WEB漫画『Re:Survival』あとがき

※ この記事は2007年に旧ブログに書かれたものを幾つか手直しして2025年に移行した記事です


 感想募集エントリに多くの感想を頂きありがとうございます。
 届いた感想はまさに「賛否両論」でしたし、本当の意味でのサイレントマジョリティという考え方ならば「否」の方が多いとは思うのですが、とりあえずは一安心でした。謙遜でも何でもなく、こういう題材を漫画にすれば「否」が100%でも仕方ないかなーと覚悟していましたので。

 技術的なことは置いといて、こういうものを描いた作品でもしっかり読んでくれる人がいるということは自分は非常に恵まれていると思いますし、大きな励みになりました。ありがとうございます。


 技術面については、確かにまぁ……何と言うか。
 自分でも描き上げた直後1~2ヶ月は漫画が描けなくなったくらい、自分の才能のなさに気付かされた38ページでありましたよ。といっても、僕にとっては数ヶ月単位のスランプも年中行事みたいなものですけど(笑)。

 そういう背景なんかも含みつつ、今日は『Re:Survival』の「あとがき」を書こうと思います。
 本編のネタバレを激しく含むので……なるべくなら漫画を読んでから「あとがき」を読んでもらった方が僕としては嬉しいです。



○ 『Re:Survival』が生まれた背景
 ちょっと長い話になるんですが……
 僕には小学校3年生の頃から付き合いのある男友達がいまして、趣味も近くて話が合うので最近まで連絡を取り合っていて。僕としては801的な意味ではなく、人間的な意味で「好きなヤツ」だったんですよ。色んなものに興味を持つ好奇心旺盛なヤツだったので、「オマエはどう思う?」と真っ先に訊いてみたい相手でした。

 ……と、この流れだと「その仲良かった友人が自殺したことをキッカケに自殺を題材にした漫画を描こうと思った」みたいな話になりそうですが、全然そんなことはありません。ソイツの携帯のアドレスから僕の番号が消えたりしてて、もう暫く会っていないのですが、多分どこかでピンピンしていると思いますよ。


 とりあえず、時間軸としては「まだソイツと遊んでいた頃」―――
 ちょうど『ちのしあ』を描き始めた今から2年くらい前に、「俺のために漫画を描いてよ」と言われたことがありました。僕の周りにもソイツの周りにも漫画を描いている人間なんていなかったので興味本位で言ってきたのでしょうし、僕も普通なら「漫画というものは誰かのために描くもんじゃねえんだよタコ!」と罵ったと思うのですが……
 冒頭に書いた通り、僕はソイツのことが人間的に好きだったので、ソイツのリクエストに応えてみるのも面白いかなと思ったのですよ。丁度、投稿用に描く短編の題材がないか思案していた頃ですし。


 で、ためしに「どんな漫画を描いて欲しい?」と尋ねてみたところ……

 「人が沢山死ぬ漫画がイイ」と。

 何て歪んだ大人になってしまったのだろうと、小学生の頃から知っている友人に対して思ったものですが―――死体というのは生きている人間以上に描くのが難しいという理由で避けてきた題材でしたし、しかしこのまま避け続けて良い題材でもないし、とりあえず考えてみるだけ考えてみようかなと持ち帰ることにしました。



 「人が沢山死ぬ」でパッと思いつくのはバトルロイヤルものでしたが、安直な気がするし、そもそも「生き残るのは一人だけ」なんて漫画を短編で描いて面白いとも思えません。後味が悪いだけでしょうね。
 それと……『バトルロワイヤル』のような話を描くなら、ある程度武器に関する知識がないと描けないので難しくなってしまいます。描き手である僕もそうですし、登場人物についてもか弱いおにゃのこが銃器を振り回すなんて筋肉的な意味で難しいでしょうし。


