※ この記事は2010年に旧ブログに書かれたものを幾つか手直しして2025年に移行した記事です

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井上弘務

戸田今日子

真崎豊

渡辺理世

『ちのしあ』ヒロインズ+Cサイドオールキャラクターズ

色付きver.

ということで、今年は『朝が来る』チームで年賀状を描きました。
毎年晴れ着を描くのに飽きてきたので、今年は趣向を変えて縦縞のユニフォームを着せてみたのですが……来年のウサギ年はどうしたらイイのやら。2年連続というのはありきたりですしねぇ。そもそも来年はどの作品のキャラで行くのだろうか………
で、今年もメインキャラが4人の作品だったために5枚目に何を描くか悩んだ結果、懐かしいキャラ達を描くことにしました。過去の自分の絵を見ながら「この服どうなっているんだっけ?」と確かめるというセルフ羞恥プレイを新年早々やっていたという。
線の太さを変えられないサインペンと、単色での色塗りと―――
制限のある画材を敢えて使ったことで自分の中で実りのあったイラスト達でした。感謝!おかげさまでGペンが恋しいぜ!
Pixiv始めましたの続き。
まだまだサッパリ使い方が分かっていないんですが、mixiのようにフレンド登録(マイピク)をして新着情報を一覧にしたり出来るみたいですね。ということで、マイピクなろうぜ!って人募集です。今年は絵描きの友達を作りたいと思っているのです。絵描くの楽しいよねと、言い合いたいです。
そうは言っても、この先イラスト投稿の予定は全く決まっていないんですけどね……
“人に見せる”用の絵って滅多に描かないんですよ。筋肉を描く練習用にゲイサイトで拾ってきたマッチョ脚画像の模写とかアップしても誰も喜ばないでしょうし。というか画像模写をアップすること自体がマズイ気もしますね。
それでは、今日は『朝が来る』のあとがきです。
作品の内情を本人が語るということに「俺そんなに偉くねーよ」と躊躇する部分もあるのですが……今回の作品は自分の転換点になった作品でもあるので、文章化することも後々にイミを持つかもなぁと思ったりもしまして。そんなカンジで語り始めようかと思います。
○ 「スターなんていない」システム
○ 主人公不在の空間
○ 世界を描くということ
今回は3部構成でございます。
○ 「スターなんていない」システム
気が付いた御方がどのくらいいらっしゃるかは分かりませんが……
『朝が来る』に登場した渡辺理世は、『学園は今日もサッカー日和』で反・生徒会チームの一人として登場した渡辺理世と同一人物です。時間軸としては、実は『朝が来る』が7月の話で、『サッカー日和』が10月の話と逆転しているのですが……それはまぁ、どうでもイイ裏設定か。
自分は「読みきり」の話を考えるのが苦手だったんですよ。
“苦手”というか“辛い”と言った方がイイですかね。作品はストーリーがあってキャラクターがいて世界観が出来ていて……という中で、喩えば「ストーリーがダメだ」とか「絵がダメだ」という理由でその他の全ても否定されてしまうんです。キャラも世界も自分の魂からひねり出したものだというのに、あっさりとそれらが否定されてしまう恐怖と言ったら!
そんな恐怖がゆえに、『サッカー日和』は物凄く“肩に力が入った”作品になってしまいましたよね。
思いついたものをなるべく全部入れようとか、キャラクター一人一人をしっかり描こうとか。キャラクター一人一人に名前があって家族構成が決まっていて出身中学はどこで、みたいな細かい設定を用意していたりして。それが全く作品のクオリティには繋がらなかったという(笑)。
なんつーか……キャラや世界観を大事にし過ぎるあまり、「登場人物のみんなが主人公」みたいな作品になっちゃったという反省をしたのです。それは作品としては不恰好だし、伝えたいものを伝えられない要因にもなっているし……
と、落ち込みながら考えたのがこのシステム。
『サッカー日和』がダメな作品だったとしても、そのキャラクターや世界観を利用してまた別の作品を描けばいいじゃないかと思ったのです。そうすれば自分の中に彼らは生き続けるし、またいつか彼らを描く機会にも出会えるかも知れないじゃないですか。
言ってしまえば、『とある魔術の禁書目録<インデックス>』と『とある科学の超電磁砲<レールガン>』なんですけど。あそこまで大した話じゃないし、当時の自分は両作品を知らなかったワケですし。
読みきり作品だから、共通のキャラが出てくることが読んでくれる人のためになるワケでもなくて、単純に自分のためなんです。「スターシステム」というよりは、自分の中に「スターなんていない」と思うことで楽になったというか。
実際、こういう意識を持つことで「読みきり」を描くのが辛くなくなりましたし。
描きたいと思う作品の幅も広がったのです。
○ 主人公不在の空間
さっき『サッカー日和』のことを「登場人物のみんなが主人公」と表現しましたけど、やっぱりあの作品は“陽の当たる人達”の話だったと思うのです。学校でも中心になって物事を動かせる人達の物語―――でも、そうではない人もあの学校の中に確実にいるはずで、言ってしまえば自分もそっち側の人間だったよねと思うのです。
