『Dの食卓』レビュー/“不自由”を遊びにした唯一無二のゲームデザイン!


<画像はプレイステーション版『Dの食卓』より引用>

※ この記事は2018年に旧ブログに書かれたものを幾つか手直しして2025年に移行した記事です

【これさえ押さえておけば知ったかぶれる三つのポイント】
「映画のようなゲーム」というより「映画の主人公になれるゲーム」
普段ゲームを遊ばない人のために、アクション要素もゲームオーバーも(ほぼ)ない
遊べば遊ぶほど前回の経験が活きる死に戻りゲー

『Dの食卓』
・開発:ワープ
 3DO用:1995年4月1日発売(発売:三栄書房)
 セガサターン用:1995年7月28日発売(発売:アクレイム)
 プレイステーション用:1995年12月1日発売(発売:アクレイム)
・3D脱出アドベンチャーゲーム
・セーブ不可能



 現実時間で2時間が経過すると強制終了で最初からやり直し
 私のクリア時間は約 4時間でした
 ※ネタバレ防止のため、読みたい人だけ反転させて読んでください

【苦手な人もいそうなNG項目の有無】
※苦手な人がいるNG項目があるかないかを、リスト化しています。ネタバレ防止のため、それぞれ気になるところを読みたい人だけ反転させて読んでください。
※記号は「◎」が一番「その要素がある」で、「○」「△」と続いて、「×」が「その要素はない」です。

・シリアス展開:◎(父親が大量殺人事件を起こしたというスタートですから)
・恥をかく&嘲笑シーン:×
・寝取られ:×
・極端な男性蔑視・女性蔑視:×
・動物が死ぬ:×
・人体欠損などのグロ描写:◎(死体がそこら中に転がってるし……)
・人が食われるグロ描写:○(もいだ人間の肉を……というシーンもある)
・グロ表現としての虫:△(虫を見つけると発生するイベントがある)
・百合要素:×
・BL要素:×
・ラッキースケベ:×
・セックスシーン:×

↓ここから1↓

◇ 「映画のようなゲーム」というより「映画の主人公になれるゲーム」
 このゲームは1995年に3DO、セガサターン、プレイステーションで発売されたアドベンチャーゲームです。全機種&全世界累計で100万本を売り上げ、「マルチメディアグランプリ'95 通産大臣賞」を受賞、ディレクターである飯野賢治さんは“時代の寵児”としてテレビやラジオにも出たりしたので「ゲームは遊んだことないけど名前だけは知っている」という人も多いんじゃないかと思います。

 若い人にはこの時期のゲーム業界がどんなだったか分からないと思うので簡単に説明しますと、1994年3月に3DO REAL、1994年11月にセガサターン、1994年12月にプレイステーションの本体が発売された―――第5世代と呼ばれる「次世代ゲーム機戦争」の幕が上がった時期なんです。



 要は、「次世代機が出てきて1年の間に発売された“次世代機であることを活かしたゲーム”」だったということなんですね。

 また、この第5世代の据置ゲーム機というのは「次世代ゲーム機戦争」の中でも特殊な世代でした。第4世代と呼ばれるスーパーファミコン・メガドライブ・PCエンジンなどの時代はドット絵による2Dゲームの成熟期でしたが、その時期にもアーケードでは3Dを活かしたレースゲーム『リッジレーサー』や3Dを活かした格闘ゲーム『バーチャファイター』、スーパーファミコンでありながら特殊チップを積んで3D空間で戦うシューティングゲーム『スターフォックス』が出てきました。これが1993年です。
 2Dのドット絵のゲームが成熟期にあたる一方で、3Dのポリゴンによるゲームのヒット作が出始めて「これからのゲームは3Dが主流になっていくのかも知れない」「ホントに?マリオとかドラクエとかFFも3Dになっちゃうの?」と言われていた時期なんですね。

 そうしたタイミングで出てきた第5世代の据置ゲーム機は、3Dグラフィックス機能を本格的に取り入れたものが多く……1993年のアーケードゲームのヒット作『リッジレーサー』『バーチャファイター』も、その移植作が1994年に発売されたプレイステーション・セガサターンのそれぞれ同時発売ソフトになっていました。
 この第5世代の「次世代ゲーム機戦争」は、3Dのゲームがキラータイトルになっていたんですね。



