『グノーシア』レビュー/間違いなく俺は、この14人と一緒に宇宙を冒険したんだ


<画像はNintendo Switch版『グノーシア』より引用>

 ※ この記事は2020年に旧ブログに書かれたものを幾つか手直しして2025年に移行した記事です

【これさえ押さえておけば知ったかぶれる三つのポイント】
1プレイは10~15分。何百回と、CPU相手に遊べる1人用人狼ゲーム
ループするごとに強くなる「ループ作品の主人公」を体験できる
このゲームの主人公は「自分」だし、キャラクターは「NPC」なんかじゃなかった

結局、どういう人にオススメ?

『グノーシア』
公式サイト
・メーカー:プチデポット(Vita版のみ販売はメビウス)
 プレイステーションVita版:2019年6月20日発売
 Nintendo Switch版:2020年4月30日発売
  ※ Nintendo Switch本体機能でのスクリーンショット撮影○、動画撮影○
 Steam版:2022年1月23日発売
 プレイステーション4&5版:2023年12月14日発売
 Xbox One&Series X|S&Windows版:2023年12月14日発売
・SF人狼ゲーム
・セーブ方法:オートセーブ


※ PVはNintendo Switch版のものです
 私のクリア時間は28時間でした
 ※ネタバレ防止のため、読みたい人だけ反転させて読んでください

【苦手な人もいそうなNG項目の有無】
※ 苦手な人もいそうなNG項目があるかないかを、リスト化しています。ネタバレ防止のため、それぞれ気になるところを読みたい人だけ反転させて読んでください。
※ 記号は「◎」が一番「その要素がある」で、「○」「△」と続いて、「×」が「その要素はない」です。
・シリアス展開:△(一部のエンドを除いて終始明るいノリ)
・恥をかく&嘲笑シーン:△(土下座シーン、ちょっと恥ずかしいの私だけ?)
・寝取られ:×
・極端な男性蔑視・女性蔑視:×(性別を持たない汎という概念は面白かった)
・動物が死ぬ:×
・人体欠損などのグロ描写:×
・人が食われるグロ描写:×(グノーシアは人間を「消滅」させてるだけなんで)
・グロ表現としての虫:×
・百合要素:×
・BL要素:×
・ラッキースケベ:×
・セックスシーン:×

↓1↓


◇ 1プレイは10~15分。何百回と、CPU相手に遊べる1人用人狼ゲーム

 このゲームは『メゾン・ド・魔王』を作ったことで有名なプチデポットが、約4年をかけて開発したインディーゲームです。
 元々はプレイステーションモバイル用にプロトタイプを作っていたところ、プレイステーションモバイルのサービスが終了、Vita用ソフトとして開発を始めるも完成した頃にはVitaは出荷終了しているくらいの末期になっていました。しかし、そんな時期にも関わらず(そんな時期だからこそ?)「終わりかけているVitaにこんな面白いゲームがあるぞー!」と口コミが広がってヒットしました。

 私がプレイしたのは、そのVita版にバランス調整などを施して移植をしたNintendo Switch版です。Vita版の実績と評判があったため、ニンテンドーダイレクトで紹介されるなど注目度も高く、自分も含めて「Nintendo Switch版で初めて遊びました」って人が結構いました。
 よく「○○の機種で出たら買うとか言っているヤツは、実際に○○の機種で出ても買わない」と言われますが、少なくとも『グノーシア』はNintendo Switch版で出たから買って遊んだという人がたくさんいましたよ!



