『コナミワイワイワールド』レビュー/キャラだけじゃない、あの時代のコナミの魅力が集まったクロスオーバーゲームの先駆け


<画像はファミリーコンピュータ用ソフト『コナミワイワイワールド』より引用>

※ この記事は2023年に旧ブログに書かれたものを幾つか手直しして2025年に移行した記事です

【これさえ押さえておけば知ったかぶれる三つのポイント】
1980年代のコナミキャラが“ちゃんと操作できる”クロスオーバー作品
メトロイドヴァニアという言葉はなかった時代だけど、しっかりと「探索」が面白い!
「2人協力プレイと言えばコナミ」という時代があったんだ



『コナミワイワイワールド』
・コナミ
・ファミリーコンピュータ用ソフト:1988年1月14日発売
・2Dアクションゲーム
・パスワード制


 私がクリアまでかかった時間は約08時間でした
 ※ネタバレ防止のため、読みたい人だけ反転させて読んでください
↓1↓



◇ 1980年代のコナミキャラが“ちゃんと操作できる”クロスオーバー作品

 このゲームは1988年1月に発売されたファミコン用のアクションゲームで、「アーケードゲームの移植」とかではなく「ファミコン用の新作」として発売されました。

 ちなみに1988年のファミコンソフト、2月に『魂斗羅』と『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』、4月に『ダブルドラゴン』と『キャプテン翼』、7月に『熱血高校ドッジボール部』、8月に『ドラゴンボール 大魔王復活』、10月に『スーパーマリオブラザーズ3』、12月には『桃太郎電鉄』と『忍者龍剣伝』と『グラディウスII』と『ファイナルファンタジーII』と『テトリス』と『ロックマン2 Dr.ワイリーの謎』が発売されたやべー年です。
 ROMカセットの大容量化と、ソフトによってはバッテリーバックアップを搭載するものも出てきて、より大作ゲームが出てくるようになった時期ですね(反面ディスクシステムの強みがなくなって撤退が始まった頃)


 『コナミワイワイワールド』は当時のコナミのファミコン用ソフトから様々なキャラクターが登場するクロスオーバー作品であり、オールスター作品なのですが……「歴史上初めてのクロスオーバー作品のゲームか?」と言われると、ちょっと悩むんですよね。

 例えば、『ドンキーコング』(1981年)の主人公であるマリオが『ドンキーコングJr.』(1982年)に敵キャラとして出てくるのは「クロスオーバー作品」ではなく「続編」だと思うのですが、アーケード版『パンチアウト!!』(1984年)の観客席にマリオとドンキーコングがいるのは「クロスオーバー作品」と言えば「クロスオーバー作品」と言えなくもない……
 同じ開発者だったり、同じゲームメーカーだったりが、お遊び的に他のゲームのキャラクターを登場させることはこの時代に結構ありましたからね。『アトランチスの謎』(1986年)に『いっき』(1985年)のキャラクターが登場するとか。

 また、『SDガンダムワールド ガチャポン戦士』(1987年)、『仮面ライダー倶楽部 激突ショッカーランド』(1988年)、『ウルトラマン倶楽部 地球奪還作戦』(1988年)なんかは、傍から見たら「そのゲームに出てくるの全部ガンダムじゃないですか」と思われるかも知れませんが、ファンにとっては『機動戦士ガンダム』と『機動戦士Zガンダム』と『機動戦士ガンダムZZ』のモビルスーツがごちゃ混ぜになって戦うのは「夢の共演なんですよ!」と言いたくなる気持ちがないワケでもありません。これもクロスオーバーと言えば、クロスオーバーか?

 ちなみに、『ガンダム』『仮面ライダー』『ウルトラマン』が一堂に会するコンパチヒーローシリーズが登場するのは1990年(『SDバトル大相撲 平成ヒーロー場所』)からなので、もうちょっと後の話ですね。


<画像はWiiバーチャルコンソール版『SDガンダムワールド ガチャポン戦士』より引用>


 アニメや特撮出身IPのキャラではなく、ゲーム出身IPのキャラだけで「別々のゲームの主人公が集まって一堂に会するゲーム」と限定しても、『プロ野球ファミリースタジアム』の「ナムコスターズ」が1986年12月に登場しています。
 まつぴ・にやむこ(マッピー)、ばろん(スカイキッド)、ふあいか・ぷうか(ディグダグ)、ぱつく(パックマン)、ぎる(ドルアーガの塔)、いんで(バベルの塔)、らりいX(ラリーX)、ぴぴ(ポールポジション)、せひうす(ゼビウス)、ぼすこ(ボスコニアン)、きやらか(ギャラガ)、とふかふ(リブルラブル)、へろへろ(ワープ&ワープ)、そして、ぴの(トイポップ)!

