さんが多くを手がけていて、『かまいたちの夜』の脚本は小説家の我孫子武丸さんが書かれている―――と、ここでも異業種の有名人が参加して“作家性を発揮する”というのも面白い話です。
さて、ちょっと話は変わります。
1990年代のゲーム業界はやはり激動の時代だったんだなと思うことですが、ノベルゲームの台頭と重なる時期の1990年代前半に“美少女を題材にしたゲーム”が次々と台頭していきました(※2)。
(※2:もちろん『中山美穂のトキメキハイスクール』等のように80年代に美少女ゲームがなかったワケではないのですが)
PCゲームも家庭用ゲームもありましたし、アダルトゲームも非アダルトゲームもあるのですが…
・『プリンセスメーカー』(1991年)
・『卒業 ~Graduation~』(1992年)
・『同級生』(1992年)
・『ときめきメモリアル』(1994年)
『プリンセスメーカー』は娘を育てるゲーム、『卒業』は生徒を育てるゲーム、『ときメモ』は自分を育てるゲーム―――と、この時期のギャルゲーは“育成シミュレーションゲーム”でシナリオよりも自由度の高さに比重があったと思うのですが、ドラマ性の高い『同級生』『同級生2』がヒットしていったことで“ストーリーを語る恋愛アドベンチャーゲーム”も人気のジャンルになっていきます。
そして、もう一つ。
1995年にWindows95が発売されて以降、PCの普及率はどんどん上がっていきます。
「『弟切草』的マルチシナリオのアドベンチャーゲームの定着」「美少女を題材にしたゲームの台頭」「PCの普及」の3つが重なり、1990年代後半以降はPC用のマルチシナリオの美少女ゲームが「ストーリーを語るゲーム」として主流になっていくのです。これにもアダルト・非アダルト、同人・商業、PC用・家庭用への移植などなど、様々なタイプがあるんですけどね。
・『EVE burst error』(1995年)
・『雫』(1996年)
・『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』(1996年)
・『To Heart』(1997年)
・『ONE ~輝く季節へ~』(1998年)
・『Kanon』(1999年)
・『月姫』(2000年)
・『ひぐらしのなく頃に』(2002年~)
・『沙耶の唄』(2003年)
・『Fate/stay night』(2004年)
この手のジャンルに詳しくない人は(私も別に詳しくはないけど)、「PCの美少女ゲームなんてオナニーのためのゲームでしょ?」と思われるかも知れませんが。感動ものの“泣きゲー”や、重厚な設定で戦ったり、殺されたり殺したり……どっちかというとシナリオ重視のジャンルであって、むしろ「ストーリーでのみ勝負する」ゲームであると言えます。
実際、かつてはアダルト作品を出していた会社も「エロシーンなんて要らないんじゃね?」と非アダルト作品を出すようになったり。PCではアダルト作品扱いだったものを、家庭用ゲーム機にエロシーンを抜いて非アダルト作品として移植してもヒットしたり、非アダルトのテレビアニメになっても大ヒットしたりしていますからね。
以前、アニメ『魔法少女まどか☆マギカ』の脚本を書いた虚淵玄さんがラジオに出演した際、「どうしてこんな斬新なことをやろうと思ったのですか?」と訊かれて「いやいや、元々アダルトゲームでやっていたことをテレビアニメでやったら、アダルトゲームを知らない人達から「斬新だ!」と言われただけなんですよ」と答えていて、絶妙に分かりやすい表現だなと思いました。
一応言っておくと虚淵さんはニトロプラスで、アダルトゲームのシナリオを書いていた人ね。今や超売れっ子のアニメ脚本家ですけど。
冒頭で紹介したまつたけさんの記事の後半にこういう記述があります。
<以下、引用>
だからビジュアルノベルというのか、人によってはゲームとすら認めないようなエロゲーとかの分岐を選択していくだけのアドベンチャーゲームもすごく好き。最初にやったFate/stay nightもめっちゃハマったけど、CROSS†CHANNELが死ぬほど好き。酸欠起こすほど泣いた。
</ここまで>
「ドラクエとは全然関係のない話」と仰られていますけど、これこそが『ドラクエ4』と『ドラクエ9』の違いの理由だと思うんです。かつては「ゲームでストーリーを語る」にはRPGが最適だと思われていたけど、90年代後半以降は「ビジュアルノベル」に代表されるアドベンチャーゲームの方が優勢になったんじゃないかと思うのです。
より実験的で、より作家性が発揮されて、ストーリーのみで勝負する誤魔化しの出来ないジャンル。
もちろんアドベンチャーゲームはその後「ビジュアルノベル」しかなくなったワケではなくて、『逆転裁判』(2001年)、『レイトン教授と不思議な町』(2007年)、『428~封鎖された渋谷で~』(2008年)、『STEINS;GATE』(2009年)、『ダンガンロンパ』(2010年)と、様々なタイプのアドベンチャーゲームが発売されていて。『レイトン教授』は若干微妙かも知れませんが、どれも「ストーリーで勝負するためには」を考えてゲーム性だったり演出だったりを発明したシリーズとなっています。
○ 「ストーリーを語る」以外の道を進んだRPG
さて、一方のRPGは……というと。
1980年代後半は『ドラクエ』の後追いで多くのRPGが生まれたワケですが、そうしたRPGの全てが志もなく「ドラクエのおこぼれで売れればイイやー」なんて思って作られたのではありません。それぞれがそれぞれの独自のシステムで、「ドラクエとは違うRPG」を目指しました。
