ようやく分かりました、「私は難しいゲームが嫌い」なんです

<画像はWii Uバーチャルコンソール版『スペランカー』より引用>

 誤解されたくないので一応書いておきますが、『スペランカー』は私の大好きなゲームです。


※ この記事は2018年に旧ブログに書かれたものを幾つか手直しして2025年に移行した記事です

 私がゲーム実況をする際に「ゲームが下手な人の~」という看板をつけていることで、「ゼルダやスペランカーをクリアできたくせにゲームが下手な人とか名乗るんじゃない!」と言われたことは一度や二度じゃありません。気持ちはよく分かります。私も自分よりチ●コが大きい人が「俺、粗チ●だからさー」とか言っているのを見ると、じゃあ交換してくれよ!と思いますもの。


 正直なことを言うと、私自身も「ゲームが下手かどうか」って微妙だと思っているんですね。「上手」ではないです、それは間違いない。ただ、ゲラゲラ笑えるほど「下手」でもない。もっと「下手」な方がきっとエンターテイメント性が高い配信ができたと思うので、私は「私よりゲームが下手な人」が羨ましいのです!あなたがゲーム実況を始めたら、きっと一躍人気者になれますよ!




 ということで、私が「ゲームが下手かどうか」は微妙なのですが……ただ一つ、確実に言えることがあるとようやく最近気付きました。というか、これに気付かずにいたことで、これまでのゲームライフは随分と損をしていたと思います。人生の半分を損していた!

 「私は、難しいゲームが嫌い」なんです。


 これを書くのは本当に勇気がいることなんですけど……
 一昨年くらいに「10時間以内に終わるオススメの3DSダウンロードソフトを教えてください!」という企画をやったり、去年から「Wiiショッピングチャンネル終了で買えなくなってしまうソフトの中からオススメのものを教えてください!」という企画をやったり、私へのオススメのものでなくても「ネット上での評価が高かったゲーム」を買って遊んだり、ブログのコメント欄でオススメされたゲームを買って遊んだりして。

 どうしてこんな「ちっとも面白くないゲーム」を俺にオススメorネット上で絶賛しやがったんだ……?と怒りに震えたことは一度や二度や三度や四度も五度も六度も七度でも済みません。むしろ八割くらいはそんなカンジです。全盛期のイチローですら四割に届かなかったのに、その倍くらいの打率で「ちっとも面白くないゲーム」ばかり打ててしまうのです。


 もちろん「グヘヘヘ……やまなしを困らせるために敢えて面白くないゲームをオススメしてやるぞ!」とわざと面白くないゲームをオススメしている人は……1人もいないと信じています、多分、きっと、おそらく、それなりに。
 オススメしてくれる人&ネット上で絶賛している人は、本当に心から「このゲームは超面白いから間違いなくみんなも楽しんでくれるはずだー!」と確信を持っていて、なのにそれが私には「ちっとも面白くない」―――つまり、その人にとっての「面白い」と、私にとっての「面白い」がちがうんです。


 じゃあ、なんでその人が「面白い」と楽しめるものが、私には「ちっとも面白くない」と楽しめないのか……今まであーだこーだと理由を考えてきました。「3Dアクションゲームだからダメなんじゃないか」とか「ステルスゲームだからダメなんじゃないか」とか「プレイ時間が長くなるゲームだからダメなんじゃないか」とか、いろいろな記事を書いてきましたけど。

 答えはきっともっとシンプルなんですよ。


 ネット上でゲームを熱く語るような人は、大抵「難しいゲーム」が大好きだけど。
 私はそんな中でも異端で、「難しいゲーム」が大嫌いなんです――――





 恐らくこれを読んだ大多数のゲーム好きは、「難しいゲームが嫌いだなんて甘え。みんなそこから努力して何度も何度もコンティニューしてクリアできるようになって好きになっていくんだ。すぐに諦めるようなヤツはゲーム好きを名乗るな」と憤っているんじゃないかと思います。だからホント、この記事を書くのは勇気が必要だったんですけど……

