
※以前にリクエストされて描いたシーラ様のイラスト、描いていて良かった
※ この記事は2017年に旧ブログに書かれたものを幾つか手直しして2025年に移行した記事です
※ この記事はテレビアニメ『聖戦士ダンバイン』中盤くらいまでのザックリとしたネタバレを含みます。閲覧にはご注意下さい。
大まかなストーリーは『スパロボ』でプレイしていて知っていたし、アニメ自体も昔CSで飛び飛びに観たことがあったのだけど、Amazonプライムビデオで全話見放題になっているので今回初めて全話通して観終わりました。(※ 2017年当時は。2025年現在は見放題対象外になっています)
観終わっていると思います、多分………
この記事を書き始めている日曜日の昼の時点では、まだラスト5話が残っていますが。
この記事をきっかけに興味を持ってくれて「私も見放題サイトで観てみよう!」と考えてくれる人が現れることを願っているので、後半のストーリー展開については触れないようにしますが。中盤くらいまでのざっくりとしたストーリーには触れないワケにいかないので、今日の記事は「私も観てみよう!」と思った時点で読むのを中断した方がイイと思います。
私は数あるロボットアニメの中でも、1~2番目くらいに『聖戦士ダンバイン』が大好きですし。「ストーリーを何も知らない状態で観られたらもっともっと面白かったんだろうなぁ」と思わずにはいられませんでしたから。
◇ このアニメはどういう位置づけのアニメなのか?
ここの項目は、あまりネタバレはありません。
まず最初に『聖戦士ダンバイン』というアニメを御存じない人に説明をしますと……この作品は『機動戦士ガンダム』の監督である富野由悠季さんが、『機動戦士Ζガンダム』を作るまでの間に作ったテレビアニメです。つまり、『ガンダム』と『Zガンダム』のちょうど中間ポイントにあたる作品なんですね。
この前後の時期に富野さんが原作&監督・総監督をされたアニメを並べてみましょう。
・1977年10月~1978年3月『無敵超人ザンボット3』
・1978年6月~1979年3月『無敵鋼人ダイターン3』
・1979年4月~1980年1月『機動戦士ガンダム』
・1980年5月~1981年1月『伝説巨神イデオン』
※ 1981年3月、7月、1982年3月『機動戦士ガンダム』劇場版3部作
・1982年2月~1983年1月『戦闘メカ ザブングル』
※ 1982年7月『THE IDEON』劇場版2部作
・1983年2月~1984年1月『聖戦士ダンバイン』
※ 1983年7月『ザブングル グラフィティ』
・1984年2月~1985年2月『重戦機エルガイム』
・1985年3月~1986年2月『機動戦士Ζガンダム』
・1986年3月~1987年1月『機動戦士ガンダムΖΖ』
※ 1988年3月『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』
※ 1991年3月『機動戦士ガンダムF91』
・1993年4月~1994年3月『機動戦士Vガンダム』
働きすぎでは……
この内、私が観たことがあるのは『ザンボット3』の途中まで(Amazonプライム対象外になってしまって途中で視聴中断)、『ガンダム』と『イデオン』のテレビ版・劇場版、今回の『ダンバイン』、『エルガイム』、『Zガンダム』、『ガンダムZZ』、『逆襲のシャア』、『F91』、『Vガンダム』です。
ストーリーや世界設定は「ガンダムシリーズ」以外は特につながっていないのですが、作品のスタイルにはつながっている部分も多く、『ザンボット3』から受け継がれているもの、『ガンダム』『イデオン』から受け継がれているもの、逆に『ガンダム』『イデオン』から大きく変わって『ダンバイン』から『Zガンダム』に受け継がれているものが数多くあります。
昔「ガンダムシリーズ」だけを順番に観ていた頃、『ガンダム』から『Zガンダム』の変化に随分と驚いたことがあります。「全然ちがう作風になっちゃったなぁ……」と。しかし、それは「ガンダムシリーズ」しか観ていなかったからそう思ってしまっただけで、実際にはその間に『イデオン』があって『ザブングル』があって『ダンバイン』があって『エルガイム』があるワケですよ。
特に『ダンバイン』という作品は、『ガンダム』や『イデオン』とはちがう新しいことに数多く取り組んでいて、言ってしまえば『ダンバイン』でやろうとしたことを「ガンダムの続編」でもやろうとしたのが『Zガンダム』だと思うんですね。ここから『Zガンダム』に受け継がれたものが数多くあって、『Zガンダム』単体で観たときには「なんでこんなことをやろうとしたんだろう」と思ったところが『ダンバイン』を観て「これがやりたかったのか……!」と分かったりもしました。
『Zガンダム』のファンには是非『ダンバイン』も観て欲しいですし、逆に『Zガンダム』を楽しめなかった人やこれから『Zガンダム』を観ようという人にも『ダンバイン』を観ると『Zガンダム』をより楽しめるようになると教えてあげたいですね。
2017年に「そうなのか!ちょうど今から『Zガンダム』を観ようと思ってたんだよ!」という人がどれだけいるのかって話ですけど(笑)。
◇ 描かれる人間模様が「味方」から「敵」へ
※ この記事はテレビアニメ『聖戦士ダンバイン』中盤くらいまでのザックリとしたネタバレを含みます。閲覧にはご注意下さい。
大まかなストーリーは『スパロボ』でプレイしていて知っていたし、アニメ自体も昔CSで飛び飛びに観たことがあったのだけど、Amazonプライムビデオで全話見放題になっているので今回初めて全話通して観終わりました。(※ 2017年当時は。2025年現在は見放題対象外になっています)
観終わっていると思います、多分………
この記事を書き始めている日曜日の昼の時点では、まだラスト5話が残っていますが。
この記事をきっかけに興味を持ってくれて「私も見放題サイトで観てみよう!」と考えてくれる人が現れることを願っているので、後半のストーリー展開については触れないようにしますが。中盤くらいまでのざっくりとしたストーリーには触れないワケにいかないので、今日の記事は「私も観てみよう!」と思った時点で読むのを中断した方がイイと思います。
私は数あるロボットアニメの中でも、1~2番目くらいに『聖戦士ダンバイン』が大好きですし。「ストーリーを何も知らない状態で観られたらもっともっと面白かったんだろうなぁ」と思わずにはいられませんでしたから。
◇ このアニメはどういう位置づけのアニメなのか?
