『Dの食卓2』レビュー/インディー精神と商業主義のはざまで

<画像はドリームキャスト用ソフト『Dの食卓2』より引用>


時代性:ドリームキャストのキラータイトルとして位置づけられた悲しき続編
ゲーム性:前作からの正統進化と、箱庭に詰め込みたかった遊びと
ストーリー性:最先端のグラフィックで描かれる、雪山でのサバイバル

『Dの食卓2』
・開発:ワープ/発売:セガ
 ドリームキャスト用ソフト:1999年12月23日発売
・アドベンチャーゲーム+ガンシューティング+RPG
・セーブスロット3つ(ビジュアルメモリごとに)

 私がエンディング到達にかかった時間は約15.5時間でした
 ※ネタバレ防止のため、読みたい人だけ反転させて読んでください


【苦手な人もいそうなNG項目の有無】
※ 苦手な人もいそうなNG項目があるかないかを、リスト化しています。ネタバレ防止のため、それぞれ気になるところを読みたい人だけ反転させて読んでください。
※ 記号は「◎」が一番「その要素がある」で、「○」「△」と続いて、「×」が「その要素はない」です。

・シリアス展開:◎(登場人物がガンガン死んでいきます)
・恥をかく&嘲笑シーン:△(パーカーの空回りはちょっと共感性羞恥かも)
・寝取られ:×
・極端な男性蔑視・女性蔑視:×
・白人酋長もの:○(主人公が実は超古代人の精子から生まれたってのが該当する?)
・動物が死ぬ:◎(ウサギを撃って食べないと回復がキツイです)
・人体欠損などのグロ描写:◎(人間が超気持ち悪いモンスターになります)
・人が食われるグロ描写:◎(人間が超気持ち悪いモンスターに喰われます)
・グロ表現としての虫:×(蝶は出るけどグロくはないかな)
・百合要素:×
・BL要素:×
・男女の恋愛:◎(ローラもキンバリーもお相手がいます)
・ラッキースケベ:○(人間に擬態したモンスターのおっぱいが映る)
・セックスシーン:×


↓D2-1↓




◇ 時代性:ドリームキャストのキラータイトルとして位置づけられた悲しき続編

 このゲームは1999年12月にドリームキャスト用ソフトとして発売された作品で、1990年代後半を席巻した飯野賢治さんの「株式会社ワープとして」は最後のゲームとなりました(※1)

(※1:フロムイエロートゥオレンジになってからなら、スマートデバイス用アプリ『newtonica』シリーズやWiiウェアきみとぼくと立体。』をリリースしています


 飯野賢治さんの作品は、現行機でのリメイクや移植がほぼされていないため(※2)、若い人にはまったく知られていないかもって思うんですね……なので、この記事では飯野さんの略歴から説明していこうと思います。

(※2:『Dの食卓』1作目は日本語なしのSteam版が出ています)


 飯野賢治さんは1970年に東京都で生まれ、後に埼玉県に引っ越してそこで育ちます。
 これは彼の作品にとって重要な要素だと思うので書いておきますが、小学校2年生の時に母親が失踪したため父親と2人で暮らしていたそうです。『Dの食卓』1作目も2作目も、「親」によって理不尽に振り回される主人公が描かれますが、そうした家庭環境が作家性として表れているのかなと思います。

 飯野さんは第六希望の高校に入学後、中退。
 大検にも落ちて何をするか迷った際、小学生の頃にゲームコンテストで入賞したことを思い出して小さなゲーム会社(インターリンク)に入社します。社員10人とかの会社で、バンダイからのオファーで『ウルトラマン倶楽部2』のシナリオを担当したりした後……

 1年で会社も大きくなって、なのに給料も上がらなくて仲間とともに会社を辞めてしまいます。
 企画書を作って売り込む活動をしていたところ、持ち込んだHAL研究所の人から「企画だけでなく、会社を作って開発までしっかりやりなさい」と言われて会社を設立します。最初の会社名は『EIM』、設立メンバーの「飯野」「伊藤」「三浦」の頭文字という意味も込められていたそうです。これがまだ19歳の頃(1989年)。

 EIMでは様々なゲーム会社と組んで開発を行い、傍目には順調に進んでいたものの、次第に「続編もの・キャラもの・移植」しか企画が通らなくなって会社としては覇気を失っていきます。
 オリジナルのゲームが作りたい!と思い、『Dの食卓』の原型となる『トランシルバニア』という企画を作っていろんな会社に持ち込むも買ってもらえず……ふさぎこんで、社長なのに2ヶ月近く出社拒否をして、その間に会社はバラバラになってしまい、EIMは事実上の解散状態になります。