 錚々たるゲームのキャラクター達(中には敵キャラや、ゼビウスのように異星の名前のものもありますが)が、同じチームに集まって戦う―――けど、もちろん元ネタのキャラ達は野球ゲームのキャラではないし、グラフィックもみんな共通だったので、「パックマンやギルを使っている」という感覚とはちょっと違ったと思うんですね。


<画像はファミリーコンピュータ用ソフト『ファミスタ'89 開幕版!!』より引用>



 その点、『コナミワイワイワールド』(1988年)は別々のゲームの主人公が「ちゃんと自分で操作できて」「ビジュアルもみんなちがっていて」「原作を再現した性能差になっている」んですね。「世界初のクロスオーバー作品のゲーム」と言うのは抵抗があるけれど、「クロスオーバーのゲームの先駆けとなった作品」と言うくらいはイイんじゃないかと私は思います。


<画像はファミリーコンピュータ用ソフト『コナミワイワイワールド』より引用>



 それでは、登場する「当時のコナミのオールスター」キャラ達を紹介しましょう。


1.コナミマン

<画像はファミリーコンピュータ用ソフト『コナミワイワイワールド』のものを加工しました>

 いきなり「誰やねん」と思われそう……
 1980年代のゲームには特定の行動をすると出てくる「ボーナスアイテム・ボーナスキャラ」がいろんなゲームに入っていて(有名なのは『ゼビウス』のソルとか)、コナミマンはコナミの様々なゲームに出てきて獲得すると得点がもらえる「ボーナスキャラ」でした。そのボーナスキャラが、コナミキャラが一堂に会するゲームの主人公に抜擢されたんですね。

 マントを取ると空が飛べるようになるのは、それらのゲームの原作再現でもあります。

-登場作品-
・『ロードファイター』(1984年)
・『グーニーズ 』(1985年)
・『キングコング2 怒りのメガトンパンチ』(1986年)
・『グーニーズ2 フラッテリー最後の挑戦』(1987年)
・『エスパードリーム』(1987年)



2.コナミレディ

<画像はファミリーコンピュータ用ソフト『コナミワイワイワールド』のものを加工しました>

 紅一点のキャラとして登場した、本作オリジナルキャラです。
 設定的にはシナモン博士が作ったアンドロイドらしく、「わざわざビキニ姿にするとはシナモン博士」と思わせました。プレイアブルキャラとして使えるのはこのゲームだけですが、この後のいろんなコナミのゲームに顔を出すことになります。

 コンピューターゲーム黎明期はどうしても「ゲームは男の子のもの」だったからか男性主人公がほとんどで、『コナミワイワイワールド』に出演できる女性主人公がいなかったんだと思うんですね。
 それが、『ガールズガーデン』(1985年、セガ)、『アテナ』(1986年、SNK)、『マドゥーラの翼』(1986年、サン電子)、『モモコ120%』(1986年、ジャレコ)と女性主人公のゲームが増えてきたのが1980年代中盤あたりです。『コナミワイワイワールド』にわざわざ女性主人公をオリジナルキャラとして足したのは恐らくその流れで、『アテナ』や『マドゥーラの翼』を見ればコナミレディが何故ビキニ姿なのかが分かりやすいですね(笑)。

 男の私にはあまり分からない感覚なんですが、女子のゲームプレイヤーは「男性キャラ」よりもなるべく「女性キャラ」を使いたがるみたいな話があって、なのでマリオのパーティゲームやスポーツゲームにはピーチ姫やデイジーなんかが出演するらしいんですが……そんなこともあって、この『コナミワイワイワールド』は兄妹でいっしょに遊ばれて、妹がコナミレディを使っていたみたいな話を目にしました。こんなエロイ格好をさせられたキャラなのに!


3.ゴエモン

<画像はファミリーコンピュータ用ソフト『コナミワイワイワールド』のものを加工しました>

 ファミコン~スーファミ時代のコナミの「顔」と言えばゴエモンです!後にRPGになったり、パズルゲームになったり、漫画も連載されていたし、アニメ化もされていたそうです。
 原作同様に武器はキセルで、招き猫を取得すれば飛び道具としてコバンを投げられるようになります。ゴエモンのみ、道中の宝箱を開けることができるのだけど、ハートを任意のキャラに取らせようと切り替えている間にハートが消えてしまうのがお約束です。

-登場作品-
・『Mr.五右衛門』(1986年)
・『がんばれゴエモン!からくり道中 』(1986年)



4.シモン

<画像はファミリーコンピュータ用ソフト『コナミワイワイワールド』のものを加工しました>

 多数のシリーズ作品が発売され、後に「メトロイドヴァニア」と名付けられるジャンルの片翼を担った『悪魔城ドラキュラ』シリーズの初代主人公です。正確には「初代主人公シモン」その人ではなく「シモンIII世」らしいのだけど、どうして?

