貴方は「何を求めて」ゲームをしていますか

※ この記事は2016年に旧ブログに書かれたものを幾つか手直しして2025年に移行した記事です


<画像はiOS版『バンドリ!ガールズバンドパーティ!』より引用>


 言われてみれば、今まで考えてこなかったなーというお話。


 同じように「ゲームが好きです」と言っている人でも、それぞれの人がゲームに求めているものは全然違うんですよね。ある人にとっては極上のゲームが別のある人にとっては全然興味がないゲームになってしまったり、今流行っているゲームを遊んでみても全然楽しめなかったりするのも、「俺はもう時代についていけないのかなぁ」ということではなくて「ただ求めているものが違う」というだけのことなんだと思います。



 フォロワーさんが「旅行」という言葉を使ったときに、私はハッとしました。
 私の中に「ゲーム=旅行」という感覚はあまりなかったんですね。
 しかし、ゲームを「旅行」と考えると、現実には行くのが難しいところにも安価で手軽に行けるツールになるとも言えます。火山の中だって、極寒の雪山だって、砂漠だって、宇宙だって、ファンタジー世界だって、ゲームだったら好きなように歩き回ることが出来ます。
 『グランド・セフト・オート』シリーズや『Fallout』シリーズが発売されると、「またこの時期が来たな。しばらくあっちの世界に行ってくるぜ」とゲームの世界にどっぷりハマるファンも多いですが……アレは年末年始の時期に「1年に1回のイベントだから」と海外旅行に行くのを楽しみにしている人達に近いのかなぁと思います。

 対応ハードを持っていれば数千円のソフト代金だけで行けますし、暑かったり寒かったり宇宙船が壊れたり命の危険を心配したりという不安もありません。こう書いてみると、「旅行」より快適なんじゃないのか「ゲームでの旅行」って!
 「旅行」が目的でゲームを遊ぶのなら、「自由度」とか「美しいグラフィック」とかが重要になっていきますよね。逆に、「パズル性」とか「戦略性」とか「ハラハラドキドキの緊張感」なんかは求められないのかなぁと思います。



 では、他のケースは……と考えてみたところ。
 「旅行」も広く定義をとれば当てはまるのですが、「何かの擬似体験」をしたくてゲームをするという人も多いんじゃないかなぁと思います。例えば、レースゲームとかドライブゲームなんかは分かりやすいですよね。実際にはなることが難しいレーサーや、乗るのが難しい高級車にも乗れる「体験」が出来ます。
 スポーツゲームなんかも「体験」ですし、シミュレーションゲームも“指揮官”とか“市長”とか“アイドルのプロデューサー”を「体験」するゲームだと言えますし、育成系のゲームもこれに当てはまるのかも知れませんね。現実には存在しないポケモンを自分の手で育てられるという「体験」が出来るゲームです。

 『どうぶつの森』なんかは“一人暮らし”の「体験」ゲームとして、自分の好きな服を着て、自分の好きなように部屋を模様替えして、お金を稼いで、ご近所さんと交流して……ってゲームですから、実際にはまだまだ“一人暮らし”なんて出来ない子どもが夢中になるのも分かりますよね。
 『マインクラフト』も「体験」のゲームだと思うんですけど、あれは一体何を「体験」しているのでしょう。開拓者?神?

 「体験」を目的でゲームを遊ぶのなら、求められるのは「リアリティ」と「臨場感」なのかなぁと思います。ウソの世界を作ってそこで疑似体験をさせているだけなのですが、ウソの世界をウソの世界と思わせないことが重要なのかなぁと思います。そのためには「グラフィック」も重要でしょうし、逆に「デフォルメ」のセンスも必要でしょう。『カルチョビット』があのグラフィックなのにリアルな動きに見えてくるみたいなこともありますしね。

 逆に、そんなに必要のないものを考えると……「キャラクター性」とか「ストーリー性」はあまり重要じゃないと思います。「決められたストーリーを進んでいる」感覚が強くなると、「疑似体験をしている」という感覚が薄れてきますから。