 「諦める」ワケじゃないんですよ。
 「努力」もするんですよ。
 「何度も何度もコンティニュー」もするんですよ。
 そんでもって「クリア」もするんですよ。

 その上で「ちっとも面白くない」んですよ。



 どうも、私はみんなより「がんばってがんばってがんばって何かを成し遂げて得られる達成感」による快楽が弱いみたいで、難しいゲームを何十回とコンティニューしてやっとの思いでクリアしても「やった!これでもう二度とこのゲームをやらなくて済む!」という解放感しか感じないんですね。私にとって「難しいゲームをクリアすること」は、おしっこを限界まで我慢してギリギリの状態でトイレに駆け込むようなカンジなんです。じゃあ、おしっこで良くない?お金かからないし。



 「難しいゲーム」って、「からい料理」に似ていると思うんですね。
 「からい料理」もがんばれば食べられます。でも、自分の好み以上の「からい料理」は美味しくはありません。「美味しい」とか「美味しくない」とかのレベルじゃなくて、「からい」もしくは「つらい」としか思えないんです。

 でも、頼んじゃったからには食べるしかないじゃないですか。作ってくれた人に申し訳ないし、料理を食べずに捨てるのはものすごく悪いことだと思いますから。がんばってがんばって食べきるじゃないですか(もちろん限界を超えた「からい料理」はギブアップしますが)。
 そうすると、「からい料理」が大好きな人は「それが食べられたってことは、次はこれを食べてみなよ!」と「もっとからい料理」を薦めてきたりするのです。だって、「からい料理」が大好きな人は「からければからいほど美味しい!」と思っているから。でも、「からい料理」を食べ終えた私の率直な感想は「やった!これでもう二度とこのからい料理を食べなくて済むぞ!」なのです。「もっとからい料理」を薦められても困るのです。



 「難しいゲーム」も一緒だと思うんです。
 「難しいゲーム」もがんばればクリアできます。でも、自分の好み以上の「難しいゲーム」は面白くはありません。「面白い」とか「面白くない」とかのレベルじゃなくて、「難しい」もしくは「つらい」としか思えないんです。

 でも、買っちゃったからにはクリア目指して遊ぶしかないじゃないですか。作ってくれた人に申し訳ないし、ゲームを遊ばずに積むのはものすごく悪いことだと思いますから。がんばってがんばってクリアするじゃないですか(もちろん限界を超えた「難しいゲーム」はギブアップしますが)。
 そうすると、「難しいゲーム」が大好きな人は「それがクリアできたってことは、次はこれを遊んでみなよ!」と「もっと難しいゲーム」を薦めてきたりするのです。だって、「難しいゲーム」が大好きな人は「難しければ難しいほど面白い!」と思っているから。でも、「難しいゲーム」をクリアした私の率直な感想は「やった!これでもう二度とこの難しいゲームを遊ばなくて済むぞ!」なのです。「もっと難しいゲーム」を薦められても困るのです。





 もちろんもちろん、この話は「からい料理」や「難しいゲーム」がダメだという話じゃないですし、「からい料理が好きな人」や「難しいゲームが好きな人」が悪いという話じゃないですよ。人それぞれ好みがちがう、「からい料理」や「難しいゲーム」を好きな人がいるのだからその商品にはそれだけで価値があると思います。
 そんな中、私は「からい料理」や「難しいゲーム」が好きではないというだけの話なのです。アナタが好きなものを、私が好きではないとしても、それは決してアナタを全否定しているワケではないのですよ。


 「じゃあ、わざわざそんなことを書く必要はないだろう。この記事は、からい料理が好きな人や難しいゲームが好きな人を不快にさせるだけの記事だ」と思われるかも知れません。だからホント、私もこの記事を書くべきか悩んで……実は2ヶ月前から「書こう!」「いや、やっぱやめよう……」「書こう!」「いや、やっぱやめよう……」「書こう!」「いや、やっぱやめよう……」と3回ボツにしたくらいなのですが。

 今まで「難しいゲームが嫌い」としっかり文章化してこなかったからこそ、良かれと思って「○○、超面白いから遊んでみてくださいよー」とクソ難しいゲームを薦めてくる人が後を絶たないのですよ!