<画像はNintendo Switch版『グノーシア』より引用>


 さて、そんな経緯なので私はプレイする前から「人狼をモチーフにしたアドベンチャーゲーム」「ムチャクチャ評判が良かった」ことくらいは知っていました。逆に言うとそれくらいの知識しかなかったので、ケムコのアドベンチャーゲームとか、『シークレットゲーム』みたいな、ストーリーをひたすら読んでいって、たまに選択肢がある―――というノベルゲームだと勘違いしていました。

 全然違いました。

 このゲーム、「人狼をモチーフにしたアドベンチャーゲーム」というよりかは「CPU相手に延々と人狼を遊ぶゲーム」だったんです。



<画像はNintendo Switch版『グノーシア』より引用>

 「人狼とか全く知らない」という人もいらっしゃると思うので、ゲームの大まかな流れを説明していきます。まずは「会議パート」です。『人狼』では「昼フェイズ」と呼ばれるパートですね。

 メンバーの中に紛れている「グノーシア」が誰かを話し合って推理していくパートです。プレイヤーが出来ることは大まかに分けて2つ、「Xボタンを押して自分から発言する」「Aボタンを押して他の人の発言を聞く」かです。
 自分から発言すると「アイツは怪しい!」と名指しで攻撃できるのですが、喋りすぎると目立ってしまって「アイツ喋りすぎで怪しい」と逆に怪しまれてしまいます。「他の人の発言を聞く」と、誰が誰を怪しんでいるかなんかが分かる一方、望まない展開になって「その人じゃなかったのにー」と場に流されてしまうことにもなりかねません。なので、両方をバランス良く使っていく必要がありますね。

 時間制限などはないので、データなんかを見ながらじっくり考えましょう。



<画像はNintendo Switch版『グノーシア』より引用>

 自分およびCPUの発言が合計5回終わったら、「会議パート」のラスト:投票開始です。
 「コールドスリープさせたい相手」を1人1票ずつ入れていって、多数決で1位になった人を強制的にコールドスリープにさせます。乗員の勝利条件は「全てのグノーシアをコールドスリープさせること」なので、ここでグノーシアを全滅できれば「終了」です。



<画像はNintendo Switch版『グノーシア』より引用>

 グノーシアをコールドスリープさせられなかった or グノーシアがまだ残っている場合、ゲームは続行し、「移動パート」に入ります。『人狼』における「夜フェイズ」だと思うのですが、やれることは結構あります。どちらかというと育成シミュレーションとか恋愛シミュレーションっぽいパートだと思います。

 まずは「経験値が溜まっていた場合は自室でレベルアップ」が出来ます。
 詳しくは次の項で説明しますが、このゲームは「主人公の成長」がムチャクチャ重要なので、忘れずにレベルアップさせてステータスをアップさせておきましょう。

 続いて、「宇宙船内にいる誰か一人にだけ会いに行ける」のですが―――――あ、説明し忘れていました。このゲームはSFです。人類が宇宙を飛び回っている時代に、この宇宙船という密閉空間に「グノーシア」に汚染されているヤツがいるぞ! やべえ! って話です。グノーシアに汚染された人を野放しにしないため、グノーシアを全員見つけ出さない限り、この宇宙船はどこにも行けないんですね。

 話を戻しましょう。
 この「移動パート」で誰かに会いに行けば、その人とちょっとだけ仲良くなって「会議パート」で協力してくれるなんてこともありますし。あちらから「同盟を結ぼう」と提案されることもあります。また、ストーリーを進めるための特殊イベントが起こるのもこの「移動パート」が多いです。



<画像はNintendo Switch版『グノーシア』より引用>

 「移動パート」が終わると、グノーシアに狙われた一人が消滅します。
 グノーシアが何人残っていたとしても、グノーシアに消滅させられるのは一人ずつです。グノーシア側は「グノーシアの数が生き残っているメンバーの半数以上に到達する」と勝利なので、グノーシアの仲間をコールドスリープさせないように立ち回りながら、乗員を一人ずつ排除していくプレイになりますね。

 そして、残ったメンバーでまた「会議パート」、コールドスリープさせる人を話し合って投票します。この繰り返し、ちょっとまとめてみましょうか。

・会議パート:自分+CPUが5回まで発言できる
→ 投票:誰か一人を「コールドスリープ」させる
→ 移動パート:誰か一人に会いに行ける
→ グノーシアの襲撃:誰か一人が「消滅」させられる

