RPGは変わった(33年前に)


<画像はスーパーファミコン用ソフト『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』より引用>


<画像はWii Uバーチャルコンソール版『ファイナルファンタジーV』より引用>


※ この記事は2012年に旧ブログに書かれたものを幾つか手直しして2025年に移行した記事です


 元の記事はもう消えてしまいましたが、初期『ドラゴンクエスト』の「はがねのつるぎ」を例に、昔のRPGは一つの武器を買ったことで見える景色が変わるくらいに強くなれた―――という話がありました。「新しい武器」の比重が重かったんです。

 この話、一歩間違えると「昔のゲームは面白かったけど今のゲームはダメだ」とか「今のゲームの方が進化している」みたいに“どっちが優れているか”という話に誤解してしまわれるかも知れませんが、方向性が違うだけと自分は思っています。


 この記事の中で挙げている人もいますが、ファミコンの『ドラクエ4』(90年発売)とスーファミの『ドラクエ5』(92年発売)では随分と変わったよねと思うのです。
 日本のRPGは『ドラクエ1』(86年発売)で一気に普及して、ファミコン時代はたくさんの後追い作品が出たのだけど、その中でも「独自色」を出そうとした作品があって、そういうものが結実して「日本のRPGが第2ステージに入った」のがスーファミ時代だと思うのです。


 特に1992年発売の『ドラクエ5』と『FF5』は分かりやすく、共に「自分なりの育て方」を楽しむRPGでしたよね。
 『ドラクエ5』は膨大な種類のモンスターを仲間にすることが出来るので「自分なりのパーティ」を組んで遊ぶことが出来ました。『FF5』は仲間キャラクターはほぼ固定ですが、これまた多くのジョブとアビリティとを組み合わせて育てることが出来るので、「自分なりのキャラクターに成長させる」ことが出来るゲームでした。


 もちろんこの二作品は突然変異のように現れたワケではなく、『FF2』(88年発売)の熟練度システムとか、『ドラクエ3』(88年発売)のフリーパーティ制とか、『女神転生』(87年発売)とか、『Sa·Ga』(89年発売)とか、自社・他社問わずに多くの会社の多くの作品が下敷きになって生まれた“到達点”だったと思うのですが。

 この時期を境に、日本のRPGは「プレイヤーの数だけ自由にキャラクターを成長させることが出来るゲーム」のジャンルになったと思います。




 『ドラクエ1』の頃なんて、仲間すらいなかったので「主人公のレベル」と「主人公の装備」しか強さの指針がありませんでした。だから、1レベル上がっただけで物凄く強くなったと思えましたし、1つの武器を買ったことで物凄く強くなれたと思いました。

 この頃のRPGは「誰が育てても同じように成長する」ゲームでした。
 でも、だからこそ「1つのレベル」とか「1つの武器」の価値が高かったんですね。



 『ドラクエ5』や『FF5』では、1レベルや1つの武器でそんなに「すっげえええええ」と思ったことはありませんでした。
 ですが、「キラーマシン仲間になったぞーーー!」とか「両手持ち半端ねえええええ!」といったカンジに、仲間やアビリティの強力さに感動しましたし。ランダム性や選択肢の多さゆえに、「自分だけが仲間にしたコイツ」とか「このアビリティの強さに気付いているのは俺だけかも」と思える側面もあったのです。




 この話と裏表の話で。
 ちょうどこの『ドラクエ5』や『FF5』の頃、「日本のRPGは一本道のルートを進むだけのゲームになってしまった」と言われていました。『ドラクエ1』の頃はポンと世界に投げ出されてどこに行っても自由というゲームだったのに、この頃のRPGは不自然に区切られたマップの中をルート通りに進むだけのゲームになってしまった―――と。

(関連記事:自由度を捨てて、『ドラクエ』や『ゼルダ』が得た“遊びやすさ”


 確かにそれはその通りですし、「日本のRPGには自由度がない」みたいに言われても仕方ないと思うのですが。その一方で「キャラクターの成長」に関しての自由度が飛躍的に上がったのもこの時期だったじゃないかとも思うのです。



 この時期―――RPGは「アドベンチャーゲームのような提供されたストーリーを楽しめる」+「シミュレーションゲームのように自由なキャラクター育成が楽しめる」ジャンルになったと思うのです。
 前者の批判はそこら中で見かけるけど、後者についてもセットで考えないと「RPGとは?」を語れないと思うのです。


 『ドラクエ5』『FF5』から数年後、『ポケットモンスター』が生まれるのも見過ごせない話ですよね。登場する約150匹のポケモンのすべてを仲間にすることが可能なので、プレイヤーの数だけ「誰を育てるのか」が異なるRPGです。
 ここまで書いてきたことから分かるように、『ポケモン』は別に突然変異のように現れたのではなく、日本のRPGの進化の中で生まれた「到達点」の一つだったと自分は思います。

 そして、それは現在にまで続く「日本のRPGの主流」になっているのだとも思います。


<画像はゲームボーイ用ソフト『ポケットモンスター緑』より引用>


 繰り返しになりますけど、「どっちが優れている」という話ではありませんよ。
 RPGは時代とともに「何を楽しむゲームか」が変わっただけですし、「今のRPGの方がイイ」という人もいれば「昔のRPGの方がイイ」という人もいて当然だという話です。



 「今のRPG」の方が“複雑”で“奥が深い”ゲームだと思います。
 如何に効率良くキャラを育てられるかとか、このキャラはこのスキルを上げることでこっちのキャラはこっちのスキルを上げようみたいなパーティのバランスを考えるとか、ここのスキルにポイントを割り振っても今は大したものを覚えないけど後々に効いてくるはずだとか。そういうのが楽しいジャンルですよね。


