
<画像はWii Uバーチャルコンソール版『ファイアーエムブレム 紋章の謎』より引用>
※ この記事は2012年に旧ブログに書かれたものを幾つか手直しして2025年に移行した記事です
この手の話は「ジャンルに依る」と書けば、一行で結論が出てしまうのですが(笑)。
もう一歩踏み込んで、「自分が好きなゲームのジャンルは何か」を考える際に「ストーリーが必要だと思うか」がヒントになるという話です。
例えば、ウチの母がそんなゲームのジャンルがあることも知らなかったのに、実はシミュレーションゲームにハマる素質があったように、アナタにもボクにも実はハマるジャンルのゲームがあるのかも知れない……そう思うので突き詰めて考えていこうと思います。
自分は相変わらず『カルチョビット』プレイ中なんですが。
このゲームが何故にこんなにも面白いのかというと、とてつもなく「ドラマチックなことが起こるから」だと言えます。予期しないことが次々と起こるのです。首位決戦の直前にエースが怪我をしてしまうとか、そのエースの穴を埋めた若手選手が予想外の活躍をして驚かされるとか、負けたら首位転落の試合のロスタイムにゴールキーパーがコーナーキックからヘディングを決めるとか、
もちろんコレらのことは、スタッフが考えた「ストーリー」通りに進んでいるワケではありません。
データとデータがプログラム上で戦った結果、筋書きのないドラマが生まれ、プレイヤーが勝手に「自分だけのストーリー」として受け取っているだけです。
あまり好きな表現ではありませんが、これぞ「ゲームにしか起こりえないこと」と言えるでしょう。
ドラマや漫画や映画などなどは作り手が必死に考えて練りに練った「ストーリー」をみんなが楽しめます。読解力の差とか、全話観れるかとかの差もありますが、基本的にはA君もB君もC君も「同じストーリー」を楽しむことになります。
しかし、『カルチョビット』には決められたストーリーはありません。同じゲームを遊んだとしても、A君とB君とC君とではそれぞれ違うストーリーを体験するのです。練りに練られたストーリーではないけれど、だからこそ「自分だけのストーリー」と感じられるのです。
もちろんコレは『カルチョビット』に限った話ではありません。
シミュレーションゲームは基本的に「自分だけのストーリー」が生まれるゲームです。
『A列車で行こう』でも、赤字を生んでいたグループ企業でもお荷物な「映画館」が、2年目、3年目と街が発展していく中で何十億円と利益を上げる稼ぎ頭になってくれたりします。「手塩にかけた○○が立派になった!」というストーリーを感じられるのです。
メインストーリーがしっかりある『ファイアーエムブレム』のようなシミュレーションRPGでもそうです。
自分は『紋章の謎』で好きだったキャラにカシムという弓兵がいるんですけど、同じように『紋章の謎』をプレイした友達に話しても「カシム……はて…?」とおじいちゃんのような反応しか来なかったことがあります。彼はカシムを仲間になった後すぐに二軍に落としてほとんど使ってなくて、私は一軍のエースとして大活躍させていたんです。
骨格となるストーリーは一緒ですけど、細部のストーリーは私と彼では全然違うんです。私の中では鮮明な記憶として残っている「迫りくるドラゴンナイトを次々と撃破していくカシム」を彼は知らないんです。なんともったいない!!