→ 会議パート:自分+CPUが5回まで発言できる
→ 投票:誰か一人を「コールドスリープ」させる
→ 移動パート:誰か一人に会いに行ける
→ グノーシアの襲撃:誰か一人が「消滅」させられる

→ これを「グノーシア全員をコールドスリープさせる」か、「グノーシアの数が生き残っているメンバーの半数以上に到達する」まで続ける



<画像はNintendo Switch版『グノーシア』より引用>

 そして、プレイヤーが勝っても負けても、ループしてまた「1日目」の「会議パート」からやり直しになります。「誰がグノーシアか」どころか、「参加しているキャラの数」、「誰がどの役職か」などもすべてリセットされるので、前回のプレイで分かったことは次のプレイでは役に立ちません。この辺はちょっとローグライクっぽい。
 ゲームが進むと、「参加人数」「グノーシアの数」「どの役職がいるのか」「自分がどの役職なのか」を自分で設定できるようになります(「おまかせ」にもできます)。これで延々とループを繰り返しながら、CPU相手に「会議」を重ねていくゲームなんですね。

 1ループにかかる時間は長くても15分くらい、人数を減らせば10分もかからないと思います。「ワンプレイの短さ」と「毎回ちがうことの起こるリプレイ性の高さ」ゆえに、勝っても負けても「もう一度!」と遊びたくなるのは、『Splatoon』のような対戦ゲームに似た中毒性があります。

 ジャンル的には「アドベンチャーゲーム」なのに、ゲームマインド的には「対戦ゲーム」なんですね。



 こんなカンジ。
 『人狼』を知っている人なら「まんま人狼じゃん!」と思ったかも知れません。設定をSFにして、役職名を独自のものにしていますが、中身は『人狼』そのまんまです。説明の際には分かりやすく「乗員」と「グノーシア」以外の役職名は書きませんでしたが、ゲームを進めていくと「1度に参加するキャラ数」「潜んでいるグノーシアの数」も増えて、役職もどんどん増えていきます。

 こちらも簡単にですがまとめておきますが、『人狼』を知らない人には「こんなに一度に覚えられない!」と思われるでしょう。ゲーム内ではちょっとずつ解禁されていくので、実際にゲームで遊べば覚えやすくなっていると思われます。


<乗員サイド>
※ 「グノーシア全員をコールドスリープさせる」と勝利
・乗員 (『人狼』でいう“村人、人間”)
 特に能力を持たない一般人

・エンジニア (『人狼』でいう“占い師、預言者”)
 移動パートの最後に、「その人がグノーシアかどうか」を1人だけ調べられる

・ドクター (『人狼』でいう“霊能者、霊媒師”)
 移動パートの最後に、「コールドスリープさせた人がグノーシアかどうか」を調べられる

・守護天使 (『人狼』でいう“狩人、騎士、用心棒”)
 移動パートの最後に指定した1人を、グノーシアの襲撃から守ることができる

・留守番 (『人狼』でいう“共有者、双子”)
 2人1組のセットで、それぞれがお互いを「乗員」だと認識・証明できる

<グノーシアサイド>
※ 「グノーシアの数が生き残っているメンバーの半数以上に到達する」と勝利
・グノーシア (『人狼』でいう“人狼”)
  移動パートの最後に、指定した1人を消滅させることができる

・AC主義者 (『人狼』でいう“狂人、裏切り者”)
 能力的には「乗員」だけど、グノーシアの味方で好き放題ウソをつくことができる。ただし、AC主義者は誰がグノーシアかを知らないし、グノーシアも誰がAC主義者かを知らない(なので、グノーシアから襲撃を受けて消滅することもある)

<第3陣営>
※ 「乗員サイド」及び「グノーシアサイド」が勝利条件を満たすまで生き残れば勝利
・バグ (『人狼』でいう“妖狐、狐”)
 「乗員」にとっても「グノーシア」にとっても敵。グノーシアが襲撃しても消滅しないけど、エンジニアに調べられると消滅する



