※ この記事は2014年に旧ブログに書かれたものを幾つか手直しして2026年に移行した記事です
そうして「昔クリア出来なかったゲームへのリベンジ」熱が高まったことで、バーチャルコンソールではないのですがリアルタイム時にプレイした時には手も足も出なかったゲームにリベンジしてみることにしたのです。

『メタルギアソリッド』の1作目!
PS3はPS1のソフトが遊べるから助かるぜー!と、攻略サイトを見ながらプレイ開始しました。最初のエレベーターまでもたどり着けませんでした。おかしい……リアルタイム時にプレイした時は基地の入口までは進めた記憶があるんだが……あの頃より更に下手になっているじゃないか……
自分にとって『メタルギアソリッド』というのは“トラウマの代表”みたいなもので、基地の中にすら入れなかったことで、当時「最近のゲームにはもう付いていけないのか……」とか「3Dになってからアクションゲームが苦手になってしまった」とか落ち込んでいました。「どうして自分がこのゲームが苦手なのか」が分からなかったので、「最近のゲーム全般」とか「3Dアクションゲーム全般」が苦手だと勘違いしてしまったのです(※1)。
(※1:後に分かる「3Dアクションゲームが苦手な理由」は「画面の外から攻撃されるのが苦痛」という理由なので、カメラが上部から固定されている『メタルギアソリッド』の1作目が苦手なのはこの理由じゃないんですね)
でも、違ったんです。
あれやこれやとゲームについて語り続けてきた結果、今なら「どうして自分がこのゲームが苦手なのか」の自己分析ができます。「かくれんぼゲーム」というか「ステルスゲーム」というか、「敵から見つからないように進むゲーム」が苦手なだけだったんです。
“苦手”というのは「クリアできない」というだけでなく、「精神的にキツイので頑張る気が起きない」し「クリアしても楽しくない」んです。“自分の肌に合わない”と言うべきか。
これが分かったのが、『ゼルダの伝説 夢幻の砂時計』をプレイしたから。
このゲームには「(基本的には倒せない)敵に見つからないように進まなくてはいけないダンジョン」があって、『メタルギアソリッド』と違って“安全地帯”があって分かりやすかったのでクリアはできたのですが……そこに何度も潜らなければならないのがまぁ私には苦痛で苦痛で。クリアはしましたが、楽しかったとは言えない体験でした。
『ゼルダ』シリーズが大大大大好きで、そのダンジョン以外は楽しんだ自分ですが、そのダンジョンだけがつらくてつらくて仕方なかったので「二度と起動したくない」と思ったほどでした。
この話は別に「ステルスゲームはダメだ」と言いたいワケではありません。
『メタルギア』シリーズも、『夢幻の砂時計』も、人気があることは知っています。
ただ、私が“自分の肌に合わない”というだけなんです。
それはつまり「敵に見つかってはならない」というプレイ中に自分にかかるストレスと、「敵に見つからずに突破してやったぞ」とクリア後に得られるカタルシスのバランスが、自分にとっては悪いというだけなんです。自分の場合はストレスを100くらい感じて、それを乗り越えた時に得られるカタルシスが20くらいなので……クリア出来たところで「プレイ中のストレス」のことしか印象に残らないのです。
「みんなもそうだ」と言う気は全くありません。
ただ「私はそうだ」という話を書いておきたいだけなのです、
1.「敵を全部倒す気持ち良さ」が得られない
「ステルスゲーム」と一言で言っても色んなゲームがあるでしょうから、恐らく普通のアクションゲームのように敵を全滅させつつ進めるゲームもあるんだと思いますし……ひょっとしたら『メタルギアソリッド』1作目も敵を倒しながら進むことができるのかも知れませんが(説明書や攻略サイトやチュートリアルを見てもよく分かりませんでした)。
基本的には「ステルスゲーム」は「敵を倒すゲーム」ではなく「敵に見つからないように進むゲーム」ですよね。つまり、マップ上を徘徊する敵は倒せないし倒さないのが普通のプレイになるんだと思います。それが自分にはキツイのです。
私は「敵」を倒したいのです。
マップ上にわんさかいる敵をチマチマと倒していって、全部倒したーというところにカタルシスを感じるのです。“片付け”欲というか“掃除”欲が充たされるのです。
アクションゲームでもRPGでもシミュレーションゲームでもそう。敵を倒していくことに私は快感を覚えるのです。
「1ミスで死んだ仲間はもう復活できない」というストレスがMAXでかかる『ファイアーエムブレム』シリーズがそれでも好きなのは、敵のユニットを1人ずつ倒していって「このマップの敵は全部倒してやったぜ!」となるのがキモチイイからなんです。
シンボルエンカウントのRPGの場合「倒した敵は画面を切り替えない限りもう出てこない」ゲームは全部倒してから進むのがキモチイイのですが、「無限に敵が湧いてくる」ゲームはあまり好きではありません。
マリオシリーズでファイアーマリオになって嬉しいのは、ノーマルマリオでは倒せないパックンフラワーなどを倒せるようになるからです。「もうこの土管からはフラワーが出ませーーん」となるのがキモチイイのです。
話を「ステルスゲーム」に戻します。
「敵に見つからないように進むゲーム」の場合、「敵を倒していくカタルシス」は得られません。
もちろん「敵に見つからないで進めたーというカタルシス」はあるので、そこが好きな人から強い支持を受けているのでしょうけど……私は「敵を倒したい」と思ってしまうので、どうも「部屋が片付いていないまま先に進んでいる」ようなモヤモヤした感覚に陥ってしまうのです。RPGで言えば「取り逃した宝箱がある」のに強制イベントで先に進んじゃっている、みたいな。
