RPGにエンカウントは必要か?


<画像はWiiバーチャルコンソール版『パワーリーグ4』より引用>


<画像はスーパーファミコン用ソフト『Jリーグサッカー プライムゴール2』より引用>



 反応が遅れて申し訳ありません。
 コマンドRPGとアクションRPG、どちらが「メンドウクサイ」?の記事のコメント欄(※ 旧ブログの方ね)に沢山の御意見を頂きまして、本当にありがとうございました。

 実はあの記事、書いている間に自分でも何が言いたいのか分からなくなってしまって……「これアップすんのマズイかもなー」「でも今から他の記事書く時間ないしなー」と悩んだ末に公開した記事でして。
 そんな記事だったのだけど、アレだけ多くの御意見を頂けて、それがまたどれも「なるほど!こういう意見もあるのか!」というものばかりで。迷いはしたけれど、あの記事を公開して本当に良かったと思えました。感謝しています。

 このブログのメインコンテンツはコメント欄ですよ!
 記事など飾りに過ぎないんです!偉い人にh(以下略)




 んで。
 そのコメント欄の御意見一つ一つに対して記事を書きたいくらいなんですが、流石にそれをやると一夏が終わってしまいそうなので(笑)。要点を絞って、今日はそのコメント欄の中から興味深かった御意見を紹介したいと思います。

 烏賊丸さんのコメント。
 了承取っていないけれど、許して下さいな!

<以下、抜粋>
 アクション式の「面倒くさい」点に、常に危険に対し警戒しなければならないというのがあると思います。 敵の不意打ちや罠でいつ死ぬか分からない、そうでなくても今まで戦ってたフィールドにそのまま居る、そのために常にある程度の緊張を保つ事を強制されるのが「面倒くさい」のですよ。
 その点エンカウントであれば、フィールドで死ぬ事はまずない。戦闘中だけ緊張していればいい。静(フィールド)から動(戦闘)、動から静への緩急が疲れすぎない適度な緊張感を保つという、野球観戦のようなゲーム性をエンカウント方式は体現してるのではないでしょうか。
</ここまで>

※ 改行や文字強調など、一部手を加えました。


 なるほど!と、読みながら膝を打ちました。
 まず前提として―――僕は「世の中には色んな人間がいるから面白い」と思っていて、ゲームファンというのはまさにその縮図だと思っているからゲーム話を好んで話題にしているので。自分とは正反対のこの御意見が凄く興味深く、この御意見によって逆に自分が何故エンカウント式のRPGを「面倒くさい」と思ってきたのかが分かった気がしました。


 まずは自分の話。
 エンカウント式のRPGは「画面の切り替えに時間がかかる」のが第一のイライラ要因なんですが……その待ち時間がほとんどないゲームであっても、「移動」と「戦闘」が完全に別々のパートに分けられているのも自分にとっては大きいと思いました。

 分かりやすく説明するために、敢えて単純化した話をしますね。
1.「目的地まで100歩進まなきゃならないダンジョン」があるとします。
2.その10歩目でザコ敵とエンカウントしたとします(ランダムエンカウント)
3.そのザコ敵を瞬殺しようが、疲労困憊でようやく倒そうが、逃げ出そうが、そのダンジョンを「あと90歩進まなきゃならない」事態は変わらないんですよ。


 つまり、「戦闘パート」と「移動パート」が完全に分かれてしまっているため。
 「戦闘」の結果が「移動」には反映されないことが、「押し付けられた義務」「作業感」みたいなものを感じさせるというかね。
 やっとの思いで敵から逃げたのに、画面が切り替わった途端に主人公達がボケーっと突っ立っているのを見ると「俺、何のために戦っているのかな……」と思ってしまうというか。


 そういう意味ではシンボルエンカウントの方が、「戦闘と移動が繋がっている」感覚はあるのですが……シンボルエンカウントのRPGでも、階段やトビラでエリアを切り替えた途端に倒したザコ敵全員復活!みたいなのはイーーーッ!!ってなります。オマエら無限に湧いてくんのかいと。
(※ 2025年追記で補足:面倒くさい「戦闘」をしても、「移動」が楽になってくれるワケではないという話ね)


 それで、よくよく考えてみると……エンカウント式のRPGにおけるエンカウントじゃない戦闘、RPGのボス戦は自分も大好きなんですよ。
 ボス戦はコマンド式の戦闘の方が燃えるかも。一手一手しっかり考えて、アイテムもMPもなくなりそうなところをギリギリ倒したー!みたいな爽快感はコマンド式のRPGでしか味わえない独特のものな気がします。

 自分にとってエンカウント式のRPGとは、「ボス戦という御褒美」のために「ザコ戦という苦行」を延々と消化していくゲームなのかも。もちろん戦闘自体の面白さ次第で、「ザコ戦も楽しぃ!」と思えるものも「ボス戦もツマンネ」ものもありますけど。全体的にはそんなカンジ。