 『グノーシア』に出てくる役職はこんなところ。全て『人狼』の方にもある役職ですね。

 ゲーム内のルールとして「乗員サイド」はウソをつくことが出来ず、ウソをつくことが出来るのは「グノーシア」「AC主義者」「バグ」の3役職だけです。
 例えば、「私、エンジニアです」と名乗り出た人が2人いた場合、本物のエンジニアは1人しかいないので、残りの1人は「グノーシア」「AC主義者」「バグ」のどれかってことですね。逆に言うと、「グノーシア」「AC主義者」「バグ」をあぶりだすために、エンジニアやドクターに名乗り出てもらうという手があります。



 「さっきから『人狼』『人狼』って何度も言っているけど、そもそも『人狼』って何?」という人のために、『人狼』もちょっと説明しておきましょう。
 元々はヨーロッパの伝統的なゲームに、家族や親戚などが集まった際に遊ぶ集団推理ゲームがあり(『ウインク殺人事件』『ウインクキラー』もこの一つと言われる)。それを1986年にソ連のドミトリー・ダヴィドフ氏が「市民とマフィアの抗争」という形にまとめ、『Mafia』というカードゲームが生まれます。



 この『Mafia』というゲームは世界中に広がって様々なローカルルールを生んだ後、1990年代後半になるとインターネットが普及したことでそれらのローカルルールがまとめられて、様々なバリエーションが生まれ、その中に「人間と人狼の戦い」に置き換えられたものがあったそうです。
 2000年代に入ると、そうした「人間と人狼の戦い」に置き換わったカードゲームが世界中から発売されるようになります。2001年のアメリカからは『汝は人狼なりや?』、フランスからは『ミラーズホロウの人狼』、イタリアからは『タブラの狼』―――日本における『人狼』人気はこれらのカードゲームを、コアなアナログゲーマーが輸入して遊んでいたのが始まりみたいです。



 これをインターネット上でも遊びたいと、2000年代中盤くらいには「チャットで遊ぶ人狼」が普及して、2010年代に入るとスマホ用アプリを使ったものも多く登場し、テレビ番組やニコニコ、YouTubeでも対戦される様子を放送するものも出てきて認知を広げていきました。


 この『グノーシア』というゲームを一言で言ってしまえば、「カードゲームやチャットなど“対人”でしか遊べなかった人狼を、“対CPU”で遊べるようにしたゲーム」なのですが―――じゃあ、このスタッフはさぞかし『人狼』が大好きなんだろうなと思いきや全然そうじゃないらしいんですね。

 色んなところのインタビューで語られていることなのですが、実際に『人狼』に参加してみたら初日にあっという間に吊るされてしまい(『グノーシア』における「コールドスリープ」)初心者なのに全然楽しめなかったそうです。
 それ故に「必要な人数を集めるのが大変なので気軽に遊べない」「最初から知っておかないとならない戦略が多くて初心者にはハードルが高い」「ワンプレイが長い」「早々に脱落した人にはやることがなくなる」などの問題点が分かり、それらを解消した1人用専用『人狼』ゲームとして『グノーシア』が生まれたのだと思われます。


 なるほど、『グノーシア』序盤のチュートリアルが「人数も役職も少ない状態で始まる」「プレイヤーは決して狙われない」のはそのためかと思いました。

 思えば、元々コンピューターゲームにはそういう側面もあったと思うんですね。
 例えばファミコンの『麻雀』とか、SIMPLEシリーズの『THE 麻雀』みたいなゲームは、「対戦相手も麻雀牌も必要なく、ジャラジャラという騒音も気にしないで一人で遊べる」からこそのヒットだったと思うんです。野球とかテニスとかのゲームもそうです。人数を集めて場所を借りてみたいな手間を必要とせず、「現実にあるゲーム、スポーツを手軽に1人で楽しめる」のがコンピューターゲームの魅力の一つだったと思うのです。