 あとは、ゲームを「対戦する競技」として捉えている人も多いことでしょう。
 “将棋”とか“麻雀”のような「人と向き合って勝負する遊び」の延長線にあるもので、コンピューターゲーム黎明期の『PONG』がまさに「2人用の卓球」でしたから、昔も今も「対戦ゲーム」はゲームにとって花形だったと言えると思います。『マリオブラザーズ』、『ファミスタ』、『テトリス』、『ストリートファイターII』、『マリオカート』、『バーチャファイター』、『みんなでGOLF』、『スマッシュブラザーズ』、『ウイニングイレブン』、『Wii Sports』……
 近年ではゲーム機がインターネットに繋がるようになり、オンライン対戦できるようになったジャンルも多いですよね。FPS、TPS、RTS……スポーツ系のオンライン対戦(ほぼ)専用TPS『Splatoon』が今もヒットしているように、ゲームに「対戦」を求めている人は今もたくさんいるのでしょう。

 「対戦」を目的にゲームを遊ぶのなら、一つには「ルール」が重要なのは言うまでもありません。それと、他の目的でゲームを遊んでいる人からすれば意外なのが「公平性」を重視する人が多いこと。
 例えば「このキャラが強い」とか「この武器が強い」みたいなことが「対戦ゲーム」ではマイナス評価になったりします。他のジャンルなら例えば『ファイアーエムブレム』でオグマが強すぎるからこのゲームはダメだみたいなことは言われないと思うのですが、「対戦ゲーム」だとそういうことが許されないためバランス調整が命だという。
 しかし、逆に「実力差が出すぎるゲームだと初心者が遊べない」ため、初心者でも勝てる偶発的な要素を入れたりするゲームも多いのが「対戦ゲーム」の難しいところ。



 他には、ゲームに「ストーリー」を求める人もいますね。
 『ポートピア連続殺人事件』のような「コマンド選択型アドベンチャーゲーム」や、『ドラゴンクエスト』のような「和製RPG」、『弟切草』のような「サウンドノベル」から派生した「ビジュアルノベル」……などなど。日本においてはゲームで「ストーリー」を語ることが重視されたこともあって、90年代は「観ているだけのゲームでイイのか」みたいな批判も多かったですね。
 「体験」をゲームに求める人の項で「ストーリー性は重視されない」と書きましたが、逆に考えるとストーリー性を重視することで「映画の主人公」「推理小説の主人公」「ラノベの主人公」を擬似体験させるという見方も出来ます。

 ゲームに「ストーリー」を求める人が重視するのは、「ストーリーのクオリティ」および「魅力的なキャラクター」というところですかね。逆に、「ストーリー」を重視する人からすれば「自由度」とか「ゲームバランス」とかは二の次じゃないかなと思います。「主人公が無個性だからダメだ」と批判されたりとか、「時間のない人は有料DLCを使えばレベルが上がってサクサク進めるようになります」というゲームだとか、「ストーリー」を重視しない人からすれば「なんじゃそりゃ」という話も「ストーリー」を重視する人にとっては大事なのかなぁと思います。


 自分はあまり詳しくないんで深くは語りませんが、ゲームの中に「コレクション要素」を求める人もいますよね。『ポケモン』の原点は「昆虫採集」にあるという話ですし、コンピューターゲーム以前からあった人間の「収集欲」をゲームの中に見出しているということなのかも知れません。
 ガチャを回してレア度の高いキャラを出そうとしたり、『どうぶつの森』で毎日お店に行って持っていない家具が出ていないかチェックしたり、RPGで全部のアイテムをコンプしようとしたり。



 考えていけば他にも出てきそうですが、時間もないのでこの辺で。

 これらの要素は、当然「1つのゲームあたり1つの要素」というワケではありません。
 『ドラゴンクエスト』だったら世界中を冒険するという点では「旅行」だし、パーティを自由に育成していく様は「体験」だし、当然「ストーリー」もあるし。対戦型のFPSだったら、兵士の「体験」でありつつ、「対戦」ゲームでもあるし。

