
<画像はアニメ2期『けいおん!!』第20話より引用>
今日の記事は、2期20話「またまた学園祭!」までのネタバレを含みます。
今日は作品の根幹に関わる話を書くので、まだ20話が放送されていない地域の人には深刻なネタバレになります。即刻「戻る」を押して、20話が放送されるのを待って視聴してから読んだ方がイイと思いますよ。最初に予め。
自分が『けいおん』を好きな理由は、キャラクターが好きだからです。世界観も好きです。「人が人を好きだって感情を絶対に否定しない」ところも大好きです。好きなところを挙げれば数え切れないほど。
そして、自分が『けいおん』を面白いと思う理由は、キャラクターが一人一人違った考えを持って別々に行動して成長しているところです。言ってしまえば“群像劇”ですし、自分の中での『けいおん』の面白さは『ガンダム』の面白さと近いジャンルにあります。
例えば……2期9話「期末試験!」にて、唯と梓がユニットを組む場面があるんですが。
唯があの大会に出場する理由と、梓がそれを手助けする理由は別なんですよね。アレは「唯の物語」と「梓の物語」それぞれ別の意味があって二つを同時に描いているのです。
(関連記事:アホな子だからこそ、平沢唯が大好きです)
そんな自分からすると、2期20話「またまた学園祭」は化け物のような回でした。
一つ一つのセリフやカットに意味があって、5人それぞれの物語の集大成だったり伏線だったりがそこら中に散りばめられていて。20話だけで10コは記事が書けそうなくらい色んなものが詰め込まれた凄い回だと思ったのですが、実際に10コ記事を書いたらその間に『けいおん!!』が最終回を迎えているでしょうから(笑)。
「皆さんと演奏できて、幸せです!」
今日は、20話ラストの梓のこのセリフについて語ります。
このセリフを言わせるために、2期はこれでもかってほど梓を追い詰め、苦しめ、悩ませて、その向こうにある成長を経てようやくこのセリフを言わせることが出来たんです。
○ 「あずにゃんはあずにゃんだもん」というセリフの重み
しかし、群像劇は厄介なことに……「一人の物語」を説明するだけでは不十分なんですよね。
「梓の成長」は梓一人で出来ることではなく、そのためにはまず「唯の成長」から語らなければなりません。だから、ちょっと駆け足で説明しますよ。
唯というキャラは、1期の頃から未発達・未成熟な“原石”のようなキャラクターとして描かれていました。だから「大人」というものが縁遠く、彼女自身「大人になる」ということを遠い未来のように考えていたんでしょう。1期終盤のセリフからそれが推測されます。
「このまま大人になっちゃうのかなって思いながら…」
「みんなすごいよ!私を置いて大人にならないでよ?」
唯にとって「大人になる」ことは、「今とは変わってしまう」ちょっと寂しいことだったんですよね。
2期に入ってからは特に、「大人になる」ことが唯のテーマになっていきます。
2期1話目ではこんなカンジ。
「(3年生になって)なんだか大人です!」
「(前髪の分け目を逆にして)3年生っぽい?イメージ変わったかなー?」
まだまだ「大人になる」ことが現実的ではないんですよね(笑)。
高校生活はまだまだ長いよ、くらいの感覚―――そんな唯に現実を突きつけるのが8話「進路!」の回。進路調査票を出さずに、さわちゃんから説教を喰らった時の言葉がコレでした。
「なんだか……ずっと先のことだから、想像できなくって…」
まだまだ先のことだと思っていた「大人になる」という現実を突きつけられた唯は、ただガムシャラに頑張ろうとします。ギターも期末試験も演芸大会も。頑張ったからと言って何が変わるワケでもなく、演芸大会の結果は参加賞だったのだけど、おばあちゃんは言いました。
「唯ちゃん、立派になっちゃって……ねぇ?」
