RPGにレベルアップ制度は必要ですか?


<画像はスーパーファミコン用ソフト『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』より引用>


※ この記事は2009年に旧ブログに書かれたものを幾つか手直しして2025年に移行した記事です


 最近のウチのブログ、疑問文の記事タイトルばかり続いている気が……


 なぜ我々は序盤でレベル上げをするのか?」という記事がありました。現在ではもう削除されてしまったみたいですが。

 非常に面白い話でした。
 僕は逆に「なるべくレベル上げをしない」「特に序盤は」という人間なので、このスレで語っている方々とは正反対な意見でした。自分には生み出せない意見に新鮮な驚きを覚えることが出来るとともに、そのおかげで「何故自分がそうなのか」が浮き彫りになりました。
 「自分とは違う意見から何を学べるか」が人生の幅に繋がるのだと思う昨今です。感謝感謝。


 まず自分。
 「レベル上げ」の定義は、恐らくこの場合は―――

・町の周辺でウロチョロして雑魚モンスターを倒して経験値を稼ぐ
・ダンジョンに入ったばかりのところでウロチョロして雑魚モンスターを倒して経験値を稼ぐ

みたいなことですよね。安全な場所で自分を鍛えてから先に進むというのが、この場合のレベル上げの定義だと思います。それが自分はイヤなんです。ダンジョンをどんどん進んで、生きるか死ぬかのところで成長していくのが楽しいと思うんですよ。練習ではなく、実戦で強くなってもらいたい。

 「安全な場所で敵を倒す」経験値と、「敵の拠点の内部でいつやられるかの不安と戦いながら敵を倒す」経験値では、同じ数値でも中身が違うだろう!と思い―――なので、自分はレベル上げはなるべくせずにガンガン進むことにしています。
 もちろん「なるべく」であって、必要に応じてやらなきゃいけない時もあるんですけどね。


 で、逆に「レベル上げ」をしてから進みたい人の心理を想像してみました。
 このスレを読んでみると「ゲームの隅々まで楽しみたい」からこそ、レベル上げをしているのかなぁと思いました。自分みたいに「成長」と「進行」を同時に味わうのではなく、「成長」は「成長」でじっくり楽しんで「進行」は「進行」で楽しみたいというか。

 感覚的には、「ゲームを始める前に説明書をじっくり読みたい」心理に近いのかな、と。
 自分は対照的に「説明書はネタバレになるから読まずに始める」という人間なので、「隅々まで楽しみたい」人と「テンポ重視で楽しみたい」人の差なのかなーと何となく思いました。




 そんなことを漠然と考えていて、ふと思ったことが今日の本題です。
 今日の記事タイトル「RPGにレベルアップ制度は必要ですか?」を読んで、「何言ってんだ、このバカ」と思った人も少なくないと思うのです。「RPGにレベルアップ制度は必要ですか?も何も、レベルアップ制度があるのがRPGだろうが」と思った人も少なくないでしょう。

 それもまた一つの定義ですよね。
 日本ではアクションゲームやシミュレーションゲームに「レベルアップ制度」を取り込んだものを、アクションRPGやシミュレーションRPGと呼んでいるくらいですから。RPG=「レベルアップ制度」と思っている人も多いことでしょう。

 RPGの元々の定義は…みたいな話は、自分はあまり興味がないです。ググれば分かることですし。
 「何故、レベルアップ制度のことを“RPG要素”と呼ぶ人が多いのか?」
 自分はこっちの方が興味深いです。

 日本においてRPGを普及させた第一人者は間違いなく『ドラゴンクエスト』シリーズです。
 つまり、日本におけるRPG要素というのは“『ドラゴンクエスト』要素”とも言い換えられると思うのです。「ドラクエっぽいゲーム」を「RPG」と呼んできたワケですからね。


 そう考えると、当時の人々が『ドラゴンクエスト』の何に一番注目したかが分かって面白いじゃないですか。
 「魔王を倒してお姫様を救う」とか「町の人々の話を聞く」とか「ダンジョンに潜って探索する」とか「コマンドを選んで戦う」とか「武器を買ったら装備をしないと意味がない」とか、そういうことではなくて。「レベルアップ制度」=「“プレイヤーが上達する”以外の、“ゲーム内キャラが強くなる”という成長要素を組み込んだ」ことにこそ、「『ドラゴンクエスト』ってすげーゲームが出てきたぞ」と思ったということじゃないですか。

 それはつまり、当時の人達が如何に「プレイヤー自身が上達する」という一軸の成長要素に限界を感じていたかって証明だと思うのです。
 もちろん「レベルアップ制度」を『ドラゴンクエスト』が発明したワケじゃないのですが、その概念を多くの日本人に認知させたのは『ドラゴンクエスト』だったんだろうなーというところで。



 根本の話に敢えて戻したいと思います。
 どうしてRPGにレベルアップ制度があるんだと思いますか?



