
<画像はテレビアニメ版『けいおん!』番外編2より引用>
※ この記事は2010年に旧ブログに書かれたものを幾つか手直しして2025年に移行した記事です
※ この記事はアニメ版『けいおん!』全13話及び、DVD&ブルーレイ最終巻に収録されている番外編その2「ライブハウス!」のネタバレを含みます。閲覧にはご注意下さい。
第2期が始まる前に、第1期の感想を書いておかなくてはエントリ。
テレビで放送された全13話でも何となくそうだろうとは思っていたんですが、第1期の実質的ラストの回にあたる「ライブハウス!」で「これで最後のピースが揃った」と再認識したので今日は『けいおん!』アニメの話です。「ライブハウス!」まで観た上で、第1期を振り返ってみようと思います。
実は自分、『けいおん!』アニメを「日常系」と呼ばれることに少し違和感を覚えるんです。
まー、何を「日常系」と呼ぶかって話なんですけどね。
「軽音楽部の日常を描く」という意味ならば別に間違っちゃいないんですけど、「今日も変わらぬ平穏な日常が過ぎました―――」みたいな意味ならば『けいおん!』って当てはまらないと思うんですよ。作中季節が厳密に進んでしまうし、登場人物がどんどん成長してしまうし。『サザエさん』的な“永遠に続く時間”とはちょっと違うじゃないですか。
ちょっと思い出話。
以前にも書きましたが、自分は『けいおん!』を観るまで「アニメはもういいかなー」と思っていたこともあって、第1話の時点は「面白くなかったら3週くらいで脱落しよう」というスタンスでした。そんな自分が第2話の時点では3ヵ月後にはもうこのアニメは終わっているんだ、寂しいなぁと思っていました。気が早いにも程がある(笑)。
でも、深夜アニメってそうなんですよ。
3ヶ月とか6ヶ月で終わることが最初から決まっていて、かなりの人気がある場合は2期・3期もありえるけど永遠に続くワケではなくて。この楽しい時間はいずれ終わるんだ、と分かった上で楽しまなくてはならないんです。
そんなネガティブシンキングの塊のような僕だから、多分『けいおん!』が描いているものに惹かれたんだと思います。『けいおん!』が描いていたものも一緒ですよね。この楽しい高校生活(軽音楽部の時間)も、3年後には終わってしまうんだ―――と、残酷なまでに描いていたワケですし。
○ 巻き戻せない時間
一番分かりやすいのは、新入生が入ってきた辺り。
同じように「軽音部にちょっと興味がある」「けど迷っている」人物として描かれていた梓と純ちゃんだけど、ご存知のとおり梓は軽音部に入り、純ちゃんは入りませんでした。この二人の分岐は、唯の言葉を借りれば「大切な場所を見つけた」かどうか、澪の言葉を借りれば「新しい扉を開いた」かどうか。
12話の文化祭ライブの回で、梓はステージに立って演奏している一方、純ちゃんは講堂の端っこで演奏を眺めているという。
純ちゃんの物語はもう軽音部の物語とは交わらないんですよ。もちろん“応援”の立場で交わることはあるけれど、ステージの上と下とで分かれてしまっていて、“仲間”にはなれないように描かれているのです。勇気を出して一歩を踏み出したかどうかで、歩む道が変わって、もう巻き戻すことは出来ない―――
“残酷”という言葉からは程遠い描かれ方でしたが、
3話で唯が追試を受けるハメになったり、12話で唯がギターを取りに帰っている間にライブが始まってしまったり、実は結構「人生はやり直しが効かない」をシビアに描いていたようにも思えるのです。「追試」は「やり直し」な気もするか(笑)。
1年目と2年目で描かれた合宿の場面も、「1年目は遊んじゃったけど2年目こそはマジメに練習するぞ!」という澪の意気込みも虚しく2年目も遊んでしまうワケです。青春に「やり直し」は効かないんです。
だからこそ、今流れているこの1秒1秒を大切にしなくては―――
というのが『けいおん!』の物語だったと思うのです。ところどころに写真がキーアイテムとして使われているのも、それを切り取る意味合いがあったのでしょうし。『ふわふわ時間』の歌詞の最後、「1度だけのミラクルタイム下さい」もそういう意味が含まれているのだと自分は思っています。
番外編「ライブハウス!」の終盤。
律っちゃんが澪に尋ねます。