 ここでまた文章化することを断念したら、これからもずっとクソ難しいゲームを薦められ続けるのですよ!
 そして、「ちっとも面白くない……」と素直な感想を書いて、「俺が薦めたゲームを楽しめないなんて許せない!」と怒られて、また炎上するのですよ!「こんなに面白いゲームを楽しめないなんてコイツは人格に問題があるにちがいない!」とかまた言われるんですよ!

 単に、俺は「難しいゲームが嫌い」なだけなんだよおぽおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!


 だから、1回書いておかなければと思ったのです。
 別に同意してほしいワケではないですし、私は私が多数派だとも思いません。ネット上でゲームを熱く語るような人の中では、私は異端なんだろうと思います。

 だからこそ書いておかなければならないのです。
 今までは「ブログでゲームについて熱く語っているくらいなんだから、この人は難しいゲームが大好きなんだろうな」と思われて、クソ難しいゲームを薦められてきたんだと思うんですね。名前は出しませんけど、そうしてネット上で絶賛されている「みんなが大好きなゲーム」を私が「何が面白いかサッパリ分からん」と酷評して炎上してきたアレやコレやも、理由はシンプルに「私は難しいゲームが嫌いだから」で全部説明がつくんですよ。


 逆に言えば、私は自分で「難しいゲームが嫌い」ということを自覚していなかったので、そうしたゲームを買って、クリアまで遊んで、その上で「何が面白いかサッパリ分からん」と言って炎上して、お金と時間と人望をドブに捨ててきたのです。
 例えば私、子どもの頃に親から「野菜嫌いな子ども」と思われていて、自分でもそう思っていたんですね。でも、実際は親が野菜を出すときに必ずかけていたマヨネーズが嫌いなだけだったんです。大人になってそれに気づいてからは、ドレッシングをかけて野菜を食べるようになりました。

 「嫌いなもの」が自分で分かれば、「嫌いじゃないもの」も分かるのです。
 だから、敢えて文章化しておくのです。「私は難しいゲームが嫌い」なだけだったのです。




◇ 余談
 ここから先は言い訳めいた蛇足なので、カットしても良かったのですが……一応書いておきます。「難しいゲームが嫌い」と言われたら、「じゃあ“難しい”って何だ?」と言いたくなる人も多いと思うので。


 まず、「難しいゲームが嫌い」と私が言おうものなら「じゃあゲームが嫌いなんですね」と誤解する人がいるかも知れません。「難しいゲーム」が大好きな人は「ゲームとは難しくあるべきだ」という価値観で生きていますから、「難しいゲームが嫌い」=「全てのゲームが嫌い」くらいに受け取るかも知れません。

 だから、言っておきます。
 世の中には「難しくない楽しいゲーム」もあるんですよ!


 というかですね……これ、ずっと前から疑問だったことで。
 私は「私は難しいゲームが嫌いだ」と気付いてようやく合点がいったのですが。

 ネット上でゲームのレビューとかを読むと「簡単すぎてつまらない」とか「難易度が低いので☆マイナス2つです」とか書かれていることがあるじゃないですか。私、アレがよく分からなかったんですね。私のゲーム人生において、ゲームに対して「簡単すぎてつまらない」と思ったことなんてただの一度もないんですもの。

 つまりですね。
 「難しいゲーム」が大好きな人は、「簡単なゲーム」というだけでマイナス評価を下すし。
 私は「難しいゲーム」が大嫌いなので、「簡単なゲーム」というのはプラス評価ですし、むしろ「難しいゲーム」というだけでマイナス評価になるのです。

 「難しいゲームが好きな人」も「難しいゲームが嫌いな人」もいる―――と考えると、いろんなことに納得がいきますし。インターネット上にゲームのレビューを書く人の多くは大抵「難しいゲームが好きな人」なので、ネット上の評判を参考にゲームを買っても私が楽しめないワケです。