 原作同様にムチを使って攻撃し、アイテムを取得することで「クロス」を投げられるようになります。ムチはリーチが長いけど連射が遅く、クロスは1発ごとに弾丸5消費するけど敵を貫通しながらブーメランのように動くので超強力です。

-登場作品-
・『悪魔城ドラキュラ』(1986年)
・『悪魔城ドラキュラ(MSX版) 』(1986年)
・『ドラキュラII 呪いの封印』(1987年)



5.マイキー

<画像はファミリーコンピュータ用ソフト『コナミワイワイワールド』のものを加工しました>

 元々はスティーヴン・スピルバーグが総指揮を執った1985年の実写映画『グーニーズ』の主人公で、ゲーム化は何本かされていましたが、この姿のマイキーが出てくるのは1986年のファミコン版以降だと思います(MSX版はスロースが主人公)。このファミコン版が大ヒットしたからなのか、原作の映画が存在しない『2』のゲームまで出ました。

 原作からしてこどもなので小柄で、小さな隙間を通ることが可能です。一部のステージではマイキーでしか入れない場所があります。ファミコン版同様に攻撃手段はキック、パチンコを取得するとパチンコで攻撃できるようになります。

-登場作品-
・『グーニーズ』(1986年)
・『グーニーズ2 フラッテリー最後の挑戦』(1987年)



6.コング

<画像はファミリーコンピュータ用ソフト『コナミワイワイワールド』のものを加工しました>

 元々『キングコング』は1933年のアメリカ映画で、1976年にそのリメイク映画が作られ、更に1986年にその続編『キングコング2』が公開になり、そのゲーム化がMSX2とファミコンで発売になりました。どちらもコングが主人公ですが、内容は別物です。

 体が大きく、ジャンプ力も高く、攻撃力も高くて強い!
 更にバナナを入手すると、岩を投げつけてナナメ下に攻撃が出来ます。どうしてバナナを食べると岩を投げられるようになるのかは知りません。

-登場作品-
・『キングコング2 怒りのメガトンパンチ』(1986年)
・『キングコング2 甦る伝説』(1986年)



7.風魔

<画像はファミリーコンピュータ用ソフト『コナミワイワイワールド』のものを加工しました>

 主演作品は1987年に発売されたファミコン用ソフト『月風魔伝』1本だけだったのに、この後も多数のコナミ作品にゲスト出演するという変わった立ち位置のキャラクターでした。と思ったら、2022年に35年ぶりの新作『GetsuFumaDen: Undying Moon』が発売されて驚きました。経緯としては、『パルテナの鏡』みたいなカンジなのかなぁ。

 リーチが短い刀と、アイテムを取れば3方向に飛んでいく手裏剣を投げられるようになります。デフォルト武器で岩を壊せるキャラですが、加入が後半すぎて活躍の機会がなくなりがち……

-登場作品-
・『月風魔伝』(1987年)



8.モアイ

<画像はファミリーコンピュータ用ソフト『コナミワイワイワールド』のものを加工しました>

 『グラディウス』シリーズからの参戦と書かれることが多いですが、モアイはこの当時のコナミのいろんなゲームにちらっと登場していたので「コナミマン」と同じような扱いの「主人公キャラじゃないけどコナミを代表するキャラ」としての参戦じゃないかと思います。後に『モアイくん』という単独のゲームが出ましたね。

 攻撃力が高いけれど、足元には攻撃が出来ません。アイテムを取れば『グラディウス』の敵として出てきたときのようなリングの弾を放ちます。

-登場作品-
・『グラディウス』(1985年)
・『ピポルス』(1985年)
・『コナミのボクシング』(1985年)
・『ツインビー(ファミコン版・MSX版)』(1986年)
・『沙羅曼蛇』(1986年)
・『Qバート』(1986年)
・『キングコング2 怒りのメガトンパンチ』(1986年)
・『火の鳥 鳳凰編 我王の冒険』(1987年)
・『エスパードリーム』 (1987年)
・『エキサイティングビリヤード』(1987年)
・『メタルギア』(1987年)
・『エキサイティングベースボール』(1987年)



 プレイアブルキャラはこの8人です。
 その内2つが映画原作ゲームのキャラで、確かに当時『グーニーズ』のゲームは大人気だったから人選に納得なんですが、その権利関係のせいでバーチャルコンソールなんかでの配信が絶望的だと言われているんですね。



