※ この記事は2017年に旧ブログに書かれたものを幾つか手直しして2025年に移行した記事です

一つの「男女カップル」が好きな人にも、「1.男キャラの目線で女キャラを見る」のが好きな人と、「2.女キャラの目線で男キャラを見る」のが好きな人と、「3.第三者視点で男女カップルを見る」のが好きな人の三通りがあって――――「1」と「2」の場合は「出来ることなら自分がそのキャラになりたい!」と思うこともあると。
元のツイートの人は女性だったため、「女オタクはみんな「2」だと思われがちだけど「3」な人もいるんだよ」という主張でした。ふむふむ、分かる分かる……と思って読んでいたのですが、それに対するリアクションで「いやいや!ちょっと待てよ!」と言いたくなるものがありました。
それは――――
「男オタクは大抵「1」だから、女オタクもみんな「2」だと勘違いしちゃうんですよねー」というもの。
いやいやいやいやいやいや!
男オタクでも、「3」の人は結構いるでしょう!?
私は「私が男日本代表でございます」なんて言うつもりはないですけど、少なくとも私はほぼ「3」ですよ!「男オタクは大抵1」なんて言説を初めて聞いたくらいですよ!むしろ、今回初めて「1という人がいる」ことを認識してようやく合点がいったところがあったくらいですよ!
9年前に『ヒロインは誰のもの?』という記事を書きました。
『ai sp@ce』という、『CLANNAD』『SHUFFLE!』『D.C.II』といった美少女ゲームのキャラをMMO上に表現した『Second Life』のようなゲーム―――についての話だったのですが、登場する作品に時代を感じますね(笑)。
そちらの記事は移行するつもりがないので簡単に要約すると、『CLANNAD』のヒロインと共同生活を送れるMMOが始まったことに対して、「俺達は主人公と結ばれるヒロインを観ていたかったんであって、俺達自身がヒロインと結ばれたかったワケじゃないんだ」と書いていました。
まさに今日の話に通じる話で、ゲームを企画した人からすれば「男オタクは大抵「1.男キャラの目線で女キャラを見るのが好きな人」でしょ?」と思って企画されたのでしょうが、私や元の記事を書いた人は「3.第三者視点で主人公とヒロインのカップルを見るのが好きだった」んだよ!と思ったのです。
私は逆に「1」の視点がなかったので、今日まで「なんでこんな企画を通したんだ?」と思っていたのですが、今回の話で初めて「1な考えの人からすると夢のようなゲームだったのか」と思ったのです。9年越しの疑問解決。そのMMOは2011年に終わってしまったし、紹介している記事のブログもほぼ閉鎖してしまっていますが……
話を戻すと、この「1の人」なのか「3の人」なのか問題―――
「1の人に向けた作品」と「3の人に向けた作品」はちがうという問題にもなります。
私が今季観ているアニメ作品で言えば、冒頭でイラストを描いた『エロマンガ先生』、『月がきれい』、『サクラダリセット』、『アリスと蔵六』はこの中に加えるとちょっと倫理的に問題がありそうな気がしますが(笑)、あとは2期を観ている『進撃の巨人』なんかもそうなんですけど……私は「男主人公」と「ヒロイン」のイチャイチャ具合が好きで観ているところがあります。
まさに「3.第三者視点で男女カップルを見る」感覚なので、「マサムネになりたい」とか「小太郎になりたい」とか「ケイになりたい」とか「蔵六になりたい」とか「エレンになりたい」と思って観ているワケではありませんし。どの作品を好きになるかの判断材料に、「ヒロイン」だけじゃなくて「男主人公」がちゃんと魅力的なキャラなのかどうかが大きく関わってくるのです。
「同じ男として格好イイと思うか」とか、「好感が持てるか」とか、「応援したくなるか」とか……どこに魅力を感じるのかはキャラによりけりですが、「男主人公」を魅力的に思えてこそ「男主人公とヒロインのイチャイチャ具合が好き」になれるのです(※1)。
(※1:分かりやすくするために「男主人公」に限定して語っていますが、「女主人公」が「男キャラ」とイチャイチャするのが好きな作品もしっかり両方のキャラを魅力的に思えるかが重要ですし、自分にとっては主人公が男だろうが女だろうがどっちでもイイです)
しかし、「1.男キャラの目線で女キャラを見る」感覚の人からすると、男主人公のキャラはそんなに立っていなくても構わないんじゃないかと思うんですね。どちらかというと「感情移入しやすいキャラ」である方が良くて、没個性的で、平均的で、誰もが「これが自分だ」と思える最大公約数的なキャラが好まれるんじゃないかと思います。
ハーレムものとかで「誰が本命かをハッキリしないで全ヒロインにいい顔をしている男主人公」とかも、「3」の私からすると「誰が好きかハッキリさせないと他のヒロインが可哀想だろ!」と思ってしまって好きではないのですが、「1」の人からすると本命が誰かをハッキリされちゃうと「これは自分ではない」と感情移入できなくなってしまうのかなーと思うんですね。