 で、先ほど紹介した烏賊丸さんの御意見。
 僕とは逆に、「移動」と「戦闘」が完全に切り離されていることで緊張感が保てる部分にメリットを感じられているという。緊張という言葉よりかは、「集中しなきゃならないポイント」と「ダラーっとしても良いポイント」が分かれていると説明した方が分かりやすいですかね。


 「野球観戦」の例えが絶妙です。
 昔、ウチの母に「サッカーって(野球と違って)ずっと画面を観ていなきゃならないから苦手だわー」と言われたことを思い出しました。とりあえずテレビ観戦の話ね。

 確かに、「野球観戦」は「観なきゃいけないポイント」が分かりやすいですよね。ピッチャーが投げてバッターが打つまでの間は重要、その前のサイン交換とかは(大多数の素人にとっては)重要ではない、みたいな話。あとは、「二塁までランナーが進んだら」とか「このバッターが打席に立ったら」とか、注目すべきポイントが分かりやすいんですよね。
 「サッカー観戦」は、常に選手達が動き続けているのでいつ注目すればイイのか分からないとのこと。そこがサッカーの面白いところだし、サッカーにも実は「勝負の時間帯」や「チャンスを作り出す動き」みたいなものがあるんですけど……野球ほど明確ではないというのは、凄くよく分かるなぁと。



 自分も『ゼルダの伝説 トワイライトプリンセス』をプレイしていて、移動する足場に載って別の足場に飛び移る最中に画面外から敵に変な光弾で撃たれて。ムカッと来たので2発目は華麗にかわしてやろうと思ったら、足場から落っこちてまた登り直しだーっ!(涙)みたいなことが何度もありました。
 まぁ、そのイライラを乗り越えるのが『ゼルダ』の楽しさでもあるんですけど、それを「面倒くさい」と思う人がいるのも当然ですよね。「野球観戦」が好きな人も、「サッカー観戦」が好きな人もいて当然。




 「RPGのエンカウント」は、「移動パートと戦闘パートを分ける」ためにあるのだと思います。
 前回の記事で『ゼルダ』を例に出したアクションRPGは「移動パートと戦闘パートを分けない」ゲームで、『ドラクエ』を例に出したランダムエンカウントのコマンドRPGは「移動パートと戦闘パートを分けるゲーム」―――

 シンボルエンカウントはその中間、というカンジですかね。
 『ドラクエ』も『9』はシンボルエンカウントになりましたし、『FF13』もシンボルエンカウントというかシームレスに戦闘へと移行する形式みたいですよね(『FF12』も?)。ランダムエンカウントのRPGって、ひょっとしたらもう絶滅危惧種になりつつあるのかも……と一瞬思ったのですが。

 『ポケモン』ってランダムエンカウントですよね?
 絶滅どころか、世界で一番売れているRPGがランダムエンカウントというのは……




 リアル志向というか、ゲームの進化が「現実に近い」方、「実写映画に近い」方に進んでいくと……
 RPGも「移動パートと戦闘パートを分けない」方向に進むのが自然な形なのかなと思います。『ゼルダ』シリーズが海外で売れまくる理由の一つにそういう要素もありそうですし。自分がエンカウント式のRPGを「面倒くさい」と思ってしまうのもそういうことなのかもと。

 でも、みんながみんなそっちの進化を望んでいるワケではない。
 『ポケモン』は世界中で売れているし。
 今、日本中で『ドラクエ9』が売れまくっているワケですからね。


 自分は今回『ドラクエ9』見送りましたし、「DSで出すのはどうなのかなー?売れるのかなー?」と思っていたのですが……巡回しているブログではこっちでもあっちでも「ドラクエやってます」と書かれていますし、ラジオつけても「ドラクエ始めます」「ドラクエやってます」と仰ってますし、「今レベル幾つ?」みたいな報告が時候の挨拶になっていますし。

 300万本売るってのはこういうことか!と思いましたよ。
 「DSで出す」ってのはこういうことか!と思いましたよ。


 アクションバトルに変更していたらこうはならなかったでしょうし、(2009年に発売するのだったら)DS以外の機種で出してもこうはならなかったでしょうね。
 何つーかさ、自分みたいな人間が頭だけで考えて「コマンドRPGは下火じゃないか」とか「DSのスペックでは厳しいんじゃないか」とか言ったって、現実はそんなものあっさり飛び越えてしまうんだなーと思ったですよ。“国民的ゲーム”の看板は伊達じゃないね!



 「RPGにエンカウントは必要か?」―――
 そんなものは問うまでもない。
 今、日本でどれだけの人数がエンカウントしまくっているのだという話ですよ。

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