※ この記事は2012年に旧ブログに書かれたものを幾つか手直しして2025年に移行した記事です
「おっさんを主人公にしろ」←やめろという記事が、現実ゲームさんに掲載されていました(現在は公開終了しています)。
「日本のゲームは少年主人公のゲームばかりだからダメなんだよ。海外のゲームはおっさん主人公が多いので、自分がおっさんになるとこっちの方が感情移入できる」みたいな意見はネット上でよく目にするんですけど、ずっとモヤモヤしたものを感じていました。「自分はそうは思わない」という反発だけじゃなくて、強烈な違和感を覚えてしまうというか。
んで、紹介した記事を読んでモヤモヤの正体が分かりました。
私が思っている“おっさん”像と、「おっさんを主人公にしろ」と言っている人の“おっさん”像が違うんですね。
現実のおっさんは迷っているし悩んでいます。不惑を迎えたって惑っています。
不景気に苦しみ、給料は減るし、リストラどころか会社がなくなる恐怖に怯え、奥さんには小言を言われ、娘には「お父さんは臭いので近寄らないで」と言われ、自分のために使える金も時間も少なく、エロDVDだって家族の目を盗んでコソコソと見なくてはいけません。
「おっさん主人公のゲームを作れ」と言われた場合、こういう“リアルなおっさん”じゃないですよね。
年輪を重ね、これまでの人生で様々な局面を乗り越えてきた故に多少のピンチでも動じず、自分の信念を持って、悩まず迷わず堂々としている頼れるスーパーヒーローとしての“偶像化されたおっさん”像ですよね。ハリウッド映画の主人公のような。
ファミコンブームから30年弱。
「ゲームを遊ぶ人がおっさんになったからおっさん主人公が求められている」と思われがちですけど、実はそうではなくて、これからおっさんになる人やなりかけている人が「こんなカッコイイおっさんになりたい」という理想像を求めているんじゃないかなと思うのです。
幼稚園生が読む漫画の主人公は「カッコイイ小学生」だったり、小学生が読む漫画の主人公は「カッコイイ高校生」だったりするように。「自分もこうなりたい」という対象を主人公に求めてきた延長線上にあるんじゃないかと思うのです。
あ、これは別に「おっさん主人公を求めている人は精神年齢が幼稚園生や小学生みたいだ」って話じゃないですよ。人間はフィクションに「自分がなりたい理想像」を求めるという普遍的な話です。
おっさんに対して「人間的に成熟した頼れる存在」としての役割が自動的に与えられてしまうのだとしたら、「おっさんが主人公で活きるゲームのジャンル」と「おっさんが主人公だと成り立たないゲームのジャンル」があるというだけなんじゃないのか。
ほら、どんどん面白くなってきました。
「だから日本のゲームはダメなんだよ!」という結論ありきの愚痴&言い訳ではなくて、「ゲームの主人公とは何か」が見えてくる話だと思うのです。
紹介した記事でも言及されていましたが、「そもそも日本のゲームもおっさん主人公のゲームがないワケじゃないだろ」と思った人は多いでしょう。私もそう思いました。
マリオもルイージも「ヒゲのおっさん」です。ワリオはさらに「メタボのおっさん」ですし、チンクルは更に「ダメなおっさん」属性のデパートみたいな主人公です。まぁ、ワリオもチンクルも元々は主人公ではないんですけど(笑)。
自分はあまり詳しくないんですけど、『メタルギアソリッド』とか『龍が如く』シリーズの主人公は少なくとも少年ではありませんし、『バイオハザード』シリーズの主人公達も年齢が上がっておっさん化しているという話が記事に書かれていました。
レイトン教授もおっさん。