 ということで、バトルロイヤルものは真っ先に選択肢から外しました。
 次に思いついたのは幽霊モノ。女子トイレの花子さん的な話で、女のコの排泄シーンを眺めるのが好きな女幽霊の話を考えたのですがマニアック過ぎるだろうということで上手く形になりませんでした。投稿できる雑誌が限られますしね(笑)。



 しかし、「人が死ぬ漫画」を逆説的に「死んだ人が出てくる漫画」と捉えた幽霊モノの発想を大事にすれば、最初の案も生き返るんじゃないかと思ったのです。
 つまり「幽霊」で「バトルロイヤル」をしてみようかと。ただ、「生き残るのは一人」も「生き返るのは一人」も同じようなものなので、ひっくり返して「死にたがっている幽霊達を一人以外全員生き返らせてしまう」話はどうだろうかと考えました。

 「死にたがっている人達」はいずれ描こうと思っていた題材でしたし、自分が描かなければならない題材だと思っていたので、この時点で全力を出して描いてみるのもイイだろうと思ったのです。そりゃ今以上に拙い当時の画力だと不安でしたが、「いつか絵が上手くなったら描こう」じゃ一生描けそうにないなとも感じていたので。


 死後の世界での戦いにすることで、バトルロイヤルものが孕んでいた問題はほとんど解決してくれました。「死に向かう」バトルロイヤルを、「生に向かう」話にしてしまうことでテーマが明確になることが一つ―――後は、知識のない武器の描写も「登場人物達のイメージに依るもの」としてしまうことで、柔軟なモノが描けるだろうと。

 なので、『Re:Survival』における武器のリアリティのなさは僕のせいじゃなくて、登場人物達のイメージのせいなのです。彼女らが映画とか漫画で知った“イメージできる武器”が、それぞれにああいった武器だったということで……そうなると今度は「この銃はどんな映画にも出てない!」というツッコミが入りそうですね(笑)。
 片手でサブマシンガンをブン投げるナースとか、バズーカを片手に持ったままよろめく婦警さんとか、物理的にはありえなさそうなことも「コレはイメージの世界ですから」と言い訳をすることで誤魔化せるし、ハチャメチャなアクションシーンでも許されるだろうという目論見がありました。


 余談ですが、この「イメージが強さに繋がる」という設定は作中で最も重要な「何故あきみは夢姫を撃ったのか」という謎にもかかってきます。端的に言えば、出会ったシーンでは当たらなかったあきみの銃弾が、ラストでは当たった理由がここらにあるのです。



 “死にたがっている者達のバトルロイヤル”まで決まってしまえば、後は調整していくだけです。人数はどれだけにするのか、主人公一人だと描きたいものが描けそうにないのでW主人公制にするか、男女混合だとウザイ恋愛劇とかになりそうなんで女性限定にするか、見ず知らずの者同士で殺し合う(生き返らせ合う)ことを一目で分からせるためにはそうだ!コスプレをさせれば良いんだ!とか(笑)。
 首輪や手錠は僕の趣味……というワケではなく、キャラの動きを表現する小道具として統一感を出せるかなぁと思ったから付けることにしました。夢姫以外にはあまり機能しなかったけど、今『ちのしあ』描いてて“動き”に苦戦している身としてはアレはアレで良い演出だったんだなーと思っています。流石の僕でも『ちのしあ』キャラにそういうものは付けられませんからね。



 ……と、こんな感じに企画段階では物凄い手応えがあったのですよ。
 ページ数のことを考えて、いくつかの要素を削らなければならないだろうなと実際に削ったシーンも多かったのですが。骨格がしっかり出来ているからコレは大丈夫だろうと。自分にとって最高傑作と言える作品が描けるだろうと思っていました。


 まぁね、今の自分が当時の自分に会えるのならブン殴っているでしょうけどね(笑)。
 漫画を舐めんじゃねえぞ、と。漫画を描き始めてたかだか1年や2年で最高傑作が生まれるほど甘い世界じゃねえぞ、と。