「大人になる」というのは特別なことだと思っていた―――自分ではない誰かに変わってしまうくらいの。でも、亀のように遅い歩みだったとしても、唯は少しずつ立派に成長していたんです。
そして、10話「先生!」の回。
かつて自分達と同じ場所に立っていたデスデビルとの出会いが、唯に「大人になる」ことを再度突きつけます。まるで自分とは違う世界に生きているような紀美さんの存在、過去を封印してデスデビルとは距離を取るさわちゃん―――
ちなみに、この回で廊下に立たされている場面で唯が背伸びをしていたのは、「大人」に向かって手を伸ばそうとしていたというのが自分の解釈なんだけど。これは流石にこじつけかも知れません(笑)。
「ねぇ、憂。大人って凄いね……
私も大人になったら大人になるのかな……」
しかし、「大人になっても変わらないもの」がありました。
デスデビルは昔の仲間のために演奏をして、さわちゃんは昔のように咆哮して―――かつて自分達と同じように軽音部にいて、同じように悩んでいたデスデビルが、時を経てもまた同じように演奏をしている。柄にもなく、悩んで悩んで悩み続けた唯に、一つの答えを与えてくれたのです。
「なーんだ。結局、どのさわちゃんでも人気あるんだね」
デスデビルのさわちゃんもさわちゃん。
おしとやかを装うのもさわちゃん。セクハラ三昧でお菓子が大好きなさわちゃんもさわちゃん。
全部含めてさわちゃんなんです。
だから、20話で唯は「山中先生はいつも優しくしてくれて…」と言ったんですね。
そう、だから―――唯は「大人になる私も私なんだ」と気付けたんです。
「大人になる私達も私達」。全部含めて「私達」。
だから、12話で「でも、私達の演奏の方が凄いよね」なんて言えたのです―――
んで、ようやっと梓の話に戻ります。
2期13話「残暑見舞い!」―――あの不思議な回の根幹にあるのは、梓のアイデンティティの欠如でした。日焼けをした梓に会った人全員が「誰?」と訊いてくるというあの回。でも、唯だけは「あずにゃん!」と気付くんですよ。
もちろん、夏フェスに一緒に行ったから日焼けした梓を見ているというのもあるんですけど(笑)。
唯にとって「日焼けしたあずにゃん」も「あずにゃん」なんですよ。だから識別出来た―――ギャグちっくに描かれた「誰?」の三回繰り返しだったけど、唯だけが識別出来たというのはそういう意味だったと自分は思います。これが、
「あずにゃんはあずにゃんだもん。」
という16話「先輩!」のセリフに繋がるのです。
この何のひねりもない率直な言葉が―――梓の心を救うのです。
○ 内に秘め続けた梓の想い
人間というのは「思っていること」と「言葉にすること」が別な生き物です。
『けいおん』のキャラクターも然り。ムギちゃんだけはその2つが限りなくイコールに近い人間だと思うのですが、唯ですら↑に書いた悩みを内に秘めて周りに明かすことがありませんでした。律っちゃんもそうですよね。自分の一番弱い部分は決して見せようとしません。
梓はその最たる存在。
2期1話、「新入生の勧誘を諦める」という決断を梓は勝手に一人でしてしまいました。
何故、「それで良いのか」を唯達には語ることなく―――
2話2話「整頓!」ではそのすれ違いがあらぬ方向に進んでしまい、梓を気遣って唯達はトンちゃんを買ってきてしまいます。その時にも梓は微笑んで、「もう……仕方ないですね」と言うだけでした。「5人だけで続けたいんだ」という気持ちを語らなかったんですね。
誰よりも軽音部を大事に思っているのに
その気持ちを内に秘めているだけなので、「そう思っているのは自分だけではないか」「先輩達は自分を置いて大人になってしまうんじゃないか」と孤独を感じるようになっていくのです。
2期5話「お留守番!」も、13話「残暑見舞い!」も、先輩達のいない世界で梓がどう生きるのかという話―――来年以降の梓の姿を示唆した回だったんですよね。