 しかし、1990年代後半から2000年代辺りにインターネットが普及して、それまでCPUと対戦していたそれらのゲームも「オンラインで世界中のプレイヤーと対戦しよう!」みたいな流れになってきます。麻雀だって、野球だって、テニスだって、なんならマンカラとかナインメンズモリスとかヒット&ブローとかチャイニーズチェッカーとかだってオンライン対戦できてしまう時代です。

 そんな時代に、「オンライン対戦から普及していった」と言っても過言ではない『人狼』ゲームを、逆に1人用ゲームに落とし込むというのは面白い試みだと思うんですね。『人狼』というものには興味があるけど、遊ぶためのハードルが爆上がりしているこの時代だからこそ、このゲームはヒットしたのかなぁと思うのです。
↓2↓


◇ ループするごとに強くなる「ループ作品の主人公」を体験できる
 先の項目で「このゲームはCPU相手に『人狼』を延々と遊ぶゲームだ」と書きました。短期的にはその説明がすべてなのですが、長期的な目標として「一緒に『人狼』をプレイする14人のCPUのイベントを発生させる」というものがあります。


<画像はNintendo Switch版『グノーシア』より引用>

 「このゲームを始めたばかりのプレイヤー=記憶を失っている主人公」は、一緒に宇宙船に乗っていて、一緒にグノーシア探しをしている14人の人となりを知りません。グノーシア探しの合間にイベントを起こすことによって、14人の生い立ちやら境遇、趣味などを知っていくことがこのゲームの長期的な目標です。

 宇宙がループするごとにみんなの記憶はリセットされて、みんなの役職も変わるのですが……このゲームの主人公であるアナタ(とセツ)だけはループしても記憶を継続できるため、みんなの素性を忘れずにいられるのです。『シュタインズ・ゲート』における「リーディングシュタイナー」のように。



<画像はNintendo Switch版『グノーシア』より引用>

 ある程度ゲームを進めると、「イベントが起こりやすい設定」に合わせてくれる「イベントサーチ」機能が使えるようになります。イベントには「乗員側でしか起こらないイベント」「グノーシア側でしか起こらないイベント」なんかがあって、様々な役職でプレイしないとすべてのイベントは見られないんですね。
 また、イベントには発生させるだけではなく特定の条件をクリアしなければならないものもあります。例えば「自分だけがグノーシアだと知っている○○をコールドスリープに追い込む」とか、「××と一緒に勝利条件を満たすまで生き残る」とか、「△△と□□を3日目まで行き残らせる」といった、特殊な条件でのプレイが求められるんですね。百回以上ループするゲームですから、これが結構なアクセントになってくれるという。




<画像はNintendo Switch版『グノーシア』より引用>

 また、このゲームには「育成シミュレーション」っぽい側面もあって、「勝利」しようが「敗北」しようがループするごとに経験値が溜まっていって自分を成長させられるシステムがあります(恐らく難しい条件で「勝利」した方が獲得経験値は高くなる)。
 成長させられるパラメータは「カリスマ」「直感」「ロジック」「かわいげ」「演技力」「ステルス」の6項目で、初期設定から自由に割り振りできます。平均的に成長させるか、一点突破で行くか、性格が分かれるところですね。


 んで、私……このゲームを始めたばかりの頃、「この要素いるかなー?」と思っていたんですよ。どうもこういう「自由に成長させられるシステム」だと私、自分のプレイスタイルには役立たないパラメータばかり上げて、必要なパラメータを上げずに詰むことをどのゲームでもよくやっちゃうんですね。
 この先の展開を知らないのに、何が必要かなんて分からなくないですか?