ここの項目は、あまりネタバレはありません。
まず最初に『聖戦士ダンバイン』というアニメを御存じない人に説明をしますと……この作品は『機動戦士ガンダム』の監督である富野由悠季さんが、『機動戦士Ζガンダム』を作るまでの間に作ったテレビアニメです。つまり、『ガンダム』と『Zガンダム』のちょうど中間ポイントにあたる作品なんですね。
この前後の時期に富野さんが原作&監督・総監督をされたアニメを並べてみましょう。
・1977年10月~1978年3月『無敵超人ザンボット3』
・1978年6月~1979年3月『無敵鋼人ダイターン3』
・1979年4月~1980年1月『機動戦士ガンダム』
・1980年5月~1981年1月『伝説巨神イデオン』
※ 1981年3月、7月、1982年3月『機動戦士ガンダム』劇場版3部作
・1982年2月~1983年1月『戦闘メカ ザブングル』
※ 1982年7月『THE IDEON』劇場版2部作
・1983年2月~1984年1月『聖戦士ダンバイン』
※ 1983年7月『ザブングル グラフィティ』
・1984年2月~1985年2月『重戦機エルガイム』
・1985年3月~1986年2月『機動戦士Ζガンダム』
・1986年3月~1987年1月『機動戦士ガンダムΖΖ』
※ 1988年3月『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』
※ 1991年3月『機動戦士ガンダムF91』
・1993年4月~1994年3月『機動戦士Vガンダム』
働きすぎでは……
この内、私が観たことがあるのは『ザンボット3』の途中まで(Amazonプライム対象外になってしまって途中で視聴中断)、『ガンダム』と『イデオン』のテレビ版・劇場版、今回の『ダンバイン』、『エルガイム』、『Zガンダム』、『ガンダムZZ』、『逆襲のシャア』、『F91』、『Vガンダム』です。
ストーリーや世界設定は「ガンダムシリーズ」以外は特につながっていないのですが、作品のスタイルにはつながっている部分も多く、『ザンボット3』から受け継がれているもの、『ガンダム』『イデオン』から受け継がれているもの、逆に『ガンダム』『イデオン』から大きく変わって『ダンバイン』から『Zガンダム』に受け継がれているものが数多くあります。
昔「ガンダムシリーズ」だけを順番に観ていた頃、『ガンダム』から『Zガンダム』の変化に随分と驚いたことがあります。「全然ちがう作風になっちゃったなぁ……」と。しかし、それは「ガンダムシリーズ」しか観ていなかったからそう思ってしまっただけで、実際にはその間に『イデオン』があって『ザブングル』があって『ダンバイン』があって『エルガイム』があるワケですよ。
特に『ダンバイン』という作品は、『ガンダム』や『イデオン』とはちがう新しいことに数多く取り組んでいて、言ってしまえば『ダンバイン』でやろうとしたことを「ガンダムの続編」でもやろうとしたのが『Zガンダム』だと思うんですね。ここから『Zガンダム』に受け継がれたものが数多くあって、『Zガンダム』単体で観たときには「なんでこんなことをやろうとしたんだろう」と思ったところが『ダンバイン』を観て「これがやりたかったのか……!」と分かったりもしました。
『Zガンダム』のファンには是非『ダンバイン』も観て欲しいですし、逆に『Zガンダム』を楽しめなかった人やこれから『Zガンダム』を観ようという人にも『ダンバイン』を観ると『Zガンダム』をより楽しめるようになると教えてあげたいですね。
2017年に「そうなのか!ちょうど今から『Zガンダム』を観ようと思ってたんだよ!」という人がどれだけいるのかって話ですけど(笑)。
◇ 描かれる人間模様が「味方」から「敵」へ
ここの項目は中盤までの結構なネタバレがあります。
『聖戦士ダンバイン』の序盤のストーリーというか、設定を説明すると……
現代の東京で暮らしていた「ショウ・ザマ(座間祥)」が、ある日突然バイストンウェルという異世界に召喚されます。バイストンウェルのアの国の一領主であるドレイク・ルフトは、地上人(我々みたいな人のことね)を何人も召喚してオーラマシーンという兵器を作らせ、それに乗って戦う「聖戦士」を集めていたのです。
トッドやトカマクと共に地上から召喚されたショウは、しばらくの間ドレイクの元で「聖戦士」をやっていたのだけど、ドレイクと敵対するニー・ギブンを慕うマーベルやチャムと出会って少しずつ考えが変わっていきます。そして、最終的にドレイク軍から与えられたダンバインとともに脱走して、ニー達と合流、ドレイク軍と戦うことになる――――
ということで、この作品。
『聖戦士ダンバイン』の序盤のストーリーというか、設定を説明すると……
