
<画像は漫画『HUNTER×HUNTER』3巻23話より引用>
ブログを始めてからこの手の話は書いていなかったので、この機会に書いておきます。
1巻から30巻までを一気に読んで、改めて「自分がどうして『ハンター×ハンター』という漫画が好きか」を考えるに、やっぱりそれはこの漫画が“群像劇”だからなんです。
「群像劇」とは?
一人(もしくは一組)の主人公から見た視点で物語を描くのではなく、複数のキャラクターから見た複数の視点で同一の事件を描く手法です。ざっくり言ってしまえば「主人公がたくさんいる話」です。重要なのは、そのたくさんいる主人公がそれぞれに影響し合うことなんですが……それは定義が難しくなるんで、この記事では忘れちゃってください。
「ハンター試験編」はそれぞれの受験生を主人公にした話でしたし(特に4次試験は)。
「天空闘技場編」は……ちょっと微妙なんですけど(笑)。
「ヨークシン編」はゴン組、クラピカ組、旅団組がそれぞれ関係しつつ、それでいてその中の一人一人が意志を持って動いていてという話でしたし。
「グリードアイランド編」は最初ゴン組とハメ組に旅団組という別々の話だったのですが、最終的にはゴン組、ツェズゲラ組、ゲンスルー組の三つ巴の戦いに集約されるという話で。
「キメラアント編」はそれぞれのハンターとキメラアントにそれぞれ目的があって、それぞれの意志で動いているのを時間軸を動かしながらそれぞれの視点で描くというものでした。
もちろん『ハンター×ハンター』には「ゴン」と「キルア」という主人公がいます。
「ハンター試験編」「天空闘技場編」「ヨークシン編」「グリードアイランド編」「キメラアント編」と、この作品は「○○編」ごとに敵も味方も“新しいキャラクター”に替わり、あたかも“新しい作品”であるかのように描かれる中――――ゴンとキルアだけは別格に常に作品に登場していて、その意味では「一組の主人公から見た視点の物語」とも言えるんですが。
それはきっと、本来は「特定の主人公を持たないはずの群像劇」に、少年漫画的なエッセンスとして「特別な存在であるゴンとキルアという主人公」という縦軸を1本加えているのかなと思います。
なので、この作品って必ずしもゴンとキルアが活躍するワケではないんですよね。
彼らは「たくさんいる主人公」の一人ですから。
「ヨークシン編」では結局彼らは何も成し遂げられませんでしたし。
「キメラアント編」でも、最終的には二人とも“お話の中心”からは退場することになってしまいました。最後まで残っていた味方側のキャラはパームとイカルゴだけでしたし、最後に王を止めたのはウェルフィンでしたもんね。「まさかこのキャラのこの決断がここに効いてくるなんて!」というのが群像劇の面白さなので、あそこの展開は痺れました。
少年漫画の王道展開は「主人公が活躍して敵に勝つ!」というものですから、そういうものを期待すると『ハンター×ハンター』は必ずしも期待通りにはいかないと思うんですけど、自分は“予測不能な群像劇”が好きなので『ハンター×ハンター』のこのスタイルがすごく好きなんです。
そんなことを考えていたら、ふと思い出したことがありました。
冨樫先生の前々作『幽遊白書』の連載終了後、「ヨシりんでポン」でのインタビューだったと思うんですけど―――『幽遊白書』について「主人公4人で描きたいものは全部描いてしまったので、戸愚呂兄弟辺りから敵側の描写に力を入れるようになった」みたいに語っていたんですよ(伝聞なので細かい表現が違ってても許してください)。
リアルタイムにそれを聞いた時はショックだったんですけど、今なら分かる気がするんです。
「主人公4人」を1セットに描く限り、状況を変えても、敵を変えても、それはずっと「同じことの繰り返し」になりかねない―――暗黒武術会終了後の『幽遊白書』は、そこから脱却するための試行錯誤とも言えますもんね。
幽助が捕まっていなくなったり。
飛影がいなくなったり。
幽助が死んだり。
敵も味方も新キャラがたくさん出てきたり。
『ハンター×ハンター』でやっていることに結構近かったと思うんです。
極めつけは「魔界編」。それまでずっと「主人公4人」を1セットに描いてきたこの作品が、その4人をバラバラの勢力に分けてそれぞれ描こうとしました。言ってしまえば、あそこでやりたかったのも“群像劇”だったのかなぁと思うのです。
結局、その三竦みの戦いも頓挫してしまいます。
冨樫先生自身が飽きちゃったのか、読者の評判がイマイチだったのか、編集部の意向と食い違ってしまったのかは分かりませんが―――「人間を食う妖怪」の話をブン投げたままメデタシメデタシと締めくくっちゃった「魔界編」はやっぱり、当初の予定通りにはいかなかったのかなーと思います。
結局、『幽遊白書』では『ハンター×ハンター』のような“群像劇”は出来なかった―――と。
ちなみに『幽遊白書』でブン投げたまま終わってしまった「人間を食う妖怪」の話は、『レベルE』で「女性を食う異星人」の話や、『ハンター×ハンター』の「人間を食うキメラアント」の話に繋がっていて。「異生物との共存」は冨樫先生の中の重大なテーマの一つなのかなぁと思います。
ついでに『レベルE』の話も。
『レベルE』も「主人公がたくさんいる話」ですよね。中心にいるのはバカ王子ですけど、視点となる主人公は雪隆だったりカラーレンジャーだったりクラフトだったりと、各エピソードによって異なるんです。一つの事件を複数の視点で描いているワケではないので“群像劇”というよりは“オムニバス”なんですけど。
「主人公4人」1セットの存在感が強すぎてしまった『幽遊白書』を踏まえて、
各エピソードで「毎回主人公が違う」『レベルE』になった―――というのは面白いなぁと。
そして、それが“群像劇”としての『ハンター×ハンター』に繋がっている、と。
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