<画像はファミリーコンピュータ用ソフト『コナミワイワイワールド』より引用>

 その他のキャラだと、『ツインビー』(1985年)のシナモン博士がコナミレディを作ったり、プレイヤーにヒントをくれたりするポジションで登場します。シナモン博士のヒントを、面倒くさがらずに聞きましょう。



<画像はファミリーコンピュータ用ソフト『コナミワイワイワールド』より引用>

 ステージ選択画面に出てくるペンギンは、『けっきょく南極大冒険』(1983年)や『夢大陸アドベンチャー』(1986年)の主人公のペンギンだと思われます。
 オマエも戦えや!と思ったら、『コナミワイワイワールド』の携帯電話版が出た際、映画原作キャラ2人が差し替えられて「ウパ」と「ペンギン(ペン太)」に代わったそうです。キングコングの代わりがコイツなの!?



 そして……


<画像はファミリーコンピュータ用ソフト『コナミワイワイワールド』より引用>

 やはり衝撃的なのはコレでしょう!
 仲間を全員揃えて最終決戦に向かう際、乗り込むのがツインビーかビッグバイパーで、『ツインビー』(1985年)風の縦スクロールシューティングゲームになるんですよ!

 ゲームの歴史を考えると、「1本のゲームにいろんなゲームが入っていて状況に合わせて変化する」のが流行っていた時期ではあります。

・1985年10月『チャレンジャー』
 …1面は横スクアクション。2面が見下ろし視点の探索アクションで、固定画面の横視点アクション面に出入りしていく
・1986年2月『ゼルダの伝説』
 …基本は見下ろし視点のアクションアドベンチャーで、ダンジョン内でのみ横視点になる場面がある
・1986年11月『ドラゴンボール 神龍の謎』
 …基本は見下ろし視点のアクションアドベンチャーで、ボス戦は「格闘ゲーム」、ところどころで固定画面の横視点アクション面になる
・1986年12月『たけしの挑戦状』
 …基本は横視点のアクションアドベンチャーだけど、ハングライダーの場面はシューティングになる
・1986年12月『光神話 パルテナの鏡』
 …上スクロールや横スクロールステージの後、探索要素のある砦面があって。最終面はシューティング
・1986年12月『ドラえもん』
 …1面は見下ろし視点の探索アクションで、固定画面の横視点アクション面に出入り。2面が強制スクロールのシューティング。3面が画面切り替え式の横視点のアクションシューティング
・1987年2月『魂斗羅』
 …横スクアクション面と、3Dシューティングのステージがある


 しかし、『コナミワイワイワールド』がその中でも衝撃的だったのは、「別のゲームが入っている」ことだったんですよ! よく考えると全然そんなことはないのだけど、当時こどもだった私は「1本ゲームを買うと新作アクションゲームとツインビーが入っていて2本分じゃん!」くらいに思っていました。

 これ、『龍が如く』や『JUDGE EYES』のゲームセンターで昔のセガゲーが丸々遊べるのの元祖と言ってイイんじゃないかと私は思っています。



<画像はファミリーコンピュータ用ソフト『コナミワイワイワールド』より引用>

 まぁ、ビッグバイパーで出撃しても縦スクロールの同じ面になるの!?とは思いましたが(笑)

 でも、コメントで指摘されて思い出しましたが、『コナミワイワイワールド』(1988年1月)の時点で、ファミコンのグラディウスって『グラディウス』(1986年4月)と『沙羅曼蛇』(1987年9月)しか出ていなくて、当時の最新作『沙羅曼蛇』はステージによって縦にも横にもスクロールするゲームだったんですよね。

 だから、当時は「グラディウスなのに縦なの!?」とは思わなかった記憶があります。



 ということで、正真正銘「当時のコナミのオールスター」なんですね。
 「このメンツで魂斗羅はいないの?」と思うかも知れませんが、『魂斗羅』はアーケード版はあったもののファミコン版はこの翌月に発売になるので参加しなかったみたい……なんですが、実は『魂斗羅』要素もしっかりこのゲームに入っているので、「アーケード版を知っている人はニヤリと出来た」のかも知れませんね。

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◇ メトロイドヴァニアという言葉はなかった時代だけど、しっかりと「探索」が面白い!