その一つの流れが「それぞれのプレイヤーが好きなようにキャラクターを育てられる成長システム」です。“敵”を仲間に出来る『女神転生』(1987年)、熟練度システムの『FF2』(1988年発売)、主人公が全く成長せずに竜だけを強くする『サンサーラ・ナーガ』(1990年)――――
『ドラクエ3』(1988年)の「酒場で好きな仲間を選ぶ」「転職によって複数の職業が組み合わさった仲間になる」というシステムの時点で、既にその道筋は決まっていたようにも思えるのですが……アドベンチャーゲームが『弟切草』を出す1992年に、『ドラクエ5』が「モンスターを仲間に出来るシステム」を採用し、『FF5』が「ジョブとアビリティを組み合わせるシステム」を採用していたことも象徴的だなと思います。
その後のRPGは、1996年に『ポケットモンスター』が超特大ヒットをして“育成シミュレーション”要素の強いゲームがメインになっていきますし。『ドラクエ』も『FF』も、毎回「新しい成長システム」を取り入れていきます。
アドベンチャーゲームが『弟切草』の登場以後「ストーリーを語るゲーム」として発展していくのと同じタイミングで、RPGは育成シミュレーションゲーム寄りの発展をしていくんです。
(関連記事:RPGは変わった(33年前に))
8ヶ月前にこんな記事を書いていました。
『パズドラ』にハマれなかった自分が思う、「探索」要素の危機
この記事ではRPGを「探索」「育成」「戦闘」「ストーリー」の4要素で考えて、ソーシャルゲームや『パズドラ』はその中から「育成」と「戦闘」だけを切り取ったゲームだ――――という記事でした。
『ドラクエ』には「探索」も「ストーリー」もありますけど、ソーシャルゲームも『ドラクエ』も一本道だからこそ大人気になったと私は思っています。
『パズドラ』は言ってしまえば「ストーリーのないRPGの大ヒット作」という究極の形とも言えて、もはやRPGにストーリーは必要ないのか?というところまで“「ストーリーを語る装置」としてのRPG”は来ているんじゃないかなと思います。
プレイステーションが大人気だった1990年代後半、『FF7』に代表されるスクウェアのRPGが「ムービー」を使うことによって映画的に「ストーリー」を語っていました。あの時期はそうしたゲームが主流になっていましたから「最近のRPGは一本道のムービーゲームになってしまった」的に言われていましたよね。
だから、あの時期が“「ストーリーを語る装置」としてのRPG”のピークだったようにも思えるのですが、あの時期には既に“「ストーリーを語る装置」としてのRPG”は崩れ始めていたんじゃないかなぁって思うのです。あの時点で、スクウェア以外のRPGはもう付いていけなくなっていたというか。
PS唯一のナンバリングタイトルになった『ドラクエ7』は「あの頃から開発が長期化するようになった」と言われていますし、一方の64では『MOTHER3』が開発中止にまで追い込まれていました。64版『MOTHER3』開発中止の際のイトイ新聞から、糸井さんと宮本さんと岩田さんの鼎談をちょっと引用させてもらいます。
6ページ目から。
<以下、引用>
糸井「で、あこがれちゃうんですよね。
ロールプレイングゲームというのは記号と記号が出会って何かが起こったとき、また記号で表現されるみたいなシステムですよね。
そこに対する欲求不満がいつもあって、記号以上のものに見せていきたい、となったときに、マリオ(※ 64の『マリオ64』のこと)の中にものすごくいいヒントがあったりする。
こんなに、生理的に体感できるドラマになる、ということを、入れられるんじゃないかって。」
岩田「 映画的な手法を、上手に使って、ロールプレイングというものの刺激を強められるんじゃないかというのを、みんなが思っていることですからね。」
宮本「 N64のはじめの頃、ドラクエの堀井さんにマリオの試作品を見せたんですよ。
堀井さんも、一気に3Dに走るんですよ。 この感じでドラクエがやれたら全然違うって。
でもやっぱりまともにここに入ってくるとドラクエじゃなくなるから、まだまだですよ、って止めたんですが、止めたせいでPSへ行っちゃったかもわかりませんけど(笑)。正直すぎたかも。
あの冷静な堀井さんでさえも、ほとんど現実に近い感じのところに自分のキャラクターを全部置いてみるということにすごく興味を持っていました。」
糸井「したいんですよ、たぶん。」
岩田「たぶん、シナリオを書くひとの本質的な欲望だと思いますよ。」
宮本「僕は、逆に、あれを見せないから堀井さんの筆が面白いんやないか、って。」
岩田「それは第三者だから分析できることじゃないですかね。」
</ここまで>
次に11ページ目から。
<以下、引用>
糸井「でもね、そういう大きい世界が描けるんじゃないか、っていう夢の世界は、いままでで一番うれしかったかもしれない。(※ 『MOTHER3』でやりたかったことは)」
宮本「「ゲームを超えて」ってことですか?」
糸井「うん。ゲームを超えてって言っていいのかわからないけど、ここまでできる、みたいな。」
宮本「ちょうど、その頃、映画のクオリティとゲームのクオリティに歴然と差があったのが、埋まってきた時期ですよね。
『MOTHER 3』を作り始めた頃に『スーパードンキーコング』が出てきたり、それから、ムービーの片鱗がゲームにもぱらぱら出てきたりして。