○ こっからは言い訳
 描き上げた瞬間、何に絶望していたかと言うと……「これは漫画にすらなっていないな」と途中で気付いてしまっていたことです。全作業工程の3分の1くらいの頃から「あー、こりゃダメだ」とは思っていました。

 単純な画力に関しては……よし!明日から上手くなるぞ!と思って上手くなるものでもありませんし、「絵が上手くなったら描こう」と思っている内に人生とは終わってしまうものですから、ある程度は仕方ないと覚悟をしていました。実際、当時の実力の120%はぶち込んだと思いますし、コレに関しては後悔も反省もしていないのですが―――


 そもそもの画面作りが、漫画になっていないなというのが反省したポイント。
 率直に言ってしまえば、「漫画とは見開き2ページを見せるものだ」という意識が欠けていたのが問題でした。
 1コマ1コマにはそれなりに満足した絵はあったのですが、見開き単位で満足できた2ページというのは一つもありませんでした。“見せゴマ”と“捨てゴマ”の区別がないために緩急を付けられず、漫画と言うよりは紙芝居を読ませているような作品になってしまったなーと思っています。

 これには……「1ページ単位で読む」というWEB媒体からスタートした自分の習性に依るものもありますし。上述した通り題材というかプロットの時点では物凄い自信があったために、どうにかしてこれをページ数に収めなきゃならないと詰め込んでしまったからという理由もあったと思います。


 発想が逆だったんですよね。
 描きたいものをページ数に収めるのではなく、決められたページ数の中で描きたいものを考えなければならない―――漫画描きってそういうものなんですよ。



 ストーリーの面で言えば……
 これは僕だけに宛てられた言葉ではなく、賞自体の総評だったのですけど―――「読者はアナタのファンではないので、初めて読んだ読者にとってキャラがどうしてその行動を取るのか分かりやすくしなければなりません」という言葉が、まさに『Re:Survival』の全てを指し示す言葉だったなーと思います。

 主人公である夢姫がどうしてその行動を取っているのかは終盤まで明かされませんし。
 丁寧にフラグを立てているので“分かる人には分かる”とは思いますが、「何故あきみは夢姫を撃ったのか」を読んだ人全員が分かってはくれないだろうなとも思いながら描いていました。

 プロットの段階では「考えさせることに意義があるんだ!」とか鼻息荒くしていましたけど、そんなものは作者のエゴでしかなくて、読む側からすると「ワケワカンネ、ツマンネ」くらいでしかない。僕の思っていた意義なんて、単なる自己満足でしかなかったのだと反省をしました。


 今回届いた感想の中にも「登場人物が多すぎてキャラが掘り下げられてない」という意見が多かったのですが、僕からするとそこは大した問題ではなかったんじゃないかと思っています。実質、描いていたのは夢姫・美和・あきみの3人だけで、ほとんどのキャラは主人公達が知らない間に脱落していましたし。もしコレが13人でなく7人で殺し合う(生き返らせ合う)話であっても結果は一緒だったでしょう。



 本当の問題は、むしろ「読者視点」を意識していなかったことの方だと思うのです。
 登場人物の誰にも共感を覚えられず、読者置いてけぼりでどんどん人が脱落していく話というのは、『Re:Survival』が描きたかったものでもあるので……2年前の自分をブン殴っても、方向性を変えてはくれないだろうとは思うのですが。

 喩えば、この作品に「読者視点」のキャラがいれば……
 喩えば夢姫や美和ではなく、冒頭からあきみを主人公として描いていれば……
 そのキャラから見た夢姫や美和という形で彼女らを描いていたら……

 彼女たちの「ワケワカンネ、ツマンネ」という行動も、ちゃんとその意味が伝わったかも知れなかった……と、結果論としては言えてしまうのです。もちろんコレもプロットに自信がありすぎたが故に、軌道修正できなかったことでもあるんですけどね……