 とは言え、後の『ファミコンジャンプ』(1989年)や『ワイワイワールド2』(1991年)、最近のゲームで言えば『The Wonderful 101』(2013年)のように「状況に合わせて様々なミニゲームを遊ばされる」ほどではなく……オマケとして縦スクロールシューティングが入っているくらいで、基本はずっと横スクロール2Dアクションゲームです。


 しかし、これもちゃんと「当時のコナミ」なんですよね。


<画像はファミリーコンピュータ用ソフト『コナミワイワイワールド』より引用>

 まず最初にプレイヤーは原作再現された6つのステージから選ぶことになるのですが……カプコンの『ロックマン』(1987年)のような「ステージを選べるステージクリア型ゲーム」とはちょっとちがって、この6つのステージに何度も出たり入ったりする「探索型のアクションゲーム」なんですね。



<画像はファミリーコンピュータ用ソフト『コナミワイワイワールド』より引用>

 例えば、最初にプレイヤーが選びそうな「左上のステージ」に行くと、こちらの攻撃が届かない位置に敵のイソギンチャクがいて、このまま飛び移るとダメージを喰らい続けるようになっているんですね。なので、「今はまだここは進めないんだ」とプレイヤーは引き返すことになります。



<画像はファミリーコンピュータ用ソフト『コナミワイワイワールド』より引用>

 そして、別のステージでシモンを救出して仲間にしてから戻ってくると、シモンの武器はリーチの長いムチなので、このイソギンチャクをノーダメージで倒すことが出来るんですね。6つのステージを行ったり来たりしながら「仲間」や「アイテム」を集めることで、行動範囲が広がっていく「探索型2Dアクションゲーム」ということで―――

 今で言う「メトロイドヴァニア」風のゲームなんですよね。


 「メトロイドヴァニア」とは?
 『メトロイド』(1986年)と、『悪魔城ドラキュラX 月下の夜想曲』(1997年)の英語版のタイトル 「Castlevania: Symphony of the Night」を組み合わせた造語で―――サイドビューの2Dアクションゲームでありながら、「ステージクリア型」ではなく「何度も行き来可能な、つながったエリアを探索する」タイプのジャンルですね。このジャンル名はこの2タイトルの公式ジャンルではなく、恐らくは2010年代に入ってからゲーマー達がインディーゲームを分類する際に使い始めた言葉じゃないかと思われます。

 しかし、当然ながら「メトロイドヴァニア」という言葉が生まれる前から「探索型の2Dアクションゲーム」はたくさんあって、この2タイトル以外にも「探索型の2Dアクションゲーム」はたくさんあったんです。



<画像はファミリーコンピュータNintendo Switch Online版『アトランチスの謎』より引用>

 例えば、『メトロイド』の4ヶ月前の1986年4月に発売されたサン電子の『アトランチスの謎』です。
 このゲームは一見すると「全100面のステージクリア型2Dアクションゲーム」のように見えるかもだけど、「1面→ 2面→ 3面→ 4面→ …」と進むゲームではなくて、1つの面にいくつものドア(隠しドア)があって様々なルートを構築するゲームなんですね。「1面→ 2面→ 3面→ 6面→ 8面→ 10面→ 4面→ 25面→ 41面→ 94面→ 97面→ 100面」みたいに。

 普通のプレイでは気付かないような隠しドアがたくさんあって。
 各ステージにある「アイテム」を取ることでダメージを無効化したり、雲の上に乗れるようになったりして、主人公がパワーアップするところなんかは「メトロイドヴァニア」っぽいですね。いや、本来ならそこに『アトランチスの謎』も加えて、「アトロイドヴァニア」と呼ぶべきだったんじゃないのか……?


 どうしてこういうゲームが生まれたかというと、1986年当時はゲームの中に「隠し要素」がごまんと入っていて、それを仲間内で共有したり「攻略本」で調べたりして遊ぶのが普通だった時代だからだと思います。『ゼビウス』(1983年)とか、『ドルアーガの塔』(1984年)があって、『アトランチスの謎』は『パックランド』(1984年)に影響を受けていると明言されています。2Dアクションゲームの中に山のように隠し要素を加えたゲームにしようとしたと。

 要は、2Dアクションゲームに「隠し要素」の成分を多くを加えると「探索型の2Dアクションゲーム」になるんだろうなと思うのです。



<画像はファミリーコンピュータNintendo Switch Online版『メトロイド』より引用>

 そして、1986年8月にディスクシステム専用ゲームとして初代『メトロイド』が登場します。『メトロイド』は任天堂のゲームですが、『スーパーマリオブラザーズ』(1985年)や『ゼルダの伝説』(1986年)を作った宮本茂さんの部署ではなく、それまでゲーム&ウォッチを作っていた横井軍平さんの部署によるゲームです。

 新人デザイナーだった清武博二さんと松岡洋史さんの2人が「絵が描けるヤツは、ゲームもつくれるはずや」と言われ、生まれて初めてテレビゲームを作ることになったのだけど……
 2人だけでは10ヶ月弱経っても全くゲームが完成せず、決まっていた発売日だけが近づいてきて、坂本賀勇さんを始めとするメンバーが最後の3ヶ月間チームに入って部署総がかりで完成させたそうです。この辺の経緯はミニファミコン発売時のインタビュー記事で詳細に語られているので、是非一読あれ!