またそれまでは、『ファイナルファンタジー6』と映画の間に明らかに溝があったし。」
岩田「というか、一気に埋まりそうに見えた時期。」
宮本「ゲームのクオリティが、世間にある高級エンターテインメントと肩を並べてきた時期で、表現に関してはそこまでいったから、あとはその表現つきの新しいアイディアってことでものすごい騎馬兵を手に入れたみたいな、ものすごい軍隊が作れるって気がしたんですよね。」
糸井「うん。したんですね。」
宮本「だから、ちょうどその時期にのったんですよ。
その軍隊を仕立てることばかりに興味がいっちゃって、そこからどう戦うかみたいな戦略への興味が薄かったのかなあと思いますよね。」
</ここまで>
※ 改行・強調・読点など、引用者が手を加えたところがあります
セガサターン、プレイステーション、NINTENDO64の時代、ハードは違えどどのハードも「ゲームに3Dが本格的に加わった時代」でした。
RPGに3Dが加わるというのはどういうことかというと、「カメラワーク」の概念が生まれるんです。
2Dだった『FF6』の時代はプレイヤーは固定のカメラでキャラクターを見ているので「舞台演劇」のような楽しみ方になるのですが(そう言えば分かりやすくオペラ座とかあったな)、『FF7』になるとカメラをグルグル回して「映画的な演出」が出来るようになったのです。
『ドラクエ』を作った堀井さんも、『MOTHER』を作った糸井さんも、言ってしまえば「2DのRPG」の良さを知り尽くした人達です。そんな彼らでさえもその新しい表現方法に惹かれてしまい、そして苦しめられる―――
「ストーリーを語るRPG」がここで絶滅したワケではなく、今でももちろん生き続けていますが……『ドラクエ7』の開発期間が珍しくないくらい開発が長期化してしまうジャンルになってしまい、大型タイトル以外はなかなか生まれなくなってしまいました。
RPGが「ムービー」を手に入れて映画的表現を可能にした結果、1990年代後半は付いていけないシリーズがたくさん生まれました。
そして、全く同じような時期にPC用ゲームでは「ビジュアルノベル」が人気ジャンルになっていたというのは面白い話です。
実際、今の時代は「ストーリーを楽しみたい人」がわざわざRPGを遊ぶかと思いますからね。早くストーリーの続きが見たいのに、その為にザコ敵と戦って「育成」して、ダンジョンに潜って「探索」して、ボスとの「戦闘」に勝ってようやく話が進む。しかも、昔と違ってクリアまでに50時間かかるのが珍しくなくなってしまいましたし、
RPGでは「ストーリー」以外のことをこなさないと「ストーリー」の続きが読めないため……メーカー側は「時間のない人は課金するとサクサク進めるようになりますよ!」みたいな有料DLCを用意したり、ユーザーから「ストーリーだけ楽しみたいならノベルゲーでもやるっての!」と言われたり。
『パズドラ』の例は極端だとしても、『世界樹の迷宮』とか『メタルマックス4』とか「育成」要素の強いRPGは今でも生まれていますし、『ポケモン』はもちろん『ドラクエ』も『9』→『10』と「育成」ゲームの側面を強めていますし(そもそもMMOがそういうジャンルとも思いますし)。
かつてはアドベンチャーゲームの進化とも言えたRPGですけど、現在ではどっちかというとシミュレーションゲーム寄りのジャンルになっていて、ユーザーの層も「育成」要素を求めている人が主流なんじゃないかって思います。
○ もう「ストーリーを語るRPG」は復権しないのか?
今回この記事を書くにあたって、4Gamerさんに掲載されたアドベンチャーゲームのクリエイターさん達の座談会を読みました。すごくボリュームのある記事なので読んでいなかったのですが、“ゲームとしての表現”を踏み込んで語っている面白い記事でした。是非一読あれ。
イシイジロウ氏ら第一線で活躍するクリエイターがアドベンチャーゲームを語り尽くす!――「弟切草」「かまいたちの夜」から始まった僕らのアドベンチャーゲーム開発史(前編)
この記事の後半でスマホやソーシャルゲームが主流になった今、どういうアドベンチャーゲームが革新を起こせるのかという話がされています。
「トゥルーエンドが出るまでガチャを回す」という冗談の部分だけが話題になってしまっていましたが、話されていることは本当に興味深いことが多いです。
・『ひぐらし』の大成功以降のアドベンチャーゲームは、『428』も『シュタゲ』も「情報交換しながら攻略してもらう」ことを意識して作られた
・現状では「章ごとに買う」タイプの売り方はあまり売れない
・アドベンチャーゲームはある程度の「尺」が必要なため、短時間で遊ばせるソーシャルゲームの手法にそのまま合わせても上手くいかない
・スマホ用に特化することによって新しい“物語のあり方”が生まれる可能性があるし、アドベンチャーゲームの復権はそこにかかっている
この話はアドベンチャーゲームの話ですが、「ストーリーを語るRPG」にも言える話だと思います。
「育成」に特化した『パズドラ』のように、スマホに向いたRPGを考えれば「探索」や「ストーリー」の部分をバッサリ切り捨てるのは当然のことですし、従来型のRPGをそのままスマホに移植しても上手くいかないと思います。
逆に言えば、そこが一番「今のねらい目」なのかも知れませんし。