 また、プレイヤー側も「私が好きなのはコレ!」と一つに絞れるのではなく、「コレとコレの要素は好きだけど、コレは重視しないなぁ」みたいに重視するものとしないものに分かれるだけですし、同じ人でもカレーを食べたい日もあれば湯豆腐を食べたい日もあるように「先週と重視しているものが違う」ということもあると思います。


 今の私で言うと……
 「旅行」→△
 広い空間よりも、狭くても密度の濃い空間を探索したいです。
 あと、基本的に超方向音痴なのと、3Dアクションゲームが苦手なので、風景を見ている余裕がないというのも大きいですが。

 「体験」→×
 もちろんモノに依りますけど、今はあまり「何になりたい」みたいな疑似体験欲がないんですね。今私が一番なりたいのは「布団に入って寝る人」です(意訳:眠い)。

 「対戦」→×
 コンピューター対戦はそうでもないんですが、対人戦はやはり苦手だなーと『Splatoon』を通過して思いました。相手をボコボコにやっつけても相手から恨まれるだろうし、味方の脚を引っ張れば味方からウザがられるだろうし、勝っても負けても気を遣ってしまいます。あと、オンライン対戦は「時間の拘束力」が強いのもちょっとキツイんですねぇ。

 「ストーリー」→△
 今現在は「10時間以内にクリア出来るゲーム」を中心に遊んでいることもあって、ストーリーを重視する気持ちはあまりないですね。『幻影異聞録』も『ナゾのミニゲーム』もストーリー目当てに買ったワケではなかったけれど、最終的に「ストーリーも意外に面白かったな、ラッキー」くらいの感覚でした。

 「コレクション」→△
 図鑑を埋めるタイプのコレクション要素は好きなんですけど、所有できるモンスターの数が決まっているのでどれかを手放さなきゃならないとか、モンスターの成長のためにこっちの要らないモンスターを合成させるみたいな要素は苦手。「所有しているものがなくなる」ことが極端に苦手なのです。えぇ、エリクサーを最後まで使えないタイプです私。
 あと、「こんなもんコンプ出来るかボケエ」という面倒くさいものは最初から目指さないので、私にとってはないのと一緒とも言えます。『どうぶつの森』の家具とかね。


 こう振り返ってみると、世間でゲームに求められているものを私はあんまり求めていないんだなぁと思います。でも、これは私に限った話ではなく、「みんなが絶賛しているゲームを自分は楽しめない」という経験をしたことのある人はこれで説明できると思うのです。「みんながおかしくなった」でもなく「自分がおかしくなった」でもなく、それだけ「ゲーム」というものが幅広い欲を満たすものになったというか。





 ちなみに、今の私がゲームに一番求めているのはコレです。



 身も蓋もないことを言うと、私にとってゲームって「クリアした」という快感をくれる快楽装置なんです。
 「クリアした」というのは全クリということじゃなくて、ステージ単位だったり、ダンジョン単位だったり、クエスト単位だったりするのですが、20~30分で「達成感」を味わえるというのが私がゲームに求めているものなのかなと思います。私は喫煙者じゃないですけど、喫煙者の人が「ちょっと一服してくるわ」とタバコを吸うみたいな感覚で、私は「ちょっと『ラビラビ』1面だけクリアしてくるわー」と起動したいです。


 私は中高生の頃「問題集を解く」のが楽しかったんです。勉強って「暗記する」とか「ノートにまとめる」とか「ひたすら教科書を読む」とか地道な作業もしなくてはならなくて、そういう作業は楽しくなかったのですが、そうして身につけたものを駆使して「問題集を解く」のは気持ち良かったんですね。次から次へと問題を解いていって正解していくというのは気持ちが良いし、そうすると「もっと難しい問題」「もっと捻りのある問題」と難易度を上げたくなっていくものなんです。