でも、それがシミュレーションゲームなんです。
「自分なりのストーリー」を妄想して楽しめるのがシミュレーションゲームなんです。
しかし、当然のことながら「自分なりのストーリー」と「スタッフから提供されるストーリー」はトレードオフになります。
これはよく言われる「自由度」か「一本道」かのトレードオフに似た話でしょう。
ただ、今日の記事の切り取り方だと「一本道」では正確ではなくて、マルチエンディングのゲームみたいに「スタッフが複数の道を用意している」こともあるので―――「野原」か「舗装された道」かって表現の方がイイとは思うんですけど、そうすると「この野原は実は道があるんじゃ……」みたいな細かい議論になってしまうので(笑)。
「自分なりのストーリー」を楽しみたいか、
「提供されるストーリー」を楽しみたいか、を考えれば、自分に合ったゲームが分かる一つの指標になるんじゃないかと表現しておきます。もちろんどちらが優れているかみたいな話ではなくて、どちらを欲しているのかという話ね。
○ 「シミュレーションゲーム」←→「アドベンチャーゲーム」
アクションゲームやシューティングゲーム、パズルゲームなんかでも「野原」か「舗装された道」かの話は広げていくとすごく面白い話だと思います。『マリオ64』は「野原」だったけど、ついて来れない人が多くなってしまったので『マリオ3Dランド』では「舗装された道」になった―――みたいな、ね。
ただ、今日の主題は「ストーリー」なので。
「スタッフから提供されるストーリー」が最も重要なジャンルとして、アドベンチャーゲームを語らねばなりますまい。
例えば『逆転裁判』です。
基本的にあのゲームは「一つ正解を見つけると次に進むゲーム」です。自由度の欠片もなく、言ってしまえば「スタッフの想定した道を歩くだけのゲーム」です。しかし、逆に言えばスタッフが練りに練って考えたストーリーを、A君もB君もC君も楽しめるゲームと言えます。
「たまたま」ではないんですよね。
シミュレーションゲームにおけるドラマチックな出来事は「起こるか起こらないか分からない」ですし、プレイヤーの力量によっては起こらない可能性も高いです(シミュレーションゲームが上手すぎる人は『カルチョビット』でもダントツで優勝しちゃって盛り上がれないかも知れない)。
でも、『逆転裁判』はみんながそのストーリーを楽しめるんです。
ある意味では究極の「一本道ゲーム」。逆に言うと、この「スタッフから提供されるストーリー」がつまらないとどうしようもないゲームになってしまうってことですよね。
ノベルゲームやギャルゲーなんかだと「一本道のストーリー」のことは少ないと思いますが。
複数のルートに分かれているだけで「スタッフの想定した道を歩くだけのゲーム」には違いありません。
もちろんそれが悪いって話じゃないですよ。
こういう記事を書くと「俺の愛するギャルゲーをバカにしてんのか!」って誤読してしまう人がいらっしゃるんですけど、色んなジャンルがあってそれぞれ好みの異なる人に支えられているという話です。
横道ついでに書いておきますけど、ギャルゲーの中でも超有名作品である『ときメモ』とか『ラブプラス』ってアドベンチャーゲームというよりシミュレーションゲームなんですよね。『ときメモ』は自分を育成するゲームですし、『ラブプラス』はカノジョとの関係を築いてカノジョを自分好みに育成する(?)ゲーム。
スタッフの用意した道を進むのではなく、自分だけのストーリーのあるゲーム。だからシミュレーションゲーム下手な自分は『ときメモ』の中でも誰とも関係を築くことなく終わって「何だよこのゲーム!何が面白いか分からねえ!」とサジを投げてしまったのだと今なら分かります。どういうゲームか理解してなかったんだ。
――2025年追記――
2023年に実況してリベンジしました!