 なので、私は『グノーシア』でも序盤ほとんど勝てませんでした。自分が狙われることのないチュートリアルを除くと、勝率1割もいかないくらいで。ずっと「コイツとコイツとコイツがグノーシアだってのは分かっているのに、どうしてみんな投票してくれないんだ!」という事態に陥っていたんですね。今思うと、多分「直感」「ステルス」に振りすぎて、「カリスマ」「ロジック」が足りてなかったのでしょうけど。


 だから、このゲームを始めて数日の頃は、「みんなが絶賛しているゲームなのに、ちっとも勝てなくてつらい」と『Splatoon』みたいなことを考えていました。「俺は全てのゲームに才能がないダメダメクズ野郎なんだ、ゲームレビューなんて書く資格はないからさっさとブログなんかやめて死ねばイイんだ」と考えていました。

 でも、このゲームはそれが正しいんです。
 「何度も何度も何度も何度もループしてやりなおすループ作品の主人公」のロールプレイとしては、それが正しいんです。岡部倫太郎だって、ナツキ・スバルだって、自分の無力さに打ちひしがれたことは一度や二度じゃありませんでした。でも、敗北からのループで得たものを次のループで活かそうとするから人は成長するのです。

 『Splatoon』は500時間プレイしても上手くなりませんでしたけど、『グノーシア』は成長してくれるのです。私が、ではなく、ゲーム内の主人公が! マジでこのゲームが「負けても経験値が入るゲーム」で良かった……



<画像はNintendo Switch版『グノーシア』より引用>

 もう一つ、先の「14人のCPUとイベントを起こすことが長期的な目標」の話と絡むのですが、このゲームには「起こすことで特殊コマンドを覚えられるイベント」があります。もちろん覚えた特殊コマンドは次のループでも使用可能です。

 例えば、↑のスクショは沙明の得意技「土下座」―――
 これを見ると「沙明から土下座を教えてもらうイベント」が発生して、主人公も覚えることが出来ます。特殊コマンドは特定のパラメータが一定以上ないと使えないものも多いのですが、その分効果の高いものも多く、立ちまわり方がガラリと変わるほどです。


<画像はNintendo Switch版『グノーシア』より引用>

 「ループを繰り返す主人公」がそのループの中で「一緒に宇宙船に乗っている14人と交流を深めて特殊コマンドを教えてもらい」、次のループの時はみんなはそのことを忘れているのだけど「主人公だけはその特殊コマンドを教えてもらったことを忘れていないのでその特殊コマンドを使って戦える」ってめっちゃ熱いと思うんですよ!

 14人は必ずしも味方とは限りません。
 グノーシアが何人か混じっているし、同じ陣営だったとしても性格が合わないヤツもいます。


 でも、この「仲間から教わった特殊コマンドで戦っていく」と、繰り返すループの中でこの14人と一緒に宇宙を冒険したこと、この14人と一緒に戦ったことを思い出させられるのです。「ループ作品の主人公」のロールプレイとして、これ以上ない体験でした。



<画像はNintendo Switch版『グノーシア』より引用>

 ループを繰り返して強くなるのは主人公だけではありません。
 14人のCPUもイベントを起こすとパラメータが上がるらしく、パラメータがあがると強力な特殊コマンドもガンガン使ってくるようになります。

 「俺とセツ以外は記憶を引き継いでいないはずなのに、何故……」とは思いますが、CPUと戦う『人狼』ゲームとしてはこの方がむっちゃ白熱します。キャラクターごとの個性がはっきりと出るし、とうとうコイツの本気を引き出したぜ感も出てきますし。

↓3↓

◇ このゲームの主人公は「自分」だし、キャラクターは「NPC」なんかじゃなかった
 さっきの項で私は「序盤は勝率1割もいかないくらいだった」と書きました。このゲームは勝敗がログとして残るワケではないので、実際に1割だったかは分かりませんし、体感としてそれくらいだったかなと思っただけなのですが……中盤以降、目に見えて勝てるようになった理由には「ループを繰り返してパラメータが上がった」ことと、「強力な特殊コマンドを教えてもらって立ち回り方が変わった」こと。