 一念発起して、一からやり直そうと仲間とともにPCでのポリゴン研究を始めていたところ……1993年10月、海外で3DOが発売されます。
 3DOはロイヤリティと製造費がむちゃくちゃ安く、「1本4ドル」の元手で発売できる(比較対象として、スーパーファミコンだと「1本3500円くらい」だったらしい)―――「これはイイ」と、3DOが日本進出すると同時に契約、そして1994年3月1日に「株式会社ワープ」を設立させるのです。

 ということで……飯野さんの経歴として重要なのは、例えば「任天堂の宮本茂さん」とか「ナムコの遠藤雅伸さん」のように大きなゲーム会社に所属しているワケでもなく、「元々ライターだったのでどこのゲーム会社にも所属していない堀井雄二さん」のような存在でもなく。
 自分達で作りたいゲームを作るため、仲間内で新たな会社を立ち上げた―――というところだと思うんですね。ゲーム業界黎明期だったら「ゲーム会社」なるものが存在しないのでそういうケースは多かったでしょうし、インディーゲームを売る場所が確立された現在なら似たようなケースもあるかと思いますが……"ゲームクリエイターになる分かりやすい道"とは随分外れたルートを進んでいると思います。

 比較的近いのはゲームフリークを作る田尻智さんかな。飯野さんは田尻さんの5歳下で、ワープ設立もゲームフリーク設立のちょうど5年後というのが面白い。



 ワープは3DO用に『Dの食卓』を開発しようとするものの、試行錯誤している間に資金が尽きてしまったため、3DO用に「大作ではない小粒なタイトル」を短期間で開発・発売します。この辺は『ポケモン』開発中のゲームフリークに通じるものがありますね。

 それが、落ちモノパズル『宇宙生物フロポン君』(1994年8月発売)や、マリオカートのバトルモードのような『突撃機関メガダす!!』(1994年12月発売)で―――3DOの他のゲームが8800円だったところ、短期間で作ったゲームだからと4800円という低価格+オマケとして多数のミニゲームを収録しての発売で。
 「仲間内でゲラゲラ笑いながら作ったゲームを売る」「サービス精神でオマケをたくさん作る」、インディーというかアマチュアリズムのような精神の強い作品達だったそうです。


 そして、それらを経て―――
 1995年4月1日、3DO用ソフトとして『Dの食卓』が発売されます。

 ゲームが2Dから3Dに切り替わり、ゲーム機も次世代機へと切り替わる過渡期……「3D空間を歩き回る」「3Dで表現された人物が感情豊かに表情を動かす」映画のようなゲームでありながら、"自分の父親でも遊べるゲームにしよう"と難易度は高くなく、それでいて2時間で強制的に終了するゲームシステムなので「攻略」の要素もちゃんとある。

<画像はプレイステーション版『Dの食卓』より引用>

 2025年基準でも「唯一無二の変なゲーム」が世に出て、そして3DOというマイナーなゲーム機での発売にも関わらずヒットします。
 週刊ファミ通の公式アカウントが当時の広告記事を載せてくれていますが、「サターン版が初回20万本出荷された」「これで3DO版と合わせて国内で30万人に選んでもらったことになる」とのことで、国内3DOユーザーだけで10万本売れたってことですね。3DOの国内普及台数は75万台くらいだと考えるとなかなかな本数。




 話は前後してしまいますが、『Dの食卓』の海外パブリッシャーについたアクレイムから「セガサターン版、プレイステーション版を出して全世界に出そう!」と言われ……それらの機種への移植も始まります。

 が、ワープは別に巨大な会社でもないし、他のゲームも作らなければならないしで、移植作業はサトウさんという一人の方がむちゃくちゃ頑張ってしたそうな。

 その結果、3DO版から約4ヶ月後の7月に発売されたセガサターン版は、先も紹介したように初回20万本出荷する大ヒット―――
 更に、年末商戦に向けてプレイステーション版への移植もボロボロになりながらやってもらい、その分だけたくさん売ろうと巨額のギャラを支払ってでも西城秀樹さんを起用したTVCMを打って(パブリッシャーのアクレイムだけでは秀樹さんのギャラが支払えなかったのでワープも出して)たくさん売るぞー!としたところ。