でも、それがシミュレーションゲームなんです。
「自分なりのストーリー」を
しかし、当然のことながら「自分なりのストーリー」と「スタッフから提供されるストーリー」はトレードオフになります。
これはよく言われる「自由度」か「一本道」かのトレードオフに似た話でしょう。
ただ、今日の記事の切り取り方だと「一本道」では正確ではなくて、マルチエンディングのゲームみたいに「スタッフが複数の道を用意している」こともあるので―――「野原」か「舗装された道」かって表現の方がイイとは思うんですけど、そうすると「この野原は実は道があるんじゃ……」みたいな細かい議論になってしまうので(笑)。
「自分なりのストーリー」を楽しみたいか、
「提供されるストーリー」を楽しみたいか、を考えれば、自分に合ったゲームが分かる一つの指標になるんじゃないかと表現しておきます。もちろんどちらが優れているかみたいな話ではなくて、どちらを欲しているのかという話ね。
○ 「シミュレーションゲーム」←→「アドベンチャーゲーム」
アクションゲームやシューティングゲーム、パズルゲームなんかでも「野原」か「舗装された道」かの話は広げていくとすごく面白い話だと思います。『マリオ64』は「野原」だったけど、ついて来れない人が多くなってしまったので『マリオ3Dランド』では「舗装された道」になった―――みたいな、ね。
ただ、今日の主題は「ストーリー」なので。
「スタッフから提供されるストーリー」が最も重要なジャンルとして、アドベンチャーゲームを語らねばなりますまい。
例えば『逆転裁判』です。
基本的にあのゲームは「一つ正解を見つけると次に進むゲーム」です。自由度の欠片もなく、言ってしまえば「スタッフの想定した道を歩くだけのゲーム」です。しかし、逆に言えばスタッフが練りに練って考えたストーリーを、A君もB君もC君も楽しめるゲームと言えます。
「たまたま」ではないんですよね。
シミュレーションゲームにおけるドラマチックな出来事は「起こるか起こらないか分からない」ですし、プレイヤーの力量によっては起こらない可能性も高いです(シミュレーションゲームが上手すぎる人は『カルチョビット』でもダントツで優勝しちゃって盛り上がれないかも知れない)。
でも、『逆転裁判』はみんながそのストーリーを楽しめるんです。
ある意味では究極の「一本道ゲーム」。逆に言うと、この「スタッフから提供されるストーリー」がつまらないとどうしようもないゲームになってしまうってことですよね。
ノベルゲームやギャルゲーなんかだと「一本道のストーリー」のことは少ないと思いますが。
複数のルートに分かれているだけで「スタッフの想定した道を歩くだけのゲーム」には違いありません。
もちろんそれが悪いって話じゃないですよ。
こういう記事を書くと「俺の愛するギャルゲーをバカにしてんのか!」って誤読してしまう人がいらっしゃるんですけど、色んなジャンルがあってそれぞれ好みの異なる人に支えられているという話です。
横道ついでに書いておきますけど、ギャルゲーの中でも超有名作品である『ときメモ』とか『ラブプラス』ってアドベンチャーゲームというよりシミュレーションゲームなんですよね。『ときメモ』は自分を育成するゲームですし、『ラブプラス』はカノジョとの関係を築いてカノジョを自分好みに育成する(?)ゲーム。
スタッフの用意した道を進むのではなく、自分だけのストーリーのあるゲーム。だからシミュレーションゲーム下手な自分は『ときメモ』の中でも誰とも関係を築くことなく終わって「何だよこのゲーム!何が面白いか分からねえ!」とサジを投げてしまったのだと今なら分かります。どういうゲームか理解してなかったんだ。
――2025年追記――
2023年に実況してリベンジしました!
どういうゲームなのかを理解して遊んだらむちゃくちゃ楽しかったです。
閑話休題。
アドベンチャーゲームが「スタッフの想定した道を歩くだけのゲーム」と言っても、『逆転裁判』のように「その一本道を進むためには考えなくてはならない」ゲームもあれば、ギャルゲーのように「○○ルート」「××エンド」のような分岐があって「目当ての道を進むために苦労する」ゲームもあります。
アドベンチャーゲームはアドベンチャーゲームで独自の進化と細分化を繰り返しているんですよね。
その際たるものが、「RPG」というジャンルです。
よく「今の日本のRPGは一本道だから面白くないんだ!」とか「そもそもRPGというものは役割を演じるゲームでうんぬんかんぬん」みたいな言説を目にします。自分はそれがあまりしっくり来ないんですね。
日本のRPGの起源は間違いなく『ドラゴンクエスト』です。
それ以前にもRPGは存在していましたが、『ドラゴンクエスト』の超ヒットによって後追いで作られたたくさんのゲームが「日本のRPG」というジャンルを作ったのですから、RPGと言えば『ドラゴンクエスト』なんです。
そして『ドラゴンクエスト』は、堀井さんがそれ以前に作っていた『ポートピア連続殺人事件』のようなアドベンチャーゲームに基礎があるんです。こっちに行ってこのアイテムを取ってこっちにそれを持っていくとこのアイテムがもらえてそうすればこの扉が開いて―――と、やってることはアドベンチャーゲームとさほど変わらないんです。
「初代ドラゴンクエストには自由度があったが、今のRPGには自由度がない」ってのは、単に当時は使える容量が小さかったから「スタッフから提供されるストーリー」が少なかっただけだと思いますよ!