<以下、引用>
―――で、坂本さんたちが合流したとき、ゲームはどの程度できていたんですか?

坂本「正直に言うと、何もできていなかったんです(笑)。」

―――ああ・・・(笑)。

坂本「どこに行っても同じ柄の背景が続いていて、どこに行っても同じことしかできないような状態だったんです。キャラクターが動くだけで、ゲームデザインがまったくできていなかったんですね。」

―――その時点で、『メトロイド』の世界観は表現されていたんですか。

坂本「それはできていました。ダークな世界観で、肉体派のキャラクターが活躍する、いわゆる体当たりゲームみたいな感じは、当時もちゃんとできていたんです。」

―――それで坂本さんたちは、どのようなことから手をつけていったのですか?

坂本「いちばん最初に手をつけたのは、主人公のサムスの動きです。」

清武「私はキャラクターデザインが専門だったいうこともあって、サムスをいろんなパターンで、すごく細かく動かしていたんです。すると、すごく容量を食ってしまったんですね。」

―――そこへさらに、背景やサウンドを入れようとすると・・・。

清武「とても収まらないんです。なので、サムスの動きはかなり端折(はしょ)られました(笑)。」

―――「10か月近くもかけて、せっかくつくったのに」と思いませんでしたか?

清武「もちろん涙、涙だったんですけど、みんなに手伝ってもらっているわけですし、その結果として、『メトロイド』が完成するのであれば、それでいいとは思っていました。」

坂本「そのほかにも、背景の色を変えることで、次に進んだということがわかるようにしたりとか、ものすごくたくさん手を加えることになりました。
</ここまで>
※ 改行や強調など一部引用者が手を加えました


 後にゲームの歴史に名前を残すことになる『メトロイド』ですが、当時は「既に出来上がっている素材」を組み合わせて「3ヶ月でなんとかゲームにしなくては」と突貫工事のように作られたそうです。『スーパーマリオブラザーズ』のような「ステージクリア型の2Dアクションゲーム」にするとプレイヤーを楽しませるギミックが足りないし、ボリュームもさほどではなくなってしまいます。

 そのため、「隠し要素」をごまんと含む迷路を作り、同じ場所を行ったり来たりする「探索型の2Dアクションゲーム」にしたという。


 また、『アトランチスの謎』との大きなちがいは「パワーアップ」が「永続的なパワーアップ」かどうかだと思います。 『アトランチスの謎』は1機失うと消失してしまうパワーアップがほとんどなのですが、『メトロイド』のパワーアップは一度取得すればずっと続くパワーアップです。

 これは『メトロイド』がディスクシステム専用のゲームとして開発されたことと無関係ではないと思います。この時期のファミコン用ソフトにはセーブ機能がなかった(カセットテープを使用したファミリーベーシックを除く)ため、「セーブをして続きから遊べる」ことをウリにした周辺機器「ディスクシステム」が発売されたんですね。
 そのため、ディスクシステム初期の任天堂のゲームは、『ゼルダの伝説』にしろ『メトロイド』にしろ『パルテナの鏡』にしろ「永続的なパワーアップ」をするゲームが多いのです。その「永続的なパワーアップ」を、次回遊ぶときも継続できるのがウリのゲームを作っていたんですね。


 さて、ようやく本題に話が入ります(笑)。
 『メトロイド』が生まれたこの時期―――実はこの時期のコナミも、後の「メトロイドヴァニア」につながるような「2D探索アクションゲーム」を発売しているんですね。

 例えば、『悪魔城ドラキュラ』(1986年)は「ステージクリア型の2Dアクションゲーム」でしたが、ファミコン版の再現がマシンスペック的に難しかったMSX2版は「探索要素」をかなり強めているんですね。制限時間をなくし、迷路が複雑になり、メイン武器を変更(強化)できるなど、探索寄りに変わったところが多々あったそうです。
 そして、続く『ドラキュラII 呪いの封印』(1987年8月)は、ステージクリア型をやめて「経験値システム」や「セーブシステム」や「複数のサブウェポンを使い分けるシステム」を導入した「2D探索アクションRPG」のようになっていました。限られた時間の中でクリアするとエンディングが変化するなど、『メトロイド』の影響かなーと思われるところもありますね。