『逆転裁判5』の成歩堂くんももうおっさんの年齢ですし……というか、『1』の時点で少年ではありませんでしたしね(若者ではあったけど)。神宮寺三郎も多分おっさんだし、『ウィッシュルーム』のカイル・ハイドもおっさんっぽい風格。
そもそも「ある程度の年齢にならないとなれない職業」が多い以上、職業モノのゲームはおっさん率が高いはずですよね。自分が今プレイしている『A列車で行こうDS』の主人公は恐らくおっさんでしょうし(鉄道会社の社長なんだからもうおじいさんかも知れない)、経営シミュレーションは大抵おっさん主人公を想定していますよね。歴史シミュレーションもそうか。最初若くても最終的にはおっさんになるし。
自分がおっさんになった以上、自分のMiiを使うゲーム『Wii Sports』も『Wii Fit』も全ておっさんが主人公のゲームと言えると思いますし(笑)。
むしろ「日本には少年が主人公のゲームしかない」って、「少年少女が主人公じゃないと成り立たないゲームのジャンル」しか見ていない意見だと思うのです。
それはもちろん
日本製RPGのことです。
日本製RPGというのは、いわゆる『ドラクエ』以後の文法に則ったRPGのことです。
最初はレベル1とかから始まって、敵を倒すことで経験値を得て強くなって、行動エリアがどんどん広がって、最終的にボスを倒して世界を救う―――というゲームのことです。戦闘がアクションとか、シミュレーションだとかの作品も含んでおきます。
「人間的に成熟した頼れる存在」として描かれがちなおっさんがRPGの主人公になったら、レベル1から始まってスライムも一撃で倒せない状態から始まることにオマエ今までの人生で何やってたんだよ!と思っちゃいますよね。
日本製RPGは「プレイヤーが上達する」だけじゃなくて「キャラクターがレベルアップによって成長する」ゲームですから、主人公はまだ成長しきっていない若者になるんです。成長譚ですからねRPGは。それに加えてストーリー上でもキャラクターが成長するかどうかは作品に依りますけど、システムが成長譚なんだからストーリーも成長譚になるのはそんなに不思議なことではありません。
RPGの主人公は「成長する前の未成熟な存在」ですから、「頼れるおっさん」には不向きなんです。
逆に考えれば、RPGでおっさん主人公を採用するのなら、情けなくて貧弱で悩んで迷って惑っている「リアルなおっさん」を主人公にして、その「リアルなおっさん」が徐々に成長して世界を救う話にすればイイんですよね。
自分は結構面白そうだと思うけど、この記事の冒頭で紹介した記事でも「おっさんが主人公でもおっさんがウダウダ悩むゲームだったらイヤだ」と言われているので、あんまり売れそうにないですね(笑)。
「主人公が成長するか?」で一番分かりやすい例を出します。
『マリオ』と『ゼルダ』の違いです。
同じ任天堂の宮本作品で、初期はスタッフも同じメンツだったらしいですが、前者はおっさんが主人公で後者は少年が主人公です。マリオにヒゲが生えたのは……みたいな話もありますけど、ここでは割愛します!
マリオは「歴戦の勇者」です。
何度もキノコ王国を救った英雄なので、作中でも「頼りになる存在」として扱われます。
だから、マリオは1-1から「全てのアクション」が可能なのです。
Bダッシュも壁ジャンプも三段跳びも最初から出来ます。「レベル上げをしないとBダッシュが出来ないよ」という設定にはならないんです。過去に大活躍したマリオと同じことが最初から出来るんです。『マリオワールド』で出来ていたスピンジャンプが出来なくなっている……とかは気にすんな!『マリオRPG』とかのスピンオフ作品も今回は気にすんな!