「クエスト制だから好きなクエストを選んで遊べる」とか「マルチルートで自由な順番に攻略できる」というRPGも、「一本道」ではないかも知れませんが、「スタッフから提供されるストーリー」を進んでいることに違いありません。「自分なりのストーリー」ではないんですよね。
繰り返しますけど、それが悪いと言いたいワケじゃないですよ。だから「RPG」は面白いのだし、人気が出たのだし、ジャンルとして確立しているのです。「RPG」と「シミュレーションゲーム」の市場規模を比べてみなさいな!
ただ、「スタッフから提供されるストーリー」には一つだけ弱点があります。
それは「再生産」や「使いまわし」が出来ないということです。そのため、どうしても「プレイ時間」は限定されてしまうんですね。
○ 「スタッフから提供されるストーリー」以外の部分
シミュレーションゲームは「自分なりのストーリー」なので、自分の中にストーリーがある限り、長く遊べるゲームだと思います。
『カルチョビット』なら新しい選手を獲得して育成し直せば「世代交代」というストーリーを楽しめますし、『A列車DS』は12コ×3難易度のクエストマップをクリアしても「フリーマップ」で好きなように遊べます。ハマれば100時間や200時間なんて軽く越える時間を楽しめます。
『テトリス』みたいな落ちモノパズルゲームもそうですし、実はWiiウェアなどで定番だった『麻雀』とか『将棋』とか『囲碁』のようなゲームも「永遠に遊べる趣味」と言われていますよね。何度も何度も何度も遊べるゲーム。
『Newマリオ2』は「マンネリだ」とか「また同じことか」と言われていますけど、「コインラッシュモード」は結構な発明じゃないかなと自分は思っています。「1回遊べばそれで終わりだったマリオに、何度も同じ面を遊ぶモード」をつけて長く遊べるようにしたのですから。アレも言ってしまえば「自分なりのストーリー」ですよね。
しかし、「スタッフから提供されるストーリー」はそうはいきません。
「ストーリー」という言葉は誤解を招きそうですから、「スタッフの想定したルートを進むゲーム」と言った方がイイかもですね。こうしたゲームは基本的には1回きりの感動なんです。
よく「このゼルダを遊ぶ前の記憶に戻してもらって、もう1回まっさらな状態で遊びたい」なんて言われますけど、あれは逆に言えば「ゼルダが超面白いのは1回きり」ってことなんですよね。そう言うと「俺は何十回と遊んだぞ!」と怒られそうですけど(笑)、謎解きで悩んで苦しんでようやく解けたーーー!って喜びは最初の1回が至高だと思うのです。
アドベンチャーゲームは特に「スタッフの想定したルートを進むゲーム」の最たるものだから、これがずっと引っかかってしまうんですね。
「(同じルートを)何度も遊べるゲームではない」から、複数ルートにして何周もしないと真のエンディングにたどり着けなくしたり、「ストーリー」以外の「ミニゲーム」的なものを入れたり、むしろ「ナゾトキ」がメインだったり。色んな工夫で「ボリューム」を確保しようとしてきました。
同じように「スタッフの想定したルートを進むゲーム」であったRPGも同じ問題を抱えていましたが、こちらはアドベンチャーゲームよりも「自由度」のあるゲームだったので致命傷にはなりませんでした。つまりは「育成」部分。
さっきの段では敢えて「RPGはアドベンチャーゲームとやっていることはさほど変わらない」と書いたんですけど、確実に違うところがあって。それは「キャラの育成」の部分です。ここはむしろシミュレーションゲームに近くて、「自分なりのストーリー」を楽しめる部分です。
92年の『ドラクエ5』の時点で「好きなキャラを選んで戦わせられる」育成の部分がメインに来ていましたし、同年の『FF5』で「キャラクターを自分の好きなように育てられる」という完成形が出来ていました。96年の『ポケモン』は言うまでもありません。