 その他だと、『グーニーズ』(1986年)も1作目が「ステージクリア型の2Dアクションゲーム」だったのが、2作目『グーニーズ2 フラッテリー最後の挑戦』(1987年3月)では「2D探索アクションゲーム」になっていたり。『魔城伝説II ガリウスの迷宮』(1987年4月)なんかも1作目が「シューティングゲーム」だったのが、2作目で「2D探索アクションRPG」になったり。

 つまり、この時期のコナミは短期集中的に「2D探索アクションゲーム」を発売していて、『コナミワイワイワールド』もその流れを踏襲しているのです。



<画像はファミリーコンピュータ用ソフト『コナミワイワイワールド』より引用>

 先ほどの、『メトロイド』と『アトランチスの謎』のちがいは「永続的なパワーアップ」だという点で『コナミワイワイワールド』を見ると……「仲間を助ける」ことが、まさにイコールで「永続的なパワーアップ」だと言えます。

 操作キャラを切り替えるタイプのアクションゲームは多々ありますが、こんな風に1人1人にライフが設定されていて、仲間が増える=全体の耐久力が上がるゲームは珍しいですね。『へべれけ』(1991年)なんかはまさに「仲間を切り替えるメトロイドヴァニア」ですが、ライフは共通でしたし。
 仲間はそれぞれ攻撃手段が異なるため、「コナミマンでは当てられない位置の敵に、コングでなら攻撃ができる」といった要素もありますし。マイキーでしか入れない場所、コングでしか登れない場所、風魔なら壊せる岩などもあります。

 つまり、仲間を助けることがイコールで「全体の耐久力アップ」「攻撃手段のバリエーションが増える」「移動できる範囲が広がる」と永続的なパワーアップになるんですね。だから、同じステージを何度も行ったり来たりしてでも「探索」して仲間を救出するのが楽しいのです!


 しかし、この後のコナミは、『悪魔城ドラキュラ』シリーズも「ステージクリア型の2Dアクションゲーム」に戻るし、『ワイワイワールド2』も「ステージクリア型のアクションゲーム」になるし、『グーニーズ』の続編は出ないしで、「2D探索アクションゲーム」の流れは一旦止まってしまうんですよね。

 それが、1990年代中盤になってから『スーパーメトロイド』(1994年)が「2D探索アクションゲーム」の完成形を一旦作り、『悪魔城ドラキュラX 月下の夜想曲』(1997年)がそこにRPG要素を加えて「メトロイドヴァニア」の雛型となり……2000年代以降になると、インディーゲームなどから多数「2D探索アクションゲーム」が生まれるようになります。  『洞窟物語』(2004年)や、『LA-MULANA(ラ・ムラーナ)』(2006年)、そして2010年代になると『オリとくらやみの森』(2015年)や『Hollow Knight』(2017年)等々……「メトロイドヴァニア」というジャンル名が定着し、様々な作品が生まれるようになりました。


 そう考えると、この『コナミワイワイワールド』……初代の『メトロイド』と同様に「メトロイドヴァニア」黎明期の作品と言ってイイのかも知れませんね。
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◇ 「2人協力プレイと言えばコナミ」という時代があったんだ

 そして、このゲームについて絶対に語っておかなければならないことがあります。


<画像はファミリーコンピュータ用ソフト『コナミワイワイワールド』より引用>

 このゲーム、「2人同時プレイ」が可能だったんですよ。

 今の基準で考えると「オフラインの2人協力プレイなんて珍しくもなんともないだろ」と思われるかも知れませんが、この時期のファミコンのゲームでは結構な貴重なゲームだったんです。

 ファミコン初期の任天堂のゲームで言えば、スポーツ系とか、『マリオブラザーズ』(1983年)、『バルーンファイト』(1985年1月)、『アイスクライマー』(1985年1月)のような2人協力プレイが遊べるゲームはたくさんありました。ファミコンはコントローラが標準で2つ付いているため、それを活かしたゲームがたくさん出たんですね。
 ですが、『スーパーマリオブラザーズ』(1985年9月)辺りから任天堂ですら「1人用のゲーム」や「2人プレイでも交互に遊ぶゲーム」が多くなってしまいます。『ゼルダの伝説』も『メトロイド』も『パルテナの鏡』も「1人用のゲーム」ですもんね。2人でいっしょに遊べるゲームは、スポーツ系か落ちものパズルの対戦プレイってカンジになっちゃうんですよね。


 しかし、コナミはその隙間を埋めるように「2人で一緒に遊べる協力型ゲーム」を出し続けるんですよ。

 例えば、『ツインビー』(アーケード版は1985年、ファミコン版は1986年)。
 例えば、『沙羅曼蛇』(アーケード版は1986年、ファミコン版は1987年)。
 例えば、『魂斗羅』(アーケード版は1987年、ファミコン版は1988年)。