「そっか……私…もうすぐ、一人になっちゃうんだ……」
しかし、それでも、あんなに寂しくても(先輩達の夢を見てまでも)梓はそのことを先輩達には言えないんです。「そんなの私らしくない」から。軽音部のペースに巻き込まれ、軽音部に馴染んで、軽音部に依存してしまっている自分は……「こんなの私じゃない」と、自分らしさを探し続けるのが16話「先輩!」の回でした。
「だって、あずにゃんはあずにゃんだもん」
「律っちゃんは律っちゃんで、澪ちゃんは澪ちゃんで、ムギちゃんはムギちゃんだもん」
だから、唯のこの言葉が梓を救うのです。
弱音を抱える自分も、軽音部のことが大好きな自分も、それが言えない自分も――――「あずにゃんはあずにゃん」なんです。なのでなので、18話「主役!」で梓はメイド服を着れるんですよね。1期の時は「それだけは絶対にイヤです!」と言っていたのに。メイド姿のあずにゃんもあずにゃんなのです。
クラス発表の劇「ロミオとジュリエット」で手一杯になってしまう先輩達を見て、再び孤独を感じる梓。
「軽音部のことをこんなに大事に思っているのは私だけなんじゃないか……」と。
でも、「あずにゃんはあずにゃんだもん」という言葉をもらった梓なら言えたのです。
ずっとずっと抱えていた気持ちを。
「皆さん、あんまり部室に来てなかったから……
ライブのこと、あんまり大切に思ってないのかなって……心配になっちゃって……」
ようやく心の声を発した梓に、皆は微笑みました。
「バカだなぁ、梓は」「私達も軽音部のこと大切に思っているのよ」「心配かけてゴメンな、梓」
ちなみにこの時、唯だけは梓のことをボケーっと見ているんですよね。唯は既に16話で伝えるべき言葉を伝えているので。なので、ドサクサに紛れてチューしようとするという(笑)。
梓は一人じゃなかった―――
それが分かったから、未来を信じて「皆さんと演奏できて、幸せです!」と言ったのです。「今まで幸せでした」ではなく、「これからも幸せです」なんです。
ただ一人、涙を流さなかったのもそのためなんでしょう。
梓は、これから先にどんなことがあっても「私達は大丈夫」だと確信したのだろうし。そこに辿り着くまで20話かけて彼女を成長させたという証のセリフだと思うのです。
そして、忘れちゃいけないことに……梓は一人で成長できたワケでは決してなく、そこには間違いなく「先輩」の姿があったのだと思います。ボケボケしてて、真剣に練習してくれなくて、いつも後輩に怒られているけれど―――
「とっても頼れる先輩です!」
○ 余談
『けいおん』の“視聴者目線”はどこにあるのか――という話。
1期の時はムギちゃんだと書きましたし、その後「彼女達の両親」にこそあるんじゃないかと書きましたし、大人視聴者はさわちゃんにこそ感情移入するよねとか、2期は和ちゃんがその役割じゃね?とか、むしろ軽音部に入らなかった純ちゃんこそが……とか、色々言えますし。
その全てが正しいと僕は思っています。
群像劇ですから、見ている人が一番近しいと思った人が“目線”になるんだと思うのです。
トハ言え、
2期は“梓=視聴者目線”になるように狙っているのかなーと思うところが自分は多いです。
というのも……梓は早い段階から「来年は一人軽音部に残される」と明示されたキャラで、「一人残される」ことの孤独をしっかり押し付けた上で、それでも未来を信じられるように成長させたので―――これって『けいおん』が終わっちゃう寂しさに押しつぶされそうな俺達と一緒だよなぁと思うのです。
2期が始まった頃は「まだ半年もあるよ!」と余裕だったのに、半分超えた辺りで段々寂しくなってきて、19話辺りで「もう終わっちゃうよー」と哀しくて、でも20話で「けいおんに出会えて幸せだったんだな」と気付けたというか。いや、ここは「けいおんに出会えて幸せです!」ですよね。