 しかし、当時のプレイステーションは「初回にドカンと作るのではなく、売れたもののみリピート発注して長く売る」という方針だったため……初回出荷の本数を搾られてしまいます。
 飯野さんが「初回11万枚か12万枚、ダメでも10万、最悪でも8万枚」と交渉するも、ソニー側は断固として「4万枚」しか作ってくれず……その結果、プレステ版が発売すると売り切れが続出してとてつもない機会損失を起こしてしまいます。

 商品は売っていないのに、大量のギャラを支払った西城秀樹さんの『Dの食卓』のTVCMだけが流れ、数ヶ月かけて死ぬ思いで移植を頑張ってくれたサトウさんにも申し訳ないし、飯野さんの中でソニーへの強い不信感が芽生えてしまい……


 ということで、「エネミー・ゼロ事件」へとつながるのです。

 この時点で既に、『Dの食卓』に続く大作『エネミー・ゼロ』の制作はかなり進んでいて、ハードはプレイステーション用ソフトとして開発されていました。
 しかし、プレステ版『Dの食卓』で生まれた不信感は拭えず、社運を賭けた『エネミー・ゼロ』でまた「社会出荷は5万枚しかダメ」と言われたら、ゲームの中身に対しても文句を言われたら……「好き/嫌い」みたいな感情ではなく、会社が潰れかねません。

 1996年3月27日、ソニーが主催する「プレイステーション・エキスポ」―――
 当然プレステでの『エネミー・ゼロ』についての発表があると思って集まった人達の前で、プレステ版の開発中止・サターン版の開発決定を発表、当時のセガの入交社長のビデオメッセージまで流しました。

 当然、これ以降ワープはソニーとは絶縁状態になり。
 受け皿となってくれたセガは技術的なサポートをしてくれたこともあり、強い信頼関係で結ばれていきます。


 「やまなしさん、さっきから何を書いてるの? ちっとも『Dの食卓2』の話が始まらないじゃん」と思われたかも知れませんが、『Dの食卓2』を語る上でここが一番重要なポイントなんです。

 「エネミー・ゼロ事件」によりソニー(プレイステーション)と決別したワープは、それ以降セガのバックアップを受けて、セガハード専用でソフトを作っていくようになるんです。
 『Dの食卓』1作目の頃は大手のバックアップなどなくて、自分達のやりたい場所で、自分達のやりたいことをやるインディー精神あふれる尖ったゲームを作っていて―――3DO→ セガサターン→ プレイステーションとマルチプラットフォームに移植して、それらの合計で100万本以上を売り上げていたのが……

 それ以降は「セガハード」に縛られて、売上も「セガハードの中では売れた」みたいな位置に留まるようになっちゃったんですね。


 『エネミー・ゼロ』(1996年12月発売)は、『Dの食卓』で注目を浴びたワープの待望の新作で、飯野さんにも注目が集まっていたところに前述の「エネミー・ゼロ事件」もあって……(PC版も合わせて)60万本のヒットとなったと言われています。

 続くリアルサウンド 〜風のリグレット〜(1997年7月発売)は、「グラフィックのない音だけのゲーム」という異質な作品で、この手法でのシリーズ化を考えていたと言われています。ホラーを題材にした『霧のオルゴール』、お笑いを題材にした『スパイランチ』が予定されていたものの……結局は発売されませんでした。
 開発のトラブルもあったのかも知れませんが、『風のリグレット』の売上は5万本くらいだったと言われているので、純粋にペイラインに届かなかったから続編の制作ができなくなったんじゃないかと私は思っています。

<画像はドリームキャスト版『リアルサウンド ~風のリグレット~』より引用>




 そして、いよいよ……『Dの食卓2』の話です!
 1998年5月23日、東京国際フォーラムにて大々的に制作発表を行うと予告をしたものの―――この時点ではまだ「ドリームキャスト」というハードが発表されておらず、『Dの食卓2』のプラットフォームも「制作発表会で発表する」とのことでした。

 その前々日、1998年5月21日。
 新聞各紙に「セガは、倒れたままなのか?」という強烈なキャッチコピーのティザー広告が打たれ、その日の午後に新ハード「ドリームキャスト」が発表されます。翌日である5月22日にも「11月X日 逆襲へ、Dreamcast。」という新聞広告が打たれ……

 そして、5月23日にワープの新作『Dの食卓2』がドリームキャスト専用で発売されると大々的に発表されたのです。パブリッシャーもセガですし(『エネミー・ゼロ』や『風のリグレット』はワープ発売だった)、セガの新ハードを普及させるための戦略的ソフトとして発表された印象でした。