律「澪、今年はどんな年だった?」
澪「たくさん楽しいことがあったよ。みんなのおかげで……ありがとう」
律っちゃんがいなければ、律っちゃんが強引に「軽音部の見学に行こうぜ!」と言わなければ、律っちゃんが廃部寸前の軽音楽部を建て直そうとしなければ―――『けいおん!』という物語は存在しませんでした。ムリヤリにでも開かれた新しい扉によって、澪が成長することもありませんでした。
第1期の終わりに、ちゃんとこの二人の会話を入れて終わる―――
『けいおん!』という作品が何を大切に描いてきたのかを考えさせてくれるのです。
○ 進み続ける時間
「巻き戻し」が出来ないのと同時に、『けいおん!』世界では「一時停止」も出来ません。
怒涛のように作品世界は進み、留まることを許されず、4月にアニメが始まった時は作中季節も4月でしたが5月にはクリスマスと新年を通り越してまた4月が始まっていましたからね(笑)。
そうした季節の中で、キャラクター達が成長していく様を描いたのが1~12話までの物語。
そして、その後の13話の番外編「冬の日!」で成長した彼女達が描かれるのですが……ガラスに映る自分の姿を見た律っちゃんが、留まることなく大人になっていく自分達に寂しさを感じるシーンが凄く印象的で。作中で流れた時間の分だけ彼女達は成長していったのだけど、その分だけ“もう子どもには戻れない”ことも感じていたという。
番外編「ライブハウス!」で「これで最後のピースが揃った」と思ったのは、実はこの部分でした。
軽音楽部のライブを観るためにライブハウスを訪れたさわちゃんは、昔の仲間(?)と再会します。「アンタ、ちっとも変わらないね」と言われたさわちゃんは、「変わったわよ。だって…私、あのコ達の先生しているんだから」と答えるのです。かつて、“あのコ達”の場所にいた二人の会話。
軽音楽部、
バンドを組んで、
将来を夢見ていた彼女達―――
まぁ、アニメ版のさわちゃんは動機がアレだった気もするのですが(笑)。
さわちゃん達も、かつては唯達と同じ場所に立って歌っていたのです。
でも、もうさわちゃんはあの場所には戻れません。
助っ人としてとか、顧問としてとかならともかく、“仲間”にはもうなれないのです。時間が経って、大人になるというのはそういうことなのです。そしてそれは……この軽音楽部の仲間達も大人になり、いずれバラバラの道を進むことになると示しているとも思うのです。
○ そんな“残酷さ”を超越する主人公
しかししかし、こういう“時間の残酷さ”を全部無化していくのが唯だったんでしょうね。
以前に『かなめも』に関して「かなは自分が孤独になる未来を受け入れた」と書いて、では唯は?と訊かれたのですが……多分そういう“孤独”とか“悩み”とか“不安”とかからは超越した人間だったんじゃないかと思っています。ウルトラポジティブ娘。
少なくとも第1期は、ですけどね。
仲間を信じ、今を信じ、未来を信じているのが唯なんだと思うのです。
「みんなすごいよ!私を置いて大人にならないでね」
みんなと違って遅れて楽器を始めたというハンデも、試験勉強していてコードを全部忘れても、練習しないでお菓子食べたり遊んだりしていても。今を必死に生きている彼女にとっては、流れていく時間なんて大した問題じゃないのかもと思うのです。
「じゃあ、私達はこれが1枚目だね!」
ただひたすらに前を向いてまっすぐに進み続ける―――
それは時として「現実を見ていない」と揶揄されるのかも知れないけれど、そうした前向きさが誰かをまた前向きにしていくのだと『けいおん!』を観て深く思ったのです。
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そして、ひたすら前に突き進んだこの作品も4月から第2期へ。恐らくは卒業までを描くんでしょう。
キレイに完結した第1期を振り返ると「第2期は大丈夫か?」と思わなくもなかったんですけど、昨年4月に「3ヵ月後にはもうこのアニメは終わっているんだ」と寂しくなっていたことを考えれば何と幸せなことだろうって思い直しました。今は素直に4月が楽しみです。
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