そういう意味でも、梓のあのセリフは心にぐっと来るセリフでした。
自分が『けいおん』を好きな理由は、キャラクターが好きだからです。世界観も好きです。「人が人を好きだって感情を絶対に否定しない」ところも大好きです。好きなところを挙げれば数え切れないほど。
そして、自分が『けいおん』を面白いと思う理由は、キャラクターが一人一人違った考えを持って別々に行動して成長しているところです。言ってしまえば“群像劇”ですし、自分の中での『けいおん』の面白さは『ガンダム』の面白さと近いジャンルにあります。
例えば……2期9話「期末試験!」にて、唯と梓がユニットを組む場面があるんですが。
唯があの大会に出場する理由と、梓がそれを手助けする理由は別なんですよね。アレは「唯の物語」と「梓の物語」それぞれ別の意味があって二つを同時に描いているのです。
(関連記事:アホな子だからこそ、平沢唯が大好きです)
そんな自分からすると、2期20話「またまた学園祭」は化け物のような回でした。
一つ一つのセリフやカットに意味があって、5人それぞれの物語の集大成だったり伏線だったりがそこら中に散りばめられていて。20話だけで10コは記事が書けそうなくらい色んなものが詰め込まれた凄い回だと思ったのですが、実際に10コ記事を書いたらその間に『けいおん!!』が最終回を迎えているでしょうから(笑)。
「皆さんと演奏できて、幸せです!」
今日は、20話ラストの梓のこのセリフについて語ります。
このセリフを言わせるために、2期はこれでもかってほど梓を追い詰め、苦しめ、悩ませて、その向こうにある成長を経てようやくこのセリフを言わせることが出来たんです。
○ 「あずにゃんはあずにゃんだもん」というセリフの重み
しかし、群像劇は厄介なことに……「一人の物語」を説明するだけでは不十分なんですよね。
「梓の成長」は梓一人で出来ることではなく、そのためにはまず「唯の成長」から語らなければなりません。だから、ちょっと駆け足で説明しますよ。
唯というキャラは、1期の頃から未発達・未成熟な“原石”のようなキャラクターとして描かれていました。だから「大人」というものが縁遠く、彼女自身「大人になる」ということを遠い未来のように考えていたんでしょう。1期終盤のセリフからそれが推測されます。
「このまま大人になっちゃうのかなって思いながら…」
「みんなすごいよ!私を置いて大人にならないでよ?」
唯にとって「大人になる」ことは、「今とは変わってしまう」ちょっと寂しいことだったんですよね。
2期に入ってからは特に、「大人になる」ことが唯のテーマになっていきます。
2期1話目ではこんなカンジ。
「(3年生になって)なんだか大人です!」
「(前髪の分け目を逆にして)3年生っぽい?イメージ変わったかなー?」
まだまだ「大人になる」ことが現実的ではないんですよね(笑)。
高校生活はまだまだ長いよ、くらいの感覚―――そんな唯に現実を突きつけるのが8話「進路!」の回。進路調査票を出さずに、さわちゃんから説教を喰らった時の言葉がコレでした。
「なんだか……ずっと先のことだから、想像できなくって…」
まだまだ先のことだと思っていた「大人になる」という現実を突きつけられた唯は、ただガムシャラに頑張ろうとします。ギターも期末試験も演芸大会も。頑張ったからと言って何が変わるワケでもなく、演芸大会の結果は参加賞だったのだけど、おばあちゃんは言いました。
「唯ちゃん、立派になっちゃって……ねぇ?」
「大人になる」というのは特別なことだと思っていた―――自分ではない誰かに変わってしまうくらいの。でも、亀のように遅い歩みだったとしても、唯は少しずつ立派に成長していたんです。
そして、10話「先生!」の回。