 『Dの食卓』はそういった時代に現れ、そんな3Dを活かして「3D空間を探索して城内を歩き回る」「3Dポリゴンで描かれたキャラクターが様々な感情を表情で表現する」というゲームでした。
 つまり、『Dの食卓』というゲームは、3DO・サターン・プレステといった次世代機初期に出てきた「次世代機の機能を活かしたゲーム」というだけに収まらず、ゲームが2Dから3Dへと切り替わる過渡期に出てきた「3Dを活かしたゲーム」だったんですね。




<画像はプレイステーション版『Dの食卓』より引用>

 ゲームジャンルとして一番近いのは今で言う「脱出ゲーム」です。
 扉が閉ざされているのでそのままでは先には進めないのだけど、部屋を調べてアイテムを見つけたり、仕掛けを解いたりすると、その扉を開ける方法が分かる―――といったカンジに、次の部屋・次の部屋へと進んでいってゴールを目指すのが目的です。



<画像はプレイステーション版『Dの食卓』より引用>

 しかし、「脱出ゲーム」として考えると独特なのが、左を向いたり、右を向いたり、前に進んだりといった一つ一つの行動が主人公目線で動くためあたかも3D空間を探索しているかのように遊べるところです。
 一般的な脱出ゲームは、例えば↓の『慟哭 そして…』のように一枚の背景画の中から「調べる場所」や「アイテムを使う場所」をクリックするものが多いと思うのですが……『Dの食卓』はキャラクター(カメラ)を移動させて「調べる場所」や「アイテムを使う場所」のところまで動かしていくんですね。


<画像はセガサターン版『慟哭 そして…』より引用>


 だから、ハッキリ言って面倒くさいです(笑)。
 後に出てくる3Dゼルダなどのバリバリの3Dアクションアドベンチャーみたいにリアルタイムに3D空間を生成してその中を自在に歩き回れるワケではなく、「脱出ゲーム」の“背景画”と移動シーンの“ムービー”をつなぎ合わせることであたかも3D空間を探索しているかのように思わせているらしいんですね。だから、移動はイチイチ遅いし、移動シーンにムービーを使っているからか容量食いまくりでディスク3枚組なんかに分割されているという。

 今の感覚で言えば、ものすごく「非効率」ですし「不自由」です。
 単純に「面白い脱出ゲーム」を作るだけなら、1枚の背景画をクリックさせる方が遊びやすいと思います。



 しかし、このゲームはその「非効率」や「不自由」こそを楽しむゲームなんです。
 何故なら、このゲームは「映画の主人公になるという疑似体験」を楽しむゲームなのですから。


<画像はプレイステーション版『Dの食卓』より引用>

 このゲームの画面は、基本的に「一人称視点」=「主人公とプレイヤーの目線が同じ」です。方向キーの上を押すと前に進み、方向キーの左を押すと左に旋回、右を押すと右に旋回します。



<画像はプレイステーション版『Dの食卓』より引用>

 そして、特定の場所などに進むとカメラが「一人称視点」から離れ、主人公のローラを客観的に映すムービーが流れます。つまりこのゲーム……「映画の主人公=ローラ」を操作して目的を達成することによって、「映画のストーリー」を進めていくゲームなんですね。


 「そんなのどのゲームもそうじゃないの?」と思った人もいらっしゃるかと思います。「一人称視点」かどうかとか「ムービーが流れる」かどうかは置いといて、ストーリーのあるゲームは基本的に「キャラを操作して目的を達成する」→「ストーリーが進む」→「キャラを操作して目的を達成する」→「ストーリーが進む」→の繰り返しですからね。
 しかし、『Dの食卓』が独特なのは、この映画の上映時間が「2時間」と決まっていて、ゲーム開始から現実時間で「2時間」が経過すると問答無用にゲームが終了して最初に戻されるというところです。


<画像はプレイステーション版『Dの食卓』より引用>

 ゲームスタート時から持っているアイテム「懐中時計」です。
 「3時」から「5時」までがこのゲームの制限時間で、もし「5時」までにクリア出来なかった場合は……



<画像はプレイステーション版『Dの食卓』より引用>

 謎空間に真っ逆さまに落ちて、最初からやり直さなくてはなりません。
 この2時間という時間制限は、ポーズも出来ませんし途中セーブも出来ません。

 だってほら、映画館に行って、映画の途中で「今日はここまで観たから明日はこの続きから観ます」なんて言っても許されないでしょ。2時間という設定は一般的な映画の上映時間だと考えられますし、「一人称視点」「ポーズ出来ない」「途中セーブ出来ない」という仕様も「映画の主人公になるゲーム」だと考えると腑に落ちる仕様です。