 作品としては、それは悪いことではないと思いますし。
 『Dの食卓2』というゲームを私は十分に楽しみましたし、そういう形でなければ生まれなかったであろうことを考えるならセガに感謝するしかないのですが……

 「続編もの・キャラもの・移植」しか企画が通らなくなってイヤになってEIMを潰すことになって、それらを「ゲーム業界の三大悪」なんて言っていた飯野さんが、最終的に『Dの食卓2』を出してワープを終わらせてしまうのは皮肉が過ぎると思うんですよ。

・続編もの ←自分達の代表作『Dの食卓』の続編を、新ハードのキラータイトルにする
・キャラもの ←(同一人物ではないものの)ローラをスターシステムでいろんなゲームに起用する
・移植 ←『Dの食卓』を各ハードに移植したことが「エネミー・ゼロ事件」の発端となっている

 『Dの食卓2』というタイトルは、元々3DOの後継機になる予定だったM2で予定されていた作品の名前です。オープニングムービーが「隠しムービー」としてドリームキャスト版に収録されているので分かるのですが、タイトルだけ同じまったくの別物になっていたんですね。
 それなのにドリームキャスト用で発売されたこの作品に『Dの食卓2』というタイトルが付けられたのは、マーケティング的な理由が大きいんでしょうし……本当に飯野さんの作りたかったものなのか感は少し感じてしまいます。

 飯野さんは『Dの食卓2』以前の著作で「RPGを作りたい」「ファンタジーを」「300万本売れるものにしたい」「それを20代最後の1999年夏に出したい」と仰っていたのですが……1999年夏は『Dの食卓2』の開発が延期しまくっていた頃なんですね。
 『Dの食卓2』のせいで、って言っちゃうとアレなんですが、結果的に飯野さんが作りたかったRPGが作られることはありませんでした。



 そして、ドリームキャスト発売(1998年11月)から約1年後に発売された『Dの食卓2』の売上は……ネット上で見られる数値なので信ぴょう性は薄いかも知れませんが、13万本だとか7万本だとか、あまり景気の良い数字ではない売り上げが出てきます。

 それもそのはず……『Dの食卓2』発売の6日後に『シェンムー 一章 横須賀』が出ているんですよ。『Dの食卓2』の開発が延期しまくったせいとは言え、どうしてそんな自社タイトル同士で殺し合わせるようなことをさせたのセガ!
 『シェンムー』も「開発費の割に売れなかったゲーム」みたいに言われることの多いソフトですが、『Dの食卓2』はもっと売れていない……!


 『Dの食卓2』が売れなかったからか、それとも開発で燃え尽きてしまったのか、『Dの食卓2』の開発の後に飯野さんはワープのメンバーそれぞれと面談を行い……今後を話し合った結果、CGメンバーはみんなワープを去ることになったのだとか。
 『Dの食卓2』以降、ワープおよびその後のスーパーワープやフロムイエロートゥオレンジではしばらくゲームを作らなくなるのですが……そもそもメンバーがみんないなくなっちゃったんですね。

 また「300万本売れるRPG」のシナリオを担当する予定だった坂元裕二さんも、『Dの食卓2』とは別のチームでシナリオを練っていたものの……ワープと飯野さんが『Dの食卓2』開発に専念していくにつれて疎遠になっていきます。
 そもそも『Dの食卓2』以後のワープで作る体力があるのかという話になって、坂元裕二さんもまたワープを去ってテレビドラマの脚本に戻っていきます。


 スマートデバイス用アプリや、Wiiウェアなどのダウンロードソフトの土壌が出来ると、また飯野さんもゲームを作り始めたので……SteamやNintendo Switchでインディー精神あふれるゲームが出てくる現代なら、またゲームを作ってくれたのかも知れませんが。

 2013年2月20日、高血圧性心不全で亡くなられてしまいました。
 「時代の寵児」と言われてテレビなどにも出まくっていた飯野さんですが、もっと早く生まれていたらゲーム業界黎明期から活躍したんじゃないかとか、もっと遅く生まれていたらSteamで変なゲームを出していたんじゃないかとか、そんなことを考えてしまいます。