現代の東京で暮らしていた「ショウ・ザマ(座間祥)」が、ある日突然バイストンウェルという異世界に召喚されます。バイストンウェルのアの国の一領主であるドレイク・ルフトは、地上人(我々みたいな人のことね)を何人も召喚してオーラマシーンという兵器を作らせ、それに乗って戦う「聖戦士」を集めていたのです。
トッドやトカマクと共に地上から召喚されたショウは、しばらくの間ドレイクの元で「聖戦士」をやっていたのだけど、ドレイクと敵対するニー・ギブンを慕うマーベルやチャムと出会って少しずつ考えが変わっていきます。そして、最終的にドレイク軍から与えられたダンバインとともに脱走して、ニー達と合流、ドレイク軍と戦うことになる――――
ということで、この作品。
「敵陣営」から話が始まるんですよ。
そのため、主人公達が戦っていく「敵」が第1話から惜しげもなく登場します。もちろん最初は「味方」として出てくるんですけど。
ドレイクはもちろん、戦闘隊長であるバーン・バニングス、ショウとともに地上から召喚されたトッド・ギネス、一足早く地上から召喚されてオーラマシーンを作ったショット・ウェポン……その他、ガラリアやリムルやルーザといったキャラが序盤から登場していて、御丁寧にビショットやミュージィなんかも序盤からチラッと出ているんですね。
私もたくさんの漫画・アニメを観ている方だと思うのですが、「敵陣営から話が始まる作品」ってあまり思いつきません。
何も知らない視聴者からすると「味方だと思ったキャラが敵になっちゃう」んですから、どこに感情移入してイイのか分からなくなる危険性があるからなんですかね。「このトッドというキャラかっこいい!私はこのトッド推すことにするわ!」「私はバーンがタイプだわ!」とみんなの推しキャラが決まったタイミングで、それらのキャラが全員敵になるワケですからね(笑)。
しかし、逆に言うと……「敵キャラ」も「味方キャラ」と同じくらい視聴者に愛着を抱かせるし、時間をかけて描ける手法だとも思うんですね。特にバーン、トッド、ショットの3人は「裏主人公」と言いたくなるほどに、「主人公とはちがう道筋を進んだキャラクター」としてガッツリ描かれます。
○ バーン・バニングス

<画像は『聖戦士ダンバイン』第1話より引用>
ドレイク軍の戦闘隊長で、ショウやトッドといった地上から召喚された「聖戦士」の直属の上司でした。また、ドレイクからは娘であるリムルとの結婚をにおわせるような「餌」をまかれていて、言ってしまえばドレイクの後継者の位置に最も近い存在のキャラです。最初は、ね……
しかし、ショウがドレイク軍を裏切り、トッドはそのショウに撃たれ、自らオーラバトラーに乗って出撃しても場数も踏んでいないからかショウには敵わず、戦闘隊長としても作戦が失敗続きで……笑いものになって、失脚していきます。その彼が後半――――というのは、実際にアニメを見てもらうとして。
つまり、このキャラは「主人公に負け続けるライバルポジションのキャラがどうなっていくのか」を描いたキャラなんですね。
ロボットアニメは主人公がロボットに乗って戦って、毎週活躍する姿を描くものです。その姿を描くためには「倒す敵」が毎週必要なのですが、「倒される敵」の側にも当然ストーリーがあるワケで―――富野アニメでは「主人公に倒され続けてどんどん落ちぶれていくライバルキャラ」をじっくり描くことが結構あります。『機動戦士ガンダム』のシャア・アズナブル、『伝説巨神イデオン』のギジェ・ザラル、『機動戦士Zガンダム』のジェリド・メサなどなど。
正直シャアは「もっとみすぼらしく落ちぶれさせた方がストーリーが引き立ったんじゃないか」と思いますし、ギジェはなかなか理想的な落ちぶれキャラですが終盤の扱いが残念で、ジェリドはもはやギャグ。
バーン・バニングスはその辺のバランスがとても良くて……シャア・アズナブルでやりたかったけどシャアがカッコ良すぎて上手く描けなかった部分を理想的に描けたのがバーンだと思いますし、それを受け継いだジェリド・メサは調子に乗ってやりすぎてしまったというカンジ(笑)。
私の中での『Zガンダム』は「ジェリドをもっとしっかり描けていれば大傑作になったんじゃないか」とずっと不満だったんですけど、それが『ダンバイン』なんですね。「主人公に倒され続けてどんどん落ちぶれていくライバルキャラ」が「裏主人公」のように機能した作品なんです。だから私、この作品の中でバーン・バニングスはかなり上位で好きなキャラです。一番好きなのはシーラ様ですけど。
○ トッド・ギネス

<画像は『聖戦士ダンバイン』第1話より引用>
ショウとともに地上から召喚された「聖戦士」の一人。
浅薄な男ではあるのだけど、明るくて裏表のない性格で、言うなれば最初は「主人公の戦友」ポジションなんですよね。本当だったら主人公と衝突しつつも信頼し合える良いパートナーになれたかも知れない、『ザンボット3』における宇宙太とか、『ガンダム』におけるカイ・シデンみたいなキャラになったかも知れないんです。