もし今後「ストーリーを語るRPG」が復権するとしたら、HDグラフィックの据置機による大迫力のムービーとかではなくて、スマホ用のアプリとか3DSのダウンロードソフトなんかで“作家性”を表現できる場所が整った時かなと思います。
それが『魔神STATION』なのかというと……どうだろうなとは思うのですが(笑)。
誰かがそれを発明した時、全く新しい「ストーリーを語るRPG」が現れるんじゃないかなと期待しています。
個人的にはMiiverseはそういう方向に行くんじゃないかと期待していたんですけど、現状ではただの掲示板ですもんね。
『ファミコン探偵倶楽部 ただし探偵が1万人いる』みたいなカンジで、みんなで情報交換しながら進む新しい「ストーリーを語るゲーム」が生まれるんじゃないかって期待していたんですけど。現状だとスマホの方が可能性高そうですねぇ。
・『ミシシッピー殺人事件』(1986年)
・『水晶の龍』(1986年)
・『さんまの名探偵』(1987年)
・『探偵 神宮寺三郎 新宿中央公園殺人事件』(1987年)
・『ふぁみこんむかし話 新・鬼ヶ島』(1987年)
・『ファミコン探偵倶楽部 消えた後継者』(1988年)
・『サラダの国のトマト姫』(1988年、PC版は1984年)
『たけしの挑戦状』(1986年)はアクションもあるから『ゼルダ』寄りで考えるべきかな……
この時期は西村京太郎さんや赤川次郎さんの名前の付いたゲームも発売されていましたし、「ゲームでストーリーを語る」ことが普通になっていった時期なんですね。アクションゲームが苦手な人でも遊べるし、アドベンチャーゲームは大人でも楽しめるジャンルだったのです。
ですが……「ストーリーを楽しむゲーム」はアクションゲームやシューティングゲームのように「何周も遊んで上達する」ことが出来ませんし、当時のゲームの容量では何十時間も遊べるようなテキストを入れられませんし。コストパフォーマンスの悪さからか、市場の中心にはならなかったんですよね。
○ 「アドベンチャーゲーム」の問題を解決した『ドラゴンクエスト』の登場
逆に……というか、「そんなアドベンチャーゲームを発展させた」というべきか。
1980年代後半のゲーム市場の中心は、『ポートピア連続殺人事件』を大ヒットさせた堀井雄二さんの次作『ドラゴンクエスト』シリーズと、それに続く数々のRPG達となっていくのです。

<画像はWii版『ファミリーコンピュータ ドラゴンクエスト』より引用>
『ドラクエ1』なんかは分かりやすいですが、『ドラクエ1』って「アドベンチャーゲームに“戦闘”を足したゲーム」なんですよ。やることは「町の人に話を聞く」とか「○○に行って××を取ってくる」とか「△△と◇◇と☆☆を手に入れる」とか、アドベンチャーゲームとあまり変わっていないんです。
ただ、その道中に“敵”が出てくるので「ダンジョンを撤退するかこのまま進むか」の葛藤とか、レベルが上がることによるパワーアップ要素とか、出てくる“敵”の違いで土地の違いが表現されるとか、全く違う遊びになっているという。
RPGというジャンルは元々テーブルトークRPGから始まり、『ウルティマ』や『ウィザードリィ』が生まれ、それらのソフトの影響を『ドラゴンクエスト』も受けてはいると思うのですが。『ドラクエ』自身を含む以後の日本のRPGは、テーブルトークRPGよりもアドベンチャーゲームからの流れで発展したジャンルと考えた方が色々なことに説明がつくと私は思っています。アドベンチャーゲームをヒットさせた人が『ドラクエ』をヒットさせて日本のRPGの源流を作ったワケですからね。
RPGはアドベンチャーゲームにはなかった「敵との戦闘」「レベル上げ」によってプレイ時間が長くなるため、アドベンチャーゲームが抱えていた問題を解決するジャンルと考えられていて……「ゲームでストーリーを語るジャンル」にはアドベンチャーゲームとRPGという二つの方法があって、1980年代後半はRPGの方が優勢だったと私は思っています。
・『ドラゴンクエスト』(1986年)
・『イース』(1987年)
・『デジタル・デビル物語 女神転生』(1987年)
・『桃太郎伝説』(1987年)
・『ファイナルファンタジー』(1987年)
・『天外魔境 ZIRIA』(1989年)
・『MOTHER』(1989年)
『ドラクエ』を作った堀井さん自身も元々は「フリーライター」ですけど、この頃のRPGは「異業種の有名人が企画を立てる」なんて作品も多かったですよね。
『桃太郎伝説』は『ジャンプ放送局』の構成をしていたさくまあきらさん、『MOTHER』はコピーライターの糸井重里さん、『天外魔境』はアニメのプロデューサー等をしていた広井王子さん、『サンサーラ・ナーガ』はアニメ監督の押井守さん―――それぞれ関わり方は違うと思いますが、当時はまだまだ有名なゲームクリエイターが存在していませんから、異業種の人の「作家性」を発揮してもらうジャンルとしてRPGがあったんですね。
この時代は、キャラゲーもみんなRPGになっていた時代でした。
『ウルトラマン倶楽部』『ドラえもん ギガゾンビの逆襲』『ドラゴンボール 大魔王復活』……
また、他のジャンルにもどんどんRPGが侵食していって、「アクションゲームにレベル制とストーリーを足したアクションRPG」「シミュレーションゲームにレベル制とストーリーを足したシミュレーションRPG」なども生まれました。兎にも角にもRPGという時代でした。
『ドラクエ4』が発売された1990年というのは、そういう時代だったのです。