<参考文献>
・ゲーム Super 27 years Life(Amazonアフィリエイトリンク






◇ ゲーム性:前作からの正統進化と、箱庭に詰め込みたかった遊びと

 ということで、「何の後ろ盾もなくインディー精神全開で尖ったゲームを作っていた『Dの食卓』1作目」の頃が飯野賢治さんの全盛期で、「セガハードを売るためにマーケティング重視で『Dの食卓』2作目を作る」ハメになった頃は見る影もなくなったよね―――という話なら、分かりやすい寓話になるんでしょうが。

 実は私、今までに遊んだ飯野賢治さんの作品の中で『Dの食卓2』が一番好きですし、面白いと思っています。

 「ピカソに写実的な絵を描かせると実はむちゃくちゃ上手い」みたいな話で、尖ったゲームばかり作っていた人に「万人に受けるエンタメエンタメした作品を」作らせたらちゃんと面白いものを作れる―――という例だと思うんですね。もちろん、不満点がないゲームではないのですが。


 では、どんなゲームかというと……

<画像はドリームキャスト用ソフト『Dの食卓2』より引用>


 建物の中では、『Dの食卓』1作目同様に1人称視点のアドベンチャーゲームになります。アングルが何か所か固定されていて、調べられるところにグルっと回転するの懐かしい……!

<画像はドリームキャスト用ソフト『Dの食卓2』より引用>


 そこで手に入れたアイテムを駆使することで、ストーリーが進行していくところも1作目と同じですね。この辺は「正統進化の続編」ってカンジがします。画面が暗くてスクショ映えしないのも前作通りだぜ!


<画像はドリームキャスト用ソフト『Dの食卓2』より引用>


 しかし、前作にはなかった要素もあります!
 それが、「建物」から「建物」への間、広大なフィールドを移動するパートです。こちらでは三人称視点となっていて、当時流行っていた『バイオハザード』シリーズのようなラジコン操作で動きます。



<画像はドリームキャスト用ソフト『Dの食卓2』より引用>


 これは若い人にはピンと来ないかも知れませんが……
 この頃のゲームは「ディスク○枚組」と分かれていることが多く、1枚目には「1枚目のマップ」、2枚目には「2枚目のマップ」、3枚目には「3枚目のマップ」しか容量的に入らないため、ストーリーが進むと元のマップに戻ることは出来ません。
 『ファイナルファンタジーVIII』なんて、最後のディスクになるとほとんどの街に入れなくなるので、装備を整えづらくなって積みかねない罠がありましたしね……

 『Dの食卓2』も、ディスクごとに移動できるエリアが異なっていて、その中でストーリーが進むという構成になっています。



 「飯野さんの作りたかったものは、今で言うオープンワールドだったのでは?」という説もあるのですが、時代を先取りしていたという気はなくて……オープンワールドなんて概念が出てくる前から、飯野さんはずっと「箱庭の中での自由な遊び」を好んでいたように思えるんですね。

 例えば、有名な逸話なんですが……開発中の『スーパーマリオ64』の自由度を絶賛していた一方、実際に出た製品版(1996年6月)では「スターを集める目的に縛られるゲーム」になっていたことを嘆いていたそうなんですね。
 盟友とも言える飯田和敏さんの『太陽のしっぽ』(1996年4月)に対しては、「これからはこういうゲームが増えるべき」と仰っていましたし。


<画像はドリームキャスト用ソフト『Dの食卓2』より引用>


 「箱庭の中で自由に遊べる要素」として、野生動物をハンティングするシステムがあります。フィールドを移動中なら、いつでもライフルを構えてスコープ視点になれます。撃って仕留めた肉は回復アイテムとして使用することも可能。


<画像はドリームキャスト用ソフト『Dの食卓2』より引用>


 ハンティングの記録はこうして振り返ることができます。
 画面写真はクリア直前の私の記録なんですが、ほとんどウサギしか撃っていない……他の動物、一体どこにいたんだ??


<画像はドリームキャスト用ソフト『Dの食卓2』より引用>


 また、この手のゲームではいち早く「フォトモード」を搭載していて、フィールド上ならいつでも記念撮影することが可能です。
 これ、言い換えれば「いつでも主観視点に切り替えられる」ってことなので、「3D空間のように見えて実はカメラアングルが限定されていて裏っ側は作っていない」みたいなことが多かった時代によくこんなことをやったなーと思いますね。


<画像はドリームキャスト用ソフト『Dの食卓2』より引用>


 写真には自分でコメントをつけて保存できるのですが、文字列の並びが妙に気持ち悪いのはこの時代のゲームだから仕方ない!