が、先に述べたようにショウはドレイク軍を裏切ってニー・ギブンの元へ行き、トッドとは敵同士になります。トッドは功績をあげられない焦りと、ショウへの劣等感から、ダンバインに挑んで敗れ、戦死――――したと思ったら、謎の女の看病によって生きていて、「オマエのせいで地獄を見たんだ!」と復讐心を抱えて戦場に戻ってきます。そこから先は、実際にアニメを見てもらうとして。
役回りとしてはバーンと近い気がしなくもないのですが、明るくて人間くさいところが受けたのか、当時から結構な人気キャラだったみたいですね。
そのせいか『スーパーロボット大戦』に出てくるときにはやたら優遇されていて、原作とはちがうストーリーを進む「彼専用とも言えるステージ」があったとか。私は『スパロボF』で『ダンバイン』という作品を知って、その後にアニメを観たので、なるほどあのステージは「原作のif」だったのかと感心しました。
○ ショット・ウェポン

<画像は『聖戦士ダンバイン』第1話より引用>
ショウよりも先にドレイクによって召喚されていた地上人。
オーラバトラーなどの「機械兵器」を作り、それによってドレイクはバイストンウェルの支配をしようとしたのだけれど、ショット自身もドレイクの手駒に留まる気はなく、行く行くはドレイクをも退けて自分が権力のトップに立つ野心を持っていたみたいです。同じ地上人でも技術者として使いまわされていたゼット・ライトとは対照的ですね。
言うまでもなく、『Zガンダム』におけるパプテマス・シロッコの原型のようなキャラです。
自らマシーンを作る天才ながら、単なる技術者に留まらずに権力のトップに立とうとする野心に満ちて、そして横に女をはべらせてソイツに戦わせる!これだけで「うわ、イヤな奴だ!」と思わせるのだからすごい。戦場に愛人を連れてきながら戦うのは自分だったランバ・ラルを見習え!
一応、ショットは「ドレイク」「ビショット」と並ぶ巨悪の象徴のように言われていましたが、『ダンバイン』はドレイクの存在感がすごすぎてショットは敵キャラとしては地味だったかなぁ……と思いますね。ミュージィに戦わせてばっかだったのも「アイツ、自分じゃ何も出来ねえくせに」と思わせたというか。
パプテマス・シロッコはその反省からなのか、自分でもモビルスーツに乗って戦うし、はべらせる女が2人に増えたし、底知れない悪役として見事に描かれていたと思います。ただ、キャラとしての魅力はともかく、『ダンバイン』という作品の中でのショットの役回りは上手く機能していたと思いますし、個人的にはこっちの方が好み。
とまぁ……こんなカンジで『ダンバイン』は「敵勢力」を描くのにものすごく時間を割いている作品なんですね。この3人のほかにも、もちろんドレイク、ルーザ、ビショットと言った大物や、ガラリアやゼット、ミュージィ、アレン、フェイ、ジェリルといった敵キャラの人生がしっかり描かれますし。
様々な勢力の思惑が交錯する群像劇となっているのです。
対照的に、味方陣営の描写は淡泊で―――味方キャラの数も、ショウ、マーベル、ニー、キーン、チャムの5人がメインで、ここの衝突も序盤でショウとニーがぶつかったくらいで、『機動戦士ガンダム』のホワイトベースや『伝説巨神イデオン』のソロシップが内部のギスギスした関係を延々と描いていたのとは随分と変わったと思うんですね。
時間をかけて描くものが「味方」から「敵」に変わっていて、これは『Zガンダム』以降のロボットアニメにも影響を与えているんじゃないかと思います。『Zガンダム』も言ってしまえば、カミーユがティターンズと接触するところから始まるストーリーなので「敵陣営から始まる」と言えなくもないですからね。
◇ 「リアルロボットアニメ」なのか、「スーパーロボットアニメ」なのか
先に述べたように、この作品は「現代」から主人公達が「バイストンウェルという異世界」に召喚されて始まるストーリーです。今で言う「異世界転移モノ」ですね。
「この作品が異世界転移モノの原典だ!」なんて言うつもりはなくて、古くは『不思議の国のアリス』とか『オズの魔法使い』とかだってそうですよね。「現代」に生きる主人公が、ある日突然「おとぎばなしみたいな世界」に迷い込んでしまう作品は19世紀の頃から存在していました。
んで、この「おとぎばなしみたいな世界」なんですが……
今の私達がイメージする『Re:ゼロから始める異世界生活』とか『ナイツ&マジック』みたいな異世界とはちょっと違うんですね。決定的に違うのは、『ダンバイン』の世界には“魔法”がないんです。妖精(フェラリオ)はいるし、妖精は召喚術のようなものを使ったり、エレ様は霊力がどうのこうのなんて言いますが、魔法使いは登場しません。