「RPGがクリア後も楽しめるようになったのはいつか」という話でちょうど『ドラクエ5』や『FF5』の例が出ますけど(どちらもラスボスより強い敵が存在する)、重要なのは「プレイヤーの自由なキャラ育成が出来るようになった」ことの方だと思います。これにより「もっと強い敵」と戦いたくなったからこそのクリア後の要素だろう、と。
記事の序盤で『ファイアーエムブレム』のカシムの話を書きましたけど、RPGも「どのキャラを育てるのか」「どのスキルを鍛えるのか」「どの武器を作るためにどの素材を集めるべきか」とそれぞれが自由に選べるようになっているので、ストーリーはアドベンチャーゲームのように「スタッフの想定したルート」を進むけれど、キャラクターの育成はシミュレーションゲームのように「自分なりのルート」を進むというのがRPGというジャンルだと言えると思います。
RPGは「アドベンチャーゲームとシミュレーションゲームのイイトコどり」というか。
同じように「RPGが好き!」って人でも、どちらの部分が好きかというバランスによって、どちらにハマれるかは全然変わるってことですね。ウチの母は『ドラクエ9』でRPGにハマりましたけど、ストーリーそっちのけでひたすらキャラを育てて素材拾いまくって錬金とかしていたそうなんで、実はシミュレーションゲーム寄りの楽しみ方をしていたんだと。
ということで、「ゲームにストーリーは必要だと思いますか?」というこの記事のタイトル。
友達や家族にゲームを薦める際に、この質問をするだけで一つの基準が出来ますよという話でした。
「自分なりのストーリー」を楽しみたいか、
「提供されるストーリー」を楽しみたいか。
――――2025年追記――――
この話を13年後に読むとかなーり面白い発見があって……
この後に「猫も杓子も」で発売されたゲームジャンルと言えば、「スマホ用のガチャでキャラを集める育成ゲーム」と「オープンワールドのゲーム」です。
前者は「誰を手に入れたのか」「誰を使っているのか」の部分はプレイヤーごとに異なりますが、基本的にストーリーは「提供されるもの」で、一斉にみんなが同じ話を読みます。その「提供されるタイミング」が同じだからこそ、考察だったりファンアートだったりが盛り上がるのが「運営型のスマホ用ゲーム」の特徴になったんですね。
後者は、「オープンワールドのゲーム」と一言で言っても、「ストーリーは一本道で横道に逸れてサブクエストをこなす遊びがある」だけのものから、『ブレス オブ ザ ワイルド』のように「攻略順も攻略方法もプレイヤーによってちがう」ものもありますが……
Nintendo Switch1初期の『ブレワイ』なんかはプレイヤーによって遊び方が全然ちがっていたため、SNSやゲーム実況で「他人のプレイ」を見るのが(見せるのが)楽しくて盛り上がったんですね。
この2つのジャンルの隆盛は、「提供されるストーリー」と「自分なりのストーリー」の2つがそれぞれ人気になっていたという話にも言い換えられます。両輪のように、2つとも人気だったんです。
ただ、全体的な傾向を言えば、現在は『マインクラフト』から続くサンドボックス系のゲームや、『フォートナイト』のように毎回ちがう展開になるバトルロイヤル系のゲーム、一人用のゲームでも毎回ちがう展開になるローグライクの要素を含んだゲームなどが人気なので……「自分なりのストーリー」が楽しめるゲームが人気な時代で。
一方の、「提供されるストーリー」の代表である「運営型のスマホ用ゲーム」のバブルは弾けたと私は思っていて。
ごく一部のトップ層を除けば、長く続いていたゲームは撤退戦を始め、新規参入も減ってきたと思います。13年後には絶滅しているかも知れませんし、その時に「提供されるストーリー」のゲームが残っているのか否か、また予想もしないジャンルのゲームが覇権をとっているのか、楽しみにしたいと思います。
コメント
コメントを投稿