「ゲームでストーリーを語るにはRPG」だったし「RPGと言えばストーリーを語るゲーム」でした。『ドラクエ4』以外にも、『イース』が生まれ、『FF』が生まれ、『シャイニング』シリーズが生まれた時代でした(『テイルズ』はもうちょっと後だけど)。
でも、もう今ではそうではないと思うのです。
技術が進歩した結果、RPGでなくても「ストーリーを語るゲーム」は作れるのです。この20年間でRPGというジャンルの立ち位置は全く別のものになったと言えるのです。
○ アドベンチャーゲームを復権させたノベルゲーム
先の項で私は「80年代中盤にストーリーを語るゲームとしてアドベンチャーゲームが出てきたが、あっさりとRPGに取って代わられた」というようなことを書きました。当然それはここからの展開に向けた伏線です。

<画像はスーパーファミコン用ソフト『弟切草』より引用>
1992年、「マイナージャンルに落っこちた」と思われたアドベンチャーゲームが『弟切草』という1本のゲームで再興します(※1)。
それまでのアドベンチャーゲームはクリアしたら終わりという問題を抱えていたのですが、『弟切草』は「選択肢によってストーリーが分岐していく」マルチシナリオのゲームで、再プレイ時には選択肢が増えて新たなルートが現れる等“何周も遊べるノベルゲーム”として以後に多大な影響を与えていくことになるのです。
(※1:これもファミコン版『ポートピア連続殺人事件』『ドラゴンクエスト』のプログラムを行っていたチュンソフトというのは、すごい興味深い話ですよね)
『弟切草』から続くサウンドノベル第2弾『かまいたちの夜』は1994年に発売されて100万本以上を売り上げる大ヒット。以後は(サウンドノベルという商標は使っていませんが)各社から同様のノベルゲームが発売されていきます。1995年発売の『学校であった怖い話』なんかも有名ですね。
ちなみに『弟切草』の脚本はテレビドラマの脚本家の長坂秀佳さんが多くを手がけていて、『かまいたちの夜』の脚本は小説家の我孫子武丸さんが書かれている―――と、ここでも異業種の有名人が参加して“作家性を発揮する”というのも面白い話です。
さて、ちょっと話は変わります。
1990年代のゲーム業界はやはり激動の時代だったんだなと思うことですが、ノベルゲームの台頭と重なる時期の1990年代前半に“美少女を題材にしたゲーム”が次々と台頭していきました(※2)。
(※2:もちろん『中山美穂のトキメキハイスクール』等のように80年代に美少女ゲームがなかったワケではないのですが)
PCゲームも家庭用ゲームもありましたし、アダルトゲームも非アダルトゲームもあるのですが…
・『プリンセスメーカー』(1991年)
・『卒業 ~Graduation~』(1992年)
・『同級生』(1992年)
・『ときめきメモリアル』(1994年)
『プリンセスメーカー』は娘を育てるゲーム、『卒業』は生徒を育てるゲーム、『ときメモ』は自分を育てるゲーム―――と、この時期のギャルゲーは“育成シミュレーションゲーム”でシナリオよりも自由度の高さに比重があったと思うのですが、ドラマ性の高い『同級生』『同級生2』がヒットしていったことで“ストーリーを語る恋愛アドベンチャーゲーム”も人気のジャンルになっていきます。
そして、もう一つ。
1995年にWindows95が発売されて以降、PCの普及率はどんどん上がっていきます。
「『弟切草』的マルチシナリオのアドベンチャーゲームの定着」「美少女を題材にしたゲームの台頭」「PCの普及」の3つが重なり、1990年代後半以降はPC用のマルチシナリオの美少女ゲームが「ストーリーを語るゲーム」として主流になっていくのです。これにもアダルト・非アダルト、同人・商業、PC用・家庭用への移植などなど、様々なタイプがあるんですけどね。
・『EVE burst error』(1995年)
・『雫』(1996年)
・『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』(1996年)
・『To Heart』(1997年)
・『ONE ~輝く季節へ~』(1998年)
・『Kanon』(1999年)
・『月姫』(2000年)
・『ひぐらしのなく頃に』(2002年~)
・『沙耶の唄』(2003年)
・『Fate/stay night』(2004年)
この手のジャンルに詳しくない人は(私も別に詳しくはないけど)、「PCの美少女ゲームなんてオナニーのためのゲームでしょ?」と思われるかも知れませんが。感動ものの“泣きゲー”や、重厚な設定で戦ったり、殺されたり殺したり……どっちかというとシナリオ重視のジャンルであって、むしろ「ストーリーでのみ勝負する」ゲームであると言えます。
実際、かつてはアダルト作品を出していた会社も「エロシーンなんて要らないんじゃね?」と非アダルト作品を出すようになったり。PCではアダルト作品扱いだったものを、家庭用ゲーム機にエロシーンを抜いて非アダルト作品として移植してもヒットしたり、非アダルトのテレビアニメになっても大ヒットしたりしていますからね。
以前、アニメ『魔法少女まどか☆マギカ』の脚本を書いた虚淵玄さんがラジオに出演した際、「どうしてこんな斬新なことをやろうと思ったのですか?」と訊かれて「いやいや、元々アダルトゲームでやっていたことをテレビアニメでやったら、アダルトゲームを知らない人達から「斬新だ!」と言われただけなんですよ」と答えていて、絶妙に分かりやすい表現だなと思いました。