 一つのゲームの中にも「簡単な場面」も「難しい場面」もあるじゃないですか。ほとんどのゲームは「序盤は簡単」で、「中盤あたりに難しくなってきて」、「終盤は激ムズ」だったりするじゃないですか。私は「序盤は簡単」の部分を遊ぶのが一番楽しいんですね。だから、どんなゲームも最初はみんな楽しいんです。そして、「中盤あたりに難しくなってきて」アレ?と思い始めて、「終盤は激ムズ」となるとうんざりしながらプレイしているという。

 今日の記事――――「私は難しいゲームが嫌いなんです」とだけ書くと共感してくれる人はあまりいないかも知れませんが、「ゲームの序盤は楽しいんだけど、終盤になるとつらくなってきて投げちゃうことがよくある」と書くと共感してくれる人は結構いるんじゃないかと思うんですね。
 私の場合、そこで投げ出さずに根性で何十回とコンティニューしてでもクリアするから、「こんなつらいゲームを作ったヤツと俺に薦めたヤツは誰だああああああああ!」と無駄に怒りを貯めこんじゃうんですけど(笑)。


 ブログにゲームレビューを書くのをやめた理由も実はここにあって……
 ゲームを始めたばかりに書く「ファーストインプレッションの記事」は「序盤は簡単」のあたりしか遊んでいないからニコニコ書けるんですよ。でも、ゲームをクリアした上で書く「ゲームレビューの記事」は「終盤は激ムズ」を血反吐にまみれながらなんとかクリアした状態で書くワケですから、ゲームへの恨みと怨念と呪いの言葉しか出てこないんですね。





 そんでもって、最後にこういう「根底を覆すこと」を書くのもアレなんですけど……
 そもそもゲームに対して「難しい……」とウンザリする時、本当に私達が思っていることは「難しい」なのか?という問題もあるんですね。

 私の大好きな任天堂の前社長:岩田聡さんの話で、「料理店でお客さんが“多い”と不満を言ったとしても、本当の問題は“まずい”だったりする」といったような話があるのですが――――お客さん(ゲームの場合はプレイヤー=私達)自身ですら、自分の持つ不満点を分かっていないことがあると思うのです。

 極端な話、触っているだけで超面白いゲームだったら、そのゲームが難しくて100回とか200回とかコンティニューさせられたとしても「ずっと遊んでいられる!」となると思うんですね。100回とか200回とかコンティニューしていることにウンザリしているというのは、そのゲームは「難しい」だけじゃなくて「つまんない」んですよ。


 例えば、ですね……
 冒頭で書いた「ゼルダやスペランカーをクリアできたくせにゲームが下手な人とか名乗るんじゃない!」という話があるじゃないですか。私がゲーム実況しながらクリアした『ゼルダの伝説』も『スペランカー』も『ロマンシング サ・ガ』も『サイレントデバッガーズ』も『リンクの冒険』も『俺の屍を越えてゆけ』も決して簡単なゲームじゃないと思いますし、客観的に見れば「難しいゲーム」にカテゴライズしてもイイと思うのですが。

 ゲーム実況しながら配信で遊んでいると、「みんなでワイワイ言いながら遊んでいる」というだけで楽しいので何十回とコンティニューする羽目になってもそれはそれで楽しいんですね。こう言っちゃうとアレなんですけど、「おいしい展開だ」というか「配信が盛り上がってきたぞ!」くらいの気持ちなので。



 だから、これらのゲームはプレイしていて「難しい…」とあまり思いませんでした。……まぁ、ゲームオーバーになった直後は「難しいー!」と唸っていたとは思いますが(笑)、ゲーム実況をしているとコンティニューすることはそれほど苦じゃないので、あまりウンザリしなかったんですね。

 ゲームを楽しめていれば、何十回コンティニューしていても「難しい…」とウンザリはしないんです。

 もし、それらのゲームを一人でプレイしていたら……何十回もコンティニューすることにうんざりして「ちっとも面白くない!」となっていたと思いますし、実際『ゼルダの伝説』と『サイレントデバッガーズ』はそれで積んでいましたからね。



 ということで、今日の記事タイトルを私は“ようやく分かりました、「私は難しいゲームが嫌い」なんです”としましたけど、正確には“ようやく分かりました、「私はつまんないゲームが嫌い」なんです”なんです。そりゃそうだろって話ですが(笑)。


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