この切り口、色んな謎を解決させる突破口になるような……
「俺TUEEEEEEE」問題も、「1」の人からすると「こんなに強いと主人公に感情移入できない」と思っちゃうけど、「3」の人からすると「主人公、強くて格好イイ!」と特に不満ではない―――とか。
「百合に男が混じるのは許せない」問題も、「1」の人からすると「自分の目線になるキャラが欲しい」ということで、「3」の人からすると「百合カップルをイチャイチャ眺めているだけで何故満足できないんだ!」と理解不能―――とか。
「ドラクエはロールプレイだけどFFはロールプレイじゃないよ」問題も、「1」の人からすると「主人公が自分だと思えるか」が重要だけど、「3」の人からすると「主人公もキャラが立っていた方がイイよ」―――とか。
私は基本的に「3」の人間なんで、『ドラクエ』も『ゼルダ』も、『どうぶつの森』とかでも「主人公は自分だ」と思えたことがないんです。「リンクになってゼルダ姫とイチャイチャするぞ!」じゃなくて、「リンクとゼルダ姫がイチャイチャしているのを画面越しで眺めるぞ!」ってカンジです。
だから、長年の疑問だった……ゲームで主人公の性別を自由に選べるときに、私が男でありながら「女主人公」を選択するとドン引きされたり「女のコになりたい願望があるんですね」とか言われたりするのは何故かというのも、これで説明できますね。
「1」の人からすると「自分=主人公」だから、どうしてわざわざ自分とちがう性別にするのか理解できないんでしょう。「本当は女のコになりたいんだな」みたいな素っ頓狂な推理をしてしまうのです。
でも、「3」な私からすると「自分=神の視点」なので、主人公はあくまでキャラクターの一人でしかないのです。だから、自分とは全然ちがう「きよはら」とか「デストラーデ」とか「G.G.さとう」みたいな名前を付けたりもするし、マンガのキャラの名前を付けたりもするし、『どうぶつの森』とかで主人公を女のコにすることにも全然抵抗がないのですよ。
ですが、言われてみれば「1の人に向けた作品」とか「1の人に向けた配慮をしている作品」ってたくさんあって。
そう言えば、『ウルトラマン』にも『ガンダム』にも「主人公」とは別の「主人公にあこがれる子ども」がレギュラーキャラにいて、それは「子ども視聴者」が「これが自分だ」と置き換えて観られるようにそういうキャラを入れているという話を聞いたことがあります。
そう言えば男友達に「女が主人公の漫画は読む気にならない」と言われたことがありましたし、『舞-乙HiME』のコミカライズの時に脚本の吉野さんが「少年漫画は読者に近い男主人公にしなければならないのだけど原作のアニメは女のコばっかしの作品なのでどうしようか悩んだ。だから、発想を逆転させて男のキャラを女装させることにした」と書いていたのを思い出しました。
『けいおん!』は登場人物のほぼすべてが女性キャラなのだけど、これだと「1」の人からすると「自分の目線となるキャラがどこにもいない」という問題が起こるので。『ごちうさ』は男性目線のキャラが入っているんですね。それは「うさぎになってしまったおじいちゃん」という(笑)。
可愛いものしか存在してはならない世界に、俺達目線のキャラを入れるために、おじいちゃんをうさぎにする―――というのは、少年漫画で女のコだらけの作品を描くために、原作で女のコだったキャラを「女装している男のコ」に変えるくらいの逆転の発想だと思います。
みなさんはどうですか?
「1」「2」「3」のどれに当てはまりますか?
◇ 余談中の余談
とまぁ……ここまで敢えて「1の人」「3の人」といったカンジに、人それぞれちがうみたいに書いてきたのですが。実際には同じ人間でも「この作品は1」「この作品は3」とか、「このジャンルは1」「このジャンルは3」と、何を対象にするかで自分の目線も変わると思うんですね。
例えば「普通の一人称小説は1」だけど「主人公のキャラが立ってるライトノベルは3」みたいな。
記事の序盤で私は“少なくとも私はほぼ「3」”と書いたのですが、“ほぼ”と書いたからには例外もあって―――私、エロは「1」なんですね。エロ漫画でも(not エロマンガ先生)、エロビデオでも、エロ小説でも、エロ同人ゲームでも、「これが自分だ!」と思える投影先が欲しいのです。だから、男側は無個性でイイし、いっそのこと『名探偵コナン』の犯人みたいに全身黒タイツで構いません。
逆に、男側がイケメンだと「これは自分じゃない!」と思えてしまいます。
アレですね。「俺TUEEEEEE」作品を「こんなに強いと主人公に感情移入できない」と批判する人と一緒ですね。今度から「俺TUEEEEEE」作品が批判された時は、「分かる分かる。俺もエロビデオで男優がイケメンだと萎えるもん」と言うことにしましょう。しましょう?