 そして、もう一つ、ものすごく大事なことで……
 仲間(CPU)を信じるようになった―――のが大きかったです。


 このゲームをプレイしていない人には「何を言っているんだ、仲間キャラなんて所詮はプログラムされたNPCだぞ」と思われるかも知れませんし、私も最初はそう思っていました。
 だから、「俺がグノーシアを見つけなければ」「俺がみんなを導いて見つけたグノーシアに投票をさせなければ」というプレイをしていました。各キャラの発言を振り返って、コイツはこの時こう言っていたからもしコイツがグノーシアだった場合コイツにこう言うのはおかしくて……と全部一人で考えていました。その結果、誰がグノーシアかは分かっているのに、私がコールドスリープされたりグノーシアに襲撃されたりし続ける日々でした。

 しかし、ある時「うわー、ダメだ。全然分かんねえ……お手上げだー」という回があって、テキトーに投票したら、私以外の全員が投票したキャラが見事にグノーシアで、それであっさり「勝利」したんですね。私以外のキャラクター(CPU)も生き残るために必死で、ちゃんとグノーシアを見つけようと立ちまわるので、俺がグノーシアを見つけなくてもみんながグノーシアを見つけてくれるんだと気付けたんです。


 私の中で、14人のキャラクターが「プログラムされただけのNPC」ではなく「一緒に宇宙を冒険した仲間」に変わった瞬間でした。



<画像はNintendo Switch版『グノーシア』より引用>

 このゲームのキャラクターは、ループを繰り返しているとどんどん「こういうヤツ」というのが分かってくるんです。それは単に「イベントが起こって生い立ちを説明されたから」とかじゃなくて、グノーシア探しの立ち回り方を通じて、なんとなく人となりが分かってくるんですね。

 例えば、コメットは「ウソを見破るのが超得意、だけど自分がウソをつくのは超下手」だとか、しげみちは「一瞬で見破られるウソしかつかないが、こちらがグノーシアの時も気づかずに庇ってくれるお人よし」だとか、セツは「意外とポンコツだからコイツが疑っているヤツは白なことが多い」だとか―――それぞれのキャラによって動きのクセがちがっていて、ものすごく人間くさい立ち回りをするんです。


 というのも……このゲームのキャラクターは「こういうキャラクターを作りたい!」とか「こういうストーリーを描くためにはこういうキャラを配置しなくちゃ!」とかではなく、「CPUと人狼を遊ばせるんだからこういうパラメータのキャラとこういうパラメータのキャラとこういうパラメータのキャラが必要だ」と作られたらしいんです。『人狼』ゲームでのパラメータありきでキャラクターが生まれているという。

 そのパラメータも「カリスマ」「直感」「ロジック」「かわいげ」「演技力」「ステルス」の6項目で、あとキャラごとに使える特殊コマンドがちがうくらいなんですが―――それでこんなに各キャラの立ち回りに個性が出るのだから不思議です。
 『ダビスタ』『カルチョビット』の薗部さんは「パラメータを増やすとその数値だけで結果が予測できてしまう」「いろんなタイプのキャラを少ないパラメータで再現するアルゴリズムを作るのが大事」と仰っているのですが、それに近いものを感じました。『ダビスタ』の4つに比べれば『グノーシア』の6つは多いのかも知れないけど(笑)、たった6つのパラメータで様々な個性と、様々な展開をしていくように組み込まれているんだなと。



<画像はNintendo Switch版『グノーシア』より引用>

 そして、もう一つ。
 14人のキャラクターを「一緒に宇宙を冒険した仲間」と感じられたのと同じくらい私にとっては重要なことなんですが、このゲームの主人公って「主人公というキャラクター」ではなく「私」なんですよ。何をそんな当たり前なことをと思われたかもですが、私「ゲームを遊んでいて主人公を自分だと思ったこと」がほとんどないんです。そう思いたいんだけど、そう思えないことの方が圧倒的に多いんです。