 つまり、このゲームは「映画の主人公」になりきって「2時間という上映時間」の間に「映画のエンディング」を目指すというゲームなんですね。その“リアルな映画っぽさ”を表現するために、最先端の3D技術を駆使しして「3D空間」だったり「3Dで表現された表情のあるキャラクター」だったりが使われているのです。

 だから、「移動がイチイチ遅い!」とか「途中セーブが出来ないだなんてクソゲーだ!」といった批判をする人は、このゲームの楽しみ方が分かっていないと思うんですね。カレーを食べて「辛い!」と怒るようなものです。そうした不自由さを「本当に映画の主人公を操作しているようだ」と思える人が、このゲームを楽しめる人達なのです。


 あと、これはあの当時ではイマイチ分かっていなかったことなんですけど……
 当時の飯野賢治さんは25歳、高校中退で仲間達と下請け会社を作って様々な仕事をして、というエリート街道とは程遠い経歴の若者だったんですね。そんな若者集団が、ナムコだとかセガだとか任天堂だとかの大企業の後ろ盾もなく、最新技術を駆使した斬新なゲームを作って大ヒットを飛ばしたという。
 飯野さんはそうした活動を後に「バンドのようだった」と仰ったらしいんですけど、今で言うインディーゲームのノリでの成功と考えるなら、早すぎた『マインクラフト』みたいな位置づけだったのかも知れません。も、もちろん『Dの食卓』と『マインクラフト』ではジャンルも売上も全然ちがうんですけど。



 ただ、『Dの食卓』が斬新だった時代はあっという間に過ぎ去ります。
 「3Dを活かしたゲーム」も「3Dのアドベンチャーゲーム」も世にあふれていき、1996年3月には同じように「館の中を探索するホラー要素の強いアドベンチャーゲーム」でありながら「ゾンビと戦うアクションゲーム」の側面も持つ『バイオハザード』が、1996年6月には「リアルタイムに3D空間を生成してその中を自在に走り回れるアクションゲーム」である『スーパーマリオ64』とNINTENDO64が、1997年1月にはRPGとムービーを融合させてドラマチックなストーリーを描いた『ファイナルファンタジーVII』が発売されました。

 「3Dを活かしたゲーム」でありながら、「ちゃんとゲームとして面白く」、「長く遊べるゲーム」が次々と発売され―――たった1~2年で『Dの食卓』は、「3D黎明期の古臭いゲーム」になってしまったのです。
 なので、名前はムチャクチャ有名なのに実際に遊んだことがないという人が多いのだと思います。私もそうでした。セガサターンやプレイステーションを買ったのは本体発売から数年後だったため、もうその時期には『Dの食卓』は「古臭いゲーム」だったんですね。




 しかし、バレンタインのプレゼントでもらったことで、私はこの2018年に初めて『Dの食卓』を遊んだのですがビックリしました。今やもう、もちろん「3Dを活かしたゲーム」なんて珍しくありません。3Dの空間を探索するゲームも、3Dのキャラクターが映画のように表情を変えるゲームも、これまでに数えきれないほど遊んできました。そういう側面だけ見れば『Dの食卓』は23年前のクオリティでしかないゲームなんですけど……
 でも、こんなゲーム、今まで遊んだことないぞ!という新鮮な気持ちですごく楽しみました。「3Dを活かしたゲーム」というだけでない、このゲームにしかない魅力を持ったゲームになっていたのです。そこを今日は語りたくて、わざわざ2018年に『Dの食卓』について語ろうと思ったのです。

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◇ 普段ゲームを遊ばない人のために、アクション要素もゲームオーバーも(ほぼ)ない
 先ほども書いたように、このゲームが一番近いジャンルは「脱出ゲーム」だと思います。館を探索して、アイテムを探して、その使い方を考えて、そこから脱出する―――という部分だけに注目すれば『バイオハザード』とか『ゼルダの伝説』などのアクションアドベンチャーに近いと思われるかも知れませんが、『Dの食卓』には敵との戦闘は(ほぼ)ありません。

 アクション要素も(ほぼ)ありません。
 “2時間”という制限時間内ならば、ゲームオーバーにも(ほぼ)なりません。
 謎解きの難易度も、正直それほど高くありません。
 「どこに行けばイイのか分からない」という時には救済アイテムがあります。



<画像はプレイステーション版『Dの食卓』より引用>

 突然、トゲの壁が動き出してこちらに迫ってくる!!



