ひょっとしたら『ももたろう』って日本一有名な“ストーリー”かも知れませんね。
『ドラゴンボール』や『ガンダム』ですら、『ももたろう』の知名度に比べたら“一部の人しか知らないマイナーな作品”でしかないんですよ!
「好きか嫌いか」は置いといて……
この作品がこれだけ日本中で知られているのは、多くの人から「面白い」と思われているからですし、これだけ多くの人からそう思われるのは「素晴らしい」完成度の高さがあるからだと思うのです。
何故、僕らは『ももたろう』を「面白い」と思うのか―――分析してみる価値はあるな。といった理由で、『ももたろう』のストーリーを分析してみることにしました。
なお、この記事では『ももたろう』の簡単なあらすじとともに分析した文章を載せるため、『ももたろう』のストーリーの重大なネタバレを含みます。未読の方はご注意くださいな。
1.昔々あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。
おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました。
恐らく日本一有名な「ストーリーの出だし」の文章でしょう。
たった一行で設定説明を済ませてしまう「昔々あるところに~」も凄いのですが、自分が注目するのは“日常描写”です。特に「洗濯」というフレーズは小さな子どもでも知っている作業で、この物語世界の住人も自分達と同じように日々の生活を送っているということが分かるのです。
つまり、この物語は「僕達の日常」と地続きの場所から始まっているんだよと知らしめる効果があるのです。
2.おばあさんが川で洗濯をしていると、川上から大きな桃が流れてきました。
家に持ち帰り、おじいさんと二人で食べようとしているとその桃が割れて中から赤ん坊が産まれたのです。二人はその赤ん坊に「桃太郎」と名付けて育てることにしました。
「僕達の日常」から一転、「非日常世界からやってくる主人公」の登場シーンです。
強烈な印象が残る登場シーンであることともに、桃から産まれるという「なんじゃそりゃ」な出自ということで、この主人公は普通とは違う特別な存在なことが分かります。
今の言葉で表現するならば、「厨二病」的設定の特別な主人公ということになります。
生まれながらにして特別な運命を背負い、生まれながらにして他とは違う選ばれた存在なんです。
大人からすると恥ずかしい「日本一」という幟を堂々と掲げられるのも、この作品が「厨二病的作品」だと考えると納得が出来ますよね。
また、「桃から産まれたという独特の設定」と「キャラクター名としての桃太郎」と「作品名としての『ももたろう』」がイコールで繋がっている点も見逃せません。
これが「桃から産まれた“たけし”という主人公が活躍する『鬼ヶ島道中記』」という作品だったら、これだけの大ヒット作品にはならなかったことでしょう。『ももたろう』という作品は非常にシンプルかつキャッチーな要素で構成されている作品だと分析できるのです。
3.成長した桃太郎は「鬼が人々を苦しめている」ということを知り、鬼ヶ島へ鬼退治に向かうことにしました。おばあさんは旅立つ桃太郎に、手土産として「きび団子」を持たせました。
桃太郎の旅立つ理由。ここで「悪い鬼をやっつける」という明確な目的があることが大きいです。
「鬼には鬼の事情があるのでは」とか「人々の方にも非があったのではないか」という描写は、大人読者にとっては深みが増す描写かも知れませんが、子ども読者にとってはあまりテンションの上がるものではありません。
また、『一寸法師』のように「なんか俺、立派になりたいから都へ行くよ!」というアバウトな目標で出発されても、自分探しの旅などしたことのない子ども読者としては感情移入がしにくいのです。
「鬼=悪いやつ」「人々=かわいそう」「桃太郎=それを助けようとするカッコイイ人」くらいのシンプルな構造だから、この作品は万人が楽しめる大ヒット作品になったのです。
また、ここでおばあさんが「きび団子」を渡すのも重要です。
当然これが後に犬・猿・雉を仲間にするキーアイテムとなるので、言ってしまえば「伏線が張られた」状態です。
「きび団子」なしで犬・猿・雉が仲間になるのでは「御都合主義だなー」と読者に思われてしまいますし、それを渡す人物が“生まれた時から桃太郎を育てていたおばあさん”という読者にとってもなじみのキャラクターだというのが大きいです。
それに加え、「きび団子」は物販品にもなります。
『けいおん!』の作中で登場人物が歌った歌がCDになって発売されるとか、『タイガー&バニー』の作中でブルーローズが実在の炭酸飲料を飲んで宣伝をするように―――読者が『ももたろう』に出てくる「きび団子」を食べたい!と思うことで土産品店の経営が潤うという効果があるのです。作品と商品のタイアップの“先駆け”とも言える要素ですね。
4.桃太郎は道中、犬・猿・雉に出会い、それぞれに「きび団子をくれたら家来になってあげるよ」と言われました。桃太郎はそれぞれにきび団子を与え、犬・猿・雉とともに鬼ヶ島を目指すこととなりました。
漫画家を目指している人ならば、一度は編集者さんに「キャラクターを削れ」「余計なシーンが多すぎる」とダメ出しをされたことがあるでしょう。キャラクターの多さは読者を混乱させますし、余計なシーンは退屈なだけです。
桃太郎が犬・猿・雉を仲間にするシーンは一見すると「余計なシーン」です。
ストーリーラインだけを見てみると、犬・猿・雉は登場しなくてもストーリーに影響がないんです。本来なら削っても構わない場面なんです。なのに、削られることなく「『ももたろう』と言えば犬・猿・雉」と定着しているんです。
何故なら、桃太郎というキャラクターは「生まれつき特別」「選ばれた存在」な主人公なため、読者からすると人間味を感じられず、あまり感情移入ができないんです。「厨二病的主人公」としてのメリットがあった一方で、デメリットも背負ってしまったのです。
そこで、犬・猿・雉の出番です。
『ドラゴンボール』でクリリンに感情移入する人が多いように、『ダイの大冒険』でポップに感情移入する人が多いように―――「特別な存在」としての主人公の横で。「特別ではない、どこにでもいる存在」としてのサブキャラクターが頑張ることで読者は勇気をもらえるんです。ポップ系のサブキャラクターの原点は「犬・猿・雉」にあるんです!