かつて自分達と同じ場所に立っていたデスデビルとの出会いが、唯に「大人になる」ことを再度突きつけます。まるで自分とは違う世界に生きているような紀美さんの存在、過去を封印してデスデビルとは距離を取るさわちゃん―――
ちなみに、この回で廊下に立たされている場面で唯が背伸びをしていたのは、「大人」に向かって手を伸ばそうとしていたというのが自分の解釈なんだけど。これは流石にこじつけかも知れません(笑)。
「ねぇ、憂。大人って凄いね……
私も大人になったら大人になるのかな……」
しかし、「大人になっても変わらないもの」がありました。
デスデビルは昔の仲間のために演奏をして、さわちゃんは昔のように咆哮して―――かつて自分達と同じように軽音部にいて、同じように悩んでいたデスデビルが、時を経てもまた同じように演奏をしている。柄にもなく、悩んで悩んで悩み続けた唯に、一つの答えを与えてくれたのです。
「なーんだ。結局、どのさわちゃんでも人気あるんだね」
デスデビルのさわちゃんもさわちゃん。
おしとやかを装うのもさわちゃん。セクハラ三昧でお菓子が大好きなさわちゃんもさわちゃん。
全部含めてさわちゃんなんです。
だから、20話で唯は「山中先生はいつも優しくしてくれて…」と言ったんですね。
そう、だから―――唯は「大人になる私も私なんだ」と気付けたんです。
「大人になる私達も私達」。全部含めて「私達」。
だから、12話で「でも、私達の演奏の方が凄いよね」なんて言えたのです―――
んで、ようやっと梓の話に戻ります。
2期13話「残暑見舞い!」―――あの不思議な回の根幹にあるのは、梓のアイデンティティの欠如でした。日焼けをした梓に会った人全員が「誰?」と訊いてくるというあの回。でも、唯だけは「あずにゃん!」と気付くんですよ。
もちろん、夏フェスに一緒に行ったから日焼けした梓を見ているというのもあるんですけど(笑)。
唯にとって「日焼けしたあずにゃん」も「あずにゃん」なんですよ。だから識別出来た―――ギャグちっくに描かれた「誰?」の三回繰り返しだったけど、唯だけが識別出来たというのはそういう意味だったと自分は思います。これが、
「あずにゃんはあずにゃんだもん。」
という16話「先輩!」のセリフに繋がるのです。
この何のひねりもない率直な言葉が―――梓の心を救うのです。
○ 内に秘め続けた梓の想い
人間というのは「思っていること」と「言葉にすること」が別な生き物です。
『けいおん』のキャラクターも然り。ムギちゃんだけはその2つが限りなくイコールに近い人間だと思うのですが、唯ですら↑に書いた悩みを内に秘めて周りに明かすことがありませんでした。律っちゃんもそうですよね。自分の一番弱い部分は決して見せようとしません。
梓はその最たる存在。
2期1話、「新入生の勧誘を諦める」という決断を梓は勝手に一人でしてしまいました。
何故、「それで良いのか」を唯達には語ることなく―――
2話2話「整頓!」ではそのすれ違いがあらぬ方向に進んでしまい、梓を気遣って唯達はトンちゃんを買ってきてしまいます。その時にも梓は微笑んで、「もう……仕方ないですね」と言うだけでした。「5人だけで続けたいんだ」という気持ちを語らなかったんですね。
誰よりも軽音部を大事に思っているのに
その気持ちを内に秘めているだけなので、「そう思っているのは自分だけではないか」「先輩達は自分を置いて大人になってしまうんじゃないか」と孤独を感じるようになっていくのです。
2期5話「お留守番!」も、13話「残暑見舞い!」も、先輩達のいない世界で梓がどう生きるのかという話―――来年以降の梓の姿を示唆した回だったんですよね。
「そっか……私…もうすぐ、一人になっちゃうんだ……」
