
<画像はテレビアニメ『たまこまーけっと』第2話より引用>
※ この記事は2013年に旧ブログに書かれたものを幾つか手直しして2025年に移行した記事です
※ この記事はテレビアニメ『たまこまーけっと』第2話「恋の花咲くバレンタイン」までのネタバレを含みます。閲覧にはご注意下さい。冬アニメも最速地域だと大体2週目が終わって3週目に突入している時期ですね。
アニメクラスタの人達は「どれを残してどれを諦めるか」悩んでいる頃だと思われます。私も「今季は大豊作だ!」と思っているので、3作品(琴浦さん、ちはやふる、たまこまーけっと)は確実に残すけどあと1つを(まおゆう、ささみさん)どちらにするか悩んでいるところです。
さて、今日はそんな冬アニメから『たまこまーけっと』について。
この作品は京都アニメーション作品ということもありますし、『けいおん!』のメインスタッフが再結集して作る完全新作オリジナル作品ということもありますし、良くも悪くも放送前から注目されていた作品だったと思います。
んで、ですね。
自分は直接見たワケじゃなくて、Twitterで「巷では○○という評判らしいけど……」というPOSTを見かけた“伝聞の伝聞”でしかない話なんですけど―――「『たまこまーけっと』に出てくる鳥(デラ・モチマッヅィ)が賛否両論だ」という話を聞いて、自分は「すげー分かる!」と思ったんです。
自分の中にも「このアニメ、鳥がいなければ普通に楽しめたのに」と思う自分と
「このアニメは鳥がいてこその作品だろ!」と思う自分がいますもの。
どっちの気持ちも分かります。
鳥がいなかったらこのアニメ、まんま『けいおん!』なんですよね。
可愛い女のコ達がキャッキャッウフフしてて。
登場人物に悪人がいなくて。
「仲良しってイイよね!」みたいな世界観で。
毎日がキラキラしてて。
「軽音部の部室」が「商店街」に変わっただけで同じことをやっているとも言えるんです。
『たまこまーけっと』に『けいおん!』を期待していた人達は「鳥がいなければ良かったのに」って思いますよ。『けいおん!』に夢中になった日々をもう一度与えて欲しい―――『けいおん!』という作品が幕を閉じて、メインスタッフが再結集して新作アニメを作るって言うなら“『けいおん!』のようなもの”を期待する人がいて当然だと思います。
自分の中にも正直そういう気持ちがあります。『けいおん!』1話を観た時の「これからワクワクする時間が始まるんだ」というあの感覚を、もう1度味わいたいって思う時があって何が悪いんです!
で、同時に―――
敢えて“鳥”を加えたスタッフ達の想いも分からなくはないんです。
『たまこまーけっと』は恐らく“『けいおん!』の先にあるもの”を目指した作品なんです。
『けいおん!』と同じことをする作品には留まりたくない―――わざわざ“鳥”というキャラを配置しているからにはその意志を感じますし、自分も“その先”が見たいとも思うのです。『けいおん!』が大好きだったからこそ、『けいおん!』スタッフにはそこに留まって欲しくないとも思うのです。
だから、「このアニメ、鳥がいなければ普通に楽しめたのに」とも「このアニメは鳥がいてこその作品だろ!」とも思うのです。
○ 『たまこまーけっと』は“誰の視点”の物語か
『けいおん!』というアニメの特徴を言うと、「親不在の物語」だったと言えます。
唯憂姉妹の両親もそうですし、澪の両親も、律っちゃんの両親も、ムギちゃんの両親も、あずにゃんの両親も頑なに登場しませんでした。登場したとしても「声だけ」とか「首から下だけ」とかで、顔が映らないようになっていたのです(1期7話の妄想シーンをコマ送りにすると一瞬だけ横顔が映るんですけどね)。
これ、原作は違うんですよ。
唯憂姉妹の両親の顔は1巻の時点で出ていたし、原作終盤には登場していましたし、『collage』では唯の母親が普通に出てきて「この娘にしてこの親か!」と思わせてくれました。
『けいおん!』のアニメ版は“親の視点”から描かれた物語だったと思うのです。
だから彼女らは可愛い。
悪いことはしないし、悪いこともされない(されてもメイド服を着せられるくらい)。
友達みんな仲良しだし、毎日をキラキラ生きている。
でも、恋愛はしない。
親にとっての「理想の娘達の青春」だったのです。
『たまこまーけっと』は違います。
そりゃ商店街が舞台だからそうなんですけど、親世代のキャラが普通に出てくるのです。
たまこのお父さんも、もち蔵の両親も、普通に出てくるのです。
『けいおん!』と違って、『たまこまーけっと』は“親の視点”で描かれている物語ではないんですね。
『たまこまーけっと』は“男の視点”で描かれている物語だと思われるのです。
いや、もっと言うと……『たまこまーけっと』は“鳥の視点”で描かれている物語だと思うのです。
たまこ達を「異性」として見ている“鳥というキャラの視点”で描かれていると思うのです。
だってみなさん、この“鳥”を御覧なさいな。
・王子の妃を探すために流浪の旅に出ている
・この場所も数ヵ月後には出ていくつもり
・しかし、可愛い娘がどうやら自分に惚れているみたいだからもうちょっと居座ってやる
・いつの間にかブクブク太っていた
何という「俺達」!!