 私がゲームに求めているのはこの感覚なんですね。
 大人になると「次から次へと正解していく気持ちよさ」なんてまあ味わえなくなってしまうじゃないですか。辛抱と忍耐と「これで良かったのだろうか」という不安につきまとわれて生きていくしかなくて、「正解です!」なんて言ってもらえることなんてほとんどなくなってしまいます。でも、ゲームだけは白黒がハッキリして「クリアです!」と言ってくれるのです。

 よく「子どもはどうしてゲームを遊びたがるのか」という話で、「親が誉めてくれなくてもゲームは誉めてくれるから」みたいな答えが出てきますが、大人にとってもそうだと思うんですね。「このコマ、背景が細かくて全然描き終らねえええええええ。気分転換にゲームやろうっと」と起動するのは、ゲームなら短時間で「クリアです!」と達成感をくれるからなんです。


 なので、私はなるべく「出題」と「解法」と「クリア」がハッキリしているゲームが好きです。逆に「自由度」とか「公平性」とかは求めていません。アクションパズルが好きだとか、(最近はあまり出来ていないけど)SRPGが好きだとか、アクションゲームは3Dより2Dが好きだとか、『幻影異聞録#FE』の戦闘が好きだとかは、これで説明がつきます。





 その他、私がゲームに求めているのは「ボタンを触る感覚」もあります。
 これを書くとドン引きされそうですが……私はボタンを押したくてゲームをしているというところもあるので、時間がなくてしばらくゲームを遊べない時にはコントローラだけ持って真っ暗な画面を見ながらひたすらポチポチボタンを押して気持ち良くなっていることがあります。ほら!今、すごくドン引きされているの自分でも分かりますよ!



 同じように「ゲームソフト」という区分で呼ばれていて、「ゲーム屋さん」に一緒に売られていて、「ゲーム好きだよ」だと言われるものであっても……中身として求められているものは「旅行」だったり「疑似体験」だったり「対戦競技」だったり「ストーリー」だったり「コレクション」だったり「問題集」だったりするんだから、ゲームって様々な欲望に応える幅を持っているんだなぁって思います。


 例えば、「本」という分野だって、「地図帳」「漫画」「TRPGのルールブック」「ヌード写真集」「大学受験用参考書」などなどなど様々なものがありますが……「本が好きです」と言えるのは「小説」とか「ノンフィクション」とか「学術書」くらいであって、そうでないと「本が好きです」「へぇ、どんな本を読んでいるんですか?」「ヌード写真集です」「それって好きなのは本じゃなくてヌードじゃないの?」となっちゃうと思うんですね。

 「ゲーム」は、海外のオープンワールドゲームを遊んでいる人も、『どうぶつの森』で家具を並び替えている人も、格ゲーのコンボを日々鍛錬している人も、エロゲーのストーリーにボロボロ泣いている人も、ガチャ回している人も、作業の息抜きにアクションパズルを1面だけ進める人も……みんな「ゲームが好きです」って言っていて、自分達が主流だと思っているというのは面白い話だなぁと思います。

 それぞれのゲームに求められているものは違うから、普段遊ばないゲームを遊んでみると「重視されているところ」も全然違っていて、それが面白くもあるのだけど、「何だよこれ!」と言いたくなることもあるという。なんでこんなもんをみんな面白いと言ってるの!?と。
 でも、それって普段「推理小説」を読んでいる人が「ヌード写真集」を読んで、「何が面白いのかさっぱり分からない!」と言っているようなことだと思うんですね。「本」は「推理小説」と「ヌード写真集」が全然違うものだというのが分かっているので、それぞれのファンが罵りあったりしませんが。「ゲーム」は全部「自分達がゲームだ!」と思っているので、「オープンワールドのゲームが好きな人」が「和製RPGを好きな人」を「オマエらが楽しんでいるのはゲームなんかじゃない!」と罵ったりするという。


 私は、人によって「ゲームに求めるもの」は違うのだから、自分の求めていないゲームが存在することも許容できるような世の中になって欲しいなぁと思います。「ヌード写真集」が好きな人も、「ヌード写真集」に興味がない人も、「ヌード写真集」が存在することを許容できる世界になって欲しいです。あと、「ヌード写真集」が欲しいです。

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