○ 改めて思う自分にとってのこの作品とは
 僕の拙いながらの創作家としての一信念として、それが漫画であってもブログの記事であっても、描き上げた瞬間から自分の手を離れて読者の皆様のものになるのだと考えているので……作者本人が、「この作品にはこういう意味があるんですよ」なんて言ってしまうことは蛇足でしかないと重々承知しているのですけれども。


 龍になれなかった自分の作品に敢えて足を付け加えさせてもらうのならば―――
 僕が『Re:Survival』で描きたかったものは、「人は全てを選ぶことはできない」という一点だけです。

 「全てを救おうとした」夢姫は、一番近くにいたあきみを救うことが出来なかったし
 「全てを壊そうとした」美和は、自分が忌んだ“自分の過去”を壊すことが出来なかった―――

 何かを選ぶということは何かを選ばないということ。
 だからこそ、「選ぶ」という行為には尊い意味があるのだと『Re:Survival』は描きたかったのです。


 でも、結局のところ……
 それを最も痛感したのは、描いていた当の僕自身だったワケで。

 思いついたことの全てを描きたかったからこそ、何一つ伝えることが出来なかった―――この結論に辿り着けただけでも、38ページ描き上げた苦労の意味はあったのかなと思います。
 ここらで「『Re:Survival』のキャラが生き続けなければならないように、自分も漫画を描き続けなきゃならないんだ」とか言っておけばキレイにまとまるんでしょうが、実際にはそんなにキレイな話じゃありません(笑)。描き終えてからは数ヶ月間抜け殻のように落ち込みましたもの……



 そうは言っても、こんな作品は二度と描かないでしょうし。
 サブマシンガンやバズーカ砲とか、飛び降り自殺のシーンとか、死体とか血とか、今まで描いたことがなかったものを描いたことは(もちろん悔いは尽きませんが)自分にとってはイイ経験でしたし。
 “作品を終わらせたことがない”自分にとって、一応の物語の完結まで描ききれたということは財産になったはずです。

 あと、何をとっても―――時間との戦いの中で、38ページを完成させたことも大きな自信となりました。漫画を描くためにはどう時間調整をして、どう自分のモチベーションを高めていくのか、“漫画を描く”ということのスキルの大切さを知りましたよ。目覚ましが鳴ってから2分後にはペンを握っている技術とかね(笑)。


 そういう意味で、この作品を描いたことは今後の大きなターニングポイントになると思いますし、しなければならないのだと肝に銘じています。それが、満足に漫画として仕立て上げられなかった未熟な僕に出来る、この作品に対しての唯一の償いだと思いますので。



<感想の感想>
 ……と、重ッ苦しい雰囲気から一転してここからは気楽に書きたいと思います。
 皆さんから届けられた「感想」に対してコメントを書いていきます。食いつくところががみなさん違っていて面白いですよね。一つの事象でも「ここがイマイチ!」という人がいれば「それがイイ!」という人もいて。

【こんなにキャラ出してどうするんだよ、な意見】
>「38ページの読切で13人もキャラ出してどうすんだ!?」とか

>13人出すという設定よりも各キャラクターのことをより知ることによってさらに感情移入できると思う

>ほとんどが名前どころか姿さえあまり出ずに生き返ってしまうので
そんなに人数要らなかったんじゃないかなー、

>登場人物が多いのにその背景が読めず、記号化されたキャラクターで埋め尽くされた結果、物語として感情移入できず

>13人キャラデザするのは、すっごい大変だったろうなあ……


 ぶっちゃけて言いますと、当初は12人+チナリーという予定でした。
 キャラデザも12人分しか用意してなくて……んで、実際に作画を始めてみると6ページ目の全員集合のシーンで、1コマ余ってて……(笑)
 よくよく考えてみると、部屋配置なんかも13人であることを想定して9階にはあきみしかいなかったのだし。13人で結果オーライなんですけど……自分のアホさ加減に呆れつつ、とりあえず13人目を慌てて描きました。なので、このコだけ1コマしか出ていないんですよ(他のキャラはチョコチョコ出てる)。