一応言っておくと虚淵さんはニトロプラスで、アダルトゲームのシナリオを書いていた人ね。今や超売れっ子のアニメ脚本家ですけど。
冒頭で紹介したまつたけさんの記事の後半にこういう記述があります。
<以下、引用>
だからビジュアルノベルというのか、人によってはゲームとすら認めないようなエロゲーとかの分岐を選択していくだけのアドベンチャーゲームもすごく好き。最初にやったFate/stay nightもめっちゃハマったけど、CROSS†CHANNELが死ぬほど好き。酸欠起こすほど泣いた。
</ここまで>
「ドラクエとは全然関係のない話」と仰られていますけど、これこそが『ドラクエ4』と『ドラクエ9』の違いの理由だと思うんです。かつては「ゲームでストーリーを語る」にはRPGが最適だと思われていたけど、90年代後半以降は「ビジュアルノベル」に代表されるアドベンチャーゲームの方が優勢になったんじゃないかと思うのです。
より実験的で、より作家性が発揮されて、ストーリーのみで勝負する誤魔化しの出来ないジャンル。
もちろんアドベンチャーゲームはその後「ビジュアルノベル」しかなくなったワケではなくて、『逆転裁判』(2001年)、『レイトン教授と不思議な町』(2007年)、『428~封鎖された渋谷で~』(2008年)、『STEINS;GATE』(2009年)、『ダンガンロンパ』(2010年)と、様々なタイプのアドベンチャーゲームが発売されていて。『レイトン教授』は若干微妙かも知れませんが、どれも「ストーリーで勝負するためには」を考えてゲーム性だったり演出だったりを発明したシリーズとなっています。
○ 「ストーリーを語る」以外の道を進んだRPG
さて、一方のRPGは……というと。
1980年代後半は『ドラクエ』の後追いで多くのRPGが生まれたワケですが、そうしたRPGの全てが志もなく「ドラクエのおこぼれで売れればイイやー」なんて思って作られたのではありません。それぞれがそれぞれの独自のシステムで、「ドラクエとは違うRPG」を目指しました。
その一つの流れが「それぞれのプレイヤーが好きなようにキャラクターを育てられる成長システム」です。“敵”を仲間に出来る『女神転生』(1987年)、熟練度システムの『FF2』(1988年発売)、主人公が全く成長せずに竜だけを強くする『サンサーラ・ナーガ』(1990年)――――
『ドラクエ3』(1988年)の「酒場で好きな仲間を選ぶ」「転職によって複数の職業が組み合わさった仲間になる」というシステムの時点で、既にその道筋は決まっていたようにも思えるのですが……アドベンチャーゲームが『弟切草』を出す1992年に、『ドラクエ5』が「モンスターを仲間に出来るシステム」を採用し、『FF5』が「ジョブとアビリティを組み合わせるシステム」を採用していたことも象徴的だなと思います。
その後のRPGは、1996年に『ポケットモンスター』が超特大ヒットをして“育成シミュレーション”要素の強いゲームがメインになっていきますし。『ドラクエ』も『FF』も、毎回「新しい成長システム」を取り入れていきます。
アドベンチャーゲームが『弟切草』の登場以後「ストーリーを語るゲーム」として発展していくのと同じタイミングで、RPGは育成シミュレーションゲーム寄りの発展をしていくんです。
(関連記事:RPGは変わった(33年前に))
8ヶ月前にこんな記事を書いていました。
『パズドラ』にハマれなかった自分が思う、「探索」要素の危機
この記事ではRPGを「探索」「育成」「戦闘」「ストーリー」の4要素で考えて、ソーシャルゲームや『パズドラ』はその中から「育成」と「戦闘」だけを切り取ったゲームだ――――という記事でした。
『ドラクエ』には「探索」も「ストーリー」もありますけど、ソーシャルゲームも『ドラクエ』も一本道だからこそ大人気になったと私は思っています。
『パズドラ』は言ってしまえば「ストーリーのないRPGの大ヒット作」という究極の形とも言えて、もはやRPGにストーリーは必要ないのか?というところまで“「ストーリーを語る装置」としてのRPG”は来ているんじゃないかなと思います。
プレイステーションが大人気だった1990年代後半、『FF7』に代表されるスクウェアのRPGが「ムービー」を使うことによって映画的に「ストーリー」を語っていました。あの時期はそうしたゲームが主流になっていましたから「最近のRPGは一本道のムービーゲームになってしまった」的に言われていましたよね。
だから、あの時期が“「ストーリーを語る装置」としてのRPG”のピークだったようにも思えるのですが、あの時期には既に“「ストーリーを語る装置」としてのRPG”は崩れ始めていたんじゃないかなぁって思うのです。あの時点で、スクウェア以外のRPGはもう付いていけなくなっていたというか。
PS唯一のナンバリングタイトルになった『ドラクエ7』は「あの頃から開発が長期化するようになった」と言われていますし、一方の64では『MOTHER3』が開発中止にまで追い込まれていました。64版『MOTHER3』開発中止の際のイトイ新聞から、糸井さんと宮本さんと岩田さんの鼎談をちょっと引用させてもらいます。
6ページ目から。
<以下、引用>
糸井「で、あこがれちゃうんですよね。
ロールプレイングゲームというのは記号と記号が出会って何かが起こったとき、また記号で表現されるみたいなシステムですよね。
