子どもに見せたいのは「人が死なない話」なのか

※ この記事は2014年に旧ブログに書かれたものを幾つか手直しして2025年に移行した記事です


 なるべくネタバレにならないように頑張って書きます。

 富野由悠季監督の久々の新作『ガンダム Gのレコンギスタ』について、「監督が子どもに見せたい作品と言っていた割には重い話じゃねえか!」と色んな人が言っているのを見かけました。
 確かに、『Gのレコンギスタ』は重い話だと思います。登場人物は、名前のあるキャラでも容赦なく死んでいきます。遺された人が死んでしまった人を想って泣くシーンや、殺してしまったことを咎められるシーンもあります。『キングゲイナー』のような明るい話を期待していた人が面食らったとしても、それは仕方ないと思います。

 ただ、私は疑問なのです。
 だからって「子どもに見せたい作品」と言うのがおかしいかな?と。


 そもそも、監督の想定する「子ども」というのが何歳くらいなのかと言うと……一番ターゲットにしている10歳から17、8歳の子どもたちの世代という発言もあるので、小学校5年生~高校生くらいを想定しているのだと思います。そりゃそうですよ。70歳を越えている監督からすれば、18歳なんて「子ども」でしょう。
 恐らくこの時点で、「この作品って本当に子ども向けか?」と言っている人とはズレてるんじゃないかなぁと思います。


 ただ、仮に「小学校低学年に向けて作っている」と言われても、私は納得します。
 『Gのレコンギスタ』に話を限定すると「小学生が観るには話が難解すぎるんじゃないか」という話にシフトされかねませんし、こういう記事を書くと結構な確率で「私の知る限りは“監督が子どもに見せたい作品と言っていた割には重い話じゃねえか!”なんて言っている人はいない。この記事は貴方がでっち上げた“仮想敵”を論破するだけのオナニー記事だ!」みたいなコメントが付くので……

 『Gのレコンギスタ』に限定した話ではなくて……
 一般的な“人が死ぬ話”を、「子どもに見せたい」と考えることはおかしいことなのか――――翻っては、“人が死なない話”を「子どもに見せたい」と考えることが普通なのか―――を語っていきたいです。



 大人が“人が死ぬ話”を観て、「これは好きじゃない」「気が滅入る」と言うのは一つの意見としてあると思います。
 “人が死ぬ話”まで行かなくても、『ハナヤマタ』ですら「登場人物が悩むからシリアスで観るのがつらい」って言っている人がいましたし、『SHIROBAKO』も「アニメでまで仕事のつらさを思い出したくない」って言っている人がいましたし、もう『ごちうさ』しかアニメは観られないって人もたくさんいるのでしょう。それはそれで一つの意見。同意はしませんが納得はします。



 ただね。
 大人が“人が死ぬ話”を観て、「これは子どもには見せてはいけない」って考えるのは―――子どもをバカにした考え方だと思いますよ。



 自分が子どもの頃を思い出しても、“人が死ぬ話”から色んなことを考えましたよ。
 奇しくも、これも富野監督の『ガンダムZZ』の話なんですが……その作品の再放送を小学校1年生くらいの自分は楽しみにしていました。しかし、ネタバレになるのでどのキャラかは書きませんが、当時大好きだったキャラがストーリーの途中で死んでしまうのです。
 ショックだったし、寂しかったし、哀しかったですよ。「人の死」なんてことを現実的に考えてはいませんでしたし、「戦争の悲惨さ」なんて大それたことを理解できていたワケではありませんが……その作品を観たくてテレビを付けても、もうそのキャラは登場しないんだ……という喪失感を、子どもながらに感じていました。

 他のキャラは生きている。笑ったり、泣いたり、戦ったりする。
 未来があるし、成長もする―――でも、私が大好きだったそのキャラは、死んでしまったがために二度と登場しませんでしたし、そのキャラのその後の姿はないのです。それがとても哀しかったです。


 でも、“死”ってそういうものじゃないですか。
 命は、あっさりと死んでしまう。
 決して生き返ることはないし。
 遺された人は、「その人のいない世界」で生き続けなきゃならない。

 それを小学校1年生の自分に理解させるには、親や教師の説教なんかよりも、よっぽどアニメの方が力があったと思いますよ。だから私は、“人が死ぬ話”を「子どもに見せたい」と考えることはちっともおかしいことではないと思います。



 むしろ、私は……
 戦争や殺し合いをやっているはずなのに「登場人物が全く死なない」作品とか、死んだと思ったキャラが「パンパカパーン!実は生きていましたー!」作品とか、死ぬのは悪いヤツだけだから誰も哀しまない作品とかなら「子どもに見せられる」、って意見の方がおかしいと思います。

 大人が「こっちの方が自分は好きだ」と思うのは、『ごちうさ』しかアニメを観られない人がいるくらいなんだから分かります。私もそういう作品の方を欲する時もありました。
 でも、大人が勝手に「こっちの方が子どもに見せるにはイイんじゃないか」と決め付けるのは、子どものことをバカにしているし、命のこともバカにしていると思うのです。


 『Gのレコンギスタ』や、最初の『ガンダム』のような……「兵器を動かせば人を殺してしまうかも知れない」「戦争になればたくさんの人が死ぬ」「大切な人が死んでしまった人はその想いを引きずって生き続けなくちゃならない」「人を殺してしまえばそのことをずっと咎められるんだ」って作品の方が“命”に対して敬意を払っているし、「子どもに見せたい作品」だと私は思います。



 表現規制の話にも通じますけど……
 殺人の惨たらしさを伝えるには“殺人”を描くしかないし、強姦の非道さを伝えるには“強姦”を描くしかないように……命の尊さを伝えるには“失われる命”を描くしかないと思うんです。フィクションにはそれが出来るし、アニメなら子ども達にもそれを伝えられると思うのです。
 逆に言うと、そうしたものを子ども達から遠ざけていれば、いつまで経ってもそれは伝わらないと思います。

 「子どもにはそんなの分かるワケがないよ」と言う人よりも、『Gのレコンギスタ』を「子どもに見せたいアニメ」として作っている富野監督72歳(そろそろ73歳)の方がよっぽどちゃんと子どもと向き合っているんじゃないですかね。


 ちなみに、「人が死ぬ」以外のところが「子どもでも理解できるストーリー」かどうかは知りませんし、そもそも『Gのレコンギスタ』というアニメが(大人にとっても)面白いアニメかどうかというのは、今日の記事には関係ないんでこの記事では語る気はないです。


 それとね……このタイミングで、わざわざこの話を書いたのは……
 「今季のアニメは、重い話ばっかだなー」と思ったというのもあります。
 『Gのレコンギスタ』以上にね……うん、憂鬱になりそうなアニメもあるよな……とも思ったのですが。


 でも、重い話でしか描けない話もありますし、私は色んな方向を向いた作品があるべきだと思っているので、全てのアニメが『ごちうさ』になる必要はないと思うんです。
 自分も漫画描きの端くれとして、“人が死ぬ話”をどう描くべきなのかを真剣に考えておきたかったのです。

コメント