
<画像はテレビアニメ『たまこまーけっと』第9話より引用>
※ この記事は2013年に旧ブログに書かれたものを幾つか手直しして2025年に移行した記事です
※ この記事はテレビアニメ『たまこまーけっと』第9話「歌っちゃうんだ、恋の歌」までのネタバレを含みます。閲覧にはご注意下さい。
「誰が誰を好きになってもイイんだよ」
「『たまこまーけっと』は面白いのか、つまらないのか」というそもそもの議論は難しいものがあって、自分も3話までは「最高!!」と思っていたのだけど、4話で「ん?」と思い、5話6話で「ズコーッ」ってなり、7話8話で「悪くはないんだけどさ……」と拍子抜けしたところがあって、9話はあまりの素晴らしさに大号泣していました。
8話までは「この作品が何を描いているアニメなのか」が分からなかったため、どうにも消化不良というか物足りなさを感じてしまっていたのです。
もちろんそれが分かった上でつまらないと思う人もいるでしょうが……自分は9話を観て「この作品はこれをやりたかったのか」と気付き、今までの「つまらない」と思っていたシーンの意味も分かり、「何だよ『たまこまーけっと』って面白いんじゃん」と思えたので。その辺のことを書かねば、と。
まず、このスタッフの前作『けいおん!』とは何だったのか―――から。
『けいおん!』って何を描いているアニメだったのか?
ぶっちゃけ「ギター」とか「バンド」とか「軽音部」とかはメインテーマではないんです。あの作品のメインテーマは1期最終話で平沢唯が「あの頃の私」に語った「勇気を出して一歩を踏み出せば、あなたにも夢中になれる何かがみつかるから」なんです。
もちろん『けいおん!』を観てギター始めたとかバンド組んだって人もいるでしょうが、『けいおん!』はそういう人にだけ向けた作品ではなく。「人にはそれぞれ夢中になれる“何か”がある」と、誰にでも当てはまる、言ってしまえば最大公約数的な成長物語の作品だったのです。だから、ギターやバンドに興味のない人も夢中になれた作品だったんです。
ということで、『たまこまーけっと』が何を描いているアニメなのか?
「商店街」も「もち屋」も「バトン部」も、単なる舞台であってメインテーマではないんです。
この作品のメインテーマは恐らく、第2話でかんながみどりに言った「誰が誰を好きになってもイイんだよ」なんです。「誰かを好きになること」を全肯定していくアニメなんです。自分があまり面白くないと思った4~8話も、「誰かが誰かを好きになる姿」をひたすら描いていたんです。
みどりちゃんはたまこを好きになってしまい、
デラは史織さんを好きになり、
あんこはユズキくんのことが好きで、
もっちーがたまこを好きなのは言うまでもなく、
豆腐屋の兄ちゃんは銭湯の娘さんに片思いをしていて、
チョイも密かに王子のことを想っている――――
エブリバディ・ラブズ・サムバディ。誰かが誰かを好きになる。いつか誰でも恋をする。
この作品のキャラクターは誰かを好きになるし。
そして……
どの恋も、「適いそうにない恋」として描かれているのです。
『けいおん!』もまた「好き」を全肯定してくれるアニメでした。
唯があずにゃんを好きでも憂は幸せーというアニメでした。
そういう意味では『けいおん!』と『たまこまーけっと』は「一見似ている」けど、むしろ「違いがハッキリ分かる」二作品とも言えます。『たまこまーけっと』は『けいおん!』ほどキレイなものばかりでは出来ていないんです。
嫉妬もある、躊躇もある、適わない恋に絶望することも、それで周りに八つ当たりをしてしまうこともあるんです。恋がみんなを幸せにしてくれるワケではないんです。恐らくこの作品で描かれている恋はどれも「幸せな結末」を迎えることはないんじゃないかな。
みどりちゃんはきっともう「自分は選ばれない」ことが分かっている。
デラはそもそも鳥なので史織さんの対象外だろうし。
銭湯の娘さんはお嫁に行ってしまうし。
チョイは、身分の違いをハッキリと分かっている。
彼らに比べると、もっちーの恋とあんこの恋はまだ希望が持てそうですが……
「誰かを好きになるって苦しいんです」。
「辛いんです」。
「楽しいことばっかりじゃないんです」。
だから、『けいおん!』のようなものを『たまこまーけっと』に期待すると「カタルシスに欠けている」と思ってしまうんです。だって、彼女ら・彼らはずっと「適わない恋」に苦しんでいるんですもの。この作品はずーっと「閉塞感」のようなものに覆われたアニメなんです。
なので、8話まで自分が「あんまり楽しくないなぁ……」と思ってしまったのも仕方がないんです。『けいおん!』1期のように1話ごとに問題を解決して「やっぱり軽音部楽しいね!」とカタルシスを得られた作品を期待しても、それは「そういうものではない」んです。
でも、この作品は「それでイイんだよ」と描くんです。
あんこ「お父さんも誰かを好きになったんだね」
たまこ「その“誰か”が私達のお母さんだよ」
「適いそうにない恋」だった豆大の恋も、いつか実り、たまこが生まれ、あんこが生まれた。
私達が生まれてきたのは、誰かの不器用な恋が実ったからで、そうした不器用な恋が積み重なって世界は成り立っているんです。だから、「誰が誰を好きになってもイイんだよ」。
不器用であっても、分不相応であっても、決して適わない恋であっても。
苦しくて、辛くて、楽しいことばかりじゃないけれど、「誰かを好きになるって楽しいね!」と人が恋をすることを全肯定してくれるこの作品は。やっぱりとっても暖かいし、とっても優しい作品だと思うのです。
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