しかし、それでも、あんなに寂しくても(先輩達の夢を見てまでも)梓はそのことを先輩達には言えないんです。「そんなの私らしくない」から。軽音部のペースに巻き込まれ、軽音部に馴染んで、軽音部に依存してしまっている自分は……「こんなの私じゃない」と、自分らしさを探し続けるのが16話「先輩!」の回でした。
「だって、あずにゃんはあずにゃんだもん」
「律っちゃんは律っちゃんで、澪ちゃんは澪ちゃんで、ムギちゃんはムギちゃんだもん」
だから、唯のこの言葉が梓を救うのです。
弱音を抱える自分も、軽音部のことが大好きな自分も、それが言えない自分も――――「あずにゃんはあずにゃん」なんです。なのでなので、18話「主役!」で梓はメイド服を着れるんですよね。1期の時は「それだけは絶対にイヤです!」と言っていたのに。メイド姿のあずにゃんもあずにゃんなのです。
クラス発表の劇「ロミオとジュリエット」で手一杯になってしまう先輩達を見て、再び孤独を感じる梓。
「軽音部のことをこんなに大事に思っているのは私だけなんじゃないか……」と。
でも、「あずにゃんはあずにゃんだもん」という言葉をもらった梓なら言えたのです。
ずっとずっと抱えていた気持ちを。
「皆さん、あんまり部室に来てなかったから……
ライブのこと、あんまり大切に思ってないのかなって……心配になっちゃって……」
ようやく心の声を発した梓に、皆は微笑みました。
「バカだなぁ、梓は」「私達も軽音部のこと大切に思っているのよ」「心配かけてゴメンな、梓」
ちなみにこの時、唯だけは梓のことをボケーっと見ているんですよね。唯は既に16話で伝えるべき言葉を伝えているので。なので、ドサクサに紛れてチューしようとするという(笑)。
梓は一人じゃなかった―――
それが分かったから、未来を信じて「皆さんと演奏できて、幸せです!」と言ったのです。「今まで幸せでした」ではなく、「これからも幸せです」なんです。
ただ一人、涙を流さなかったのもそのためなんでしょう。
梓は、これから先にどんなことがあっても「私達は大丈夫」だと確信したのだろうし。そこに辿り着くまで20話かけて彼女を成長させたという証のセリフだと思うのです。
そして、忘れちゃいけないことに……梓は一人で成長できたワケでは決してなく、そこには間違いなく「先輩」の姿があったのだと思います。ボケボケしてて、真剣に練習してくれなくて、いつも後輩に怒られているけれど―――
「とっても頼れる先輩です!」
○ 余談
『けいおん』の“視聴者目線”はどこにあるのか――という話。
1期の時はムギちゃんだと書きましたし、その後「彼女達の両親」にこそあるんじゃないかと書きましたし、大人視聴者はさわちゃんにこそ感情移入するよねとか、2期は和ちゃんがその役割じゃね?とか、むしろ軽音部に入らなかった純ちゃんこそが……とか、色々言えますし。
その全てが正しいと僕は思っています。
群像劇ですから、見ている人が一番近しいと思った人が“目線”になるんだと思うのです。
トハ言え、
2期は“梓=視聴者目線”になるように狙っているのかなーと思うところが自分は多いです。
というのも……梓は早い段階から「来年は一人軽音部に残される」と明示されたキャラで、「一人残される」ことの孤独をしっかり押し付けた上で、それでも未来を信じられるように成長させたので―――これって『けいおん』が終わっちゃう寂しさに押しつぶされそうな俺達と一緒だよなぁと思うのです。
2期が始まった頃は「まだ半年もあるよ!」と余裕だったのに、半分超えた辺りで段々寂しくなってきて、19話辺りで「もう終わっちゃうよー」と哀しくて、でも20話で「けいおんに出会えて幸せだったんだな」と気付けたというか。いや、ここは「けいおんに出会えて幸せです!」ですよね。
そういう意味でも、梓のあのセリフは心にぐっと来るセリフでした。
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