 全員のバッグボーンを描くために5人とか7人とかで戦うのか、それとも人数を増やすことで1人辺りの価値を減らして主人公だけを描く方向に行くのか迷ったのですが―――最終的には、W主人公にしてその他のキャラは「擦れ違うように死んでいく(生き返っていく)」「主人公達が知らないところで決着がついているキャラもいる」方が、この作品で描きたいものがハッキリ出るだろうなーと思って12人にしました。結果的には13人になりましたけど(笑)。

 批判が集中したのはこの部分だったのですけど、個人的にこの選択は間違ったとは思っていません。前述した通り、描き方を失敗しただけで。


【自殺した理由は描かないのだよ、な意見】
>各キャラの自殺の理由や死神や地獄などの世界観の説明を敢えて省きセリフなどからそれとなく想像させるという演出も、限られた尺で読者にテンポよく読み進めさせるにはベターな方法だったと思います。

>自殺の理由なんかも、<中略>私は公式の理由(答え)をしっかり知りたい方なので、前述通り、もうちょっと各キャラの詳しい情報が欲しかったのですけれど、色々想像するのも勿論楽しいです。

>皆、如何にして自殺に追い込まれたのかという経緯が気になります……。
特にターミネーター女 by美和さん が……(笑)


 自殺の理由を描かないことは初期の段階から決めていて、それはまず第一にページ数の問題が大きかったのですけど……自分としては「何故死にたいのか」に焦点を当ててはいけないなと思っていました。
 これを書くと「あ、この人は○○先生の漫画にムチャクチャ影響を受けているな」と思われそうなのであまり書きたくないんですけど(笑)、人って簡単に足を踏み外せる動物だと思うんですよ。それは自殺でも犯罪でも裏切りでもそうなんですけど、些細なことで人は自分の人生を狂わせられると僕は考えています。

 最後のスイッチは重要ではありません。「あ、ちょっと電球切れてる。替えるの面倒臭いな」で人は死ねてしまう。そこで「じゃあ僕が電球を替えてあげるよ!」というキャラを出せばその人は救われるというワケではないですよね(笑)。
 本当に大切なのは原因を潰すことではなく、根本から「人生に価値を見出させる」ことだと思うので……自殺する理由を「これだけは避けよう」と教訓のように受け取って欲しくはないなーと、こういう路線で行くことは譲れないことだったのです。


 とまぁ、偉そうなことを書いてはいますけど……『Re:Survival』キャラ紹介ページを作って、そこでそうした「裏設定」も書くか迷っているところだったりします(笑)。どうせもう描くことのないキャラ達なので、作ってある設定や設定画も出した方が良いだろうと。

 アレです。人間とは矛盾する生物なんだとか云々かんぬん。


【ラストシーンはそう言えば…な意見】
>「生」の世界は、ただデフォルトにそこにあるだけじゃなく、自殺を殺すという「否定の否定」の末に存在する反転した世界であるという風に意味合いが付加されています。

>こういうのって、生き返った時には忘れてしまうのが普通な気がするんですけど……、
そこをひっくり返しているのが、また、イイ。

>やまなしさんの前向きなあきらめといいますか、この世界がどうしようもなく否定の対象で、100メートル先にジャンプしなければ崖におちて助からない状況で、それでも前向きに足掻こうといった意志が感じられて、とても共感しました。


 「思念を殺す」「思念を殺されても、そこからまた生まれるものがある」というラストシーン、今の今まで気付いていなかったんですけど思いっきり『舞-HiME』(アニメ版)の影響を受けていますよね(汗)。
 いやまぁ、あんまり言うと『舞-HiME』の方のネタバレになっちゃうので言葉が難しいのですが、バトルロイヤルものの反転現象は『舞-HiME』最終回を観てズッコけた僕のフラストレーションをぶつけた結果とも言えるかも。