そこに対する欲求不満がいつもあって、記号以上のものに見せていきたい、となったときに、マリオ(※ 64の『マリオ64』のこと)の中にものすごくいいヒントがあったりする。
こんなに、生理的に体感できるドラマになる、ということを、入れられるんじゃないかって。」
岩田「 映画的な手法を、上手に使って、ロールプレイングというものの刺激を強められるんじゃないかというのを、みんなが思っていることですからね。」
宮本「 N64のはじめの頃、ドラクエの堀井さんにマリオの試作品を見せたんですよ。
堀井さんも、一気に3Dに走るんですよ。 この感じでドラクエがやれたら全然違うって。
でもやっぱりまともにここに入ってくるとドラクエじゃなくなるから、まだまだですよ、って止めたんですが、止めたせいでPSへ行っちゃったかもわかりませんけど(笑)。正直すぎたかも。
あの冷静な堀井さんでさえも、ほとんど現実に近い感じのところに自分のキャラクターを全部置いてみるということにすごく興味を持っていました。」
糸井「したいんですよ、たぶん。」
岩田「たぶん、シナリオを書くひとの本質的な欲望だと思いますよ。」
宮本「僕は、逆に、あれを見せないから堀井さんの筆が面白いんやないか、って。」
岩田「それは第三者だから分析できることじゃないですかね。」
</ここまで>
次に11ページ目から。
<以下、引用>
糸井「でもね、そういう大きい世界が描けるんじゃないか、っていう夢の世界は、いままでで一番うれしかったかもしれない。(※ 『MOTHER3』でやりたかったことは)」
宮本「「ゲームを超えて」ってことですか?」
糸井「うん。ゲームを超えてって言っていいのかわからないけど、ここまでできる、みたいな。」
宮本「ちょうど、その頃、映画のクオリティとゲームのクオリティに歴然と差があったのが、埋まってきた時期ですよね。
『MOTHER 3』を作り始めた頃に『スーパードンキーコング』が出てきたり、それから、ムービーの片鱗がゲームにもぱらぱら出てきたりして。
またそれまでは、『ファイナルファンタジー6』と映画の間に明らかに溝があったし。」
岩田「というか、一気に埋まりそうに見えた時期。」
宮本「ゲームのクオリティが、世間にある高級エンターテインメントと肩を並べてきた時期で、表現に関してはそこまでいったから、あとはその表現つきの新しいアイディアってことでものすごい騎馬兵を手に入れたみたいな、ものすごい軍隊が作れるって気がしたんですよね。」
糸井「うん。したんですね。」
宮本「だから、ちょうどその時期にのったんですよ。
その軍隊を仕立てることばかりに興味がいっちゃって、そこからどう戦うかみたいな戦略への興味が薄かったのかなあと思いますよね。」
</ここまで>
※ 改行・強調・読点など、引用者が手を加えたところがあります
セガサターン、プレイステーション、NINTENDO64の時代、ハードは違えどどのハードも「ゲームに3Dが本格的に加わった時代」でした。
RPGに3Dが加わるというのはどういうことかというと、「カメラワーク」の概念が生まれるんです。
2Dだった『FF6』の時代はプレイヤーは固定のカメラでキャラクターを見ているので「舞台演劇」のような楽しみ方になるのですが(そう言えば分かりやすくオペラ座とかあったな)、『FF7』になるとカメラをグルグル回して「映画的な演出」が出来るようになったのです。
『ドラクエ』を作った堀井さんも、『MOTHER』を作った糸井さんも、言ってしまえば「2DのRPG」の良さを知り尽くした人達です。そんな彼らでさえもその新しい表現方法に惹かれてしまい、そして苦しめられる―――
「ストーリーを語るRPG」がここで絶滅したワケではなく、今でももちろん生き続けていますが……『ドラクエ7』の開発期間が珍しくないくらい開発が長期化してしまうジャンルになってしまい、大型タイトル以外はなかなか生まれなくなってしまいました。
RPGが「ムービー」を手に入れて映画的表現を可能にした結果、1990年代後半は付いていけないシリーズがたくさん生まれました。
そして、全く同じような時期にPC用ゲームでは「ビジュアルノベル」が人気ジャンルになっていたというのは面白い話です。
実際、今の時代は「ストーリーを楽しみたい人」がわざわざRPGを遊ぶかと思いますからね。早くストーリーの続きが見たいのに、その為にザコ敵と戦って「育成」して、ダンジョンに潜って「探索」して、ボスとの「戦闘」に勝ってようやく話が進む。しかも、昔と違ってクリアまでに50時間かかるのが珍しくなくなってしまいましたし、
RPGでは「ストーリー」以外のことをこなさないと「ストーリー」の続きが読めないため……メーカー側は「時間のない人は課金するとサクサク進めるようになりますよ!」みたいな有料DLCを用意したり、ユーザーから「ストーリーだけ楽しみたいならノベルゲーでもやるっての!」と言われたり。
『パズドラ』の例は極端だとしても、『世界樹の迷宮』とか『メタルマックス4』とか「育成」要素の強いRPGは今でも生まれていますし、『ポケモン』はもちろん『ドラクエ』も『9』→『10』と「育成」ゲームの側面を強めていますし(そもそもMMOがそういうジャンルとも思いますし)。
かつてはアドベンチャーゲームの進化とも言えたRPGですけど、現在ではどっちかというとシミュレーションゲーム寄りのジャンルになっていて、ユーザーの層も「育成」要素を求めている人が主流なんじゃないかって思います。
○ もう「ストーリーを語るRPG」は復権しないのか?