<画像はドリームキャスト版『リアルサウンド~風のリグレット~』同梱の体験版より引用>

 これは製品版ではなく体験版に収録されていたものですが、作中に出てくるスノーモービルを駆って、雪山に置かれているカラーコーン全部回収する遊びもありました。『マリオ64』というより『バンジョーとカズーイの大冒険』っぽい!

 本編はシリアスだから入れられなかったのかも知れませんが、本編にもこういう遊びは入れて欲しかったですね……



 ということで、「3Dで作られた箱庭空間で自由に遊べるゲーム」を飯野さんは作りたかったのかな……と思う一方で、それと決定的に相性の悪いシステムを組み込んでしまって、台なしになっていると私は思います。

<画像はドリームキャスト用ソフト『Dの食卓2』より引用>


 それが……ランダムエンカウントによる、敵との遭遇です。

 そう! このゲーム、RPGなんですよ!

 戦闘システムは単純で、襲い掛かってくる敵を銃で撃つだけ。
 飯野さんは『バーチャコップ』(1994年)が好きだったらしく、それでいて『Dの食卓』シリーズは「誰でも遊べるゲームにしたい」とのことで、単純明快なガンシューティングが選ばれたのだと思います。

 回復アイテムは時を止めて好きなだけ使えますが、武器の持ち替えには時間がかかって、サブマシンガン以外の武器は弾数が有限です。

 この「武器の切り替えにリスクがあってリターンが少ない」システムはどうかなと思うんですが、クリアまで遊んでみたら「強力な武器を雑魚戦からもっとガンガン使ってOK」「それでレベルを上げればサブマシンガンでも楽に戦えるようになるから」というゲームバランスだったのかなと思いました。
 私は性格的に、弾数が有限な武器はランダムエンカウントの雑魚戦ではもったいなくて使えなくて、そのせいですっごく苦戦しましたが……最終的にムチャクチャ余らせましたからね。



 どうしてRPG要素を入れたのか……は、すごくシンプルで。
 『Dの食卓』1作目は、「自分達のやりたいことをやろう!」と尖りまくったゲームを作っていたので「2時間で強制的に終わる」のでOKだったと思うんですね。当時のワープの開発環境と開発規模では、例えば『マリオ64』みたいな大ボリュームのゲームは作れなかったでしょうし。

 それが、『Dの食卓2』になると「あのワープの新作」というだけでなく「ドリームキャストを普及させるための戦略的ソフト」になってしまったため、「2時間で終わる」みたいなのじゃ許されなかったんでしょう。

 プレイ時間を水増しするためにランダムエンカウントで雑魚敵が湧いてきて、ソイツらを倒すことでレベルが上がるシステムを入れた――――――『ポートピア』などのアドベンチャーを作っていた堀井雄二さんが、『ドラゴンクエスト』などのRPGを作る経緯をなぞっていたとも言えます。


 けど、これが「箱庭空間で自由に遊ぶゲーム」とムチャクチャ相性が悪い!
 せっかくスノーモービルを手に入れたので、自由に雪山を散策しようと思っても、ランダムエンカウントの率は変わらないので「ちょっと進むたびに敵が湧く」黄金の爪状態でイライライライラ。
 向こうにウサギが見えたのでハンティングしようとしたらランダムエンカウントで敵が出てきて、ウサギが消えちゃうし。カメラで風景を取ろうと、少し歩いて角度を調整しようとしてもランダムエンカウントで敵が出てくるし……

 結果的に、スノーモービルに乗るのは諦めて、狩りも写真撮影もせず、だだっ広い雪山を高いランダムエンカウント率にイライラしながら遊ぶだけのゲームになっちゃっているんですね。勿体なさすぎる!


・前作同様の探索要素
・『バイオハザード』のようなサバイバルホラー要素
・『バーチャコップ』のようなガンシューティング要素
・『ドラクエ』のように自然とレベルが上がって有利になるRPG要素
・『マリオ64』や『バンカズ』のような「箱庭に詰まった遊び」
・『ポケモンスナップ』のような写真撮影の遊び(ただし、ポケモンはいない)

 上手くまとまっているかというと微妙ですが、当時のゲームのトレンドを結構詰め込んではいるんですね。実は飯野さんは「王道が作りたかった」「だから、300万本売れるRPGを作りたいなんて言っていた」と坂元裕二さんは仰っていましたが、『Dの食卓2』を見るとすごくよく分かるんですね。これは1999年当時の売れ線が詰まったゲームだろうと。