男が複数いると、「自分はどれだ?」となってしまうので好きではないです。
前にゲーム実況をしている際に「やまなしさんは触手モノは好きじゃないんですか?」と訊かれたのですが(どんな生放送だよ)、昔はエロも「3」だったので好きだったのですが、ある瞬間からエロは「1」になったので、ダメになっちゃいました。触手ってほら、いっぱい生えてるじゃないですか。「どの触手が俺だ!?」ってなっちゃうんですよ。
「百合」も実はそうで、エロ目当てでなければ「3」なのでエロ目当てではない百合漫画は「第三者目線で女のコと女のコがイチャイチャしている」だけで満足なのですが、エロ目当てだと「1」になるのでエロ目当てで観るレズもののAVとかだと「俺がいない!」となって苦手なことに最近気づきました。
さっきもチラッと書いた「百合に混じりたいとか言う男は死刑」という話がよくTwitterで上がりますけど、あれも「1の人」と「3の人」の意識の差なんですよ。「1の人」からすると“自分を投影させる男キャラ”が欲しいだけなのに、「3の人」にはそれの意味が分からないという。
んで、この話でややこしいのが……「3」で楽しんでいたものが「1」になるケースです。
具体的に言うと……非エロのアニメで楽しんでいたものを、二次創作でエロ同人誌が描かれたら楽しめるのかという問題です。昔このブログでも盛り上がった「好きなキャラ」と「エロ同人誌を読みたいキャラ」は別という話ですね。
例えば、私は『エロマンガ先生』の紗霧ちゃんが世界で一番かわいいと思うのですが、私が好きなのは「マサムネとイチャイチャしている紗霧ちゃん」なのです。
でも、仮に誰かが「マサムネと紗霧ちゃんがセックスするエロ同人誌」を描いたとして、それを私が読みたいかというと「そこに俺はいない」から楽しめないし。仮に誰かが「マサムネではない全身黒タイツの男に紗霧ちゃんが凌辱されるエロ同人誌」を描いたとしたら、それを私が読みたいかというと「俺が観たいのはマサムネとイチャイチャしている紗霧ちゃんなんだよ!」となってしまうのです。
難しいですね。
でも、私は「私が好きな男女カップル」以外のキャラのエロなら何の問題もなく受け入れられるので、山田エルフ先生とか智恵とかめぐみんが全身黒タイツの男に凌辱されるエロ同人誌なら是非読みたいです。出来上がったらご連絡ください。
私は基本的に「3」の人間なんで、『ドラクエ』も『ゼルダ』も、『どうぶつの森』とかでも「主人公は自分だ」と思えたことがないんです。「リンクになってゼルダ姫とイチャイチャするぞ!」じゃなくて、「リンクとゼルダ姫がイチャイチャしているのを画面越しで眺めるぞ!」ってカンジです。
だから、長年の疑問だった……ゲームで主人公の性別を自由に選べるときに、私が男でありながら「女主人公」を選択するとドン引きされたり「女のコになりたい願望があるんですね」とか言われたりするのは何故かというのも、これで説明できますね。
「1」の人からすると「自分=主人公」だから、どうしてわざわざ自分とちがう性別にするのか理解できないんでしょう。「本当は女のコになりたいんだな」みたいな素っ頓狂な推理をしてしまうのです。
でも、「3」な私からすると「自分=神の視点」なので、主人公はあくまでキャラクターの一人でしかないのです。だから、自分とは全然ちがう「きよはら」とか「デストラーデ」とか「G.G.さとう」みたいな名前を付けたりもするし、マンガのキャラの名前を付けたりもするし、『どうぶつの森』とかで主人公を女のコにすることにも全然抵抗がないのですよ。
ですが、言われてみれば「1の人に向けた作品」とか「1の人に向けた配慮をしている作品」ってたくさんあって。
そう言えば、『ウルトラマン』にも『ガンダム』にも「主人公」とは別の「主人公にあこがれる子ども」がレギュラーキャラにいて、それは「子ども視聴者」が「これが自分だ」と置き換えて観られるようにそういうキャラを入れているという話を聞いたことがあります。
そう言えば男友達に「女が主人公の漫画は読む気にならない」と言われたことがありましたし、『舞-乙HiME』のコミカライズの時に脚本の吉野さんが「少年漫画は読者に近い男主人公にしなければならないのだけど原作のアニメは女のコばっかしの作品なのでどうしようか悩んだ。だから、発想を逆転させて男のキャラを女装させることにした」と書いていたのを思い出しました。
『けいおん!』は登場人物のほぼすべてが女性キャラなのだけど、これだと「1」の人からすると「自分の目線となるキャラがどこにもいない」という問題が起こるので。『ごちうさ』は男性目線のキャラが入っているんですね。それは「うさぎになってしまったおじいちゃん」という(笑)。
可愛いものしか存在してはならない世界に、俺達目線のキャラを入れるために、おじいちゃんをうさぎにする―――というのは、少年漫画で女のコだらけの作品を描くために、原作で女のコだったキャラを「女装している男のコ」に変えるくらいの逆転の発想だと思います。
みなさんはどうですか?