今回この記事を書くにあたって、4Gamerさんに掲載されたアドベンチャーゲームのクリエイターさん達の座談会を読みました。すごくボリュームのある記事なので読んでいなかったのですが、“ゲームとしての表現”を踏み込んで語っている面白い記事でした。是非一読あれ。
イシイジロウ氏ら第一線で活躍するクリエイターがアドベンチャーゲームを語り尽くす!――「弟切草」「かまいたちの夜」から始まった僕らのアドベンチャーゲーム開発史(前編)
この記事の後半でスマホやソーシャルゲームが主流になった今、どういうアドベンチャーゲームが革新を起こせるのかという話がされています。
「トゥルーエンドが出るまでガチャを回す」という冗談の部分だけが話題になってしまっていましたが、話されていることは本当に興味深いことが多いです。
・『ひぐらし』の大成功以降のアドベンチャーゲームは、『428』も『シュタゲ』も「情報交換しながら攻略してもらう」ことを意識して作られた
・現状では「章ごとに買う」タイプの売り方はあまり売れない
・アドベンチャーゲームはある程度の「尺」が必要なため、短時間で遊ばせるソーシャルゲームの手法にそのまま合わせても上手くいかない
・スマホ用に特化することによって新しい“物語のあり方”が生まれる可能性があるし、アドベンチャーゲームの復権はそこにかかっている
この話はアドベンチャーゲームの話ですが、「ストーリーを語るRPG」にも言える話だと思います。
「育成」に特化した『パズドラ』のように、スマホに向いたRPGを考えれば「探索」や「ストーリー」の部分をバッサリ切り捨てるのは当然のことですし、従来型のRPGをそのままスマホに移植しても上手くいかないと思います。
逆に言えば、そこが一番「今のねらい目」なのかも知れませんし。
もし今後「ストーリーを語るRPG」が復権するとしたら、HDグラフィックの据置機による大迫力のムービーとかではなくて、スマホ用のアプリとか3DSのダウンロードソフトなんかで“作家性”を表現できる場所が整った時かなと思います。
それが『魔神STATION』なのかというと……どうだろうなとは思うのですが(笑)。
誰かがそれを発明した時、全く新しい「ストーリーを語るRPG」が現れるんじゃないかなと期待しています。
個人的にはMiiverseはそういう方向に行くんじゃないかと期待していたんですけど、現状ではただの掲示板ですもんね。
『ファミコン探偵倶楽部 ただし探偵が1万人いる』みたいなカンジで、みんなで情報交換しながら進む新しい「ストーリーを語るゲーム」が生まれるんじゃないかって期待していたんですけど。現状だとスマホの方が可能性高そうですねぇ。
――2025年追記――
………
『魔神STATION』って何?と思って検索してみたら、レベルファイブが「スマートフォン向けに立ち上げたゲーム」企画3本の1つで、先の座談会を取りまとめたイシイジロウさんがディレクターを務めていた……らしい。
同時に発表された『ワンダーフリック』『地球壊滅的B級カノジョ』は世に出たのだけど、この『魔神STATION』は開発中止のアナウンスすらなく、イシイジロウさんは2014年に独立、いつの間にかお蔵入りになったことがコザキユースケさんのブログにて明らかになったそうです。
さて、2013年の段階では「スマホ用のアプリではストーリーを語る手法が確立されていない」と話されていて驚くのですが……『グラブル』が2014年3月、『FGO』が2015年7月、『バンドリ』が2017年3月と、ストーリー重視のスマホ用アプリが次々と登場していくのはこれからだったんですね。
運営型のスマホアプリは「コンテンツを追加し続けられる」ため、数年かけて展開されるなど、コンシューマーゲーム機では出来ない大ボリュームのストーリーが可能だったんですね。ゲーム部分はRPGだったり、リズムゲームだったり、カードゲームだったり様々ですが。
"作家性"という話で言うと、『FGO』はもちろん奈須きのこさんですし、『ヘブンバーンズレッド』は麻枝准さんですし、2000年前後のエロゲー分野で大活躍した人達が「スマホゲーという表現の場」でまた輝いたのも驚きでしたし。
『学園アイドルマスター』の伏見つかささんなど、ライトノベル作家がスマホゲーのシナリオを手がけることも珍しくなくなりました(『D4DJ』も2周年以降の話は渡航さんや川岸殴魚さんが関わっているはずなんだけど、両先生のWikipediaにすら載ってない……)
コンシューマーゲームの方でも「ストーリーを語るゲーム」がなくなったワケではないのですが……ゲーム実況文化の定着により、オープンワールドによる「探索」や、オンラインによる「対戦」のように、プレイヤーによって差異が起こるジャンルのゲームの方が主流になっていて―――
2025年の現在の「ストーリーを語る装置」としてのゲームジャンル勢力図は、スマホ用の育成RPGが主流―――というのが私の認識です。
ただ、こうした「アップデートでストーリーを追加する」スマホゲームは、運営コストがトンデモなくデカくて……
「生き残っているのは一部の大ヒット作のみ」「ほとんどは1年前後でサービス終了する」時代を経て、最近では「そもそもサービス開始する作品自体が激減した」「7~8年続いたスマホゲーもストーリーを完結させて店じまいをするか、コストをかけない運営スタイルに移行するかしている」段階にあると思います。
要は、次の12年後まで残っているかな、「ストーリーを語るスマホゲーム」って??
少なくとも国内タイトルは、絶滅している可能性も相当高いんじゃないかなぁ……
その答え合わせのためにも、2037年にまたこの記事を読み直しましょう!
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