 2時間で終わる『Dの食卓』や、映像がなかった『風のリグレット』みたいな変化球ではなく、ちゃんとみんなの期待に応える作品も作れるんだよ―――と全力ストレートを放ったのが『Dの食卓2』だと思うのですが、運悪く、その6日後に「時代の最先端」みたいなゲームの『シェンムー』が出てくるの「悲劇」の構成としてよく出来過ぎている……

 前例のない作品を世に出して時代を切り開いたワープが、時代に合わせたものを作っていたら、新時代のスタンダードになる新しいゲームに食われてしまったという……↓D2-3↓






◇ ストーリー性:最先端のグラフィックで描かれる、雪山でのサバイバル

 「私は面白かった」って書きたかったのに、前項では「結果的に上手くいってなかった」ところばかり言及しちゃった気がする……!

 個人的には「ストーリー」はかなり好きです。
 ネット上での感想を読み漁ると、「展開が支離滅裂」「意味不明」「電波」「説教くさい」みたいに書かれていることが多いのですが……個人的には、支離滅裂でも意味不明でもなくて、説教くさいのは「そもそも飯野さんの作品って毎回メッセージ性が強くない?」と思うので気になりませんでした。

<画像はドリームキャスト用ソフト『Dの食卓2』より引用>


 オープニングムービーは、飛行機の中から始まります。
 赤いスーツ姿のローラ(前作と同じ名前ですが、スターシステムなので出自は別人)は、コンパクトを隣の席のデイビットに拾ってもらいます。

<画像はドリームキャスト用ソフト『Dの食卓2』より引用>


 しかし、その飛行機は、2人組の男によってハイジャックされてしまいます(え)。


<画像はドリームキャスト用ソフト『Dの食卓2』より引用>


 しかも、その飛行機に隕石のかけらが直撃します(えぇぇ!?)。
 コンパクトの力によって、その未来を知ったデイビットはローラを庇って守ろうとして負傷してしまうみたいです。


 ここまでがオープニングムービー。
 オープニングムービーはゲームを始める際に自動で再生されるワケではありません。何故ならディスク容量的にディスク1に入りきらなかったのでしょう、タイトル画面で「オープニングムービー」の項目を選んでディスク4を入れると再生されるようになっています。

 そんなことある!?
 私はオープニングムービーの存在を知らずにクリアまで遊び、そこで初めてオープニングムービーの視聴方法を教えてもらって観たのですが……登場人物の半分くらいは「この飛行機に乗っていた人」なので、観ておいた方がイイですよオープニングムービーは……


<画像はドリームキャスト用ソフト『Dの食卓2』より引用>


 飛行機は墜落してしまい、その生き残りの乗客は雪山の山小屋に取り残されてしまいます。前作は「謎の館からの脱出」を目指すゲームでしたが、今作は「雪山からの脱出」を目指すゲームというワケですね。


<画像はドリームキャスト用ソフト『Dの食卓2』より引用>

 
 と思ったら、その山小屋にさっきのハイジャック犯が入ってきて、植物型のモンスターに変形して襲ってきたーーーー!(えぇぇぇぇええええ!?)

 パーカーという男に助けてもらったローラ達でしたが、どうやら「元人間」がモンスター化してしまう現象が起こっているらしく、外にはうようよとモンスターが溢れていてランダムエンカウントで現れます。

 「植物型のモンスター」というのがストーリー上かなり大きな意味を持っているのですが、構造的には「ゾンビもの」ですね。人間だった存在が異形化してしまい、ソイツに襲われた人間はまた異形化してしまう。


 外界から隔離された雪山の中で、「雪山から脱出する」のも大変なのに、「人間がモンスター化して襲ってくる」のも脅威で、更に「正体を隠して次々と登場人物を殺しているヤツがいる」っぽかったり、「そもそも人類が滅亡」しそうとか言われるし、「いつも勝手に姿を消すガキ」は何なのと―――もう大変!