<画像はプレイステーション版『Dの食卓』より引用>

 危ないっ!ローラアアアアアア!!



<画像はプレイステーション版『Dの食卓』より引用>

 すんでのところで止まるトゲ。
 ふぅ~、助かったぜー。


 と、こんなカンジに「普通のアドベンチャーゲームなら主人公が死にそうな場面」であっても、ゲームオーバーには(ほぼ)なりません。アクション要素がないだけならアドベンチャーゲームとしては「元々はそういうジャンルだろう」という話なんですが、ゲームオーバーが(ほぼ)ないというのは変わっているんじゃないかと思います。『シャドウゲイト』なら何回死んでいたことでしょう。

 まぁ、「セーブすることが出来ない」「2時間ぶっ続けで遊ぶゲーム」で、そんなに頻繁にゲームオーバーになられても「また最初からやり直しかよ!」となってしまいますからね(笑)。意外とその辺はよく考えられています。
 あと、もう一つ。このゲームは多分、「普段からゲームばっかりやっているバリバリのゲーマー」というより「普段はゲームを遊ばないけど斬新なものには興味を示す人」に向けた作品だったと思うんですね。

 そういう人が、週末に2時間「映画を観る」みたいな感覚で遊べるゲーム―――そう考えて、ゲームに慣れていない人が敬遠しそうなアクション要素とかゲームオーバーとかは入れなかったのかなと思います。
 謎解きの難易度も、この手のジャンルに慣れた人からすれば低い方でしょうし。回数制限付きですが、救済アイテムもあります。


<画像はプレイステーション版『Dの食卓』より引用>

 主人公が最初から持っているアイテム「コンパクト」を使うと――――



<画像はプレイステーション版『Dの食卓』より引用>

 次に行くべき場所が表示されます。
 「そこで何をすればイイのか」は教えてくれませんし、使えるのは3回までで3回使用するとコンパクトは粉々に砕けてしまいます。その制限も「そればっかりに頼るワケにはいかない」ようになっていて丁度イイと思います。



 しかし、アクション要素も(ほぼ)ない&謎解きの難易度もさほど高くないとなると、「ゲームとしては単調なんじゃないのか?」と思われるかも知れません。そうならないために、色んな仕掛けだったりギミックだったりが次から次へとやってくるのがこの作品の魅力と言えるのですが……



<画像はプレイステーション版『Dの食卓』より引用>

 その一つがコレ!
 突然始まる「QTE」だっ!

 「QTE」とは?
 「クイック タイム イベント」の略で、画面に「このボタンを押せ!」と表示されたボタンを即座に押さなくてはならないイベントのことです。元々は1980年代のLDゲームが元祖らしいのですが、1996年の『ダイナマイト刑事』、1999年の『シェンムー』とセガが採用してこの名前を付けたらしいです。

 私は「ボタンをしょっちゅう押し間違える」「押したはずなのに押していないと判定される理不尽さ」ゆえに、この「QTE」という文化が大嫌いで、「ステルスアクション」と並んで「あると知っていたらそのゲームは買いたくない」「入れるなら苦手な人のために難易度を出来る限り抑えてほしい」と思っているんですけど……

 『Dの食卓』は1995年のゲームなので、『ダイナマイト刑事』や『シェンムー』よりも前の「(QTEと名付けられる前の)QTE」ってことですね。諸悪の根源はキサマかーーーーーーーーーー!