○ 「戦闘」によって成長する『ドラゴンクエスト』
 「レベルアップ制度」とは「戦闘によってキャラクターが成長し、その成長でその後の戦闘を優位に進めることが出来る制度」―――もっと噛み砕いて言うと、「戦闘」の「対価=御褒美」によって「戦闘を優位に進められるようになる」ことだと思っています。


 こういう「RPGとレベル上げ」の議論で、「レベル上げが嫌いならFF2とかレベルのないRPGをやれば良いじゃないか」とか言う人がいるんですけど。本質的にはレベルがあろうがなかろうが関係ないんですよ。
 レベルのない『FF2』だって、『FF5』のアビリティだって、『FF6』の魔法習得だって、「戦闘で得られる対価」によって成長するシステムには変わりがないのです。それは単にラベルを貼り替えただけで、本質は変わらないのです。




 「戦闘」で得られる御褒美によって、「戦闘」を優位に進めることが出来るようになるゲーム―――
 こうしたゲームはプレイヤーに何をさせたいかというと、「戦闘」をさせたいゲームに他ならないんですよね。「おっぱいを見せたいゲーム」ならば、戦闘後の御褒美に「おっぱい」を見せてくるでしょうし。



 この概念を更に広げて考えてみると……
 喩えば、雑魚モンスターを倒して得られる「お金」で武器防具を買うこととか。『モンスターハンター』でモンスターを倒して得た素材を使って新しい武器防具を作ることとか。『グランツーリスモ』でレースで勝った賞金で新しいパーツを手に入れることとかも、本質的には「レベルアップ制度」のそれと変わらないとも言えます。

 ちょっと屁理屈ではありますけどね。
 RPGの「お金」は「戦闘」以外でも入手出来ますし、武器防具以外にも使えますから。ただ、この考えは後々にまた出てくるのでその伏線として書いておきます。



○ 「探索」によって成長する『ゼルダの伝説』
 『ゼルダの伝説』シリーズは『ドラゴンクエスト』以前に生まれたゲームです。
 なので、「レベルアップ制度はない」し「戦闘はアクション」ですし「沢山の武器や防具が登場するワケでもありません」。『ドラゴンクエスト』とは違う系統のゲームなので、RPGというジャンルに入れない人も多いと思います(公式のジャンルもアクションアドベンチャーですし)。


 でも、やっぱり自分は『ドラゴンクエスト』と対比すべきは『ゼルダの伝説』だと思うのです。
 『ゼルダの伝説』に「レベルアップ制度」はありません。雑魚モンスターを倒すことによって得られるメリットは少ないです(時々ハートやお金を落とすくらい)。しかし、『ゼルダの伝説』もまた“ゲーム内キャラが強くなる”ゲームです。(宮本さん自ら、マリオとゼルダの違いは成長の有無にあると仰っていたそうですし)


 『ゼルダの伝説』の主人公は、アイテムによって成長をします。
 世界中に散らばっている「ハートのかけら」「ハートの器」を得ることで最大HPを上げ、ダンジョンやその他にあるアイテムを得ることで攻撃方法&行動範囲が広がり、ポイントポイントで武器や防具も強化される―――

 言ってしまえば、世界を「探索」することで強くなるゲームなんです。
 このゲームはプレイヤーに「探索」をしてもらいたいゲームなので、「戦闘」は「探索」の邪魔をする障害物に過ぎないのです(ボス戦は例外)。だから雑魚モンスターを倒したところで大した「御褒美」はもらえませんし、エンカウントがないので面倒くさかったら戦わなくても良かったりします。


 3ヶ月ほど前、僕は「コマンドRPGとアクションRPG、どちらが「メンドウクサイ」?」という記事を書きました。あの記事はとてもとても沢山の人に読んでもらえて、自分も凄く嬉しくて励みになったのですけど。
 敢えて言いますと、あの記事で論じていたことはちょっと的外れでしたよね。

 あの記事を読んで下さった皆々様、申し訳ありません。
 でも、「人間の考えは変わる」し、自分は常に「昨日の自分を越えよう」と思って生きているので、こういうこともあるんだと許して下さい。