さて……この『朝が来る』の超超超初期構想は、実は2年近く前にブログで書いた「漫画の主人公の名前を読者が付ける日が来るのかも知れない」という記事に近いです。「読者=主人公と思わせる究極の漫画が描けないか」構想。
一人称視点で主人公の姿は画面に映らず、主人公のことを好きなヒロインが代わりに話を展開させていくという漫画を考えていました。「それなんてギャルゲ?」ですよね(笑)。考えれば考えるほど、「漫画であるイミがない」というところに落ち着いて暫く凍結させていたんですが……
逆転の発想で。
「主人公が死んだ後の世界を描くのも面白いんじゃないか」と思い当たったのです。
ということで、『朝が来る』の本当の主人公は死んでしまった“アイツ”なんですよ。
でも、それだと読者の感情移入先が難しいなぁということで、↑で構想した「主人公のことを好きなヒロインが代わりに話を展開していく」作品のヒロインの部分を、“極めて主人公らしくない主人公”井上弘務に担ってもらおうかなと。
だから、彼らは何も成し遂げない―――
24ページかけても劇的な成長をするワケでもなく、また日常に戻っていく―――
でも、それも現実だよなと思うのです。
自分の人生が変わるようなドラマチックな出来事なんてそうそう起こりはしないし、自分の人生の主人公たる自分は全然主人公らしくないし、自分を好いてくれるヒロインなんて現れないし、友達も結構イヤなヤツだったりして。
詳しくはキャラ紹介のページでまた語ろうと思うのですが、今日子も豊も“魅力的なキャラクター”からはちょっとズレている人物として描いたつもりです。それは「人生なんてそんなに面白くないよね」と思っている弘務からの視点で描いたがゆえに。
ちなみにこの作品のネームを描いていたのが昨年の2~3月で。
その直後(作画作業中)に『けいおん!』アニメが始まって感動したのは、上で思っていたような“現実”を全部ひっくり返してやろうというトンでもなくポジティブな作品だったからですし。更にその数ヵ月後に『かなめも』ラストに号泣したのは、「それでもやっぱり人は孤独だよね」という“現実”の向こうが描かれたから―――というこじつけ話。
(関連記事:『けいおん!』は“仲間”を描き、『かなめも』は“孤独”を描いた)
○ 世界を描くということ
ちょっと作品テーマ以外の話もせねば。
今回特に「背景がんばりましたね」という御意見をいただきました。嬉しいです。がんばりました。これに満足せずに今後もがんばろうと思います。
自分にとっても、『朝が来る』の背景は「意識が変わった」転換点になったと思います。
自分は元々「お話を伝えたい」という意志の元に漫画を描き始めた人間なので、絵を描くのは苦手ですし、今でも「俺って絵ヘタクソだなぁ」と思っています。人物に関してはそれでも描かないと始まらないので必死に描き続けてきましたし、「ヘタでも楽しい」と思えるようになりましたが……背景はホント「出来れば描きたくない」と思って過ごしてきました。
でも、そうじゃないんだなと『朝が来る』で思わされたのです。
“忍び込む小学校”、“ハンバーガー屋でゲームしている学生達”、“走り出すバス”、“遠くに見える山々”―――当たり前なんですけど、全てが表現なんですよ。それを描くのはそこにイミがあるからで、伝えたいものがあるからこそそれを描いているんだ。それが「演出」なんだし、それが「世界を描く」ということなんだという意識が持てるようになりました。
なんつーか、「あーようやくスタートラインだ」と思えた瞬間だったんですね。
今はそのスタートラインより後ろに戻ってしまった感覚なんですが(笑)、かつては「背景を描く」ということが作業としか感じられなかったのに対して、今はそこも大事なメッセージなんだと思えるようになったのです。
超超当たり前なことだし、頭の中では分かっていたんですよ?
でも、実際には「コマ数足りないなぁ」とか「ここまでしても伝わらないんじゃないか」とか思ってしまって出来なかったりして。そういうところから一歩踏み出して、「ここは伝わるから大事にしよう」「ここは伝わらないから削ろう」と思えるようになったというか。
一歩ずつですよ。
「ドラマチックな何かが起こって人生が一変してくれるなんてこと滅多にないよね」と、久々に自分でこの作品を読み返して思わされました。ゆっくりでも、ここで得たものを次に活かすことを考えて進んでいきたいですね。
○ 最後に
『朝が来る』話はもうちょい続いて、本家サイトに「キャラ紹介」を書くつもりです。
『Re:Survival』の時は「作品について語ること」自体が物凄く消耗する出来事だったんですけど、いい意味で肩の力が抜けてきたのかなーと思いますよ。自分にとっては“2つ前”の作品という認識ですから、それほど自信があるワケでもないんですけど(笑)。
でも、自分にとっては「大事」で。
「すごく色んなものを教えてくれて」、「次の一歩を考えさせてくれた」作品でした。ありがとう。
そして、読んで下さった方々にもありがとうございます。
「良かった部分」「悪かった部分」を活かして次の作品に取り組んでいるつもりです。それでは、次回作でまた会いましょう。ではでは。
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