この辺はリアルタイムを経験した人でないと分からないのですが、恐らく当時はまだ(少なくとも日本では)「ファンタジー=剣と魔法の世界」という認識は薄かったんじゃないかと思います。『ダンバイン』が1983年、『ゼルダの伝説』や『ドラゴンクエスト』の1作目が1986年ですからね。『ダンバイン』が対抗したのは、当時漫画が連載中だった『風の谷のナウシカ』と言われていて、『ナウシカ』にも超能力と思わせる描写はありますが“魔法”とは呼ばれていませんからね。
ということで、『ダンバイン』の舞台となるバイストンウェルは、妖精が出てくることを除けば封建制あたりのヨーロッパに近い世界なんですね。その世界に突然「空飛ぶ機械兵器」が持ち込まれていった。だから、多分……ノリとしては『戦国自衛隊』とかに近いんじゃないかなぁと思います。

そのため、主人公達が戦っていく「敵」が第1話から惜しげもなく登場します。もちろん最初は「味方」として出てくるんですけど。
ドレイクはもちろん、戦闘隊長であるバーン・バニングス、ショウとともに地上から召喚されたトッド・ギネス、一足早く地上から召喚されてオーラマシーンを作ったショット・ウェポン……その他、ガラリアやリムルやルーザといったキャラが序盤から登場していて、御丁寧にビショットやミュージィなんかも序盤からチラッと出ているんですね。
私もたくさんの漫画・アニメを観ている方だと思うのですが、「敵陣営から話が始まる作品」ってあまり思いつきません。
何も知らない視聴者からすると「味方だと思ったキャラが敵になっちゃう」んですから、どこに感情移入してイイのか分からなくなる危険性があるからなんですかね。「このトッドというキャラかっこいい!私はこのトッド推すことにするわ!」「私はバーンがタイプだわ!」とみんなの推しキャラが決まったタイミングで、それらのキャラが全員敵になるワケですからね(笑)。
しかし、逆に言うと……「敵キャラ」も「味方キャラ」と同じくらい視聴者に愛着を抱かせるし、時間をかけて描ける手法だとも思うんですね。特にバーン、トッド、ショットの3人は「裏主人公」と言いたくなるほどに、「主人公とはちがう道筋を進んだキャラクター」としてガッツリ描かれます。
○ バーン・バニングス

<画像は『聖戦士ダンバイン』第1話より引用>
ドレイク軍の戦闘隊長で、ショウやトッドといった地上から召喚された「聖戦士」の直属の上司でした。また、ドレイクからは娘であるリムルとの結婚をにおわせるような「餌」をまかれていて、言ってしまえばドレイクの後継者の位置に最も近い存在のキャラです。最初は、ね……
しかし、ショウがドレイク軍を裏切り、トッドはそのショウに撃たれ、自らオーラバトラーに乗って出撃しても場数も踏んでいないからかショウには敵わず、戦闘隊長としても作戦が失敗続きで……笑いものになって、失脚していきます。その彼が後半――――というのは、実際にアニメを見てもらうとして。
つまり、このキャラは「主人公に負け続けるライバルポジションのキャラがどうなっていくのか」を描いたキャラなんですね。
ロボットアニメは主人公がロボットに乗って戦って、毎週活躍する姿を描くものです。その姿を描くためには「倒す敵」が毎週必要なのですが、「倒される敵」の側にも当然ストーリーがあるワケで―――富野アニメでは「主人公に倒され続けてどんどん落ちぶれていくライバルキャラ」をじっくり描くことが結構あります。『機動戦士ガンダム』のシャア・アズナブル、『伝説巨神イデオン』のギジェ・ザラル、『機動戦士Zガンダム』のジェリド・メサなどなど。
正直シャアは「もっとみすぼらしく落ちぶれさせた方がストーリーが引き立ったんじゃないか」と思いますし、ギジェはなかなか理想的な落ちぶれキャラですが終盤の扱いが残念で、ジェリドはもはやギャグ。
バーン・バニングスはその辺のバランスがとても良くて……シャア・アズナブルでやりたかったけどシャアがカッコ良すぎて上手く描けなかった部分を理想的に描けたのがバーンだと思いますし、それを受け継いだジェリド・メサは調子に乗ってやりすぎてしまったというカンジ(笑)。
私の中での『Zガンダム』は「ジェリドをもっとしっかり描けていれば大傑作になったんじゃないか」とずっと不満だったんですけど、それが『ダンバイン』なんですね。「主人公に倒され続けてどんどん落ちぶれていくライバルキャラ」が「裏主人公」のように機能した作品なんです。だから私、この作品の中でバーン・バニングスはかなり上位で好きなキャラです。一番好きなのはシーラ様ですけど。
○ トッド・ギネス

<画像は『聖戦士ダンバイン』第1話より引用>
ショウとともに地上から召喚された「聖戦士」の一人。
浅薄な男ではあるのだけど、明るくて裏表のない性格で、言うなれば最初は「主人公の戦友」ポジションなんですよね。本当だったら主人公と衝突しつつも信頼し合える良いパートナーになれたかも知れない、『ザンボット3』における宇宙太とか、『ガンダム』におけるカイ・シデンみたいなキャラになったかも知れないんです。