 あ……12人という設定だけは意識して『舞-HiME』からのネタです(笑)
 『舞-HiME』自体の12人の元ネタはキリスト教的なソレよりも十二支の方が可能性高そうな気はしますね。詳しくは知りませんが。


 ちなみにラストシーンの後ろの方に映っているのは、『ちのしあ』4話の椿と紗希です(1コマだけ大全っぽい人もいる)。別に『ちのしあ』と『Re:Survival』が関係ある話とかそういうことではなくて、締め切り直前でモブの服を考える余力が残っていなかったからです(笑)。

 マジメな話をしておくと……“繋がれなかった”『Re:Survival』のラストシーンの背景に、“他人と繋がっている”モブを描くというのは最初からの予定で。それがたまたま“繋がっている”『ちのしあ』キャラになったということです。病院でコイツラ、何してんだ…とは思うけど(笑)


 実際、色々と辛いことが思い出されるこの作品ですけど……美和の「苦しいね」から始まる一連の台詞と、最後の夢姫の笑顔が描けたことが僕にとっては救いです。笑顔で、大嫌いで、それでも生きる―――
 このキャラ達がその後どうなるかは、考えたことがないワケではありませんが、それは僕にも分からないことです。「生きているって幸せだよね!」という方向だけにはならないとは思いますが、それでも彼女達は生き続けるのでしょうし、彼女達が生き続けるということは描いた僕自身がずっと胸に刻み続けなければならないことだと思っています。


【いつものアレな感じ、な意見】
>とりあえずUZIと「砂漠の鷲」は把握。
 UZIを認識してもらえただけでも満足です(笑)
 拳銃はともかく、サブマシンガンやらバズーカはもう二度と描きたくないですね。描くの超大変。何せ、1枚の写真しか資料がなかったし……「コレ、どのくらいの厚さがあるんだろう」と思いながら描いていました(笑)。

 ちなみにバズーカはそれっぽい資料が見つからなかったのでほとんどオリジナル。
 あとは大抵モデルがあるのでキャラ紹介ページを作ったら、そこに載せたいと思います。


>……あ、夢姫ちゃんの服の裂け目から、下着っぽいものが見えてる…(笑
 よく見てるなぁ(笑)
 原稿用紙を見るとしっかり下着だと分かるんですが、コピー→スキャン→画像縮小の過程で潰れちゃってよく分からなくなっちゃいましたね。WEBで漫画を描く際には、下着はシンプルに!という経験を次に活かしたいです。

 当時のブログによると、これを描いたのは3月5日らしい。僕にとって、生まれて初めて描いた下着です。

 そうだ、書くの忘れてました。
 終盤に夢姫とあきみの服が破れるのはネームにはなく、作画の作業中に「……延々と同じキャラを描き続けるのも飽きてきたな。服でも破いて露出を増やすか」と思い立ったからです(笑)。超行き当たりバッタリ。
 でも、そのおかげで作画が楽しくなって締め切りに間に合ったのだからチラリズムって偉大ですよね。言うまでもなく、この経験が椿陵辱漫画に繋がっています。


>…番外編で、この二人(あきみとチナリー)のその後って、見られないのかな~~…(ぼそり)。

 バッリバリの18禁漫画になってしまうのでムリです。


 しかし、いつにも増して長い記事になってしまいましたね。
 そりゃ精魂込めて描いた漫画なのだから語りだしたら止まらないのも仕方ないのだけど、『Re:Survival』を描き上げて最も痛感したことが「何でもかんでも詰め込めばイイってもんじゃない」ということだったはずなのに、どういうことだ(笑)。

 『Re:Survival』については、あと一回「キャラ紹介」ページを作って語るのを終えようと思っています。誰が何号室にいたとかの設定とか、細かい小ネタとかもあるので、そういうのはそちらでフォローしようかと思います。


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