 問題は「コマンドRPG」か「アクションRPG」かという区分ではなく、
 「戦闘をさせたいゲーム」か「探索をさせたいゲーム」かという区分にこそあったのだと思うのです。少なくとも2009年10月3日の自分はそう思うのです。


 だから、喩えば貴方の友達が「ゼルダみたいなゲームを探しているんだけどない?」と訊いてきた場合、薦めるべきは「戦闘がアクションのゲーム」ではないのです。戦闘がアクションかコマンドかとか、エンカウントがあるのかないのとかではなく―――薦めるべきは「探索をさせたいゲーム」なのです。

 『ゼルダの伝説』のアイテムは、基本的に「探索」によって得られます。
 (お金で買えるものもあるけど、お金も雑魚モンスターよりも宝箱から得られる額の方が多い)
 そして、そのアイテムによって何が得られるかというと、「探索」の能力が上がるんですよ。弓矢によって遠くのスイッチを押したり、クローショットで昇れなかった場所に昇ったりはもちろんのこと。剣の強化や最大HPの上昇なども、「探索」の邪魔をする雑魚モンスターを倒すのに役立ってくれるワケです。目的は「戦闘」ではなく「探索」。


 「探索」の「対価=御褒美」によって、「探索を優位に進められるようになる」のが『ゼルダの伝説』というゲームなんです。



○ 「戦闘」と「探索」のバランス
 もちろん、「このゲームは戦闘をさせたいゲーム!」「こっちのゲームは探索をさせたいゲーム!」とキレイに二分されるワケではありません。『ドラゴンクエスト』にも「探索」の要素は沢山ありますからね。宝箱に入っているアイテムとかはまさに。


 RPGの「あるあるネタ」で―――
 「高い金を払って町で新しい武器を買ったのに、次のダンジョンでもっと強い武器が宝箱に入っていた。なんだよ!」というものがあると思います。あれって「戦闘の対価で得られるもの=町で買える武器」と「探索の対価で得られるもの=ダンジョンの宝箱に入っている武器」に対する価値観が、作り手と遊び手の間にギャップがあるということかと思います。

 自分はRPGの何が好きかって「探索」が好きなので……
 基本的に武器防具は拾い物で済ませます。「ゲーム中盤なのにまだ“ぬののふく”着てんのかよ!」と気付いた時は最新のものを買ってあげますけど、基本的には「探索」で得られるものを重視しています。



 この「戦闘」と「探索」のバランスという視点で色んなRPGを見てみると面白くて―――
 『FF』シリーズも『5』までは「戦闘の対価によって成長する」ゲームですよね。レベルやアビリティポイントは言うまでもなく、魔法をお金で買うというのも「戦闘の対価によって魔法を覚える」ということですし(『ドラクエ』でレベルが上がると魔法を覚えるのと大差はない)。

 でも、『6』で魔石が出てきた辺りから、「探索の対価によって成長する」要素が出てきました。新しい魔法を覚えるためには、世界を「探索」して魔石を探さなくてはならない(一部キャラは例外)―――『7』のマテリアも『9』のアビリティシステムも、言ってしまえばこの踏襲ですよね。
 んで、「探索」だけではダメで。魔石から魔法を覚えるためには「戦闘」も数こなさなきゃならないというバランスになっているワケです。


 『MOTHER』シリーズで、レベルが上がると雑魚モンスターが戦わないように逃げていく―――というのは、「戦闘」で得られる対価によって「探索」がしやすくなるという変わったゲームシステムですよね。自分はシリーズをやったことがないので、「探索」にどの程度の意味があるのかは分かりませんけど。



 そろそろ自分の結論。
 「レベルアップ制度」はRPGの一つの選択肢に過ぎない―――と、この記事を書きながら思いました。
 「戦闘の対価によって戦闘を優位に進められるようになる」システムは確かに理に適っているし、多くのRPGがそれに倣うのも当然なんですけど。
 「戦闘の対価によって探索を優位に進められるようになる」システムだって、「探索の対価によって戦闘を優位に進められるようになる」システムだって、「探索の対価によって探索を優位に進められるようになる」システムだって構わないワケですよ。


 結局は「何をさせたいゲームなのか」という話。
 そして、プレイヤーとしては「何がしたいのか」という話。「探索がしたい」時に、「戦闘をさせたい」RPGを遊んでもそれは面白いと思えるワケがありませんよね。コマンドRPGとかアクションRPGとか、そういうことではなかったんだと。自戒の念を込めてこの記事を書きました。

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