2.「敵に見つかったらアウト」という緊張感に吐きそう
アクションゲームとは、“緊張”を強いるゲームです。
「敵にぶつかったら1機死んでステージの最初から」「穴に落っこちたら1機死んでステージの最初から」―――80年代前半までは、こんな風に1ミスでやり直しというゲームが多かったと思うのですが。
例えば、『スーパーマリオ』はキノコを取ると1回のダメージは大丈夫とか、『グラディウス』はバリアー張れば何発か喰らっても大丈夫とか、『星のカービィ』は常に飛んでいられるとか、多くのアクションゲームが「LIFE制」になるとか。“1ミスでやり直し”という緊張感からは、プレイヤーは次第に解放されていったのだと思います(※2)。
(※2:これはゲームが複雑化していった結果なので、難易度が下がったということではないのですが)
でも、「ステルスゲーム」は「敵に見つかった」らもうアウトなのです。
3回までは見つかっても大丈夫みたいなことはなく、1回でも見つかったら即座に引き返して敵の警戒が解かれるのを待つとか、その階の最初からやり直しとか。1ミスで今までの苦労が水の泡という“緊張感”があって、それが好きな人には溜まらないのは分かるのですが、私はもうその“緊張感”に耐えられなくて吐きそうになってしまうのです。
『メタルギアソリッド』も『夢幻の砂時計』も、敵に見つかった時「大変なことになったぞおおおおお」みたいな警戒音がなるじゃないですか。アレもまた心臓に悪くて……敵に見つかっても見つからなくても吐きそうになってしまいます。
3.「敵に見つからず見事に突破」した御褒美が「敵に見つかるな!」というステージ
これはある意味……「ゲームって全部そうじゃん」って話でもあるんですが。
頑張ってステージをクリアして得られるのは「次のステージに進む権利」なんですよね。『スーパーマリオ』で言えば、1-1をクリアしてもらえる御褒美は「レベルが上がって攻撃力が上がる」とか「エッチな絵が見られる」とかでなくて「1-2が遊べるようになる」だけなんです。
これって「1-1を遊ぶのが楽しかった人」にとっては「やったー!次のステージが遊べるぞーーー!」と思えるのだけど、「1-1を遊ぶのが苦しくて苦しくてやっとの思いでクリアした人」にとっては「まだこの悪夢が続くの……」と思えてしまうのです。
当たり前ですけど、「ステルスゲーム」は「敵に見つからないように進むゲーム」ですから、やっとの思いで「敵に見つからずに突破できた」としてもまた新たな「敵に見つからないように進むステージ」が現れるだけなんです。安息の地はエンディングを迎えるまでは来ません。
「敵に見つからないように進む」のが楽しい人にとっては「やったー!次のステージが遊べるぞーーー!」と思えるのでしょうけど、私にとっては「まだこの悪夢が続くの……」としか思えないのです。
『夢幻の砂時計』の紹介記事を書いた際に、同じ「敵に見つからないように進むダンジョン」に6回も潜らなければならないことを私は批判したのですが……
それが苦痛なのは私が「敵に見つからないように進むダンジョン」が苦痛だったからなだけで、それが楽しい人にとっては「同じダンジョンを6回も楽しめる!入るたびに新しい発見がある!」と思えるものだったのだと思います。少なくとも作り手はそういう認識で作っていたんだろうな、と今なら思います。
だからこれ、1ステージくらいなら何とかなるんですよ……
『神々のトライフォース2』でも1箇所だけ「敵に見つからずに進む」場所があって、そこはホント苦しくて苦しくて吐きそうになりながらクリアしたのですが、それ以後はそういう場所はなかったので「良かった……」と思いました。あれが何箇所も続いていたら「もうゼルダは二度とやらない」と思っていたことでしょう。
「3Dアクションゲームが苦手です」の記事を書いた時も、「アナタが嫌いだというだけで、好きな人もたくさんいるんだからわざわざそんなことを書くんじゃない」と言われました。それも一理あると思います。
この記事でも再三「これは私がそうだというだけで、みんなもそうだということではない」と書いてきましたけど、それでも「ステルスゲーム」を好きな人はこの記事を読んで不快になられたかも知れません。それはもうホント申し訳ないです。
でも、「苦手なんです」と書かなければ「みんなステルスゲームが好きなんでしょ?」と誤解されて、全然そんなジャンルじゃなかった『ゼルダの伝説』シリーズに組み込まれて『夢幻の砂時計』みたいなゲームが出来てしまうじゃないですか。
もちろん『夢幻の砂時計』は『夢幻の砂時計』で人気のあるゲームですし、アレを好きだと言う人を否定する気はありませんけど。みんながみんなアレを好きだとは思わないでくれと書いておかないと、またステルスダンジョンに何回も潜らされることになるかも知れないじゃないですか。それはホント勘弁してもらいたい。
というか、「好きな人はいる」のは確かですから、「入れるな!」とは言いません。
「入れるなら事前に“ステルスダンジョンあるよ”と言ってくれ!」とお願いしたいです。そうすれば私が買わなくて済むから。それくらい私は苦手なんです。吐きそうになってまでゲームを遊びたくないんです。それはもう「遊び」じゃないですもの。
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