 ですが、逆に言うと……「ハードルの高いジャンルになったな」とも思うのです。
 考えてキャラを育てないと取り返しの付かないことになってしまう――――『ドラクエ1』の頃のようにひたすらレベルを上げて物理で殴れば勝てるジャンルではなくなってしまったとも思うのです。今から20年前の『ドラクエ5』や『FF5』のことを「最近のRPGは……」というのもアレなんですけど(笑)。

 各作品ごとに独自の成長システムを採用していますから、新しい作品を始める度に一からそれを覚えなきゃいけないし、その上で「どうキャラを育てていくか」を考えなきゃならない―――
 ハマればすげえ楽しいけど、ハマれるかどうかは始めてみないと分からない、そういうジャンルになってしまったと思うのです。結果、「一部のシリーズ作品だけが生き残っている」現状だと。

 そのシリーズ作品の売上が桁違いだから、シューティングゲームとか格闘ゲームみたいに「昔は流行ってたけど今はねぇ……」とは言われませんけど、抱えている問題としてはそれに近いものがあるんじゃないかと思うのです。





 今にして思うと……
 『ドラクエ5』のスライムナイトとか、『FF5』序盤の「かくとう」アビリティとか。“公式チート”みたいに言われる強力な仲間やアビリティって、「自分なりの育て方」が出来るようになった分だけついて来れない人が出てくるんじゃないかという危惧の下に用意された“初心者救済措置”だったのかも知れませんね。



 なんてことを考えたのも、最近自分がクリアしたWiiの『ラストストーリー』が「スキル」とか「アビリティ」とかが全然ないゲームで、ストーリーに沿ったメンバーの「レベル」と「装備」くらいしか育成要素のないゲームだったんです。『ドラクエ4』とか『FF4』みたいなカンジで。

 と思っていたんですけど、どうやらこのゲーム、「装備」を強化させていくことで「スキル」が付与されていくシステムで、どの武器を強化するかが肝のゲームだったみたいなんです。


  自分は「武器の強化とかよく分かんねーや!もっと強い武器が手に入るだろうから今は強化アイテム使わないで取っておこう」とほとんど使っていませんでした。

 いや、ホント………「プレイヤーの数だけ自由にキャラクターを成長させることが出来る」システムを全然活用できない人っているんですね。それ俺!





―――2025年追記―――
 この記事を書いたのが2012年で、そこから更に干支が一巡するくらい時が経ってしまったのですが……13年も経てばゲームを取り巻く環境も大きく変わるもので、その最たるものが「スマホ向けゲーム」の台頭です。

 この記事を書いたのが2012年11月ですから、ギリギリ『パズドラ』(2012年2月~)はありますが、『モンスト』(2013年10月~)もまだ始まっていない時期です。
 そこから『グラブル』(2014年3月~)が出てきたり、『FGO』(2015年8月~)があったり、『プリコネR』(2018年2月~)とか、『ヘブバン』(2022年2月~)とか……コマンドバトルRPGを展開するプラットフォームの1つとして、スマートフォンは欠かせないものとなっていきます。

 そして、これらの運営型スマホゲームは、ほとんどのものが「仲間となるキャラをガチャで入手する」システムとなっています。

 「ガチャ=課金システム」という認識の人もいるかと思いますが、個人的には「プレイヤーをつなぎとめるため」に「周期的にイベントをやる必要があって」「そのイベントの目玉として新しいガチャが実装される」ことの方が重要だと思っています。

 ぶっちゃけほとんどのスマホゲームは無課金でも楽しめる(ランキング上位を目指すのとかは一部しかやっていない変態プレイなので考えないものとする)し、それよりも「毎日ちゃんと継続的に起動してプレイする」方が恩恵がデカイですからね……


 『女神転生』や『ドラクエ5』や『ポケモン』も「プレイヤーの数だけパーティ編成は異なる」ゲームでしたが、時間さえかければまだ何とか……みんなと同じ強キャラを仲間に出来るゲームだったと思います。私は、スーファミ現役時代に「はぐれメタル」仲間にした勢なので……
 しかし、ガチャでキャラを入手するスマホ向けRPGは、ガチャの石が有限のため「どのガチャを回すのか」がプレイヤーによって異なり、更には「そのガチャから何が出るのか」がプレイヤーによってちがいます。物理的に「全てのキャラクターを仲間にすることはできない」設計になっていて(石油王とかではない限り)、究極の「プレイヤーの数だけパーティ編成は異なる」ゲームなんですね。

 仲間になったメンバーを組み合わせてなんとか攻略するしかないという。




 <画像はiOS版『ヘブンバーンズレッド』より引用>

 更には、プレイヤーを長時間拘束したいためか、キャラクターごとの育成要素は複雑で、装備品も入手が面倒だったり性能にランダム要素があったりで……もうワケが分からーーーーん!


 13年前から書いていましたが、私はこの手の「プレイヤーの数だけ自由にキャラクターを成長させることが出来る」システムを全然活用できないんですよねぇ……活用しようした結果、最適解の逆を行っちゃうので、『ポケモン』実況の際も視聴者が悲鳴をあげていましたし(強くなるはずのリザードを最強の技を忘れさせた挙句に2軍に落としていて、弱いらしいピカチュウをずっとスタメンに入れていた)。

 そもそも回すガチャも「強いキャラだから」とか「今いるメンバーと相性がイイから」とかを考えず、「好きなキャラがピックアップに来たら全力で回す」スタイルだから、"攻略"って視点で考えると最悪のプレイスタイルなんですよね。

 でも、好きなキャラじゃないとガチャ回すのテンション上がらないし……


 というのが、2025年の「RPGの現在地」だと思っています。
 また2038年辺りで、「最近のRPGは~~」って話を書きたいですね。ガチャに替わる新しいシステムは台頭しているのかな??


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