が、先に述べたようにショウはドレイク軍を裏切ってニー・ギブンの元へ行き、トッドとは敵同士になります。トッドは功績をあげられない焦りと、ショウへの劣等感から、ダンバインに挑んで敗れ、戦死――――したと思ったら、謎の女の看病によって生きていて、「オマエのせいで地獄を見たんだ!」と復讐心を抱えて戦場に戻ってきます。そこから先は、実際にアニメを見てもらうとして。
役回りとしてはバーンと近い気がしなくもないのですが、明るくて人間くさいところが受けたのか、当時から結構な人気キャラだったみたいですね。
そのせいか『スーパーロボット大戦』に出てくるときにはやたら優遇されていて、原作とはちがうストーリーを進む「彼専用とも言えるステージ」があったとか。私は『スパロボF』で『ダンバイン』という作品を知って、その後にアニメを観たので、なるほどあのステージは「原作のif」だったのかと感心しました。
○ ショット・ウェポン

<画像は『聖戦士ダンバイン』第1話より引用>
ショウよりも先にドレイクによって召喚されていた地上人。
オーラバトラーなどの「機械兵器」を作り、それによってドレイクはバイストンウェルの支配をしようとしたのだけれど、ショット自身もドレイクの手駒に留まる気はなく、行く行くはドレイクをも退けて自分が権力のトップに立つ野心を持っていたみたいです。同じ地上人でも技術者として使いまわされていたゼット・ライトとは対照的ですね。
言うまでもなく、『Zガンダム』におけるパプテマス・シロッコの原型のようなキャラです。
自らマシーンを作る天才ながら、単なる技術者に留まらずに権力のトップに立とうとする野心に満ちて、そして横に女をはべらせてソイツに戦わせる!これだけで「うわ、イヤな奴だ!」と思わせるのだからすごい。戦場に愛人を連れてきながら戦うのは自分だったランバ・ラルを見習え!
一応、ショットは「ドレイク」「ビショット」と並ぶ巨悪の象徴のように言われていましたが、『ダンバイン』はドレイクの存在感がすごすぎてショットは敵キャラとしては地味だったかなぁ……と思いますね。ミュージィに戦わせてばっかだったのも「アイツ、自分じゃ何も出来ねえくせに」と思わせたというか。
パプテマス・シロッコはその反省からなのか、自分でもモビルスーツに乗って戦うし、はべらせる女が2人に増えたし、底知れない悪役として見事に描かれていたと思います。ただ、キャラとしての魅力はともかく、『ダンバイン』という作品の中でのショットの役回りは上手く機能していたと思いますし、個人的にはこっちの方が好み。
とまぁ……こんなカンジで『ダンバイン』は「敵勢力」を描くのにものすごく時間を割いている作品なんですね。この3人のほかにも、もちろんドレイク、ルーザ、ビショットと言った大物や、ガラリアやゼット、ミュージィ、アレン、フェイ、ジェリルといった敵キャラの人生がしっかり描かれますし。
様々な勢力の思惑が交錯する群像劇となっているのです。
対照的に、味方陣営の描写は淡泊で―――味方キャラの数も、ショウ、マーベル、ニー、キーン、チャムの5人がメインで、ここの衝突も序盤でショウとニーがぶつかったくらいで、『機動戦士ガンダム』のホワイトベースや『伝説巨神イデオン』のソロシップが内部のギスギスした関係を延々と描いていたのとは随分と変わったと思うんですね。
時間をかけて描くものが「味方」から「敵」に変わっていて、これは『Zガンダム』以降のロボットアニメにも影響を与えているんじゃないかと思います。『Zガンダム』も言ってしまえば、カミーユがティターンズと接触するところから始まるストーリーなので「敵陣営から始まる」と言えなくもないですからね。
◇ 「リアルロボットアニメ」なのか、「スーパーロボットアニメ」なのか
先に述べたように、この作品は「現代」から主人公達が「バイストンウェルという異世界」に召喚されて始まるストーリーです。今で言う「異世界転移モノ」ですね。
「この作品が異世界転移モノの原典だ!」なんて言うつもりはなくて、古くは『不思議の国のアリス』とか『オズの魔法使い』とかだってそうですよね。「現代」に生きる主人公が、ある日突然「おとぎばなしみたいな世界」に迷い込んでしまう作品は19世紀の頃から存在していました。
んで、この「おとぎばなしみたいな世界」なんですが……
今の私達がイメージする『Re:ゼロから始める異世界生活』とか『ナイツ&マジック』みたいな異世界とはちょっと違うんですね。決定的に違うのは、『ダンバイン』の世界には“魔法”がないんです。妖精(フェラリオ)はいるし、妖精は召喚術のようなものを使ったり、エレ様は霊力がどうのこうのなんて言いますが、魔法使いは登場しません。