・自分の「嫁」を探して深夜アニメをガンガンチェックしている
・3ヵ月後にはこのアニメのことを忘れて次のアニメに夢中になる予定
・相手の気持ちも無視して「○○は俺の嫁!」とか声高に宣言する
・いつの間にかブクブク太っていた
ほら!“鳥”って「俺達」なんですよ!
こう考えると、この作品の“鳥”が賛否両論なのも分かりますよね。
『けいおん!』って「俺達がいない世界」だったんです。キレイなものばかりで構成されていて、汚くて臭くて汚らわしい男が出てこない世界でした。恋愛もなくセックスもなく、嫉妬も猜疑心もない世界でした。だからあそこは理想郷だったんです。
でも、『たまこまーけっと』の世界には「俺達」が入り込んでしまった。
『けいおん!』と同じような可愛い女のコ達がキャッキャッウフフしてて、登場人物に悪人がいなくて、「仲良しってイイよね!」みたいな世界観で、毎日がキラキラしているあの世界に――――“鳥”が入り込んでしまった。
言ってしまえば、『たまこまーけっと』は“『けいおん!』の世界に「俺達」が入り込んだらどうなってしまうのか?という作品”なんだと思うのです。
で、実際に『たまこまーけっと』で“鳥”が何をやっているかというと―――脱衣所を覗いたり、もち蔵のジャマをしたり。ほら、この辺のショボさも「俺達」っぽい(笑)。
でも、2話で“鳥”がみどりの話を聞いてあげているシーンを見て、スタッフが見据えている“『けいおん!』の先にあるもの”を少しだけ感じたんです。きっとこの世界は『けいおん!』ほどキレイには出来ていない―――恋愛も嫉妬も猜疑心もあるし、女のコをエロイ目で見る男もいる。それでもイイじゃないかと描くために「俺達」があの世界に入り込んだんじゃないかと思ったんです。
きっと、これから先のストーリーは“鳥”とたまこがくっ付くみたいな展開にはならないと思います。だってアイツ“鳥”だし(笑)。
それは、どれだけ「俺達」が「○○は俺の嫁!」と願っても二次元と三次元に隔てられているというどうしようもない現実があるのと同じ話で。
だからこそ、「俺達」の象徴である“鳥”が、あの世界で何をして、あの世界の何を変えるのか―――それを観てみたいと私は思うのです。大好きだった『けいおん!』とは違う世界になる寂しさはあるけれど、それでも私は“『けいおん!』の先にあるもの”を観たいとも思うのです。
○ 余談
という御託はさておき。
第2話の冒頭で、たまこが妹の寝顔を見て「あんこ姫」と言ったところで私はこのアニメは神アニメであると判定しました。
そうです!
お姉ちゃんにとって妹とは「お姫様」なんです!
姉妹がイチャイチャしているのはサイコーだーー!!
長々と語ってきたことが全部台無しになった気もする。
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