なので、マリオは「おっさん」であることがおかしくありませんし。
何より「同一人物」であることが不自然ではないのです。
『ゼルダ』の主人公(ここではリンクと呼んでおきます)はそうではありません。
ハート3つで何の武器も持たないところから始まります。そこから剣を手に入れ、盾を手に入れ、弓矢を手に入れ、爆弾を手に入れ、ハートも増やして、防御力の高い服を手に入れ―――と、リンクは「成長」する主人公なのです。
だから、少なくとも本編では、リンクは「同一人物」ではなく、それぞれの作品で「別人」として「村の少年」のようなところから一からスタートするのです。『ゼルダの伝説』というゲームは「リンクの成長譚」だから、毎回主人公が入れ替わるんです。
え?『リンクの冒険』とか『夢を見る島』とか『ムジュラの仮面』とか『夢幻の砂時計』は?と思った人は、うるさい!黙れーーーー!だからアレらは「外伝」扱いになるんです。
「日本のゲームは少年主人公のゲームばかりで、日本市場も少年主人公のゲームが売れる。海外のゲームはおっさん主人公が多くて、海外市場は少年主人公のゲームが売れない」という意見は思いっきり間違った偏見だと思うんですけど――――
「日本のゲーム」を「日本製RPG」に置き換えて、「海外のゲーム」を「3Dアクションとか3Dシューティング」に置き換えて読むと。まぁ、分からない話でもないかなと思います。
『ゼルダ』も『FF』も『ポケモン』も海外で売れるし、『ラストストーリー』や『ゼノブレイド』も海外で高評価らしいんで、「日本製のRPGが海外では受け入れられない」という意見には例外はもちろんあるんですけど。
でもやはり、国によって「人気のジャンルが違う」のは確かだとも思いますしね。
それは「主人公が少年かおっさんか」という話ではなくて、「キャラクターが成長するゲームか」という話なのだろうという今日の記事でした。
○ 日本製RPGでおっさんが与えられる役割
余談。
ここからは個別のタイトルのネタバレを含むため、タイトル名を赤字&強調で記します。その作品のネタバレが読みたくないって人はスルーしてください。
この話を考えていて、真っ先に思い出したのは『FF5』のガラフでした。
あれはおっさんじゃなくておじいちゃんですけど、「歴戦の勇士」が記憶喪失になってしまったことで「レベル1」「取得アビリティ0」からのスタートでも納得できるようになっていたんですね。記憶を取り戻した後のガラフはまさに「頼れるおっさん」で、ビッグブリッジを一人で越えてくるシーンは痺れました。
しかし、だからこそガラフは脱落しなくてはならなくなるという。
「頼れるおっさん」はストーリーの中盤で孫にその力を託して死んでしまい、最終的に世界を救うのは若者達なのです。バッツの父親やレナの父親も合せて、「おっさんから若者への継承」はこのゲームの中核だったのでしょう。
そう言えば、『FF4』もそうです。
多彩な登場人物がストーリーに合わせて入れ替わり立ち代りするゲームで、おっさんやおじいさんもその中にはいたのですが、最終的なメンバー5人は若者達です。
『ドラクエ5』もそうか。
パパスは「頼れる父親」として圧倒的な強さを誇ります。まだ子どもの主人公を守ってくれる存在なのですが、ストーリーが進むとパパスは死んでしまい、主人公は父親なしで新時代を生きて世界を救わなくてはなりません。
同時代に出たこれらの有名RPGがどれも「おっさんから若者への継承」を描いていたというのは、その時期の風潮みたいなものがあったんですかね。『ドラゴンボール』もその辺の時期は悟空から悟飯に主人公が移るみたいな時期だと思いますし。
『スターウォーズ』のルーク・スカイウォーカーとオビ=ワン・ケノービの関係のように、おっさんが「人間的に成熟した頼れる存在」として描かれる以上。おっさんがメインになるのではなく、彼らは舞台から退場して、「頼れる存在」を失った若者達を描いてこその成長譚ということなんでしょう。
逆に言うと、日本製RPGほど脇役としての「頼れるおっさん」を描けるジャンルのゲームはないとも思いますね。目に見えて戦力が落ちることで偉大さを感じられるワケで。ということで、やっぱりパパスと堀井雄二は偉大だわ。

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