 「支離滅裂」「意味不明」という人もいますが、私はいい意味で「予測不能なストーリー」だと思ったし、このゲームが発売された1999年はギリギリ「世界の終わり」を感じさせる終末思想が強かった時代です。『エヴァンゲリオン』(1995年~)や、『ファイナルファンタジーVII』(1997年)、もっと言うと私の大好きなロボットアニメ『伝説巨神イデオン』(1980年~)にも通じる話だったと思います。

 テーマ的なものは序盤からしっかり描かれているし、キンバリーやパーカーの台詞からそれは伝わるかなと思うのですが……『Dの食卓』1作目と同様に「台詞に字幕がない」ため、その辺が読解しづらい人もいるのかなぁ。



 ゲーム機の世代を跨いでいるのもあるのですが、前作(1995年)から4年しか経っていない1999年で、こんなにグラフィックは進化するのか―――というのも驚きますね。

<画像はプレイステーション版『Dの食卓』より引用>


 これが、前作『Dの食卓』(1995年)のローラ。



<画像はドリームキャスト用ソフト『Dの食卓2』より引用>


 こっちが『Dの食卓2』(1999年)のローラ。
 もうほとんど実写じゃん。

 実写みたいなグラフィックがすべてではありませんが、「表情をリアルに描ける」ことで、セリフではなく「キャラクターの表情」や「カメラワーク」でストーリーを描くことができる―――それこそ『Dの食卓』1作目が切り開いた道の到達点が、この『Dの食卓2』だったと言えます。


 プレイステーション2が2000年に発売されることを考えると、ドリームキャストとしてそれ以前に「次世代機基準のグラフィック」のゲームを出して、未来を先取りした感はあるんですよね。
 この辺の感覚は、プレステ2が普通に存在する時代に遊んでも分からないかも知れない……

<画像はドリームキャスト用ソフト『Dの食卓2』より引用>


<画像はドリームキャスト用ソフト『Dの食卓2』より引用>


 また、これは現代だと更に「なんのこっちゃ」という話なんですが……
 『Dの食卓2』のゲーム内は、予め撮影されたムービーを流す「プリレンダムービー」ではなく、その都度ポリゴンを描写する「リアルタイムレンダ」なことを主張していました。

 というのも、『Dの食卓』1作目はまさに「プリレンダムービー」なことを活かして、「移動のたびに動画を再生させてあたかも3D空間を移動しているように思わせる」ゲームだったからです。
 この時期のゲームは、例えばプレイステーションの『ファイナルファンタジー』なんかが顕著なんですが、「リアルタイムレンダ」で描かれるゲーム部分と、ストーリーの要所で流れる「プリレンダムービー」のモデリングが全然ちがうのが普通でしたし……そりゃ、「プリレンダムービー」だったらゲーム機のスペックに関係なく美麗なものが作れるよねぇと言われていました。

 『Dの食卓2』は、分かりやすくかいつまんで言ってしまえば、それまでは「ムービー」部分と「ゲーム」部分ではグラフィックのクオリティに差があったのを、「ムービー」部分のグラフィックのまま「ゲーム」部分を遊べるようにしたゲームだと言えます。


 ゲーム機のスペックが上がった現代だと恐らく「それって普通のことでは?」と言われそうですが、ドリームキャストが出て、プレイテーション2がまだ出る前のこの時期は、「それが未来のゲーム」だったんですね。

 そのため、上の2つのスクショを見比べてもらえれば分かるように、同じ動きをローラにさせても「モーション」は同じなんですが「カメラアングル」が微妙に違うんです。いや、ゴメン! それってそんなに重要なこと!!?


 もちろん「ゲームの進化の方向性」としては正しくて、例えば3Dのゲームで「着せ替え」設定をするとそれがゲーム内のムービーに反映される―――みたいなのは、この方向性の先にあるものですもんね。

<画像はiOS版『バンドリ! ガールズバンドパーティ!』より引用>


 でも、『Dの食卓2』はローラを着せ替えたりできないし、カメラアングルが微妙に違うみたいな変化しかないから正直よく分からない! 私には、これだけ見ても「未来」だとは思えない……!D2-4↓





◇ 総括
<画像はドリームキャスト用ソフト『Dの食卓2』より引用>

 「気が合う仲間」で集まって、「自分達が面白いと思うもの」を自由に作っていたワープが……ドリームキャストの普及のため、しっかりと「売れるもの」を作ろうとしたエンタメ性の強い作品―――

 そのため「よくは出来ている」のだけど「尖った部分は失われてしまった」し、王道を目指すとなると『スーパーマリオ64』とか『ファイナルファンタジー』シリーズとか『シェンムー』みたいな大手企業のとてつもなく開発費をかけたゲームと比較されてしまうんですね。
 ワープにトドメを刺したのが『シェンムー』というのは、なんか……すごい、象徴的だなぁと思います。


 Steamなどで個人がインディーゲームを出せるようになった現代に、飯野さんが10代の若者として現れたなら……どんなゲームを作ったのだろうか、思いを馳せてしまいます。

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