この辺はリアルタイムを経験した人でないと分からないのですが、恐らく当時はまだ(少なくとも日本では)「ファンタジー=剣と魔法の世界」という認識は薄かったんじゃないかと思います。『ダンバイン』が1983年、『ゼルダの伝説』や『ドラゴンクエスト』の1作目が1986年ですからね。『ダンバイン』が対抗したのは、当時漫画が連載中だった『風の谷のナウシカ』と言われていて、『ナウシカ』にも超能力と思わせる描写はありますが“魔法”とは呼ばれていませんからね。
ということで、『ダンバイン』の舞台となるバイストンウェルは、妖精が出てくることを除けば封建制あたりのヨーロッパに近い世界なんですね。その世界に突然「空飛ぶ機械兵器」が持ち込まれていった。だから、多分……ノリとしては『戦国自衛隊』とかに近いんじゃないかなぁと思います。


<画像は『聖戦士ダンバイン』第14話より引用>
私がすごい好きなのはここなんですよ!
「空飛ぶオーラバトラー」を、「投石機」で倒そうとする!
「リアル」な世界に、ロボットアニメという「非リアル」なものがやってきたら……というのがすごく面白いのです。この他にも「空中を飛べるオーラシップに騎馬隊を乗せて、敵城の前に下して素早く攻撃」とか、この時代にオーラバトラーやオーラシップがやってきたらこういう作戦を考えるよなーというのがカバーされているのです。
また、封建制の一領主に過ぎないドレイク・ルフトが(なので、ドレイクは王様ではなくお館様と呼ばれる)、国を乗っ取り、他国を侵略してバイストンウェルを支配していこうする姿が描かれていたり。その資金を得るために、ショットが作ったオーラマシーンの技術を他領や他国に売りこんでいったり。
ロボットアニメでありながら「政治」や「経済」の流れが描かれているのも、後の『Zガンダム』なんかに通じる要素だと思われます。
オーラバトラーがスーパーヒーローなんかじゃなくて単なる一兵器だというのも、これ以前の『ガンダム』『マクロス』からつながるリアル系ロボットアニメの系譜と言えるのかも知れません。
が、『聖戦士ダンバイン』には「オーラ力(ちから)」があります。
以前どこかで「安彦良和は“理屈で説明できないもの”を嫌い、富野由悠季は“理屈で説明できないもの”を好む」という文章を見かけて「分かるわー」と思ったことがあるのですが、富野アニメって「リアル系ロボットアニメの祖」みたいに言われる一方で“理屈で説明できないもの”が最終的には鍵になるんですね。
『機動戦士ガンダム』における“ニュータイプ”という力だったり、『伝説巨神イデオン』における“イデの力”だったり、この『聖戦士ダンバイン』における“オーラ力”だったり、『ブレンパワード』における“オーガニックエナジー”だったり。

<画像は『聖戦士ダンバイン』第16話より引用>
『聖戦士ダンバイン』における“オーラ力”は、『ガンダム』シリーズの“ニュータイプ”にも近いところがあって……戦っている敵が誰なのかを察したり、これから起こることを予知したり、テレパシーみたいなことを起こしたりもするのですが。(“ニュータイプ”にもそういう要素がなかったワケではないのですが)“オーラ力”は、本人にも制御しきれないし、本人にも何が起こるのか分からないのです。
例えば、敵との決戦中にお互いの“オーラ力”が高まりすぎて、二人とも全然ちがう場所にワープしてしまう―――みたいなこともあるのです。言ってしまえば、一人一人が“イデの力”のような得体の知れないものを持っていて、それを戦争の道具として使うことの危惧と「しかし、使わなければ世界が征服されてしまう」という葛藤があるのです。
「ガンダムシリーズ」なんかも“理屈で説明できるもの”だけで出来ていると考えると、『Zガンダム』や『ガンダムZZ』のラストを「なんでいきなりこんなオカルトみたいな展開になるのか分からない」と言ってしまう人もいるんですけど。“ニュータイプ”にしろ“オーラ力”にしろ、人間にはそういう得体の知れない力が備わっていて、それが救いにもなるし恐怖にもなると描いているのが富野アニメだと思うんですね。
それを作品全体として描くことに成功したのが『聖戦士ダンバイン』という作品だと思っていて。
これと同じようなことをやろうとして、でも「ガンダムシリーズ」という枷ゆえに徹底してはできなかったのが『機動戦士Zガンダム』という作品なのだと私は思います。「なんでいきなりこんなオカルトみたいな展開になるのか分からない」と言われてしまったのが、その象徴だなぁと。
なので、私は「ガンダムシリーズ」以上にこの『聖戦士ダンバイン』が大好きなんです。
【この記事がよく分かる三行まとめ】
・主人公と戦う「敵」の生き様を描いた群像劇
・「リアルな世界」に「架空のロボットや戦艦」がやってきたら、というifが楽しめる
・得体の知れない“オーラ力”によってもたらされる戦争の果てにあるものとは…
私がすごい好きなのはここなんですよ!