 この『コナミワイワイワールド』も1作目(1988年)、2作目(1991年)ともに2人協力プレイが可能ですし。『がんばれゴエモン』シリーズも『2』(1989年)以降は2人同時プレイが標準となって、スーファミ時代になると「友達といっしょに2人で遊べるゲーム」の定番になりますし。
 『クォース』(アーケード版は1989年、ファミコン版は1990年)や、『T.M.N.T. ~スーパー亀忍者~』(アーケード版は1989年、ファミコン版は1990年)なんかもありましたね。1人用専用のゲームがなかったワケじゃないんですが、この時期のコナミは「2人でいっしょに遊べるゲーム」をたくさん出していて、なのでコナミのゲームはソフトを持っていなくても友達の家で遊んだことがあるって人は多かったんじゃないかと思います。


 ちなみに、もうちょっと時間が経つと「友達といっしょに遊べるゲーム」の定番となるくにおくんシリーズが出てくるのですが、テクノスジャパン勢でも『ダブルドラゴン』は1987年のアーケード版は2人同時プレイができたものの、1988年のファミコン移植版では1人用のゲームになっていました(代わりに2人対戦モードがある)。
 テクノスジャパンのゲームで2人協力プレイが出来るファミコンのゲームは、『ダウンタウン熱血物語』や『ダブルドラゴンII』(共に1989年)を待たなくてはなりません。

 そう考えると、1988年1月の時点で「2人協力プレイ」で全編遊べる『コナミワイワイワールド』はすごかったと思うんですね。



<画像はファミリーコンピュータ用ソフト『コナミワイワイワールド』より引用>

 もちろん救出した仲間にも、2人それぞれ切り替えることが出来るので「ゴエモンとシモンのタッグ」とか「モアイとコングのタッグ」みたいな夢の組み合わせにすることも可能です。ただし、2人で同じキャラを同時に使うことは出来ません。

 ただし、このシステムのせいで、キャラチェンジが「上を押しながらジャンプボタン」という暴発しやすい操作方法になっちゃってはいるんですけどね……ファミコンの2コンには「スタートボタン・セレクトボタン」がなかったため、こういう方法でしかキャラを切り替えられなかったのだろうけど。


 また、2人協力プレイ前提だからか、1人プレイの時も「画面の中心にキャラクターが収まらない」という問題も発生しています。


<画像はファミリーコンピュータ用ソフト『コナミワイワイワールド』より引用>

 スクロールの際の余白がほとんどないため、画面端から敵が出てきた瞬間に攻撃を喰らっていることが後半は多発します。そのため、敵がいるかも分からないところに消耗品の飛び道具を連射しながら進むプレイになりがち。この仕様はどうにかならんかったのか。


 「どうにかならんかったのか」ついでに、このゲームはキャラクターごとに「ライフ」が別々のため、ライフ回復アイテムが出たら「ダメージを喰らっている仲間に切り替えて回復アイテムを取りたい」と考えると思うんですよ。なのに、アイテムが消えるのがムチャクチャ早い。
 5秒くらいで消えるので、アイテムが出たことに気付いてからキャラを切り替えていると間に合いません。2人協力プレイだと、更にケンカになりそうな要因ですよね。



<画像はファミリーコンピュータ用ソフト『コナミワイワイワールド』より引用>

 ただ、そうは言っても「全編を2人協力プレイで遊べる」ようにするため、シューティングステージは「ツインビー」と「ビッグバイパー」どちらも操作できるようになっているのとか本当にすごいと思います。この絵面だけでもものすごいインパクトです。

 不満点がないワケではないけれど、夢のクロスオーバー作品の期待を裏切らない作品だったと思います!


◆ で、結局どういう人にオススメ?

<画像はファミリーコンピュータ用ソフト『コナミワイワイワールド』より引用>

 2023年現在の感覚だと、「当時のコナミのオールスター」も大半が知らないキャラとなってしまっているかも知れません。シモンは『スマブラ』に出ているから知られているとしても、ギリギリで生き残っているのがあとは風魔くらい?

 ですが、キャラを知らなくても「黎明期の2D探索アクションゲーム」としてしっかりと面白いと思いますし、簡単なゲームではありませんけど(私は序盤から「まるごとバックアップ」使ってたし…)、ファミコンのアクションゲームの中では良識のある難易度のゲームだと思います。最終面以外は、難しすぎると思ったら「探索が不十分」などの理由がありましたからね。

 ということで、「メトロイドヴァニア」好きな人には是非プレイしてもらいたいです!
 ファミコン版そのものを移植するのは権利の問題で難しいでしょうから、キャラが差し替えられた携帯電話版の移植とか出ないもんですかねぇ……

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