 分かりやすい例から言うと、『逆転裁判』をプレイしていて「このナルホドくんという男は俺だ!」と思いながらプレイできる人はほとんどいないと思うんですね。『逆転裁判』は「俺を動かすゲーム」ではなく「ナルホドくんというキャラを動かすゲーム」ですから。
 では、主人公の姿が見えないノベルゲーム―――『弟切草』とか『かまいたちの夜』ではどうなのかというと、それも「主人公のキャラ」がいてそのキャラの行動を選ぶというイメージでした。だって、2人っきりでドライブしたりスキーに出かけたりするイイカンジの女友達なんて俺にはいないし……

 例えば『ROOMMATE~井上涼子~』を実況した時にも何度か言っていたのですが、「主人公=自分」と思えるはずのギャルゲーであっても、主人公のセリフや地の文が、自分の思考とあまりにも離れすぎてしまっていると「主人公=自分」とは思えませんし。
 一般的に「主人公=自分」と思えると言われている『ドラゴンクエスト』シリーズでも、「主人公=自分」と思えたことは一度もないです。だって、『ドラクエ』の主人公って「はい・いいえ」しか喋らないけど、実際の俺は無茶苦茶おしゃべりだし!


 もちろん「主人公=自分」と思えないゲームがダメなゲームだって話ではありません。ここに出した例えのゲームは全部名作だと思いますし、私にとっても全部好きなゲーム……『かまいたちの夜』は発売3日後に犯人をネタバレされたのであんまり好きなゲームじゃないですが(笑)、その他は全部好きなゲームです。

 でも、「主人=自分」と思えるゲームをいつか遊んでみたい、いつか体験してみたいと思っていたのです。そういう体験をしたことがなかったから。




<画像はNintendo Switch版『グノーシア』より引用>

 では、何故この『グノーシア』というゲームが特別に「主人公=自分」と思えるゲームだったのか―――主人公に自分の名前を付けられるとか、主人公の姿が見えないとか、そういうところだけでなく。私の中で大きかったのは、「Xボタンを押すと発言が出来る」というシステムで統一されているところでした。

 「会議パート」での操作は「Xボタンで自分が発言する」「Aボタンで他人の発言を聞く」ですが、イベントシーンなんかの選択肢も「まずXボタンを押して発言をする」→ 「選択肢を選ぶ」というワンクッションが必要になります。このおかげで、「出てきた選択肢を選んでいる」のではなく「自分から率先して発言している=自分の意志で発言している」ロールプレイになっているんですね。


 正確にはそうではないんですけど、「自分の好きな時に発言できるゲーム」と思えるように作ってあって―――『ROOMMATE~井上涼子~』をプレイしていて思った「俺だったらこんなこと言わないのに」とか、『ドラゴンクエスト』をプレイしていて思う「選択肢が出るまで発言することすら許されないか」を、極力感じさせないゲームになっているのに私は感動しました。



<画像はNintendo Switch版『グノーシア』より引用>

 自由なタイミングで発言できるからこそ、「喋りすぎ」「うるさい」「黙れ」と怒られるゲーム―――すごくない?
  ↓4↓


◇ 結局、どういう人にオススメ?

<画像はNintendo Switch版『グノーシア』より引用>

 ゲームを「味わったことのない体験を与えてくれるもの」と考えている人には、どうかどうかプレイして欲しい作品です。少なくとも2020年の時点で、このゲームに似たものは存在していないと思いますので。

 CPUと対戦できる『人狼』ゲームとしても、育成シミュレーションとしても、キャラクターゲームとしても、SF作品としても、それぞれの要素が上手く組み合わさった傑作で。ローグライクゲームのようなリプレイ性だったり、『Splatoon』などの対戦ゲームのような「あと一戦だけ」という中毒性も持っているゲームです。

 ホント、不思議なゲームですよ……
 こういうゲームに出会えると、「ゲームが好きで良かった」と思える作品でした。


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