「空飛ぶオーラバトラー」を、「投石機」で倒そうとする!
「リアル」な世界に、ロボットアニメという「非リアル」なものがやってきたら……というのがすごく面白いのです。この他にも「空中を飛べるオーラシップに騎馬隊を乗せて、敵城の前に下して素早く攻撃」とか、この時代にオーラバトラーやオーラシップがやってきたらこういう作戦を考えるよなーというのがカバーされているのです。
また、封建制の一領主に過ぎないドレイク・ルフトが(なので、ドレイクは王様ではなくお館様と呼ばれる)、国を乗っ取り、他国を侵略してバイストンウェルを支配していこうする姿が描かれていたり。その資金を得るために、ショットが作ったオーラマシーンの技術を他領や他国に売りこんでいったり。
ロボットアニメでありながら「政治」や「経済」の流れが描かれているのも、後の『Zガンダム』なんかに通じる要素だと思われます。
オーラバトラーがスーパーヒーローなんかじゃなくて単なる一兵器だというのも、これ以前の『ガンダム』『マクロス』からつながるリアル系ロボットアニメの系譜と言えるのかも知れません。
が、『聖戦士ダンバイン』には「オーラ力(ちから)」があります。
以前どこかで「安彦良和は“理屈で説明できないもの”を嫌い、富野由悠季は“理屈で説明できないもの”を好む」という文章を見かけて「分かるわー」と思ったことがあるのですが、富野アニメって「リアル系ロボットアニメの祖」みたいに言われる一方で“理屈で説明できないもの”が最終的には鍵になるんですね。
『機動戦士ガンダム』における“ニュータイプ”という力だったり、『伝説巨神イデオン』における“イデの力”だったり、この『聖戦士ダンバイン』における“オーラ力”だったり、『ブレンパワード』における“オーガニックエナジー”だったり。

<画像は『聖戦士ダンバイン』第16話より引用>
『聖戦士ダンバイン』における“オーラ力”は、『ガンダム』シリーズの“ニュータイプ”にも近いところがあって……戦っている敵が誰なのかを察したり、これから起こることを予知したり、テレパシーみたいなことを起こしたりもするのですが。(“ニュータイプ”にもそういう要素がなかったワケではないのですが)“オーラ力”は、本人にも制御しきれないし、本人にも何が起こるのか分からないのです。
例えば、敵との決戦中にお互いの“オーラ力”が高まりすぎて、二人とも全然ちがう場所にワープしてしまう―――みたいなこともあるのです。言ってしまえば、一人一人が“イデの力”のような得体の知れないものを持っていて、それを戦争の道具として使うことの危惧と「しかし、使わなければ世界が征服されてしまう」という葛藤があるのです。
「ガンダムシリーズ」なんかも“理屈で説明できるもの”だけで出来ていると考えると、『Zガンダム』や『ガンダムZZ』のラストを「なんでいきなりこんなオカルトみたいな展開になるのか分からない」と言ってしまう人もいるんですけど。“ニュータイプ”にしろ“オーラ力”にしろ、人間にはそういう得体の知れない力が備わっていて、それが救いにもなるし恐怖にもなると描いているのが富野アニメだと思うんですね。
それを作品全体として描くことに成功したのが『聖戦士ダンバイン』という作品だと思っていて。
これと同じようなことをやろうとして、でも「ガンダムシリーズ」という枷ゆえに徹底してはできなかったのが『機動戦士Zガンダム』という作品なのだと私は思います。「なんでいきなりこんなオカルトみたいな展開になるのか分からない」と言われてしまったのが、その象徴だなぁと。
なので、私は「ガンダムシリーズ」以上にこの『聖戦士ダンバイン』が大好きなんです。
【この記事がよく分かる三行まとめ】
・主人公と戦う「敵」の生き様を描いた群像劇
・「リアルな世界」に「架空のロボットや戦艦」がやってきたら、というifが楽しめる
・得体の知れない“オーラ力”によってもたらされる戦争の果てにあるものとは…
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