「1」「2」「3」のどれに当てはまりますか?
◇ 余談中の余談
とまぁ……ここまで敢えて「1の人」「3の人」といったカンジに、人それぞれちがうみたいに書いてきたのですが。実際には同じ人間でも「この作品は1」「この作品は3」とか、「このジャンルは1」「このジャンルは3」と、何を対象にするかで自分の目線も変わると思うんですね。
例えば「普通の一人称小説は1」だけど「主人公のキャラが立ってるライトノベルは3」みたいな。
記事の序盤で私は“少なくとも私はほぼ「3」”と書いたのですが、“ほぼ”と書いたからには例外もあって―――私、エロは「1」なんですね。エロ漫画でも(not エロマンガ先生)、エロビデオでも、エロ小説でも、エロ同人ゲームでも、「これが自分だ!」と思える投影先が欲しいのです。だから、男側は無個性でイイし、いっそのこと『名探偵コナン』の犯人みたいに全身黒タイツで構いません。
逆に、男側がイケメンだと「これは自分じゃない!」と思えてしまいます。
アレですね。「俺TUEEEEEE」作品を「こんなに強いと主人公に感情移入できない」と批判する人と一緒ですね。今度から「俺TUEEEEEE」作品が批判された時は、「分かる分かる。俺もエロビデオで男優がイケメンだと萎えるもん」と言うことにしましょう。しましょう?
男が複数いると、「自分はどれだ?」となってしまうので好きではないです。
前にゲーム実況をしている際に「やまなしさんは触手モノは好きじゃないんですか?」と訊かれたのですが(どんな生放送だよ)、昔はエロも「3」だったので好きだったのですが、ある瞬間からエロは「1」になったので、ダメになっちゃいました。触手ってほら、いっぱい生えてるじゃないですか。「どの触手が俺だ!?」ってなっちゃうんですよ。
「百合」も実はそうで、エロ目当てでなければ「3」なのでエロ目当てではない百合漫画は「第三者目線で女のコと女のコがイチャイチャしている」だけで満足なのですが、エロ目当てだと「1」になるのでエロ目当てで観るレズもののAVとかだと「俺がいない!」となって苦手なことに最近気づきました。
さっきもチラッと書いた「百合に混じりたいとか言う男は死刑」という話がよくTwitterで上がりますけど、あれも「1の人」と「3の人」の意識の差なんですよ。「1の人」からすると“自分を投影させる男キャラ”が欲しいだけなのに、「3の人」にはそれの意味が分からないという。
んで、この話でややこしいのが……「3」で楽しんでいたものが「1」になるケースです。
具体的に言うと……非エロのアニメで楽しんでいたものを、二次創作でエロ同人誌が描かれたら楽しめるのかという問題です。昔このブログでも盛り上がった「好きなキャラ」と「エロ同人誌を読みたいキャラ」は別という話ですね。
例えば、私は『エロマンガ先生』の紗霧ちゃんが世界で一番かわいいと思うのですが、私が好きなのは「マサムネとイチャイチャしている紗霧ちゃん」なのです。
でも、仮に誰かが「マサムネと紗霧ちゃんがセックスするエロ同人誌」を描いたとして、それを私が読みたいかというと「そこに俺はいない」から楽しめないし。仮に誰かが「マサムネではない全身黒タイツの男に紗霧ちゃんが凌辱されるエロ同人誌」を描いたとしたら、それを私が読みたいかというと「俺が観たいのはマサムネとイチャイチャしている紗霧ちゃんなんだよ!」となってしまうのです。
難しいですね。
でも、私は「私が好きな男女カップル」以外のキャラのエロなら何の問題もなく受け入れられるので、山田エルフ先生とか智恵とかめぐみんが全身黒タイツの男に凌辱されるエロ同人誌なら是非読みたいです。出来上がったらご連絡ください。
コメント
コメントを投稿