また……これは「鬼」や「おじいさん」「おばあさん」にも言えることなんですが。
『ももたろう』という作品に出てくるキャラクターは、桃太郎以外は「犬」「猿」「雉」とキャラクター名を持たないんです。「犬」は「犬」、「猿」は「猿」。『ももたろう』に出てくる「犬」はこの犬しか存在しないのですが、ポチでもジローでもジョンでもなく「犬」であるために、読者があらかじめ何となくの「犬のイメージ」を持つことができるのです。
極端な話、ここで仲間になるのが「犬・猿・雉」ではなく村の人間や旅人だった場合、「桃太郎以外のキャラクターも掘り下げなくてはならない」という面倒なことになってしまいます。昔話のサブキャラクターに動物が多いのは、こういう理由なのかも知れませんね。
5.とうとう鬼ヶ島に着いた桃太郎一行!
話が前後してしまいますが……
「鬼ヶ島」というロケーションとネーミングも素晴らしいですよね。
「島」であるために、「桃太郎が育った村」と「鬼の本拠地である島」は別の場所であることが分かるのです。しかも、「おじいさんが山へ柴刈りに、おばあさんが川へ洗濯に」という冒頭の描写があるため、何となく「山から川が海になるまでの距離を歩かなくてはならない」という距離を感じることが出来るのです。
ストーリーを紡ぐ時、この“距離”を描写するのは非常に難しいです。
Googleマップを見せて「こんなに歩いたんですよ!」と見せるワケにもいきませんからね。
そこを、「山」から「海」という表現であっさり描写しているというのは流石です。
6.何だかんだで桃太郎一行は鬼を倒しましたとさ、めでたしめでたし。
さて、この『ももたろう』という物語。
「鬼ヶ島に着く」まではかなり細かいディティールで中身を覚えていると思うのですが、「どうやって鬼を倒したのか」は覚えていないものですよね。これは絵本や語り部によって、省略していたり細部が異なっていたりするからじゃないかと思います。
しかし、その一方で。結末だけは皆が覚えていますよね。
僕もそれなりに長い人生を生きてきましたが、「『ももたろう』って最後どっちが勝つんだっけ?」と言ってきた人とは未だかつて一人も出会ったことがありません。『ももたろう』という物語を知っているほぼ全員が、「最後は桃太郎サイドが勝つ」と覚えているんです。
これって結構凄いことで……
自分は実は『きんたろう』とか『かぐやひめ』の結末を覚えていません。『こぶとりじいさん』や『はなさかじいさん』なんかも、「何となくこんなカンジだったかな……」という曖昧な記憶しかないんです。
人間は「どっちが勝ったか」は覚えるものです。
『ももたろう』もそうですし、『さるかに合戦』も「どっちが勝ったか」皆さん覚えていますよね。
しかし、「どう勝ったか」の部分は実はどうでもイイのです。
前述の『一寸法師』や『さるかに合戦』は緻密な伏線が張られた知的バトル描写が魅力の昔話だと思うのですが、それゆえに『ももたろう』よりも上級者向けで「人を選ぶ」のです。
こうやって分析していくと、『ももたろう』という作品は現代の漫画やアニメの“一つのテンプレ”の原型になっていることが分かります。
かくいう自分も、昔描いた漫画に『ももたろう』と非常に似た構造の作品がありました。もちろん描いた当人は意識していなかったのですが、子どもの頃に読んだストーリーから「王道と言えばこんなカンジだろう」と根っこに染み込んでいたのだと思います。
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そういう視点で考えると、『ももたろう』の完成度の高さ・ムダのなさは目を見張ります。
数ある昔話の中でもトップクラスの知名度を誇るのも納得です。
しかし、一方で「王道になりすぎたからこそ“一番好きな昔話”には挙げづらい」という哀しい側面もあると思います。映画でも音楽でも小説でも「一番好きな○○は?」と質問された際、そこで挙げるのは「自分だからこそ好きな作品」になると思うのです。
合コンで「一番好きな昔話は何ですか?」と訊かれた時、『ももたろう』とは答えにくいですよね。
「俺、陰湿な復讐劇だから『さるかに合戦』が一番好きかなー」
「私は『シンデレラ』の苦境にもめげずに耐え忍ぶところが好き」
「僕は『つるの恩返し』の、開けちゃダメだと分かっているのにって緊張感がイイな」
ちなみに僕が一番好きな昔話は『うさぎとかめ』です。
「色んな人がいるから世界は面白い」と考えていますから、うさぎと亀がお互いにそれぞれの良さを出し合って戦うところが好きなのです。人じゃねーけど、やつら。
最も有名で、最も「優れている」からと言って、最も「好きな作品」に挙げられるかは別問題。
昔話業界にも言える話なんだなーと思いました。
【まとめ・『ももたろう』の注目ポイント】
・“日常”→“非日常”へ
・個性的な主人公と、非個性的なサブキャラクター達
・「鬼を倒す」という明確な目標がストーリーの推進剤となっている
・伏線にも物販品にもなっている「きび団子」
・「桃太郎が鬼に勝った」という結末が重要
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