 ただ、まぁ……このゲームに「QTE」が入っているのは分からなくはないんですね。
 先ほども書いたように、恐らくこのゲームは「普段はゲームを遊ばないけど斬新なものには興味を示す人」に向けた作品なのでアクションゲームの要素は入れたくない、でもずっと探索とムービーだけ続くとゲームが単調になってしまう、それではどうしたらイイだろうかという折衷案で「1つのボタンを押すだけのQTEが入った」のかなぁと思います。

 つまり、アクションゲームが苦手な人にもアクションゲームの緊張感を味わってもらうための「QTE」ということで、後のアクションゲームに取り込まれる「QTE」とはまたちょっとちがうと思うんですね。まぁ、それでもタイミングがシビアすぎてイライラするのは否定できませんけど。



<画像はプレイステーション版『Dの食卓』より引用>

 失敗しても井戸に落とされてやり直しになるだけで、相変わらずゲームオーバーにはなりませんし。



 ということで、このゲームは「普段はゲームを遊ばない人」に向けたゲームデザインになっていて、それってこの10年後くらいに流行語のように繰り返し言われた「ゲームの定義を広げる」「ゲーム人口の拡大」の先取りだったんじゃないかって思うんですね。
 それが何故『エネミーゼロ』では……というのは置いといて、このライトユーザー向け路線を継続して「普段はゲーム遊ばないけど飯野さんの作品だけは遊ぶよ」という人を増やしていけたなら、彼が後に作ろうとして頓挫した『300万本売れるRPG(仮)』も本当に300万本売ることが出来たのではと思わなくもないです。

↓ここから3↓

◇ 遊べば遊ぶほど前回の経験が活きる死に戻りゲー
 さてさて。
 ここまでの話は「3D黎明期の技術で作った、映画の主人公になれるゲーム」「ゲームを遊ばない人に向けてアクション要素やゲームオーバーが(ほぼ)ない」といった内容でしたが、それだけなら2018年を生きている皆様にはフツーのゲームのように思えちゃうことでしょう。

 「映画の主人公になれるゲーム」なんて、今日日ごまんとありますし。
 「アクション要素やゲームオーバーがないゲーム」も、たくさんあります。


 私がこのゲームを「こんなゲーム、今まで遊んだことないぞ!」と思ったのは、「ゲームオーバーには(ほぼ)ならない」のだけど「2時間経つと強制終了する」という仕様に合わせたゲームデザインです。
 この仕様……ハッキリ言ってボリューム不足を逆手にとった苦肉の策だと思うんですよ。このゲームがもし「2時間経つと強制終了する」仕様じゃなかったら、恐らく大体2時間半くらいで終わってしまいます。当時の技術や、彼らの制作規模で考えたらこれ以上のボリュームにはできなかったのでしょうけど、2時間半で終わってしまうゲームをパッケージソフトとして売るのは厳しい。

 だから、「2時間経つと強制終了する」ようにして、何度でもやり直させるリプレイ性を取り入れ、「2時間以内にゴールにたどり着けるか」というゲームにしてしまったんだと思うんですね。そのために、このゲーム「やり直せばやり直すほど有利に立ち回れる」ようになっているのです。


 例えば、これ……序盤のネタバレになっちゃいますけど。


<画像はプレイステーション版『Dの食卓』より引用>

 階段をのぼるー。


<画像はプレイステーション版『Dの食卓』より引用>

 引き出しを開けると、そこに1枚の紙があるー。


<画像はプレイステーション版『Dの食卓』より引用>

 それを持って、階段を下るー。


<画像はプレイステーション版『Dの食卓』より引用>

 洗面器の中に入れると文字が現れるー。


 といったカンジに、あっちに行ったりこっちに来たりして謎を解いていくのがこのゲームなんですが、2周目以降は「ヒントの文字」を覚えておけば、階段をのぼって紙を取って階段を下りて洗面器に入れるという過程を全てすっとばすことが出来ます。1周目でのプレイが、2周目に活きてくるゲームなんですね。

 些細なショートカットのように思えるかもですが、移動の遅いこのゲームだと過程を幾つか飛ばせるだけで数分の短縮になりますし。1周目は仕掛けがなかなか分からなかったギミックも2周目は分かった状態で解けるとか、3回しか使えないヒント機能ももちろん復活するとか、QTEのコマンドも予め何が来るか分かるとか―――このゲーム、周回すればするほど有利になっていくところが多いんです。

 アクションゲームなんかだと「同じ面を何度もプレイして上手くなっていく」ことは当たり前のことですけど、この『Dの食卓』はアクション要素が(ほぼ)ないアドベンチャーゲームでありながら何度もやり直すことで「自分の上達」を実感できるゲームになっているんです。

 この感覚は他のゲームではあまり味わったことがありません。
 『Re:ゼロから始める異世界生活』でスバルくんが何度も死に戻って、「前回の経験」を活かして絶体絶命の状況を突破する―――みたいなタイムリープものの主人公になった気分を味わえます。


 だからこのゲーム……「何度もやり直す時間がもったいないから、攻略サイトを見ながら1周でクリアしよう」みたいな遊び方をしちゃう人にとっては全然面白くないと思います。
 手探りで1周目を遊んで、ヒントとか、ギミックの謎とかをメモに取りながら進めて、それで2時間が経過してしまってクリアできなかったとしても、そのメモを活かして2周目は1周目より効率的に進める――――そういう成長の過程を楽しめる人にとっては面白いゲームとなるでしょう。

 「移動速度の遅さ」とか「3回しか使えないヒント機能」とか「やたらタイミングがシビアなQTE」とかも、この“2周目は1周目より効率的に進める”ことを実感させるためにそういった仕様になっているのかと思ってしまうほどです。
 「リメイクしてほしい」とか「VRで遊びたい」といったコメントもあったんですけど、快適に遊べるように現代風にリメイクして移動速度を速くしたら誰でも1発で2時間以内にクリア出来ちゃうでしょうし、やり直した際のショートカットに感動できないでしょうし。やっぱりこのゲームは現代風には直せないゲームじゃないかなぁと思いますね。飯野さんが亡くなっているということを差し引いても。



 ただ、「じゃあ、完璧に効率的なプレイを覚えたらそのままそれを繰り返すだけになっちゃうのか」というと、実はショートカットできないランダム要素もほんの少しだけあります。


<画像はプレイステーション版『Dの食卓』より引用>

 それが「玉虫イベント」です。
 これはクリアには必須ではないのですが、館のどこかに玉虫が数匹いて、それを見つけるとローラの断片的な記憶が再生される→ 全て集めた状態でクリアすると「真のエンディング」にたどり着くのですが。この玉虫のいる場所は毎回固定ではなく、ランダムで変化するみたいなんですね。なので、全てをショートカットして効率よく進もうとすると、「前回はここに玉虫がいたのにいなくなってる!」ということになるという。



 ただまぁ、それでもある程度は「玉虫が出る場所」は決まっているみたいですし、そもそも「普通のエンディング」も「真のエンディング」もほとんど変わらないのでやり直すほどではないです(笑)。
 これも多分、「クリアしたらすぐに中古ゲーム屋に売っちゃう人」対策として「まだまだやり残したことがありますよ!」と周回プレイをさせるための工夫だと思うので……2018年の今これを遊ぶなら無視しちゃってイイんじゃないかと思います、虫だけにね!



◇ 結局、どういう人にオススメ?

<画像はプレイステーション版『Dの食卓』より引用>

 ……

 流石に2018年にこのゲームを遊ぶには、「3D黎明期のゲームを遊んでみたい!」「名前は聞いたことある名作は触れておきたい!」といったゲームの歴史を紐解くモチベーションがなければなかなか厳しいです。そもそも現代だと「2時間ぶっ続けでゲームをやる(途中中断も途中セーブもできない)」なんてゲームは受け入れられないでしょうし、移動の遅さにイライラしてしまう人も多いでしょう。

 そうした「不自由さ」も含めてゲームデザインになっているということを楽しめる人にしかオススメ出来ませんし、逆に言うとそれを「面白そう!」と思える人にはオススメです!


 生配信でワイワイ言いながら遊んだこともあって、私はすごく楽しみました。
 「ホラー映画のDVDを借りてみんなで一緒に観る」みたいに、友達同士で集まってみんなで一緒にあーだこーだ言いながら遊ぶのもイイかも知れませんね。そして、みんなで一緒にQTEにぶちぎれよう!



※ 2025年追記:
 設定言語に日本語がないため、このブログでは「日本では出ていない」扱いにしていましたが……Steamで移植版『D: The Game』が出ているみたいです。"言語が分からなくて遊べるゲーム"だとは思わないので、英語が読める&聞き取りできる人にしかオススメできませんが、興味が出た人は是非どうぞ!

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